表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

58/69

第51話「海神の化身」

「なら、早速行くぞ」


ジルは地図をパタンとたたむと、スキルを発動して何やら空中に指を走らせ始めた。  

ヤーアーリンまでの距離を測定し、インターフェースを広げ、数字や記号を次々と打ち込んでいく。


「スキル『数学者』、オーダーライン、ポイントP:スライド」


西に向かって、海の上を走る3.8km程の、光る糸のような線分ABが現れた。

そしてジルの手元には、野球ボールのような白い球体が出現する。  

その上には「P」と、あの忌まわしき文字が浮かんでいた。


「えっ……先生まさか」

「ああ。これで行く」

「何かヤバそうだし、ポラリス乗せてってー」

「うん、いいよ」


カノンがポラリスにおんぶをねだる。  

ポラリスは気安くそれを受け入れ、背中にカノンを乗せると、「アークはどうする?」と余裕そうな表情を浮かべた。  

アークは少し迷ったが、師匠への信頼と好奇心を選んだ。


「……こちらの方が、風を感じられそうです」


ジルは「落ちないようにな」と短く告げると、点Pの速度定義を脳内で完了させた。


(――点Pは線分AB間3800メートルを12秒で移動する。気温34℃の音速は約351m/s。導き出される平均速度は316m/s……マッハ数に換算するとおよそマッハ0.9)

「スキル、『数学者』マルチサークル」


ジルの両肩、両腕付近に「×16」と筆で描かれたような数字が現れ、彼が点Pを掴む握力が増幅された。

アークがジルの腰にしっかりと抱きつく。


「スライドスタート」



ドンッ!!


爆音と共に、世界が後方へと置き去りにされた。  

カノンに砂がかかり、「ちょっ!」と半ギレするも、その声は届かなかった。



海面スレスレを高速移動するジルとアーク。

黒い海と、点Pが切り裂く大気の衝撃波がぶつかり、激しい波しぶきが生まれる。  

痛い。速い。風が刃物のように頬を叩く。


「せっ…先生! これは一体、どうやって停止を…っ!?」

「……」


アークは強風に吹かれ、口の中に空気が押し込まれそうになりながら叫ぶ。  

だが、ジルは答えない。

いや、止まることなど考えていなかった。

等速直線運動において、点PはB地点まで止まらない。

迫りくる西島ヤーアーリンの岩肌。

このままでは激突する。


「チッ……計算通りだが、やはり速いな」


ジルは冷静に、次の手を打った。


「スキル『数学者』、グラファイザー」


衝突寸前、ジルの前方に巨大な光の曲線が現れる。

それは二次関数 y=xの二乗の放物線。

点Pがそのグラフに沿って急上昇し、ジルとアークの体は空高く打ち上げられた。


「うわああああっ!」

「スキル『数学者』第四段階《現実演算》、0.98 ≤ G ≤ 9.8」


空中で放り出された二人の落下速度が、ふわりと緩やかになる。  

まるで羽毛が落ちるように、二人は西島ヤーアーリンの砂浜へと静かに着地した。  

少し遅れて、ポラリスとカノンも音もなく降り立つ。


「先生……寿命が縮まりました……」

「そうか? 計算通りの安全なフライトだったはずだが」


ふらつくアークを支えつつ、ジルは目の前の光景に目を向けた。  

島の中心には、白くて蔦が絡まった古びた祠がひっそりと佇んでいた。

周囲の黒い海とは対照的な、清浄な空気を纏っている。

ジルがその祠にそっと手を触れた、その瞬間だった。


カッ!


黒い海が一瞬だけ白く発光し、海面が盛り上がる。

目の前に現れたのは、不定形の巨体。

姿形は周囲と同じ黒い水で構成されているが、その胸元には核となる白い光が脈打っていた。  

海神の化身。

そう呼ぶにふさわしい威圧感。


「畏れた。崇めた。奉った。何れにせよ、総ては過去の慣し、或は消された歴史……」


化身の口から発せられるのは、言葉というよりは、海鳴りのような重低音だった。


「凡愚共はやがて忘れた。穢した。勘違いした。この"大海"の存在を」


詠唱が始まる。大気が振動し、魔力が渦を巻く。全員が反射的に身構えた。


「魔法防衛・衝水(ワーンポット)



ズズズズズ……!  

地響きと共に、西島ヤーアーリン全体が激しく揺れ始めた。

いや、揺れているのではない。沈んでいるのだ。

地殻変動により島そのものが海中へと引きずり込まれていく。

唯一、祠だけが海上に残るように、不自然に浮き上がっていた。


「ああっ! 祠が!」


カノンが咄嗟に飛び出し、微かに上にズレていく祠を引っこ抜こうと抱きつく。  

足場がなくなる中、ジルは冷静に化身を見据えた。


「まずは怒りを測ろう。数値化する為に、変数を固定、拘束する」


ジルは虚空からとある記号を取り出した。

かつてトートが使っていたものと同じ、しかし色はジルの魔力である純白の輝きを帯びた「(インテグラル)」。


「スキル『数学者』、インテグラルサーベル」


ジルがインテグラルを大きく横に振るう。  

その軌跡に沿って、黒い海面がパキパキと音を立てて白く染まっていく。  

一瞬にして、化身の周囲の海が分厚い氷に閉ざされた。

荒れ狂う波も、沈みゆく島も、すべてが凍りつき、静止する。


「えっ……先生!? 魔法……?」


アークが目を丸くする。

理系であるジルに魔法は使えないはずだ。


「女帝ハレーの氷郷魔法とやらを、部分的に収束・一般化しただけだ。俺が魔法を使ったわけじゃない。魔導関数の式に当てはめたらこうなった」


ジルは氷の上に立ち、剣のようにインテグラルを構え直す。


「それより……来るぞ」


凍りついた海を割り、自由を奪われた海神の怒りが、さらに膨れ上がろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ