第46話「命題9」
議論会が終盤に差し掛かったその時、会場の重厚な扉が内側から弾け飛ぶような音を立てて開いた。
「議論をする場所ってのはここだな!」
「お前は……エド!」
現れたのは、大槌を担いだ聖騎士の男——フレッド・クレイドルだった。
衛兵たちの制止を力ずくで振り切ってきたのか、背後では数人の兵士が床に転がっている。
「へへっ。どいつもこいつも、随分としけた面してやがるな!」
場が騒然とする中、聖女ユミィは先程の第七命題でのショックが抜けきらず。青白い顔をしていた。
しかし、命題主としての責務が彼女を突き動かす。
「……第九命題は、"ウル教徒の民度改善"です」
ユミィの口から出たその言葉に、会場にいたウル教徒の貴族たちが激昂した。
だが、事実は残酷だった。
彼女から提示された資料には、聖教国守護を名目にした関所での莫大な不当課税、一般市民への謂れなき襲撃、そして理不尽な私刑——。
それらの事件が年々増加していることが、克明に記されていた。
「女神様の御名の下に、我らは邪悪を打ち払い、挫いているだけだ!」
「その通りだ、これを民度が低いなどと……言語道断!」
「やはり聖女などではなく、教皇様であればこのような侮辱は……」
沸き立つ文系的な感情論を、凛とした声が遮った。
「失礼致しますわ」
デミトアが一歩前に出る。
その深緑の瞳は、冷静な理系的観察眼によって研ぎ澄まされていた。
彼女はどこからか、革表紙のノートを取り出す。
ジルから贈られた(半ば奪い取った)、例のノートだ。
「わたくしが観察したデータによれば、貴方方の行動原理は信仰心ではなく、単なる自己肥大化にありますわ。統計的に見て、聖騎士や熱心な信者が起こす騒動の8割は、相手が反論できない状況での一方的な暴力。つまり貴方方は、女神の代弁者という盾を使い、"自分が特別だと勘違いしている"だけではありませんの?」
「なっ……! 一国の皇女ともあろうお方が何を…」
「観測に基づいた事実を申し上げたまでですわ。特別な存在という定義を、客観的な能力ではなく主観的な選民意識に置く。その計算式の狂いが、この醜い事態を招いているのですわ」
デミトアの容赦のない分析に、教徒たちはぐうの音も出ず、言葉を失った。
ユミィはゆっくりと顔を上げ、震える声で告げた。
「……デミトア殿のおっしゃる通りです。私からも、厳しく戒めます。そして、聖教国聖騎士団副団長 フレッド・クレイドル」
「え、俺?」
「貴方は後ほど減給についてのお話し合いがありますので」
「は…へ? ど、どうして」
「貴方はこの世界議論会という神聖な場所を、単に冷やかしに来たのでしょう? そう判断せざるを得ません」
「いや、俺は……ただ……」
「また暫くしてから、詳しくお話を伺いましょう。……下がって」
エドは「う……」とばつの悪そうな声を漏らすと、開けた時とは対照的に、扉をゆっくりと閉じて去っていった。
ユミィが引き下がる瞬間を、ジルは見逃さなかった。
彼女の唇が描いたのは、いつもの慈愛に満ちた聖女の微笑みではなかった。
どこか空虚で、それでいて全てを諦めたような。
——凍てつく笑み。
「おい。今の見たか?」
「うん。……あのお姉さん、一瞬だけ本性を現したね」
ポラリスが小さく呟く。
議論会は、いよいよ最後の議題—–第十命題へと移ろうとしていた。




