第13話 「忌み名」
「……100っと。ほいっ」
ジルが遊び半分で弾いた数字が、純白の光を放ちながら宙を駆ける。
『数学者』スキルによって具現化された数字。
それは同時に、純粋な攻撃力を意味する。
(駄目……!)
デミトアは、本能的に危機を察知した。
彼女の頭脳が瞬時に弾き出した計算によれば、あの数字が庭の端に着弾した瞬間、その衝撃で屋敷が半壊する。
「100を使えば、屋敷が壊れかねないですわ!」
彼女が咄嗟に空中へ打ち込んだのは、「×0」というキャンセルコードだった。
(これなら確実……なのだけれど、もしジル殿の数字に当たらず、外してしまったらどうなるか分からない! 一体、どうすれば……) 最悪の事態を想像し、デミトアは思わず頭を抱えて床に伏せた。
――その時だった。
「……やらかしたみたいだ。悪かったな」
聞こえてきたのは、存外に落ち着いたジルの声だった。
彼の表情には、先程までの無邪気さは消え、反省の色が浮かんでいる。
本人も、ようやく事の重大さが分かったようだ。
親指が、とん、とその額に押し当てられる。
これも癖なのか、彼の眼差しが、見たこともないほど真剣なものに変わった。
「スキル、『逆境』」
その言葉をトリガーに、ジルの思考が軽度に加速していく。
世界の速度が、わずかに遅くなるような感覚。
彼はそのコンマ数秒の世界で、最適解を導き出す。
(あれなら確実に当てられるし、具現化した数字も0倍すれば消えるだろう)
彼の視線の先に、スキルによる輪――マルチサークルが生成された。
だがそれは、ただの円環ではない。
通過する数字に、特定の数式を強制的に付与する、いわば「関門」だ。
ジルが放った「100」の数字が、その関門を潜り抜けた瞬間。
100 × 0 = 0
絶大なエネルギーの塊は、その存在を完全に失い、光の粒子となって静かに霧散した。
「心配しましたよ! いくらスキルが魔法に遠く及ばないからって、それが何をしてもいい理由にはならないのです」
呆れと、ほんの少しの怒りが彼女の声にはあった。
結果として庭の芝生一本すら傷つくことはなかった。
だが、ジルが放ったスキルの膨大なエネルギーは、少し離れた場所まで届いてしまっていた。
その日の午後、帝都からの早馬が屋敷に到着し、ジルとデミトア、そして監視役であるユーの帝都メランズへの即時召喚が決定された。
フェルウェード帝国・帝都メランズ。
「アードストールより大きい城だな」
その心臓である皇帝の玉座の間は、肌を刺すような重圧に満ちていた。
「――アードストールを滅ぼした方が、幾分か面白かったのかも知れぬな」
玉座に座す男、デミトアの父であり、フェルウェード帝国を統べる皇帝、アウレウス・メ=フェルウェードは、そう静かに呟いた。
その言葉には、彼がこれまで積み重ねてきたであろう、数えきれない勝利と経験則の重みが滲んでいた。
「なぁ、なんで俺だったんだ?」
その威圧的な空気に臆することなく、ジルは引き下がらない。
祖国を貶されようと、あの家族がどうなろうと、彼にとっては正直どうだってよかった。
どちらにせよ、二度と会うことはない、そう思っていたからだ。
「俺以外でも良かっただろうに」
ただ、この巨大な物語の歯車に、なぜ自分が組み込まれたのか。
その理由だけが知りたかった。
アウレウスは、その物怖じしない瞳を真っ直ぐに見返し、まるで答えをくれてやるかのように、ゆっくりと告げた。
「貴様が……雷狼の少年だからだ」
「結局それか。何だってんだよ、俺が呪われてるって?」
比喩。
あくまでもそのはずなのに、デミトアには伝わっていた。
(あなたは……)
彼女は、深くは考えなかった。
「しかし、それだけとは言い切れないな」
アウレウスが薄ら笑みを浮かべると、重圧が少し軽いものに変わった。
その瞳の奥に娘を、家族を想う父親がいた。
「……それはまた話そう」
ジルは、王城で暮らしていた時のことを思い出す。
逃げるように、その場から駆け出した。
婿の後を追おうとする娘を、アウレウスは引き留めた。
「デミトア、話がある」
「お父様……」
皇城の塀の上。
ビュウ、と強い風に煽られながら、ただ遠くを見つめる。
「良いところだな、外国は。貧民街が見当たらないから、浮浪児もいない。アードストールも見習って欲しいな」
久しぶりに、肩の力を抜いて執筆してみました。 もちろん手を抜いた訳ではないのでご安心ください><