第7話 「任務の行方」
聖白の鎧から放たれるエドの絶叫が、静かになった森に虚しく響き渡る。
ジルは額をさすりながら、じんわりとした痛みの向こうで、巨大な騎士を見上げた。
「あ、あの、ご、ごめんね? 私の脚がフカフカじゃなくて……」
「気にするな。それより、手伝ってくれるというのは本当か?」
ジルは痛みを無視して、さっと思考を切り替える。
彼の視線は、村の中央にある噴水――黒い瘴気をボコボコと噴き上げる、呪いの発生源へと向けられていた。
「うん! もちろん! 困ってるみたいだし、何でも言って!」
カノンの力強い返事を聞くと、ジルは指を顎に当てて、まるで盤面の駒を眺めるかのように状況を分析し始めた。
「噴水中心の半径二十メートルは汚染区域。浄化するには、あの中心点の上空で聖句を詠唱するのが最も効率がいい。問題は、どうやってそこへ行くか、だが……」
エドが「普通に近づいて、俺が気合で浄化の壁でも作るか?」と腕を組む横で、ジルはカノンの巨体とエドを交互に見比べ、ふと、とんでもないことを閃いた顔になった。
「……なるほど。その手があったか」
「ん? 何かいい案でも浮かんだのか、ジル先生!」
「ああ。カノン、君の力を借りる。エドを投げる」
「「は?」」
ジル以外の二人の声が、綺麗にハモった。
「いやいやいや! 待て待て待て! 俺を投げるってどういうことだ! 俺は砲弾か何かか!?」
「砲弾じゃない、聖騎士だろう? だが、物理法則に従って飛んでもらうことに変わりはない」
ジルは地面に木の枝でさらさらと数式を書き始めた。
「エドの身長と腕力、そして俺のスキル『マルチサークル』による増幅率を計算に入れる。カノンの手のひらを高度八メートルの射出点と仮定した場合……よし。放物線は y=…………を描く」
「おいおい待て待て、何だその呪文みたいなの!?」
「二次関数ってやつだ。この場合、水平距離十メートル地点で、最高高度二十五メートルに到達する。そこが浄化詠唱のベストポジションだ」
ジルはこともなげに言い切る。
彼の手元には青白い円――マルチサークルが浮かび上がっていた。
「俺のサークルで、俺自身の膂力を一時的に37.5倍まで引き上げる。それで計算通りの軌道を描けるはずだ」
「本当にジル先生に俺が投げられんのか!?」
「人を、投げるの? 大丈夫かな……」
おろおろするカノンに、ジルは「問題ない。君はただ、まっすぐ腕を掲げればいい」と静かに頷いた。
「いいか! 絶対にその計算通りにやれよ! 俺の命がかかってるんだからな!」
「分かっている。誤差は±五十センチ以内に収束させる」
「よく分からんが…頼むからな!」
エドの悲鳴を狼煙に、作戦は決行された。
カノンは巨大な手のひらの上にジルとエドをそっと乗せ、高く上に。
ジルの左肩には、「×37.5」と白い文字が付いている。
「――行くぞ」
ジルの合図と共に、エドの体が空へと射出された。
まるでスローモーションのように、エドは美しい放物線を描いて飛んでいく。
「うおおおおおおおおおおっ!!」
絶叫しながらも、彼は聖騎士だった。
空中でくるりと体勢を整えると、放物線の頂点に達する完璧なタイミングで、厳かな詠唱を開始する。
彼の体から放たれた金色の光が、真下の噴水へと降り注ぐ。
光に焼かれた黒い瘴気が悲鳴を上げるように霧散し、村を覆っていた呪いの気配がすーっと消え去っていく。
浄化を終えたエドは、そのまま放物線の下降軌道に乗り、見事に噴水へと着地した。
少し足が震えているようにも見えたが、その表情は達成感に満ちていた。
三人が合流し、後片付けをしている時だった。
着地のせいで大きく罅の入った噴水を眺めながら、カノンがぽつりと呟いた。
「……そういえばこの呪い、ギデオンの手口に似てる」
「ギデオン?」
聞き慣れない名前に、エドがぴくりと反応する。
ハッとしたように顔を上げたカノンは、大きな体を揺らしてぶんぶんと首を横に振った。
(ヤバ、まずかったかな?)
「ううん! 何でもない! ちょっと知ってる名前っていうか……」
「それよりジル、ちょっと話したい事が……」
◇
◇
冒険者ギルドに戻ったジルとエドは、ギルド支部長のセキに報告をしていた。
「……現場で、『ギデオン』という名が出ました。魔王軍四天王の一人かと」
その名を聞いた途端、セキの表情が凍り付く。
バン、と机を強く叩く音。
「……どこでそれを? 四天王の存在は確認されていますが、その名前や能力といった具体的な情報は、一切外部に公表されていない魔王軍にとっての最高機密かと」
その言葉に、エドの顔からいつもの軽さが消えた。
事態が自分たちの想像以上に、根深く、危険なものであることを悟ったのだ。
ギルドからの帰り道、エドは「いやー、とんでもないことになってきたな……」と兜をガシガシ掻いている。
その横で、ジルは全く別の問題に頭を悩ませていた。
(ギルドに、報告するべきだろうか? アークとカノンが、今や俺の教え子になっている、と)
カノンは先程、ギデオンの名を洩らした後に、「迷子だから着いていく」と、ついでにジルの元で数学を学ぶ宣言をしたのだ。
ジルにはすぐに最悪のパターンが頭をよぎる。
そんなことを報告すれば、どうなる? ギルドの連中はきっとこう考えるだろう。
「魔王軍幹部であるアークやカノンから生き延びた? それどころか教え子にした? つまりジルの方が立場が上……まさか、ジル自身が四天王、もしくは魔王なのでは?」と。
そうなれば、面倒なことになるのは火を見るより明らかだ。
それに、カノンと行動しているのを見られれば、芋づる式にアークのことまでバレてしまうかもしれない。
「……ジル先生?」
「いや、何でもない」