第1話 「零元の法則」
《理系だってのは、この世界では迫害の対象でしかない》
Cランク冒険者、ジル=アードストールは今日もBランクパーティーの雑用として仕事を全うしていた。
第二十七階層。
ピチャピチャと音を立て、スライムが大量に沸き出る。
魔導士の放った炎や、剣士が斬るスライムが、ジルに当てられる。
「「すまんジル、わざとじゃねえから~」」
怪しい笑みを浮かべるアタッカー達。
「おいジル、とっとと魔石を集めろ、このグズが!」
「了解、リーダー」
魔石を拾い集めていると、遠くの岩陰から、他の個体とは異なる色のスライムが現れた。
ジルは手をかざしたっきり、指一本動かさない。
だんだん、場が淡い水色の光に飲まれていく。
「スキル、『数学者』──半径30センチのカプセル 」
(3秒後にフィールドに侵入する……捕捉、生成ッ!)
風が止み、ホワンと音が鳴る。
スライムを包むように、半透明なカプセルが瞬時に作り出された。
光が無くなって、ジルは静かに手を下ろす。
カプセル内のスライムは鮮やかな黄緑色をして、通常より大きく、うっすら炭色の線が入っている。
「『数学者』、データ表示」
ジルは、表示された結果を見て驚愕した。
なんと、魔力量が9×10⁹の個体だったのだ。
(冗談きついぞ90億なんて、Aランクの上級魔導士でも八万なのに…!)
呑気な仲間は何も知らずに、ただ物珍しそうにスライムを見つめる。
「へぇ…魔法無しでも、か。イデア様に大感謝だな」
「粘液まみれでキモいなこいつ」
「居なくなったら清々するだろうなぁ」
リーダーのフルに呼び出しを食らった。
「なぁ。お前さっき、スライムの動きをケイサンしやがったのか?」
ジルは静かに頷いた。
「俺の手柄を奪う気だったんだろう?! お前、もうクビだ」
あまりに突然だった。
「……はぁっ!?」
ジルは、眉間にしわを寄せた。
「たまたまだって」
「黙れッ……誰が口答えして良いっつった?」
フルの声は、噛み殺すような怒りで震えている。
悪意ではなく殺意と魔力がこめられ、ジルに戦斧が投げられた。
咄嗟に身を引くジル。
それは綺麗に放物線を描き、ジルの目の前まで3秒で到達。
(重力加速度、戦斧の速度・重量・軌道・回転数から導き出して、俺に触れるまで…残り2.4秒!)
(だったら、)
2。
戦斧が唸りを上げて、ジルの下腹部を狙う。
避けられない軌道。
咄嗟にジルが声を放つ。
「『数学者』、マルチサークル!」
(半径=10センチの円を俺の正面に、透過後の"数量"は比例式y=ax、)
1。
(a=0、間に合うな)
空間がゆらぎ、彼の前に輪が現れた。
ただの円環ではない。
数多もの数式と幾何学的な光の軌跡が編み込まれた、精密なる“数の盾”。
戦斧は出来上がった円を貫通した。
「な……なんだと……?」
戦斧の主であるフルの顔から、余裕が消え去った。
──斧もろとも。
「まあ、こんなもんか」
何事もなかったかのように、ジルはそこに立っていた。
「一体どうやって!」
フルは焦る。
(嘘だろ、俺の戦斧が……)
「知らないのか? 0を掛けたら0になるんだぞ?」
駆けつけた剣士と魔導士が、ジルを睨みつける。
鋭い切先が、炎が即座にジルに向けられる。
マルチサークルを複数展開。
「なんで俺の炎が?!」
ジルは冷めた目で、ただ脳内で式を整理していた。
(魔力量3920×0倍サークル)
「イコール0」
「け……剣がッ!?」
(剣の個数1×0倍サークル)
「イコール0だ」
計算し終えては、答えを呟く。
物が彼の周囲で消えていく現象は、とにかく異常だった。
彼らの視線は、そこに立つ一人の理系に釘付けになっていた。
「そんな……馬鹿なッ! あり得ない!」
魔導士の戯言に、ジルはため息を漏らした。
「同じ事を何度でも、お前が分かるまで【授業】をしよう。どこまで行っても、俺は教師だからな。"零元の法則"といって、0を掛けた数は0にしかならないんだ」
静まり返るダンジョンに、彼の足音だけが響く。
「追放だったか? なら証明してやる。この世界の誰のどんな魔法より、数式が強いってことをな」




