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すれちがい夫婦の馴れ初めは。


 ―――聖女様が部屋で、泣きながら何度も男の名を呼んでいた。


 聖女には他に想い人が居たのだというのが、最近シャノンの身の回りの世話をする使用人たちの間でもっぱらの噂だった。


 それがセスの耳に入ったのは、春待月にがつの一日―――シャノンの誕生日の前日のことである。


 その噂を嬉々として話していたスック大臣は、勝ち誇った笑みを浮かべて、早く他に妃をもらってはどうかとセスに勧めてくる。

 先方はいたって乗り気のようで、その日のために衣を仕立てようと思っているなどという話を聞かされたセスは苦いものを飲み込んだような顔を作った。


「何度も言うが、大臣。そなたの娘が来てもこの面を取るつもりはないし、名を明かすつもりもない。妃にするなどもってのほかだ」


 セスにとっては、スックの娘がどんなにいい織地で衣を仕立てたかなどどうでもよかった。

 そんなことよりも、部屋で泣いていたというシャノンのことが頭の中を占める。


 ―――泣きながら何度も男の名を呼んでいた。


 その男の名が自分であったことが嬉しいだなどと、口が裂けても言うことなどできないが。


「なに。御上の気もすぐに変わるでしょう。うちの娘に一目でも会えば、虜にならぬ男などおりませんからな」


 得意げな視線を向けられても困る。

 セスはシャノン以外に女に触れるつもりはないし、触れたいとも思わない。


 そんな心持ちで他の女人に会うなど失礼極まりないことを承知だ。

 だから断り続けているというのに。


「いい加減、大人になってはいかがですか、御上」


 ふいに真面目な顔でそう言ったスックを、セスは紙の面越しに見据える。


 彼がただの嫌味なだけの男でないことを、セスはよく知っている。

 事実そうならば、スックはこの場所に立てはしない。


「聖女殿の心はどう足掻いても故郷の男のもとにあるのだと、先日思い知ったばかりではないですか。あの日から、聖女殿の『旦那さま探し』もぱったりなくなった」


 お前はもうすぐ十八になるのだろう、とスックが目で言うのを感じ取る。


 神と人、半分ずつのセスの体には寿命がある。

 この国の初代神王エルヴィスは、この国を作り、千年治め、千年目に国の女と子を成した。

 その時の子がセスだ。


 セスに神通力が宿り、為政の才に長けているのを見て取ると、エルヴィスはまだ幼かったセスに国の一切を任せ、セスの母親と共に神界に昇ってしまった。


 セスでさえ、エルヴィスと顔を合わせるのは半年に一度の神議かむはかりのときのみ。


 セスの持つ神通力、神界とのつながり、それらすべてを真実国のものにし、国の基を確固たるものにするには、セスがこの国の女を抱くしか道がないことをスックはよくわかっているのだ。


 自分の娘であれば、しくじらずにそれができることも。

 彼が執拗にセスに自分の娘との婚姻を勧めたがるのはそういうことだ。


「御上、あなたがあの聖女殿に執着するのは、手に入らないことが悔しいからだ。悔しくて、手を伸ばしているだけに過ぎない。本当はあなたも―――わかっていらっしゃるのだろう……?」


 聞き分けのない子どもを諭すように、スックは言った。


 セスの刺さる場所をきちんと弁えて喋っている。

この男を、やり手と呼ばずとしてなんとする。


 なにか間違っているか? と言わんばかりの不遜さで言ってのけるスックだが、その実その裏に心配という優しさを隠していることも、セスは知っている。


「すまないが、そなたの娘と会う必要は、昨晩なくなった」

「またそんな世迷言を―――」


 セスは片をつけなければならない。

 今のままでは来年の明日には彼女が居なくなると分かっていて、なんの努力もないままその日を迎えることだけは、しない。


「スック、聖女シャノンと婚儀を行う。準備を頼みたい。シャノンが呼んでいた男の名は、私の名だ」


 スックは一度息をのみ、それから長いため息をついた。

 彼とのここ数年の付き合いの中で、セスが彼について知ったことは、このため息が『承諾』を示すものだということである。


「かしこまりました」


 渋々―――本当に渋々、スックはその言葉を吐き出した。

 眼鏡を指でくいと持ち上げ、ばさりと、セスの机にぞんざいに書類を放り投げる。


「ちっ、うれしそうな顔をしくさってからに。この若造が……」

「なにか言ったか?」

「いえ何も」


 スックがかなりの愛妻家であり、その娘を溺愛していることを知るのは、シャノンがスックの娘と仲良くなってからの、また別のお話である。


***


「おとうさまー! おかあさまー!!」


 社に、小さな少女の声が響き渡る。

 現帝の一の公主ひめ・ルミ殿下のお声である。


 ルミは、かつて彼女の母君がしたように、社中を駆け回っている。


「どうしたの、ルミ?」


 母を呼ぶルミの背中に声をかけたのは、現東宮・シェウだ。

 ルミとシェウは、現帝とその后の間に生まれた双子の子であった。

 ルミは、シェウに向かって、にぱっと笑う。


「シェウ! おとうさまとおかあさま、見なかった?」

「わからないけど、父上も母上も、この時間なら一緒にいるはずだよ」

「あのね、あのね、ルンダがおかあさまを『ひめさま』って呼ぶ理由、シェウは知ってる!?」

「え? そういえば……なんでだろうな」

「ルンダが、おとうさまとおかあさまから、『なれそめ』を聞けばわかるって。だからさがしてるの!」

「なれそめ……? 父上と母上は、家どうしの結婚だったのではなかったのか……?」


 シェウはこてんと首をかしげる。たしか、教育係のスック大臣から聞いた話では、そのように言っていたはずだったが、と。


「たしかに嘘ではないが、本当でもないなぁ、それは」


 不意に後ろから声がして、シェウは振り向いた。


「父上!」


 その姿を目にし、シェウは、父譲りの黄水晶の瞳をきらきらと輝かせる。

 ルミの赤い髪はぴょこんと跳ねた。


「それを教えたのはスック大臣かしら? あの方らしいわね」


 そう言ってくすくすと、楽しげに笑ったのは柔らかな黒紅の髪の女性だ。

 シェウの髪の色は、この人譲りだ。


「母上!!」

「おとうさまも、おかあさまも、きょうのお仕事はもう終わり?」


 ルミが母に抱き着いて言った。

 母はしゃがみ込んでふわりと笑う。


「ええ」

「じゃあじゃあ! おかあさまとおとうさまの『なれそめ』、教えてよ!」


 せがむルミを、父が抱き上げた。

 そして、両親はシェウの両手を片方ずつ繋いだ。


「とりあえず、夕餉に向かおうか。ルンダが待っている。馴れ初めはその後だ」

「えー! 今聞きたい! いーまー!!」

「あまり父上を困らせるな、ルミ。父上が照れくさそうだぞ!」

「ですって、あなた」

「俺は今猛烈にはずかしいんだが……」


 神の国ストラタス―――その常春の都フィリオンを抱く社には、今日も夫婦とその子供たちの楽しげな声が響く。


 塔へと帰ってくるその声の主たちを、一匹のケサランパサランは、ふわふわと空中を漂いながら、嬉しそうに待っているのだった。


【すれちがい夫婦の馴れ初めは。】


おわり

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