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よねんめ1


 ここ三年でわかったことは、あのひとはシャノンの誕生日にしか顔を見せに来ないということだ。


 いや、シャノンの誕生日でも、別には見せないが。


(暇だなあ)


 勉強は勿論している。だが、十四の半ばで、まだまだ教育を受ける年齢だと言えど、故郷でもともとやっていたものも多くあるので、それほど多くないのだ。

 『寝て起きてご飯を食べ、朝夕の祭事をする』ということしか仕事のないシャノンには腐るほどの時間があって、読みたい本も、知りたい学問も、およそ知的好奇心というものは、大体ここで満たされてしまう。


(図書棟の本はほとんど読んでしまったし、エルヴ語も、それで書かれた本を読めるくらいには習得してしまって満足だし。刺繍は―――)


 もう、家具が埋まりそうなほど、シャノンの部屋は刺繍でいっぱいだった。

 見える布すべてに刺繍してあるのじゃないかと言えるほど、見渡す限りの刺繍の洪水。


 この三年、本を読んで知識を得、聖女としての教育を一通り受け、他にこまごまとした生活のあれこれをする以外の暇な時間はことごとく刺繍に充ててきたから、やろうにも、やる場所がないのだった。


 もともと、あのひとに見せるために始めたものだ。

 彼が尋ねてこない以上は、無意味な代物だった。


 暇。

 圧倒的暇である。


 もうこの際、社の仕事をやらせてくれと頼んでみるのはどうだろう。

 炊事でも洗濯でも、来年には十五になるのだし、家事も一通りできないことには自分一人でやっていけない。


「筝でも、弾くか……」


 聖女教育で教わった、知っている曲をさらってみる。

 その次は、シャノンの気の赴くままに好きなものを。


「だめだぁ……鬱屈としてきた……外の空気を吸おう」


 シャノンの外出は別に禁止されていない。

 と言っても、社の結界の中だけという約束ごとはある。


「旦那さまの仕事してるとこ、見に行こ」


 それは、シャノンのここ最近のマイブームで、一方的なかくれんぼのようなものだった。

 もちろん、その日、御上にどんな予定があって、何をして過ごしているのかシャノンは知らないし、知らされない。


 だから、彼を探して社を歩き回り、探検するのだ。

 空を眺めたり、屋敷の敷地に咲く植物を観察したり、下女に混ざって洗濯物を干すのを手伝ったり、厨房で、内緒でおやつをもらったり。


 御上の姿が目に入ったら、その日の探検はそこでおしまい。

 そういう、シャノンが暇を持て余した末に発明した、ちょっとした遊びだ。


「ルンダー、御社おやしろ探検行きたいなー」


 シャノンが呼ぶと、ルンダはどこからか、ぱっとそのふさふさの体を現して、シャノンの頭の上に乗る。


「今日はどっちから探すのだ?」


 最初はあわあわしていたルンダも、近頃はすっかり慣れたもので、シャノンと一緒になってこの暇つぶしを楽しんでいた。


 シャノンは、やしろ中を見て回れるばかりか、遠目とはいえ御上の姿を日に一度は目に映すことができたので、もちろんこれは楽しいものだった。


 顔が見えなくても、直接対面できなくてもいいのだ。

あのとぼけた顔が書かれた紙を見られるだけでも、一年待つよりずっとマシだ。


「えーっとね、昨日は書庫の近くで旦那さまを見かけたから、今日は薬草畑の方から回ろっかな。それに、あのあたりに植わっている黄色い花のつぼみが、今日あたり開きそうだったはず」


 毎日、(一方的だが)旦那さまを追いかけていると、だんだん仕事の流れのようなものに気付く。

 書庫で姿を見た次の日は、調薬部で見つけることが多くて、財務部で見かけた日の次は、外交部に居ることがほとんど。

 医局で医者と話をしていた日の後は、社の外に行くことが多い。

 神議かむはかりで社を開けた日の次は、大抵、奥の執務部屋で書類仕事。

 外を歩いているのを見た日は大体、気晴らしのための束の間の散歩中。


 いつ見ても供をつけていて、忙しそうで。

遠くでその姿を捉えるだけのシャノンが気安く話しかけられそうな様子ではない。


 いつもアホっぽい紙の面ばかり見ているから忘れがちだが、彼は曲がりなりにもこの国を治めるひとなのだった。


 この国が安定している以上、彼の治世が安泰であるのは確かで、それは彼の仕事の腕によるものなのだろう。

 あの日―――髪を結わえてもらった日は、本当に幸運だったのだ。


「もっと、会いに来てくれればいーのに」


 無理だと分かっている。

 あんなに国のために走り回っている人が、たかだかいち小娘の様子を見るためだけにこの塔シャノンのもとへと赴くわけはない。


 誕生日に会うたび、彼がシャノンに愛しげに触れるから、つい忘れそうになるけれど。


(私は十六になったら、あのひとがなんの躊躇いもなく手放せてしまうような、何にもない、ただの人)


 そもそも、『聖女』というお役目自体、彼がなくそうと思えばいつでもできる。


 十一で参じたときはまだ、何も知らない幼い子どもだったシャノンでも、四年の歳月をここで過ごしていれば、大体のことは分かって来ていた。


 『聖女』は『妃』ではない。


 一度娶ってしまえば、返すときにきずとなってしまう『妃』と違って、『聖女』はそうはならない。


 ただし、『聖女』が神の持ち物である以上、『聖女』である間、他の男と関係を持つなどもってのほかであったし、そもそも清い体でいなくてはいけない。


 代々、大抵の聖女がそのまま当代の神の伴侶となったから、ほとんど『妃』と同列のように扱われてはいるが、神は『聖女』を返した後で新たに『妃』を娶ることもできる。


 だからこそ、今のこの、『返すと決まっている聖女』というシャノンの状態は非常に複雑なものだったし、それを分かっていて、現在そんなに必要があるわけでもない聖女の地位を残してでもシャノンを社に留めようとする御上に様々な好奇の目が集まっていた。


 きっと、なにか、シャノンの知りえない複雑な事情があるのか。

 それとも、何かからシャノンを守ってくれているのか。


 ―――オイデ。オイデ……。


 あの日。

 シャノンの部屋以外の場所で初めて、旦那さまと話した日。


 猫を追いかけて建物の隙間に入ろうとした。

 その向こう側から聞こえた、シャノンの手を引こうとする、そら恐ろしい、の声。


 ルンダの姿はいつの間にか見えなくて、怖くて、否応なしに覗かされる暗闇を、どうにもできなくて。


(―――なのに)


 彼が後ろに立った途端、怖いモノの気配はなくなった。

 零れたシャノンの髪を受け止めたのは、旦那さま。


 その気配はやっぱり、なんでかセスに似ていて。

 その手の、シャノンへの触れ方は、髪を結んでくれた昔のセスの手とそっくりで。


 シャノンが重ねてるだけなのか、実は同一人物なのか、本当のところは分からない。

 わからないけれど。


 でも。


「―――他にお妃、もらってもいーんだよ……」


 御社おやしろのあちこちで話を聞いていると、やれどこぞの臣下の娘の縁談が断られた、やれ御上は女性にとんと関心がない、やれ冷血漢だ等々、言われたい放題である。


(旦那さまの、負担になるくらいなら、それでもいい―――)


 年にたった一度、たった数刻しか姿を見せない薄情な旦那さまなのに、シャノンにはどうしても彼を困らせることなどできない。


***



「陛下御執心の聖女殿は、この頃とうとう、帰りたいと言うほどまで故郷に残してきた男のことを恋しがっているようですな」


 煽るようにこちらを見たスック大臣の口から出た言葉に、セスは気づかれないよう筆を持っていた手を握り締めた。


 いつもの挑発だ。嘘ではないが、本当でもない話に過ぎない。数刻耐えれば終わる。


 そう思って聞いていたのに、今日は雲行きが違った。

 別の臣下が話し出したのだ。


「聖女殿が『旦那さま探し』なる暇つぶしをしておられるのはご存知ですかな?」

「ああ」


 シャノンのその遊びのことは知っていた。

 最近彼女がはまっている遊びで、セスを見つけるまで社を探検する一方的なかくれんぼだ。


 知らないわけがないとも言える。

 遠くから視線を送るシャノンが、自分を探して社中を回る彼女がどれだけ可愛いか。

 そんなシャノンをセスが見逃すわけがない。


 とまあ、冗談に隠したセスの本音はさておき。


 実は中々、その行動の成果も馬鹿にはできない。


 目付け役のルンダと一緒にシャノンがいろんなところに足を運ぶから、社は以前より活気づいたし、ルンダがシャノンに伴ってあちこち回るおかげで、セスでさえも知らない噂や情報が手に入ることもある。


 あとは、セスを探す者たちが、ことごとくシャノンを頼るようになった。

 忙しくていろんな場所に出没するセスだが、用事が立て込んでいると相手に探させることもある。


 そんなとき、その相手がシャノンの元へと行くと、セスの居所をぴたりと言い当てるのだと言う。


 とてつもなく可愛い。


「それがどうかしたのか」

「はあ。どうやら聖女殿は結構な注目を集めているようでして」


 その臣下は、スックとは違ってそれなりに腹の底も信頼できる男なのだが、如何せん上司に対する敬意というものが足りない。

 言いにくいこともズバズバ言うので、そこが買っている部分でもあるが。


「どういうことだ」

「えーっと、聖女殿はまだ十四とはいえ、彼女を迎え入れた時の御上と同い年であらせられましょう。そりゃあ、年相応の魅力っていうか、こう―――あるでしょ? 素直さとか、自覚していない美しさとか。そういうところが社に勤める同世代の男たちの秋波を集めていると言いますかぁ……」


 しどろもどろになりながら説明するその臣下は、その言を最もセスの胸を刺す言い回しで締めくくった。


「聖女殿が御上を見ながら『他にお妃をもらってもいーんだよ』と言っていた姿を見た者が居たそうで、官の一部には自分にも下賜のチャンスがあるのではと思っている者が多くいるとか」


 セスはそれを聞き、固まった。

筆を走らせていた書類に墨だまりを作ってしまう。


「シャノンは今、どこにいる」

「さて。そこまでは……」


 書いていた書類を数秒で終わらせ、あとは纏めるだけというところまで用意して、セスは席を立つ。


「数刻、休みをくれ」

「お仕事の方は」

「今日の分は済んでいる」


 ご随意に、という臣下の声を背中で聞きながら、セスは走り出していた。

 外は暗い暗雲が立ち込め、雨が降り出しそうだった。


(―――なん、で)


 手あたり次第シャノンが居そうな場所を探すが、全然見つからない。


 彼女の部屋がある塔は明りがついていない。

 祭事をする社殿の近くにも、おしゃべり好きな洗濯女が居る洗い場にも、厨房にも、いない。


(なんで―――)


 シャノンが自分を見つけてくれることに鼻を高くしている場合なんかじゃなかった。

自分の方は、少しもシャノンのことを知らないと―――そんなことに今更気がつく。


 わかるのは、シャノンの好きな髪型と、陽だまりみたいに笑うことだけ。


「―――シャノン!」


 もちろん返事は返ってこない。


 ぽつり、ぽつりと雨が降り出した。

 それは地面に濃い跡を残し、やがてすべてを水の気配で覆い隠していく。


 とうとう、神楽殿の裏の、そのまた奥までやってきたセスは、やけくそのままもう一度その名を呼んだ。



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