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光の中へ

作者: 湖灯

 新緑の眩しい街路樹沿いに私はアパートから駅へと向かっていた。


 2日前の木

 いやな予感がした。

 電話を取ると、母の兄にあたる叔父さんの訃報だった。


 叔父さんは若くして癌になり、もう十年ほど患っていたが最近肺炎などの病気を併発していて危ない状態だと聞いていた。


 叔父さんの家は富山市の沿岸部の町で、私たち家族も五歳までは近所に住んでいた。

 その頃は叔父さんのお父さん、つまり私からみてお爺ちゃんが魚屋を営んでいて夕方には母の兄と弟の三兄弟の家族が揃ってお爺ちゃんの家で食卓を囲むこともしばしばあり、従姉妹たちともよく遊んでいた。

 父の転勤で富山を離れたあとも、高校生になるまでは学校の長期休みを利用して毎年遊びに行き、その時も三世帯の家族が集まって食事をして従姉妹たちと遊んだ。


 訃報の連絡を受けたあと、母から明日朝に富山に向かうと連絡があったが、私は明日抜けられない研修があったので明後日に行われる通夜当日の早朝に出発する事にした。

 友引という六曜のおかげで助かった。

 遠く離れた地の葬式だから無理してまで行く事はないと、母から言われたのだけど私はどうしても行かなければならないと思っていた。


 北陸新幹線に乗り北関東から信州を超えて富山で降り、駅前からライトレールに乗り叔父さんの家を目指す。

 子供の頃は、商店街の入り口にパン屋があり駄菓子屋と洋装店、上杉の叔父さんの家が魚屋で斜め向かいが肉屋、その向こうに八百屋、散髪屋、模型店と並んでいて小規模ながら商店街の要素を持っていた町だが、久し振りに来てみると、寂れてしまったと言うより、幾つかあった店舗の全てが無くなっていて、懐かしい風景が消えてしまった寂しさを感じた。


 商店街だった通りを抜け叔父さんの家へと向かう。

 お爺ちゃんが生きていた頃は魚の匂いと天井が吹き抜けて屋根まで伸びた古いドッシリとした玄関だったのが、いまでは改築してごく普通の玄関になっていた。

 私はその事を残念に思っていたが、これは私の我儘で魚屋を辞めた後もそのスペースを残して置く必要は何処にも無い。

 玄関に入ると直ぐに、従姉の恵美ちゃんが出迎えてくれた。

「お疲れ様。もうじきお坊さん来られるから早く着替えられ」

 恵美ちゃんは今回亡くなった叔父さんの長女で私より二つ上。

 性格は姉御肌で確りしていて気は利くが、その分観察眼も鋭くまるで実の姉の様にズバッと物を言ってくるので私はチョッと苦手だった。


 部屋を見渡すと、なるほど皆葬儀用の礼装に着替えていたので私も着替えて来ることにした。

 しかしバッグを開けたとき白いブラウスを入れ忘れている事に気がついて母に叱られた。

 私は母や従姉妹たちよりも大分背が高いから、おそらく借りることは出来ない。

 まごまごしている私に同い年の従妹の喜代子ちゃんが声を掛けてくれ、私がブラウスを忘れたことを伝えると恵美ちゃんがお父さんの使えばいいがと言った。

「叔父さんの?」

「男もんやけど、今はそれを着て、時間が空いたときに買いに行けば」と言われ、私はクリーニング袋を開けて叔父さんのワイシャツを着た。

 叔父さんのワイシャツも心なしか少し小さく感じた。

 葬式に来て、亡くなられた当事者のシャツを着て参列する人は珍しいだろうな。


 部屋は昔ながらの作りで広い上がり口から表通りに面した6畳間と真ん中の12畳間、裏庭に面している8畳とが続き、襖を開放する事により広い一部屋として使え、未だ冠婚葬祭を各家庭で行っていた頃の風情を残した造りになっていた。

 今日は、その広い部屋に大勢の親戚が集まっていた。

 私が部屋に入ると直ぐにお坊さんも到着してお経を読み始めた。


 座ってから気がついたのだが数珠は礼服の中か、それとも鞄の中だったか?

 もし鞄の中だったらと思うと額から汗が噴出したが、運よく内ポケットに入れてある数珠を発見できた。

 “良かった…これで数珠まで忘れてきたら目も当てられない”

 御経はこれから何回も聞けるので、とりあえずその間に忘れ物のチェックをしておいたほうが良いなと思った。

 ひととおり考えているうちに、お線香を上げる順番が回ってきたが、どうやら忘れ物はワイシャツだけのようだった。

 線香を上げ終わって横になって寝ている叔父の顔を見てみると三年前に死んだ父の顔に似ている事に驚いた。

 私の父は六年前に自動車で自損事故を起こして入退院を繰り返していたが三年前に後遺症で亡くなっていた。

 御経が終わると、玄関から外に待機している霊柩車まで棺を運び通夜会場へ移動した。

 通夜の行われる葬祭場に着いた頃には日も大分傾いてきていた。

 昼間は天気も良く一寸した夏の陽気だった気温も、この時間になると北陸独特の冷い風が吹き心地いい。通夜は午後七時からだったが既に何人か人が来ていた。

 私は空いた時間を利用して忘れてきていたブラウスを買いに行くことにした。

「ちょっと買ってくる」

 近くに恵美が居たので、そう告げると。

「あと一時間半したら通夜だから、それまでには帰って来られ」と、姉のような口ぶりで送り出された。

 車は2つ下の従弟が出してくれた。


 5年前に来たとき橋の改修工事が行われていて見ることの出来なかった木で作られた“たいこ橋”の横を通ると、そこに有ったのは昔の‘たいこ橋‘では無くコンクリートで造られた何の変哲も無いありふれた歩行者用の橋だった。

 “時間は残酷……”

 思い出を確りと記憶に留めておかないと時の流れに消されてしまうと思いながら、子供の頃から何一つ変わらない立山のほうを眺め呟いていた。

 ブラウスを買って葬祭場に戻ってきたのは六時を少し回った頃だった。

 出る前は空いていた駐車場も今は満車となっていて誘導員に導かれて漸く空いているスペースに車を潜り込ませることが出来た。


 広い大きなガラス窓から建物の内部の様子が良く見える。なるほど駐車場が込み合うのが分かるくらいロビーには大勢の人が入っていた。

 私が知っているのは、叔父さんの生涯に換算すると何日くらいだろうか?

 けれどもここに集まっている大勢の人達の殆どが私の知らない叔父さんを知っている。

 辺りはだいぶ暗くなってきていて、葬祭場に掲げてある提灯の明かりが物静かな雰囲気をかもし出していた。

「ブラウスあったの?」

 私があったと答えると母は笑って、もう他に忘れ物がないかチェックしておきなさいと私を窘めた。

 そんな母も直ぐに親戚の人に話掛けられていた。

 1人になると急に眠気が襲ってきた。

 通夜が始まりお経が読まれると、急に睡魔が襲ってきた。

 数珠を手に持ち目を瞑り心地よいひと時がながれる。

 心地よいお経を聞きながら目を瞑り、富山で過ごした日々を思い出す。

「ちょっと!」

 母に小突かれ急に現実の世界に連れ戻されると、お焼香の順番がまわって来ていた。


 翌朝は葬式まで時間が有ったので母と呉羽山にある喫茶店「呉仁館」までタクシーで行ってモーニングを食べた。

 呉羽山は富山市街と立山連峰を一望できる撮影スポットとしても有名で観光パンフレットにも写真がよく使われている。

 朝の冷たい空気のなか珈琲を飲みながら雄大な立山連峰を眺めると弥陀ヶ原を歩いている人まで見えそうで、ひょっとしたら今頃叔父さんは弥陀ヶ原を室堂に向けて歩いているのではないだろうか……とさえ思え、そう思うと余計目を凝らして眺めてしまう。


 十時に葬儀が行われ、昨日と同様に沢山の人がお別れに訪れて、改めて叔父さんの交友関係の広さと深さを感じるとともに親戚として嬉しかった。

 葬儀が終わると叔父さんの棺を霊柩車に運び、火葬場に向かい、形のある叔父さんと最後のお別れをして再び斎場に戻った。

 遠方から来た人も居るので当日のうちに初七日を済ませ、その後に昼食を兼ねた法事の宴席となった。

 今、叔父さんが焼かれている真最中である事を思うと、落ち込んで出されるものを食べることが出来なくて会場を静かに離れた。


 会場を出て広いロビーのソファーに座り、立山を眺めていた。

 窓から見える立山には霞が掛かっていた。

 昨日からの疲れが酷いのか久し振りに“めまい”と耳鳴りが激しく襲ってきていた。

 ソファーに腰掛け仰向けに深呼吸して暫くすると急に今まで激しかった耳鳴りが止み、なんだか人の歩く音が聞こえてきた。

 同時に“めまい”も消え、目を瞑っている瞼が急に温かくなるのを感じた。

 気分は寝ている時のように落ち着いていた。


 ザクッ・・・ザクッ

 霧の中、叔父さんが歩いて来る。

 だがそれは叔父さんとは呼ばれずに富山弁で“兄”を表す「あんま」と呼ばれた。

 そこたらじゅう深い霧に覆われているが、あんまの表情に不安はなく、むしろ見たことのない風景へ対する興味で目は輝き、心は揚々としていた。

 あんまは歩きながら考えていた。

 久しく深く考える事もなかったが、それは周囲に不安がなかったからではないだろうか、そして今その頭脳が久し振りにハッキリと躍動しているのは大きな希望が行く手にあるからではないだろうか……と。

 霧は益々濃くなり、あたりは真っ白で周りの景色は何も見ることが出来ない。

 それでも河原を歩いている事だけは確かな様で、近くからか遠くからなのか花の香りも霞に運ばれて来て無性に心地好い。

「ここは、神通川の河原ではあるまいか?」

 長い間なのか、短い間なのか、いつからなのかサッパリ分からないが、あんまはズッとこの河原を歩き続けていて、何か新しいことを発見した幼子のように心が躍っている事を感じていた。

 ふと、いつの間にか川を渡ってしまったのではなかろうかと、思った。

 案外浅く幅の狭い流れの緩やかな川だったのかとも思ったが足は濡れていないので、どうやら船か何かにでも乗ったのだろうと思った。

「はて・いつの間に船に乗ったがやろ?」

 この霧の河原に来てから、爽快に冴え渡っていたはずの頭脳でも何故か思い出すことができないのを少し はがやしく思ったが「まっ、いいっちゃ!」と、あんまはそう自分に言い聞かせてから更に先を目指して歩き続けた。


 河を渡ったか渡っていないかなど別段何の興味もなかった。

 興味があったのは霧が薄くなっている事と、向かう先の方の空が素晴らしく晴れ渡っている事だった。

「あの霧の晴れた先には、なにか面白いことが待っているぞ!」

あんまは、どこか目的地かも分からない霧に包まれた河原の中を只ひたすら歩き続け、ついに霧の晴れた先に辿り着いた。



 晴れ渡った空のせいか眩し過ぎて先が見えにくかった。

 あんまは少し目を休める為に光と反対の方向、つまり今まで歩いてきた方に体を向けた。

 振り返ってみて首を傾げたのは、河原を歩き始めてから何故一度も後ろを振り返って見なかったのだろうという事と同じように一度も立ち止まることなく歩き続けていたことが不思議でもあり、また可笑しくも感じられた。

 そして振り返って見てみると、どうやら自分の立っているところは河原よりも大分高くなっている場所で濃い霧がまるで雲海のように幻想的に広がり丁度「立山」の山頂から見える景色のように感じられた。

 自分が、この雲海の中、いったいどの様にして、どのくらいの時間歩いていたのかまるで見当がつかなかったが、どこから来たのかだけはハッキリと見当がついた。

 なぜなら濃い霧の立ち込める遥か向こう側に霧の晴れている所があり、そこには自分の家があり家族や親戚、友人たち一同が何やら楽しそうに集っている様子が見えたからである。

 距離的にはいつも自分の住んでいる家から南にそびえる立山を見上げるくらい離れているようだったが、不思議にみんなの表情や笑い声や会話、美味しいご馳走までも手に取るように分かった。

「俺は今、立山の頂上に居るのだ!」

 あんまは、そう思った。

 そして遠くの家に集う人たちが、何をしているのか今ようやく気がついた、みんなして俺を盛大に送り出してくれた事と、この人たちと自分はお互いの幸せを永遠に祈り続けるであろうことを。


 遠くに見える我が家の風景を、どのくらいの時間眺めていたのだろう、一分の様でもあり数時間の様な気もした。

 あまりの楽しさに時間を忘れると言うのは、この事なのだろうと思った時、背後から懐かしい声が聞こえた。

「あんま、こんな所で何されとんが?」

 聞きなれた人懐っこい癖のある喋り方に、声の主が誰であるか直ぐに分かった。

「お父ちゃん!迎えに来てくれたんがけ!」

 大分前に亡くなった父が何故ここに居るのかは、不思議に感じなかった。

 ただ懐かしい思いでいっぱいだった。

 親子は、その場にたたずみ遥か向こうに見えるお互いの家族たちを眺めながら久し振りに再会した喜びに浸っていた。

 しかし、お爺ちゃんはそろそろ時間が来ることを知っていた。

「そろそろ行かんまいけ!」と、お爺ちゃんが切り出すと、あんまは驚いたように

「どこ、行くがか?」と、聞き返した。

 あんまは、まだまだ此処にいてお互いの家族たちを見ながら話をしていたかったのだ。

 お爺ちゃんは少し呆れた様子で

「家に行くがよ!」と、急に悪戯っぽく笑った。

 そして歩き出すと、ふたりは肩を寄せ合って、まるで光の中に吸い込まれるように消えていった。

 お爺ちゃんの声が微かに聞こえた。

「この前、あんまの妹の旦那さんも来たがよ」

「後遺症がどうとか言われとったが、大丈夫ながけ?」

「コッチでは、みんな元気にくらしとっちゃ」

 そう言ってお爺ちゃんは笑った。

 2人の話はまだ続いていたが、声はだんだん遠ざかってゆき、暫くするともう私の耳にも二人の声は届かなくなってしまった。


 目を開けると辺りの光景がやけに眩しかった。夢だったのだろうか、それとも……。

 いつの間にか“めまい”も収まっていた。

 なんだか急に外に出ないといけないような気がしてロビーを離れ、表に出て立山を見上げると、いつの間にか霞みは無くスッキリとした容姿が凛と立っていた。

 爽やかな5月の風が青空の中に溶け込んで初夏へ向けて勢いのある風景に飲み込まれるように消えていった。

 会場から心配して母が出てきた。

「大丈夫?」

「うん、少し疲れてめまいがしただけ」

 立山を見上げたまま答えた。

 遠くから曳山祭りの掛け声が聞こえてきた。

「あー今夜は曳山祭りね」

 母も立山を見上げて言った。

「うん」

 返事をした時、ふいに私の頬を一滴の涙が流れ落ちるのを感じた。

 私は急に胸の奥から込み上げてくる何かに、封印が解けたように立山に向かって大きく「ありがとう」と呼びかけた。

五月の澄んだ空気の中、相変わらず立山は凛としたまま私の声を受け止めていた。

                                    (おわり)


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― 新着の感想 ―
 音も無く降り積もる雪を見るような、そんな作品ですね。  こうゆうのを霊夢と言うのではないですかね❔  あまりに叔父さんに心を寄せて見てしまったのか、こうあって欲しいと云う願望から見た夢なのか、それと…
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