転換点、そんなの分からない
事故を起こしてしまってからはお店の近くに引っ越し自転車で通勤できるところへ。
駅を使わなくなってから気づいたのだろうか?(オープン当初は電車で通っていた)
近くには有名な大学があって最寄り駅とその大学を結ぶ通り道に自分が働いている八百屋があった。
八百屋は店舗の入り口や軒下に商品を並べるので商品陳列をするなど外で作業する時間が多い。
そうすると嫌でも歩道を歩く人々などが目に入ってしまう。ましてや並べてある野菜を見ている人となればお客様。少なくとも意識はしてしまう。
冬になると鍋物の野菜が良く売れる、白菜やネギ、キノコ類がわかりやすい例だろう。
そうすると大学生の集団のお客さんが集まってくる。
「鍋パやろうぜー」
自分が今一番記憶に残ってるのはこの言葉。一言一句あっているかはわからない。でもこういうお客さんが増えたことで間違いなく自分は自分の置かれている状況に疑問を抱き始めた。
楽しそうに買い物をしている学生たち、一生懸命毎日働いてる自分、むしろ学生たちのほうが年上のはずなのに楽しそうに学生生活を送っている。自分はいじめられて学生生活もめちゃくちゃだったうえに莫大な借金を抱えて朝から晩まで働き詰めている。おそらくここらから病の種は撒かれたのだろう。
それからの毎日は疑問と苦痛の連続だった。自分は何か悪いことをしただろうか。いじめられたのも高校に上がらず家族のために働いたのに、捨てられたから自立して働いてるのに、なんで学生の人たちは学生でいられるんだろう。借金を負ったのも働きづめが原因でそもそも働いてなければ百万の借金もなかったのに、と。
考えれば考えるほど暗く、いやな気持になるのに一度浮かび上がった疑問は日々膨らんでいき、普通のストレス対処じゃ抑えられないほどに悪化していく。
自分でも考えすぎで仕事に支障が出始めてるなと気づいたころ、対処法としてまずは考えないこと!と自分に言い聞かせた。考えるからつらくなる、考えるから比べるようになる、まずは考えることをやめようと決意。そして自分に唱えるお呪い。
「自分は働くだけでいいロボットなんだ。働くことに感情は必要ない」
効果はてきめん。しばらくはいやな思考や浮かび上がってくる疑問を黙らせることができるようになってきた。そうしてしばらくはなんとか働き続けることはできた。
そう思っていたのもつかの間。自分に嘘をつく、自分の感情を殺し続けるにも限界というものがあるらしい。
どうにも身体が重い、身体が動かない、頭ではやらなくちゃいけないことがわかっているのに脳が指令を出してくれない。そんな状態になっても責任者は責任者、毎日やらなくちゃいけない仕事は山ほどある。
とうとう周りに異変が気づかれるまでになって社長から精神科に行くよう指示を受けたので受診。
簡単な心理テストのようなものを受けて診断されたのは、
――――――「双極性障害」