あの人は今
東京都港区にあるセレブ御用達の超高層マンション、
通称タワマンの最上階に来客があった。
その部屋の住人はジャージ姿の少女であり、
だらしない下っ腹をボリボリと掻きながら
モニターへと向かう。
ピザの配達ならさっき届いたはずだ。
何か忘れ物でもしたのか?
まあいい、また階段を上ってきてもらおう。
エレベーターは住民専用なのだから。
そう思いながらインターフォンに出たのだが……。
『早苗、いる?』
「げえっ!?」
予想外の来客に思わずセレブらしからぬ声が漏れる。
杉田雪。
甲斐晃を巡る恋のライバルになるかと思いきや、
たった一撃で仕留めることに成功した負け犬。
その彼女がなぜか森川早苗の自宅を突き止め、
タワマンのエントランスに立っている。
「い、いや〜
早苗なんて名前の人は知りませんねえ
どこかよそのお宅じゃないですか?」
早苗は精一杯ダミ声を出すも、
来客の耳を誤魔化すには力不足だった。
それに……
『私の空間魔法は常に早苗の座標を捕捉してる
直接会って話がしたいから、中に入れてよ』
よくわからないが、ずっと追跡されていたらしい。
住所を知ってるのは学園職員だけかと思っていたが、
思わぬところに落とし穴があった。
だが、招かれざる客を追い返す方法ならある。
オートロックを解錠しなければいいだけのことだ。
『私にはテレポートがある
この程度の扉をすり抜けるなど造作も無い……』
しまった。
彼女にはその手があったか。
だが、こちらにも対抗手段がある。
「それやったら不法侵入だからね!?
警察呼ぶからね!?」
『防犯カメラの位置は確認済みだし、
警察は証拠が無いと動けないよ』
「このやり取りは録画してまぁーーーっす!!」
『それが何?
防犯カメラに映らない限り、
私が侵入したかどうかは判断できないはず
……でも、できることならそんなことせず、
正規の手段で早苗の部屋まで行きたい』
その後もグダグダとやり取りを続けたが、
結局、早苗が折れる形でオートロックを解錠した。
(くぅ……!
何しに来たのあの子……!?)
早苗はイライラしながら、
どうやったら早々にお引き取り願えるか思案した。
ピンポーン。
(ええっ!? もう!?
エレベーターは使うなって言ったのに!!)
しかし覗き穴から確認してみると、
現在エレベーターは1Fにあるようだ。
(あっ、くそ!
テレポートか!)
『来たよ』
彼女はもう玄関前まで来ている。
どうするべきか……。
「やっぱりドア越しに話さない?
今、部屋散らかっててさあ」
『気にしない』
「その、何日もお風呂入ってなくて、
髪とかボサボサなんだよね」
『気にしない』
「実は彼氏と一緒にいるの!」
『嘘つかないで
部屋の中にいる生命体は早苗とゴキブリだけだよ』
「この部屋ゴキブリいんの!?」
結局、早苗はハッタリに引っ掛かって扉を開けた。
森川早苗。
こうして彼女と言葉を交わすのは約1年ぶりである。
ユキは久々に会った元同級生に対し、一言呟いた。
「太ったね」
「うるさいな」
見れば彼女のアス比は以前よりも横に広がっており、
目測で体重は60kgをオーバーしていそうだった。
そして何日も風呂に入っていないというのは
どうやら本当で、服に染み込んだ汗の香りがする。
それに部屋が散らかっているのも本当で、
これならゴキブリがいてもおかしくないと思った。
ただ1つ、彼氏がいるというのだけは嘘だった。
「てゆうか……
杉田さんってそんな喋り方だったっけ?
なんかもっとこう、ダウナー系というか……」
「私はダウナー……
…………こんな感じ?」
「あ、そうそう
もしかして今まで演技してた?」
「いや、あの頃は栄養失調で頭がボーっとしてて、
口を開くのもだるかったからね
でも最近はすごく調子が良くて、
健康って大事だなと反省してるとこだよ
……ピザ1枚貰ってもいい?」
「だめえええ!!
絶対にだめえええ!!」
「あ、うん」
そんなやり取りをしていると、奥の部屋から
リリリリ!リリリリ!とアラーム音が鳴り響く。
「あ〜、くっそ!
もう時間来ちゃうじゃん!
ねえ杉田さん! 今日はもう帰って!
話なら今度聞くからさあ!」
「なんの時間?」
「杉田さんには関係無いから!
とにかくもう──」
だがユキは早苗の裏にテレポートし、
奥の部屋へと入っていった。
「これは……」
その部屋にはパソコンが3台並べられており、
大きなディスプレイも3台。しかし椅子は1脚だけ。
映し出されたゲーム画面はとれも同じに見えるが、
それぞれ中央に立っているキャラクターが違う。
3PC。
早苗はいわゆるネトゲ廃人であった。
「学園を去ってから、
ずっとこんな暮らしをしてたの?」
「うるさいってば!
杉田さんには関係無いって言ってるでしょ!?
あ〜〜〜っ、もう!!
これから攻城戦始まっちゃうから、
終わるまで私に話しかけないで!!」
早苗はそう言うと椅子に座り、
ヘッドセットを装着した。
「ねえ、早苗
トイレ借りていい?」
早苗は大きく首を縦に振り、
手で『あっち行け』と合図する。
今は話しかけられる状態ではない。
ユキはおとなしく部屋から出ていった。
しかし……汚い家だ。
一面ガラス張りの壁からは美しい夜景を望めるが、
振り返るとそこはただのゴミ屋敷である。
ゴミ箱の中には資源物や不燃物が混じっており、
台所の隅にはピザの空き箱が積み重ねられている。
シンクの食器は一体いつからそこにあるのか……。
せめて水に浸けるくらいはしておけばいいのに。
洗濯機周りは綺麗な方だったが、
整理整頓を心掛けた結果ではないだろう。
使ってないから散らかってないだけだ。
つまり、彼女が同じ服を着続けている証拠である。
寝室にはカップ麺の空き容器やお菓子の袋が散乱し、
まだ中身の入っているペットボトルもいくつかある。
よくこんな所で眠れるものだと感心する。
そして極め付けは……トイレを流し忘れている。
これは完全にアウトだろう。
──23時半。
早苗は攻城戦終了後の整理運動として
ボス狩りツアーに参加し、1時間が経過した。
だが今日はどこのMAPも人で溢れ返っており、
思うように事が運ばない。
この人口の多さはクリスマスシーズンだから
という理由だけではない。
世間一般の学校が冬休みに入った関係で、
大量のキッズたちがゲームに流れ込んできたのだ。
一部のギルドメンバーは
「子供がゲームなんかするなよ」と
香ばしい発言をしてくれたが、
本気なのかネタなのか判断がつかない。
まあ、とりあえず甘い物でも食べて落ち着こう。
今の気分は“冷たくて甘い物”だ。
つまり、脳がアイスクリームを所望している。
真冬に食べるアイスのなんと美味なことか。
たしか未開封のラムレーズン味があったはず……
ガチャリ。
ゲーム部屋から出た早苗は目を疑った。
ゴミ箱の中身もピザの箱も消えており、
シンクに放置していた食器は乾燥中で、
寝室の床には足の踏み場が出来ていた。
玄関の前には半透明の袋が積み重ねられており、
燃えるゴミ、燃えないゴミの分別だけでなく、
いつ捨てればいいのかメモが貼り付けられていた。
完璧とは言えないが、家が綺麗になっている。
なんだか小人の靴屋の童話を思い起こさせる。
「えっ、これって杉田さんが……?
あの子もしかして…………妖精さん?」
「んなわけあるか」
ユキはまだ帰っていなかった。
「早苗……
たった3時間でここまで綺麗になるんだからさ、
普段からもっとこまめに掃除した方がいいよ?」
さっき「気にしない」とは言ったものの、
あまりにも汚い空間だったので我慢できなかった。
『早苗がピザの箱コレクターだったらどうしよう』
という気持ちもあったが、ここはひとつ腹を括り、
ゴミだと思った物はどんどん捨てていったのだ。
「ん〜……
じゃあ次の掃除は半年後でいいよね?
どうせ3時間で片付くんだし」
「早苗……!」
ユキは少し後悔していた。
「早苗
今晩ここに泊まってもいい?」
掃除で張り切りすぎて疲れたのである。
いくら健康になったとはいっても、
凡人以下の体力しかないことを忘れていた。
本当は早苗と少し話してすぐ帰るつもりだったのに、
余計な待ち時間が出来たせいで予定が狂ったのだ。
眠い。
だが早苗の答えは
「え、帰って?」と薄情なものだった。
「早苗が遊んでる間、掃除してあげたじゃん」
「私はそんなの頼んでないよ?
杉田さんが勝手にやったことだよね?」
「たしかにそうだけど、
部屋が片付いてスッキリしたでしょ?
少しくらい感謝したらどうなの?」
「恩着せがましいよ
大体、いきなり押しかけてきて
偉そうにしないでもらえる?」
どちらかというと早苗が正しいのだろうが、
今はとにかく眠くてそれどころではない。
こうなれば手段を選んでいられない。
多少強引でもやるしかない。
──脅迫を。
「ここで寝かせてくれないなら、
学園のみんなに今の早苗の醜態を晒してやる!
その、魔法の解けたかぼちゃの馬車をさあ!」
「それってただのかぼちゃだよねえ!?」
結局、早苗はまたしても折れた。
翌日、朝7時。
ユキは自分の物ではないベッドで目を覚ます。
昨晩の疲れは完全に抜け切ってはいないが、
熟睡したおかげでだいぶ楽になった。
さて、早苗と話をして引き上げよう。
そう思っていたのだが……
「あ、杉田さん起きたんだ
寝かせてあげたお礼にゴミ捨ててきてくれない?
私こんな格好だし、外出るの恥ずかしくて」
彼女は昨日と同じ格好のままだ。
最後に着替えたのはいつだろう。
今日は燃えるゴミの日……自分で分別したやつだ。
まあいい。それくらいやってやる。
この家のゴミを全てまとめられたわけではないが、
とりあえず大きいのが10袋。
早苗はニヤニヤと笑っているが、私をナメるな。
ユキは袋を持ち上げると、それを空中に放り投げた。
その暴挙に早苗は思わず怒鳴りそうになるが、
次の瞬間、ゴミ袋は突然目の前から消滅したのだ。
「え、ちょ……ええっ!?」
目を丸くする早苗をよそに、
ユキは次々とゴミ袋を消し去ってゆく。
そして最後の1袋を消した後に軽く説明する。
「一時的に次元の狭間に収納しただけだよ
あとはこれをゴミ捨て場で取り出すだけで終わり」
説明されても理解できない。
早苗は思い出した。
そういえばこの子は天才だったと。
「ああ、それから早苗
私が戻ってくる時は素直に通してね
もし昨日みたいにグダグダやるようなら、
直接この部屋にテレポートするよ
その時、移動先の座標に物が置いてあったら
私はその物と一体化するから気をつけて
運が悪いと早苗と融合して……」
「ああもう、わかったわかった!
ちゃんと通すから早く行ってきて!」
ユキは難なくゴミ捨てを終え、
早苗は約束通りすんなりとオートロックを解錠し、
あとは部屋に戻るだけだったのだが……。
「ちょっとあなた、見ない顔ね
新しく入った人かしら?
何階に住んでらっしゃるの?」
ゴミ捨て場で挨拶を交わしたおばさんだ。
どうやらユキと同じく、
上行きのエレベーター待ちのようだ。
やたらゴージャスなファッションをしているが、
まさかゴミを捨てに行くだけなのに
ここまでバッチリとメイクしてきたのだろうか。
「あ、えっと
私は住民の友人でして……
エレベーターを使ってもいいと言われてます」
「へえ、そうなの……
ところでアタクシは44階なのだけれど、
そのご友人とやらは
何階に住んでらっしゃるのかしら?」
「それはちょっと……
個人情報なので勝手にお答えできません」
「あらそう
アタクシは教えてあげたのだけれどね?
それじゃあ44階より上か下かだけでも
教えていただけないかしら?
ここの決まりでね、“下の者”は“上の者”と
一緒のエレベーターに乗ってはいけないのよ」
なんだそのクソルールは。
「上です」
「……」
おばさんはエレベーターに乗らなかった。
最上階の早苗の部屋に戻ると、
コーヒーのいい香りが出迎えてくれた。
これは気のせいかもしれないが、
なんだか随分と本格的な匂いがする。
さすがはセレブ、使ってる豆が違うらしい。
まあ、どうせ飲ませてはもらえないのだろうが。
「はい、どうぞ」
「え?」
目の前にカップを差し出され、ユキは困惑する。
どういう風の吹き回しだ?怪しい……。
「そっちの飲んでもいい?」
「毒とか入れてないよ!!」
と言いつつ早苗は要望通りにカップを交換し、
先に自分が飲むことで無毒の証明をした。
「これは部屋が片付いたお礼というか……
昨日の私の態度悪かったよな、とかさ……
…………
まあ、もうちょっとだけここにいてもいいよ」
態度が軟化してくれた。
これでようやく本題に入れそうだ。
「ううん、早苗
用件を伝えたらすぐ帰るよ
元々そのつもりだったしね」
「……いや、もう少しだけいてほしいの!!
杉田さん……ううん、ユキちゃんが来てくれて
私、すごく助かったと思ってるの……!!」
「早苗……」
「私、1人でもどうにかできると思ってた……
他人の力を借りなくても大丈夫だと思ってた……
でも、そうじゃなかったの
あれから一晩じっくり考えてみたけど、
今の私には誰かの助けが必要なんだよ!」
早苗が助けを求めている。
自分1人ではどうにもならないと訴えている。
彼女が学園を去ってから9ヶ月……
どれほどの孤独を感じていたのだろう。
森川早苗……正直、苦手な相手だ。
トーナメント決勝戦では酷い目に遭わされた。
あの時の光景をたまに夢で見る。
そんな相手からの頼みを聞いてやる義理は無い。
だが、それでも彼女の力になってやりたいと思う。
「それじゃ、もう少しだけいようかな……」
そう答えると、早苗の顔がパアっと明るくなる。
「よし決まり!
じゃあ早速操作教えるからこっちに来て!」
「え、うん……?
操作……?」
なぜかゲーム部屋に連行されたユキは
光る椅子に座らされ、画面の見方や数字の意味、
ゲーム内キャラクターの動かし方などの
基本的な情報を急ピッチで叩き込まれた。
「今はクリスマスイベントの最中でね、
期間限定のモンスターが出現するんだ!
ユキちゃんには私が眠ってる間、
そいつを狩り続けてほしいんだよね〜
さすがの私でも100時間連続プレイは
体力の限界を感じちゃってさあ……
あ、眠くなったらコーヒー飲んでいいよ
お菓子も好きなの食べていいけど、
コントローラー持つ前にちゃんと手拭いてね」
「早苗……?」
「限定モンスターを倒すとコインが落ちてね、
それを一定数集めると限定装備と交換できるの!
1キャラ分だけならすぐに終わるけど、
手持ちの全キャラ分となるとやっぱきつくてねぇ
お正月イベントが始まる前に
全部揃えられるか不安だったけど、
ユキちゃんが来てくれて大助かりだよ!」
「早苗……」
「ちなみに今日は月曜だから無属性スキルが強いよ
火曜は火、水曜は水、木曜は風って覚えてね
金曜はゴールドラッシュ、土曜は経験値ラッシュ
そして日曜は全解放&攻城戦の日だよ!
しかも今ならイベントボーナスのおかげで
獲得できるお金と経験値が+100%されるから、
金土日の稼ぎ効率は普段の3倍だよ!3倍!」
「早苗……!」
ユキは瞳孔の開き切った早苗を寝室に送り届け、
16時まで黙々と限定モンスターを狩り続けた。