勝利者
──5月某日。
その日は唯一の学園行事である対人戦イベントの開始日であった。
その個人戦の部、第一試合が本日の午後に行われるのだ。
「ヒロシ、好きなもん頼んでいいぞ」
「えっ!?
どうしたんだよ急に」
「どうした、ってそりゃ……
今日はお前の晴れ舞台だろ?
ま、景気付けってやつだよ
しっかり食って、万全の体調で挑んでくれよ」
「グリム……お前、いい奴だなあ!
じゃあ遠慮無くお言葉に甘えさせてもらうぜ!」
ヒロシは食券機のボタンを押した。
「……ほう、やっぱりそうきたか
なんとなく予想はしてたぜ」
「へへっ、だろうな
チーズハンバーグカレー……!
だってチーズ、ハンバーグ、カレーだぜ?
男の子の“大好き”が全部詰まってるんだぜ?」
「お前、ファミレスでお子様ランチ食ってそうだな」
友人と他愛のないお喋りをしながら昼食を取る。
そんな穏やかな時間は、長くは続かなかった。
「むおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
食堂に谷口が出没したのだ。
「うわあああ!! 谷口だあああ!!」
「びっくりさせんじゃねえよボケカスが!!」
「お前がいるとメシがまずくなんだよ!!」
ただ存在しているだけでも迷惑な彼が、
食堂で突然大声を出したのだから顰蹙を買うのは当然だ。
だが当の本人は周囲の反応などお構いなしに、
今度はなんといきなり走り出したのだ。食堂で。
「本当に迷惑な……って、おい!
なんかこっち来てるぞ!」
危険を察知したグリムはいち早くその場から離れたが、
ヒロシは谷口の存在を把握していながらも踏み留まっている。
恐怖で足が竦んだというわけではない。
食券機の前には、イヤホンをした女子が立っていたのだ。
彼女は谷口が迫っていることに気づいていない。
ヒロシが避ければ彼女に被害が及ぶ。
ヒロシは最悪の事故を防ぐため、
巨大な筋肉の塊に向かって駆け出した。
ガシャアアア!!
ヒロシと谷口の体重差は約80kg。
体重の軽いヒロシが吹き飛ばされるのは必然であった。
食堂の床には食べかけのラーメンやサラダなどが散乱し、
突然の出来事に驚いた生徒たちは皆、食事を中断して席を離れた。
例の女子は呑気に音楽を聴きながら今日の昼食を選んでいる。
ヒロシはフッと笑った。
怪我を負ったのは1人だけだ。
「谷口……てめえ……
何してくれてんだこのボケがあぁ!!」
グリムは谷口の胸倉を掴み、憎悪の視線を向けた。
だが、平和を乱した張本人はケロッとした表情でこう答えたのだ。
「いやあ、わざとじゃないよ?
ヒロシ君の方からぶつかってきたんだよ?
ぼくのせいじゃないよ? 勝手に転んだだけでしょ?」
胸倉を掴む力が強くなる。
が、体格差がありすぎて脅しになっていない。
グリムは文字通り見下されていたのだ。
彼は決して小さくはないが、谷口はそれ以上に恵体の持ち主であった。
「グリム……待ってくれ
そいつは俺がぶっ飛ばす……今日の試合でな」
止めたのは、被害者であるヒロシだった。
グリムは握った拳をどうしようかと少し悩んだが、
これから試合に臨む本人がそう言うのだから聞き入れることにした。
「ぷっ、そんな筋肉でぼくに勝てると思ってるの?
今だって簡単に吹き飛ばされたじゃない
きみには無理だよ 棄権した方がいいんじゃないかなあ?」
グリムは再び拳に力を込めたが、
やはりまたヒロシが止めてきたので調子が狂う。
ヒロシにも少し文句を言ってやろうかと思った矢先、
騒ぎを聞きつけた食堂長がやってきたのでタイミングを失った。
「谷口君……やっぱり君か……
こう何度も問題行動を起こされてはもう仕方ない……
今後、君が食堂を利用するのは一切禁止ね!
二度と来ないで! 来たら警備員呼ぶから!」
食堂長は大勢の生徒たちの前で谷口に出禁を言い渡した。
拍手喝采。よくぞ言ってくれた。これで食堂に平和が訪れる。
「え、そんなの困るんですけど?
この筋肉を維持するにはタンパク質──」
食堂長は素早くスマホを取り出した。
「警備員さん!
食堂に不審者がいるのですぐ来てください!」
谷口は食堂長のハッタリを真に受け、一目散に逃げていった。
──そして、戦いの時は来た。
「ヒロシー! 勝ってくれー!」
「谷口なんかボコボコにしちまえー!」
「助けてくれてありがとねー!」
谷口の蛮行は瞬く間に学園中に知れ渡り、彼を応援する者は誰もいない。
この時の賭け率はヒロシ100:谷口0という前代未聞の状況であった。
「まったく、これじゃあ賭けになりませんよ」
「ああ、まさか初っ端からこんな展開になるとはな」
「この調子じゃ今年の対人戦は荒れるわね」
訓練官たちは不満を口にしつつも期待していた。
単純な体格差だけで判断すればデカい谷口が有利に見えるが、
ヒロシはこれまで全力で訓練に取り組んできた生徒の1人だ。
彼は己の弱さを自覚しているからこそ、強くなろうと努力してきたのだ。
一方、谷口はこれまで一度も訓練には参加せず、
ただひたすら己の筋肉を膨らませることだけを優先してきた生徒だ。
自分は誰よりも強いと思い込んでいる愚か者にすぎない。
谷口が無様に敗北する姿を誰もが望んでいた。
これはそういう戦いだったのだ。
審判員を務めるのは4組担任の訓練官、落合賢悟。
ヒロシの所属するクラスの担任ではあるが、
あくまで中立的な目線で職務に取り組む姿勢だ。
「試合を開始する前に、軽くルール説明を行いたいと思います」
審判がそう言った矢先──
「むおおおおお!!」
谷口がいきなり突進し、警戒していたヒロシはサッと回避した。
「何やってんだこのアホ!!
勝手に動くんじゃねええ!!
まだ試合は始まってねえんだよ!!
俺がルールを説明するって言ってんだろうが!!」
あの普段やる気を感じられない落合先生がブチギレた。
観客たちは初めて見る珍しい光景に息を呑んだ。
「え、でも今、『試合を開始する』って言ったじゃないですか
ぼくは悪くないですよね?
先生の言い方が紛らわしかったんじゃないですかね?」
「てめえ……ぶち殺すぞ……」
そう言って睨みつけるも、谷口は半笑いの表情で返す。
ああ、こいつはやっぱりあれだ。
知能が低いふりをして身を守っている邪悪な存在だ。
認めたくはないが、こいつはそれなりに高い知能を有している。
敵を選んでいる。絶対に反撃してこない相手を見定めている。
この無駄な筋肉を維持するには才能と努力以前に深い知識が必要だ。
こいつは“谷口吉平の筋肉を鍛える”という分野においては、
他の追随を許さないエキスパートだ。
人類史上、かつてこれほどまでに無駄な学問があっただろうか。
いいや、ない。
審判は舌打ちをし、ルール説明のフェーズを仕切り直す。
「基本的に試合の勝敗を決する要素は3つだ
1つ、近接武器を相手の制服に当てて持ち点を0にする
2つ、魔法攻撃を相手の制服に当てて仮想ライフを0にする
3つ、素手などによる直接攻撃で相手の意識を喪失させる
あとは審判の判断による強制終了だな
いいか、お前ら……試合中は審判の指示に必ず従え
これはお前らの安全を確保するためのルールでもある」
生徒たちは真剣な態度で説明を聞き、
メモを取る者の姿もいくつかあった。
生徒手帳に全部書いてあるというのに。
「最も多い勝敗パターンは近接武器によるポイントアウトだ
各選手には20点の持ち点が存在し、これが0点になると負けだ
点数を奪うための競技用装備には5種類ある
まずは基準となる“ソード”……つまり剣を模した道具だ
これは1発で2点入るから、10発当てれば勝ちということだな」
短剣状の“ダガー”は3点取れるが、リーチが短くリスクが高い。
槍状の“ポール”は1点しか取れないが、リーチが長いので安定する。
いずれの攻撃も盾状の“シールド”にヒットした場合は無効判定になる。
そして杖状の“ロッド”は相手に直撃させても0点だが、
攻撃魔法を使用した際にダメージボーナスを得ることができる。
全て生徒手帳に書いてある情報だ。
「魔法攻撃によるライフアウトについては、まあ想像通りだ
制服に設定された仮想ライフ100が0になったら負けというルールで、
この数値は魔法ダメージでしか減らすことができない
逆に、回復魔法で最大255まで増やすことができる
今のお前らにはまだ関係無いが、最も個人差が出る勝敗パターンだな
“魔法攻撃力の高い奴が勝つ”……それくらい単純だ」
そして魔法防御力も大きく影響してくる。
どれだけダメージを与えられるか、どれだけダメージを抑えられるか……。
両者の魔法技術による攻防こそがライフアウトの醍醐味と言えよう。
ちなみに制服に少し掠っただけでもダメージ判定が発生し、
それは前述の近接戦闘においても同じことが言える。
「最後に素手などによる殴り合いについてだが……
基本的にはバーリトゥード……つまり“なんでもあり”なんだが、
目潰しや噛みつき、それから金的などの危険行為はなるべくやめろ
ルール上禁止ではないが、深刻な後遺症に繋がる恐れがあるからな
たかが学園行事で相手の人生を狂わせるような怪我を負わせるな
場合によっては審判の判断で失格にするから留意してくれ」
金的が完全に禁止ではないと知り、男子たちは本能的に震え上がった。
「試合時間は10分だ
それまでに決着がつかなかった場合は残りポイントと残りライフ、
そして試合前に選択した装備の優劣などで勝敗を決めさせてもらう
俺からは以上だ
2人とも準備が出来ているのなら始めるぞ」
「むおおおおぉぉぉ!!」
「だから勝手に動くんじゃねえよ!!
今の『始めるぞ』はそういう意味じゃねえんだよ!!」
やはり今年の対人戦は荒れる。
訓練官たちは改めて覚悟を決めた。
赤コーナー。
ヒロシは左手にソード1本という少しリスキーなスタイルであり、
速攻を重視しつつそれなりのリーチも確保しようという、
ソードとダガーの中間的な戦い方を狙っているのだろう。
青コーナー。
谷口はポール&シールドの、ド安定スタイルだ。
この組み合わせは判定に持ち込まれると不利ではあるが、
試合中は安全圏から槍を突くことでリーチの暴力を振るうことができる。
「では……試合開始!!」
審判の合図でとうとう対人戦イベントが幕を開けた。
初めは乗り気ではなかった生徒たちも、今ではワクワクしていた。
皆、ヒロシに勝ってほしいという思いだった。
あの図体だけは無駄にデカい谷口をやっつけてほしかったのだ。
「むおおおおぉぉぉぉ!!」
そして大きく動いたのは谷口。
やはりこいつは馬鹿なのか?
槍の利点……リーチを自ら捨てるという愚行を犯したのだ。
パシッ!
冷静な一撃が谷口を迎え撃つ。
ヒロシは試合開始後わずか10秒にも満たないうちに、
相手から2ポイントを奪うことに成功したのである。
「おっしゃあああ!!」
「いいぞヒロシー!!」
「その調子だ!!」
ヒロシは観客の反応に顔がニヤけそうになるが、
あくまで平常心でいようと自分に言い聞かせる。
勝算はある。
谷口の動作はとてつもなく遅い。
超スピードの持ち主でなくとも充分に避けられる。
それに無駄に筋肉のせいで可動域が狭いため小回りが利かないのだ。
まあ予想はしていたが、食堂での出来事が更に確信を深めた。
勝つ自信があるなら試合を待てばいいのに、谷口はそうしなかった。
谷口は弱い。だから試合前に対戦相手を脅すという行為に出たのだ。
パシッ!パシッ!
4点、6点。
時間はまだ30秒も経っていない。
谷口は盾を持っているのにそれを使わず、
左右に槍を振り回してヒロシを遠ざけようとした。
「ちょっ……待ってよ!
きみばっかりズルいよ!
ぼくにも攻撃させてよ!」
ヒロシは答えない。
ジャンプで槍をかわし、背後に回りつつ攻撃を加える。
パシッ!
これで8点。あと12点。
どうせ相手の槍が当たっても1点しか取られない。
まあ、遅すぎて当たることはないが。
このままヒロシの圧勝かと思われたが──
「そこまでだ!!
止まれっ!!」
「えっ……」
審判が試合を中断したのだ。
「動くな小中!!
今、担架を持ってくる!!」
「えっ、担架……?
先生、何言ってるんですか?
この剣ってバラエティー番組のハリセン並みの威力なんですよね?
谷口は全然平気そうに見えるんですが……」
「あいつじゃねえ!! お前だよ!!
自分の腕を見てみろよ!!」
「腕……?」
ヒロシは右腕を見た。
ああ、折れた骨が制服を突き破っている。
なんだ、違和感の正体はこれだったのか。
食堂で吹き飛ばされた時から利き腕の調子がおかしかったのだ。
だからやむなく競技用ソードを左手に持つことに──
「ぁ……あっ……痛…………痛ってえええええ!!!」
ようやく自分の状態に気づいたヒロシに、本来あるべき痛みが襲い掛かる。
今までの人生の中で一度も体験したことがない激痛。
バトル漫画の登場人物なんかは手足をもぎ取られても平然としているが、
ごく一般的な少年である彼には到底耐えられるものではなかった。
「試合は終了だっ!!!
テクニカルノックアウト!!!
勝者は……谷口吉平!!!」
そして耳を疑う発言が追い討ちをかける。
「どう、して……ですかぁ」
そう尋ねるも、既に審判はその場にいなかった。
予想外の展開に観客たちはどよめき、
凄惨な光景を目の当たりにして嘔吐する者まで現れた。
「あいつ、あんな状態で戦ってたのかよ……」
「あれってやっぱり食堂での……」
「私のせいで……」
誰もがヒロシの心配をする中、ただ1人だけが喜びをあらわにしていた。
「やったあああああ!!
ぼくが勝った!! ぼくが勝った!!
やっぱりぼくの方が強かった!!
きみ弱っわあああ!!
ね? ほら言ったでしょ!?
きみがぼくに勝つことなんて無理だったんだよ!!」
谷口だ。
「ふざけんじゃねえええ!!」
「てめえは1点も取れなかっただろうが!!」
「なんでヒロシの負けなんだよおお!!」
観客からの大ブーイングもなんのその、谷口は更なる蛮行に及んだ。
ドガッ!
なんと谷口は、激痛でうずくまるヒロシに蹴りを入れたのだ。
しかも怪我をしている右腕を狙っての攻撃だった。
悪質。あまりにも悪質な危険行為。
彼はそれを平然とやってのける人間であった。
もはや邪悪の権化としか言いようがない。
「谷口ィィィーーー!!!」
「てめえマジでふざけんな!!!」
「死ね!!! 地獄へ堕ちろ!!!」
だが観客の声では止まらない。
谷口は尚もヒロシを蹴り続けた。
ゴッ!!
とても鈍い音が会場に響き渡る。
観客たちは怒りのあまり現場に突入しようとしたが、
彼らは更なる急展開を目撃し、立ち止まらざるを得なかった。
気がつけば、なぜか谷口が白目を剥いて仰向けに倒れている。
さっきまでうずくまっていたヒロシは、
固く握り締めた左拳を天高く突き上げて立っていた。
男子たちは思い出した。
寮で騒いでいた谷口をワンパンで倒した謎の救世主の姿を。
「おい、あれって“先輩アッパー”じゃないか?」
「それを言うなら“救世主アッパー”だろ?」
「俺は“漢アッパー”って呼んでるけどな」
いまいち呼び名が安定しない必殺技。
ヒロシは先輩からの教えに従い、
自らの拳で気に入らねえ奴をぶっ飛ばしたのだ。
訓練官たちはこの展開を全く予想していなかったが、
満足げな表情で席を立った。
「試合に負けて勝負に勝つ……いやあ、いいものを見せてもらいました」
「まさかあいつがここまでやってくれるとはな……」
「大波乱の幕開けってところかしらね」
本日の試合は賭け率100:0だったので、
どちらが勝っても誰も儲かることはなかった。
勝者なき戦い。
だが、谷口が痛い目に遭ったので良しとしよう。
個人戦績
小中 大
1戦0勝1敗
谷口 吉平
1戦1勝0敗