獣の王
グリムのファイヤーボールが銀子の背中に当たる。
あらかじめ空中に待機させておいた追跡弾だ。
威力は高くない。万が一アキラに当たってしまった場合、
最悪の事態にならないよう慎重になっているのだ。
攻撃魔法を受けた銀子は標的をアキラからグリムへと変更し、
人間の反応速度を超えたスピードで迫ってくる。
が、アキラは銀子の背後から頭を鷲掴みにして引き倒し、
彼女は再びアキラの命を刈り取ろうと、見えない拳を振るうのだった。
グリムはその度に奇妙な感覚に襲われていた。
なんだかアキラから睨まれたような気分になるのだ。
超高速の攻防を繰り広げながらそんなことをする余裕は無いと思うが、
なんとなく『俺の邪魔をするな』と言われているような気がしてならない。
理不尽である。
アキラの手助けをしているはずなのに、当初の計画通り動いているのに、
あいつは親子喧嘩を優先して理性を失ってしまったようだ。
Wリーダーの片割れである並木が叫ぶ。
「アキラ君、ストップ!!
ここらで一旦休憩挟もう!?
そいつ凍結効くから!!
5時間足止めできるから!!」
だがアキラの耳には入っておらず、獣たちの死闘は続行された。
そうこうしている間にもアキラの生傷は増え続け、
そこらじゅうの地面が彼の血液で汚されてゆく。
並木はリーダー命令を無視するアキラに苛立ちを覚え、
強引に凍結魔法を使用して戦いを中断させようと試みた。
が、ここでアクシデント発生。
魔法が直撃したにも拘らず、銀子は凍結しなかったのだ。
あらゆる魔法が通用するはずなのに、なぜ……?
グリムの解析によると、銀子には凍結と弱体、
そしてなぜか強化にも完全耐性が備わっているとのことだ。
そんなはずはない。さっきはしっかりと効いたのだ。
それが突然通用しなくなるなんてことがあり得るのだろうか?
「もしかして、一度喰らった状態変化に耐性が付く仕様なんじゃないか?
耐性があるのは凍結、弱体、強化……さっき俺たちが使った魔法だ
ゲームじゃ割と採用されてる戦闘システムなんだが……
現実でそれをやられると厄介極まりないな」
おそらくそれで正解なのだろう。
相手は底の知れない魔物なのだ。なんだってあり得る。
「状態変化……あっ、それなら対処できるかも!」
並木は解除魔法を使用した。
突き出した両手から涼しげな波動が迸る。
これはあらゆる魔法効果を打ち消す魔法なのだ。
耐性上昇が銀子自身の魔力の働きによるものならば、
理論的にはそれすらも解除して元通りにすることができるはず。
が、ここで小さな問題が生じてしまった。
「回復効果の逆転現象まで解除されてるぞ!
ヒロシ! またさっきのやつをやってくれ!」
一瞬、仲間たちは嫌な展開を想像した。
これまでアキラが銀子に与えてきたダメージが、
文字通り身を削って積み重ねてきた努力の結晶が、
この些細な誤算により全て無駄になってしまうのではないかと。
しかし、そんなことはなかった。
銀子が回復を行うタイミングはダメージを受ける時だけであり、
それまでに削られたHPまでは回復しなかったのである。
そこまで意地悪な仕様ではないことに一同は安堵し、
ヒロシは例の謎の魔法で再び空間を歪ませた。
小さな問題はここからだ。
「攻撃力低下!」
「あっ、違う山口君!
敵に弱体かけちゃだめだってば!」
「え、逆転状態が逆転したからこれで合ってるんじゃ……」
「解除を挟んだから最初の逆転もリセットされたの!
今は逆転状態! 敵を弱らせるなら強化かけないと!」
事態を飲み込んだ斎藤は速やかに銀子に強化をかけ、
魔法効果の逆転現象により弱体化させた。
続いて味方に弱体をばら撒き、
こちらの弱体状態を上書きしてしまったのだ。
「あ、あれ!?
おかしいな……」
「私が魔法効果を解除したのは敵だけだよ!
味方は逆転の逆転状態だから通常通り強化で強化しないと!」
「ややこしいな!!」
ヒロシの変な魔法は敵味方問わずフィールド全体に効果が及び、
並木が銀子の状態変化を解除したことによってズレが生じたのだ。
外部の人間からすればそれほど複雑な状況には見えないが、
戦っている当事者たちにとっては混乱の火種なのである。
山口と斎藤。他校の生徒である2人はヒロシ慣れしておらず、
この奇妙な状況への対応力が培われていなかった。
それからしばらくはグリム、並木、山口の3名が攻撃魔法係となり、
血飛沫を上げながら戦うアキラを全力で援護し続けた。
銀子の標的が切り替わる度に身も凍る恐怖を覚えるが、
それよりも恐ろしいのはアキラが戦闘不能に陥ることである。
この戦い、アキラが落ちたらそこで終わりなのだ。
北澤班が全滅した際は“反撃のみ”の行動パターンのおかげで
彼らは命までは奪われずに帰還することができたが、
今のこの戦闘狂モードの銀子が果たして見逃してくれるだろうか?
その望みには期待しない方がいいだろう。
アキラの次はおそらくグリムが狩られ、次は並木と山口、
その次は魔力量の関係から斎藤、最後にヒロシという流れだ。
もう全員が無事に生還できるという保証は無い。
そのラインはとっくに越えてしまっていたのだ。
勝利する以外には、生き残る方法が存在しないのである。
……いや、そうとも限らない。
斎藤は一足先にその場から立ち去っていた。
仲間たちがアキラを死なせまいと必死に戦っている中、
後方支援特化の彼女は少しずつ出口へと後退してゆき、
無傷のまま第7層から脱出することに成功したのだ。
彼女を臆病者だと思うだろう。
卑怯者、薄情者だと罵りたくもなるだろう。
しかしそうではない。
残る必要が無い者は、むしろいない方がいい。
彼女に戦線離脱を促したのはリーダーの山口だった。
斎藤のポジションは支援役だが、防御役のアキラには
魔力が無いので、回復や強化をかけても意味が無い。
やることと言えば味方の強化と敵の弱体化くらいであり、
彼女は既にその役目を充分に果たしたのだ。
実のところ彼女の所持魔法は並木と山口がカバー可能であり、
その2名のMPをなるべく攻撃用に回したいという理由から
攻撃力の低い斎藤が消去法で選ばれただけの話である。
そして、彼らはまたもや誤算に気づく。
「あ、回復ダメージ……
今更だけど斎藤さんも攻撃役になれたんじゃないか?
攻撃魔法じゃないから、もしかしたら反撃の対象にならずに
安全にダメージを与えることができたかもしれない」
「本当に今更よねえ
もうちょい早く気づければよかったんだけど……
ま、しゃーないしゃーない 切り替えてこ」
「また僕は判断ミスをしてしまったのか……
なんか全然みんなの役に立ってないな……
それどころか、足を引っ張ってばかりだ……」
「いや、そうとも限らないぜ!」
どうやらまたヒロシが何か思いついたようで、
仲間たちが質問するより早く、彼はその思いつきを実行していた。
「キュア!」
ヒロシは銀子に回復魔法をかけた。
基礎魔力が非常に低いので回復量=ダメージ量は微々たるものだが、
彼の使用するキュアは、彼独自の追加性能を搭載しているのだ。
「……おっ!
ボスのHPがじわじわと削れてくぞ!
本当にちょっとずつだが、確実にダメージが蓄積されている!
これ、もう放置してりゃ勝てる状態じゃないか?
アキラが撤退命令に従ってくれさえすれば、だが……」
ヒロシのキュアには自動回復の機能が付いている。
その効果が逆転したということは、
それはつまり継続的にダメージを与える効果となる。
古今東西、多くのRPGで採用されている定番の状態異常……“毒”。
ヒロシはそれと同様の効果を、
彼独自の魔法を組み合わせることにより実現させたのだ。
「ァァアアアッ!!!」
アキラは全身に施された血の化粧により、
もはやどこに傷を負っているのかわからない状態であった。
それでもまだ五体満足に活動していられるということは、
生命に危険が及ぶような決定打は受けていない証明でもある。
だが出血量が多い。
成人男性の失血死ラインはおよそ1.5リットルだそうだが、
彼はどれだけの血液を失ってしまったのだろうか?
辺りに広がる血痕を見ただけではとても計測できない。
とりあえず今すぐに止血する必要があるのは確かだ。
命の灯火が燃え尽きるまでの残り時間が予測不能な状況下で、
打開策らしきものを閃いたのはやはりこの男、ヒロシであった。
「俺がチャンスを作る!
アキラとボスが離れたら、アキラを凍らせるんだ!
そしたら山口がアキラを回収してくれ!
もしかしたら俺も行動不能になるかもしれない!
その時はグリム! よろしく頼んだぜ!」
突然の提案に一同は困惑する。
ヒロシが何かする度に周囲の者たちは困惑してばかりだが、
これはもう、そういうものなのだと割り切るしかない。
『ヒロシだからしょうがない』のである。
仲間と軽く打ち合わせた後、早速作戦が実行される。
ヒロシは目を閉じ、大きく息を吐き、ゆっくりと吸い込んだ。
そうして深呼吸を幾度と繰り返しながら精神を集中させる。
アキラの咆哮や、味方の攻撃魔法が着弾する音が聞こえる。
だめだ。集中が足りない。
ヒロシは『何も考えるな』と自分に言い聞かせる。
目を閉じているため、当然目の前は真っ暗である。
だがこれではまだ全然集中できていない。
黒い景色が見えているようでは成功しないのだ。
では何も考えないのではなく、何か1つのことだけ考えた方が
逆に集中力が高まるのではないか?
そう思い立ったヒロシは即座に実践してみる。
ヒロシはまず巨乳の女子たちに囲まれている自分を妄想したが、
それでは雑念が増す一方だと自省し、思考を切り替えた。
好きなもの……心が落ち着くようなもの……
森の中を歩きながら写真撮影を……いや、違う。
好奇心旺盛な自分はきっと珍しい植物や野鳥に目移りして、
結構忙しくシャッターを切りまくるのだろう。
剣の修練、ゲームのレベル上げ作業、歴代ファラオの記録……
ヒロシは精神統一に役立ちそうなネタを探し回り、
やがて、これは使えそうだという思考に辿り着く。
納豆。
パックを開け、タレとからしを取り除く。
箸を入れ、表面の固まっている部分をほぐす。
全体的に柔らかくなれば、あとはもう掻き混ぜるだけだ。
掻き混ぜ、掻き混ぜ、掻き混ぜ続け……
実物であれば、ある程度粘り気が出ればそこで終了するが、
この妄想納豆には終わりが無い。
どうせ食べられないのだ。
ただひたすら無心で掻き混ぜ続けるためだけに存在するのだ。
ヒロシは頭の中で妄想納豆を掻き混ぜ続けた結果、
いつしか彼の世界から色が消え、音が消え、匂いが消え、
『何も考えるな』という言葉さえ追い出すことができた。
──ヒロシは目を開けた。
視界には仲間たちの姿。
だが、様子がおかしい。
グリムも、並木も、山口も、全員その場で硬直している。
ではアキラはどうか。
どうやらアキラも硬直しているようだ。
銀子も、まるで時間が停止したかのように……おや?
アキラと銀子は硬直していなかった。
非常にゆっくりとだが、お互いの急所に向かって拳が動いている。
仲間たちにしてもそうだ。
彼らは彫像になったわけでも、時間が停止したというわけでもない。
アキラたちほどではないにせよ、微妙に動いている。
望んでいた形ではなかったが、ひとまず成功だ。
ヒロシは、超スローモーションの世界に入り込んだのである。
制限時間は1秒。
ヒロシはこの時間を60Fと認識している。
世界の時間を遅くしたというのではない。
ヒロシの体感時間を60倍早くしたというだけの話だ。
本当は時間を停止してみたかったが、
そこまでの境地には至ることができなかったらしい。
だがまあ、初めてにしては上出来だろう。
もう既に10Fほど消費してしまった。
残り50Fで作戦を遂行しなければならない。
ヒロシは超低速の世界を背景にスタスタと歩き、
迷わず2頭の獣の間に割り込み、アイテム袋をまさぐった。
そして取り出した赤い石を銀子の口の中に押し込み、
粘着テープで塞いだのだ。
ヒロシは2つ目の赤い石をじっと見つめ、
軽くため息を吐いた後、少し名残惜しそうな表情をしながら
そのアイテムを銀子の右腕に粘着テープで固定した。
更に3つ目は左腕に、次は右脚、左脚、胴体……と、
合計で6個の赤い石を銀子の体にセットしたのだった。
この作業をしている間、ヒロシは2頭の獣から凝視されていた。
彼らはこの超低速の世界でも異分子の動きを観察していたのだろう。
「おりゃあああああああっ!!!!!」
残り10Fを切った頃、ヒロシは置き土産と言わんばかりに、
2頭の獣を隔てるようにして巨大な物体をその場に実体化させた。
重量500kgの鉄塊──“王の剣”である。
ヒロシは一気に大量の魔力を消費した反動で意識を失いそうになるが、
ふらふらの足取りながらも気合いで安全圏へと退避し、
残り時間1Fのタイミングで最後の仕上げに取り掛かった。
「おりゃあ!!」
ヒロシはわずかに残しておいた魔力を全て使い切り、
青白い静電気を銀子に直撃させたのを見届けてから意識を失った──。
大爆発が起きた。
その轟音と振動は第4層で活動中の冒険者たちも感知し、
一瞬、ダンジョンの崩壊が始まったのかと錯覚するほどだった。
しかし、その後しばらく様子を見ても何かが起こるわけでもなく、
依然として戦いは続いているのだという事実を認識した。
第7層、爆心地ではアキラが仰向けの状態で氷漬けにされていた。
王の剣が防壁となったおかげで爆発には巻き込まれなかったものの、
それまでの激闘で負った傷は深く、危険な状態である。
アキラは全身を魔力の氷に閉ざされながらも、その意識は覚醒していた。
やはり魔法とは不思議なものだ。
凍結状態では身動きが取れないが、瞬きはできるし、呼吸も苦しくない。
そして残念ながら物理的な干渉はできないという原則に従い、
この氷で止血をすることは不可能だというのも実感できた。
全身から溢れ出る血液は氷の中を通り、ただ地面へと広がってゆく。
「アキラ君、聞こえる!?
すぐに凍結は解除するけど、頼むからおとなしくしててよ!?
止血しないと死んじゃうのはわかるよねえ!?
YESなら瞬き1回、NOなら瞬き2回で返事して!!」
アキラはゆっくりと目を閉じ、その後、並木の顔をしばらく見つめた。
ああ、泣きそうな表情だ。どうやら随分と心配させてしまったらしい。
あまり個人的なつき合いがあった仲ではないにしろ、彼女も仲間だ。
自分が暴走したせいで親しい人々を不安にさせてしまった。
「ディスペル!」
アキラを覆っていた氷が溶けて水となり、すぐさま蒸発する。
体は濡れていない……いや、血だらけではあるが。
痛い。かなり痛い。そりゃそうだ、全身を切り刻まれたのだから。
あの化け物と正面からやり合って、ただで済むはずがなかったのだ。
当初の予定通り防御だけに専念していればよかったのに、
つい熱くなって手を出しすぎてしまった。その結果がこのザマだ。
「……みんな、本当にすまなかった
俺の止血は後回しにして、今のうちに引き上げよう」
「止血が先ぃ!!」
怒られてしまった。
並木と山口がアキラの手当てをする中、
グリムはある一点……銀子が立っていた場所を注視していた。
いや、厳密に言えば彼女はまだ立っている。
そこには銀子の足首だけが残されており、
その断面をゴポゴポと泡立てながら徐々に上方向へと伸びてゆく。
「急かして申し訳ないが、手当てを急いでくれ
断面を焼いてなんとか本体の復活を妨害しちゃいるが、
俺の火力よりあちらさんの再生ペースの方が早いからな
しかもこれは……悪いニュースだが、第二形態のようだ
上手く言えないんだが、さっきまでとは何かが違う」
「ええっ、何それえ!?
勘弁してよもおおおお!!
こっちのエースは両方戦闘続行不能だっつうの!!
そんな状況で第2ラウンドなんて無理無理無理!!」
「まあ、そう慌てなさんな
良いニュースもある
ヒロシの与えた毒は今も健在なんだ
つまり、放っときゃそのうち勝手に自滅するってわけだ
魔法を使用した本人はぶっ倒れてるのに効果が持続するなんて、
こいつは本当になんなんだろうな……?」
一同は、呑気に気絶中のヒロシに目を向ける。
まあ……『ヒロシだからしょうがない』としか……。
ふと、山口は疑問を口にした。
「さっきの大爆発だけど、あれはなんだったんだろう?
彼はとても低い魔力の持ち主だというのに、
あんなにも凄まじい高威力を出せるのはさすがにおかしいよ
……それも『ヒロシだからしょうがない』で済ませるのかい?」
グリムと並木は少し考えてみるが、これといった説は浮かばない。
アキラには心当たりがあったが、それを言いかけて思い留まり、
「あとで本人に聞いてみよう」と濁して話題を切り上げた。
錬金術の至宝──“賢者の石”。
ヒロシが惜しげなく……否、少し惜しそうに使用したあの赤い石は、
粗悪品でも庭付き一戸建てを買えるほどの価値がある代物なのだ。
そんな貴重品をどうやって調達したのかは不明だが、重要なのは、
彼がそれを使って絶体絶命の状況に活路を切り拓いたという事実だ。
石の件だけではない。
そもそも彼の存在が無ければこの戦いは成立せず、
聖域ダンジョンを攻略するには秩父に核兵器を撃ち込むか、
いつ誕生するかもわからない勇者の到来を待つしかなかったのである。
アキラは異変を感じ取り、傷だらけの身を起こして銀子を睨みつけた。
「ちょっ、アキラ君!
やにわに立ち上がらないでよ!
包帯巻いてんだからさあ!
おとなしくしててって言ったでしょ!?」
並木に叱られるもアキラは真剣な眼差しで銀子を凝視したままであり、
再び暴走状態になってしまったのかと思わせる空気になる。
が、アキラはその場でじっとしており、敵に襲い掛かる様子は無い。
彼は冷や汗を垂らしながら、驚愕と恐怖の入り混じった声で叫んだ。
「みんな、今すぐこの場を離れろ!!
ここにいては危険だ!! 巻き込まれるぞ!!」
「え、何に?」
「まずは君の手当てが先だよ」
「逃げるのが先だ!!
アレはお前たちの手に負えない!!
俺が食い止めている間に少しでも遠くへ逃げるんだ!!」
「だから、アレって何よ?」
「“闘気”だ!!
甲斐銀子が村の者たちから恐れられていた理由は、
あの並外れたスピードだけが原因ではない!!
彼女の強さの本質は、闘気にある!!
まさか闘気を纏う魔物が現れようとは思ってもみなかったが、
とにかく一刻も早くこの場から立ち去るんだ!!」
「はあ?」
突然険しい表情になったかと思えば、妙な単語を口にする。
アキラの手当てをしていた2人は顔を見合わせて首を傾げた。
闘気……バトル漫画とかでよくあるアレのことだろう。
名前は失念したが、『なんとか波!』とか叫んで手からなんか出したり、
特定のツボを押された悪漢が印象的な呻き声を上げながら爆発したり、
そういう現実的にはあり得ない事象を引き起こすやつだ。
そう、あり得ない。
所詮は読者を視覚的に楽しませるための描写。
虚構の概念にすぎない。
だが、アキラの発言はあながち嘘ではないように思える。
彼が冗談を言った記憶など片手で数えられるくらいしか存在せず、
ましてやこの緊迫した状況で仲間をからかったりするだろうか?
それに、見えるのだ。
もう腰の辺りまで再生を遂げた銀子の肉体から、
何か銀色の湯気のようなものがモヤモヤと揺らめいているのが。
「闘気は俺たちの村に代々伝わる武術の基本みたいなもので、
野生の獣と渡り合うために獣の力を借りる戦闘技術だ
本来は親から子へと受け継がれる一子相伝の奥義なんだが、
甲斐銀子は女ゆえにその技術を授けられなかった……
だが彼女は類稀なる才能だけで闘気の操り方を完全に理解し、
歴代最強の狩人と呼ばれるまでの存在となった
……母は、ただ生まれながらにして獣だったんだ」
「よくわかんないけど壮絶ねえ」
「理解し難いけど、たしかにヤバそうな雰囲気になってきたよ……」
銀子の肉体が再生するにつれ銀色のモヤモヤはその存在感を増し、
彼女の足元から上方向に向かって風が噴き上がるようになり、
やがてそれは重力そのものが反転したかのように小石を巻き上げ、
バチバチと静電気を鳴らしながら力場を広げていった。
すぐにも彼女の周囲には瓦礫が宙に浮いている状態となり、
肉体の再生速度が目に見えて加速してゆくのがわかった。
「くっ……!!
これ以上はもう抑え切れない!!
アキラの言う通り、逃げた方がよさそうだぞ!!」
グリムは必死に復活を阻止しようと魔力を集中させるが、
銀子の再生速度は更に加速し、もう首まで肉体が出来上がっていた。
「みんな、走れ!!」
アキラの号令により中間たちは駆け出した。
並木はギリギリ最後の包帯を巻き終えると救急箱を置き去りにして、
山口は気絶中のヒロシを拾い上げて歯を食いしばり、
グリムは時折後ろを振り返りながら銀子の再生を妨害しつつ、
アキラ以外のメンバーは生存本能に従ってひたすら走り抜けた。
完全に肉体を取り戻した銀子はすかさずトラの構えを取り、
その拳はひときわ強い銀色の輝きを放っている。
対するアキラは静かな瞳で両腕を交差させ、
これから繰り広げられる最後の戦いに備えた。
そして凄まじい打撃音が鳴り響いた直後、
アキラと銀子はまばゆい光の中に飲み込まれ、
第7層は銀色の世界に染め上げられたのである。
つい先程までアキラの言葉を疑っていた仲間たちは認識を改めた。
闘気とかいう、わけのわからない力は存在するのだと。