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進め!魔法学園  作者: 木こる
3年目
145/150

人の形をした獣

時は少し遡り、全滅した北澤班が持ち帰った映像を分析していた時のことだ。

彼らはたった6名のパーティーで道中の敵を難なく処理してゆき、

実にスムーズに第6層の終点まで辿り着いた。

その鮮やかな手腕はさすが国内最強の冒険者たちといったところか。

思わず見惚れてしまう光景ではあるが、この後、彼らは敗北を喫するのだ。

視聴者たちは固唾を呑んで事の成り行きを見守った。


特に、アキラを知る者たちはラスボスの姿を知りたがっていた。

甲斐銀子……アキラの母親がどれだけ息子とそっくりなのかという好奇心だ。

北澤は『よく似ている』と言っていた。

アキラの銀髪と鋭い目つきは母親譲りなのだと前もって聞かされてはいたが、

思えばそれ以外の外見的特徴を誰も知らなかったのである。


アキラは母の写真を持っていなかった。

それどころか、他の家族までもが誰一人として彼女の写真を持っていない。

父曰く、彼女は写真を撮られるのが恥ずかしかったそうだ。

彼女を収めた最初で最後の1枚は、

見せた瞬間にその場で処分されてしまったらしい。

この世に存在しない物は、誰も所持しようがないのである。


「あっ!!」

「え、嘘!?」

「この人が……!?」


映像を観ていた者たちが次々と声を上げる。

とうとう彼女が画面に現れたのだ。


事前に聞いていた通り、彼女は銀髪と鋭い目つきの持ち主であった。

が、視聴者が驚いたのはそれ以外の部分である。

彼女の身長は150cm程度しかなく、筋肉などまるでついておらず、

健康的な範囲で細身の女性がそこには映っていたのだ。

制服を着せればその辺の中学生と見分けがつかないであろう人物。

それが甲斐銀子だった。


視聴者たちは、もっとデカい女性を想像していた。

村の男衆に負けないだけの背丈を、丸太のように太い腕を、

歯を剥き出しにしてガハハと笑いそうな、豪快な女性を思い描いていた。

しかし、画面には華奢な体つきの神秘的な美少女が映し出されている。

この想定外の姿には皆、驚かされるばかりだった。


「アキラの女の趣味は親父さん譲りか……」


ヒロシの言葉に一同は納得し、頷いた。




──その甲斐銀子の姿を模した魔物が、そこにいる。

聖域ダンジョン第7層にて、彼女は玉座のような地形に鎮座していた。

彼女は瞬きもせずに侵入者たちをじっと眺めており、

まあ、魔物である彼女に生理現象である瞬きは必要無いのだが、

とにかく、それは獲物に狙いを定める肉食獣のような威圧感があった。

冒険者たちは死を待つウサギのような心境になりながらも、

一歩ずつ慎重に件の魔物のいる方へと近づいていった。


距離10m。

彼女は反応しない。

どうやらまだ自分たちは安全圏にいるらしい。

それがわかれば、もうこれ以上接近しなくてもいい。

この射程ならほぼ完璧に魔法を制御できるという自信がある。

威力が落ちたり、狙いが外れるといった事態にはならないだろう。

攻撃だけでなく、弱体(デバフ)状態異常(バステ)などでアシストも行える。

あとは防御役(タンク)のアキラがどれだけ仕事をこなせるかだ。


冒険者たちは甲斐銀子を中心に半径10mの円を描くように散らばり、

五角形の陣形を作り終えると、アキラはその中央へと歩き出した。

両者の距離が7mほどになると甲斐銀子はやおら立ち上がり、

それまで腰掛けていた玉座はニュルニュルと地面に溶けてゆく。

だが、彼女が動く気配は無い。

彼女は輝きを失った赤い瞳で接近者を見つめるばかりで、

アキラの方はというと、歩くペースを落とさずに更に接近を試みた。


6m、5m……まだ反応は無い。


4m、3m……反応無し。


2m……



1m。



戦闘開始──!






先に手を出したのはアキラだった。

迎撃特化のネコの構えで、敵が仕掛ける前に動いたのだ。

これが普段の戦闘ならば慎重に相手の出方を観察しているところだが、

今回の討伐対象はそんな悠長な行動を許してくれる相手ではない。

この戦いにおける彼の役割は味方の盾になることではあるが、

攻撃のチャンスがあれば積極的に攻撃を仕掛けてゆくつもりだ。


アキラと銀子には50cmの身長差がある。

つまりそれだけ手足の長さにも差があるということだ。

アキラはこの射程距離の違いを最大限に利用するため、

最初の一撃という最大のチャンスを活かしたのである。



銀子は尋常ならざる反応速度で防御を行い、

片腕でアキラの拳を受け止める。

しかし、彼女は吹き飛んだ。

その重い一撃が彼女の腕をへし折り、衝撃で顔の左半分が潰れた。

彼女は地面に背中を打ちつけ、ヒロシと山口の中間地点まで転がった。

2人は咄嗟に後ずさり、一時的に五角形が崩れる。


「やったか!?」

「いや、まだだ!!」


ヒロシのやってないフラグは即座に効力を発揮した。

久しぶりに人型の魔物と対峙したのでつい忘れがちになるが、

今戦っている相手はどれだけ人間に見えてもやはり魔物なのだ。

顔が潰れようが首が捥げようが、生命力を完全に削り切らなければ

倒したことにはならないのである。


その証拠に銀子は何事も無かったかのようにすっくと立ち上がり、

近い距離にいるヒロシたちには目もくれず、

とりあえずの脅威……目下の弊害であるアキラの方へと歩き出した。

しかし何かがおかしい。

つい今しがた折られたはずの腕も、潰されたはずの顔も、

まるでそれが目の錯覚であったかのように無傷ではないか。



「お、おい

 なんか妙だぞ……!」


グリムはまだ攻撃をせず、代わりに銀子の魔力の動きを追っていた。

観察はアキラの得意とするところだが、今回彼にはその余裕が無い。

なので彼は観察の役目を仲間に任せることにしたのだ。

そして、どうやら早速異常が発見されたようだ。


「アキラの攻撃は確かに効いた!

 だが、効いてないとも言える!

 ダメージを与えた次の瞬間には完全に回復していた!

 そいつが魔法を使ったんじゃない! 自動回復とも違う!

 何者かが外部から回復魔法を使ったんだ!」


仲間たちは困惑する。

グリムの推測が正しければ、この場には他にも敵がいることになる。

ダメージを与えたそばから回復されてはたまったもんじゃない。

それを許してしまうと永久に戦いが終わらなく……いや、

スタミナの差で人間側が負ける未来しかない。

となると、銀子よりも先にその敵を始末しなければならない。


こんな時こそ探知能力を持つ味方がいてくれたらと悔やまれるが、

今この場にいない者のことを考えても仕方ない。

アキラ以外の5人は注意深く周囲を見渡し、見えない敵を探し始めた。



仲間たちがキョロキョロしている間にも、

アキラによる一方的な攻撃は続けられていた。

が、5発、10発と打ち込んでも銀子の肉体を一瞬凹ませるだけであり、

起き上がる頃には綺麗さっぱり元の形状へと戻っているのだ。

これでは埒が明かない。


アキラはもう1つの問題点に直面していた。

むしろダメージ直後に回復されることよりも、

こちらの異常事態の方が不気味だとさえ思った。


銀子はまだ手を出していないのである。

ただただ一方的に攻撃を喰らい、吹き飛び、起き上がり、

敵対者の射程圏内に向かって歩くだけなのだ。


あの好戦的な性格の母を取り込み、その姿を模した魔物がなぜ……?

これが人間だった頃の彼女ならば確実に激昂し、

挑んできた相手の命を奪うまで攻撃の手を緩めなかっただろう。

が、しかし。

銀子もどきはただひたすらアキラに近づいてくるだけであり、

攻撃を仕掛けてくる気配が全く感じられないのだ。



アキラは攻撃の手を止めた。

銀子が近づいてくる。


1m、90cm、80cm、70cm、60cm……


50cm。


銀子が立ち止まった。



両者は睨み合ったまま動かない。



動かない……


銀子は攻撃してこない。



仲間たちはその異様な光景に動揺を隠せなかった。


「えっ、どういうことだあれ!?」

「すぐ目の前に敵がいるってのに!!」

「もしかして親子だから!?」


銀子は魔物の肉体を持ってこの世に復活してしまったが、

生前の記憶が残っていて息子を傷付けることができない……

そういう感動的な事情があるのかもしれない、と彼らは思った。

だが、当の息子であるアキラは別の可能性を考えていた。


突如、銀子の足元がぐにゃりと歪み、彼女の数cm後方の地面が競り上がり、

その粘土のような塊が自我を持っているかのように変形してゆき、

それは彼女が最初に腰掛けていた玉座を作り出したのだ。

銀子は後ろを見向きもせず、そこに腰を下ろした。


アキラは確信した。


「……俺は()()()()()()()()()()()()

 戦う価値も無い相手だと判断されたんだ」


一同に衝撃が走る。

どう考えてもアキラは強い。

拳で岩を砕ける化け物なのだ。

トップアスリートと呼ばれる者たちが、

果たしてそれと同じことができるだろうか?

いや、無理だろう。

アキラの身体能力は人間の領域を超越している。

銀子はその男の拳を幾度も受け、強さを測ったはずなのだ。

その結果が『戦う価値も無い』というのは、にわかには信じ難い。


「人間を狩っても意味が無いからな

 俺たちが狩りをするのは食うため、肉を得るためだ

 縄張りを荒らす外敵を排除する目的もあるが、

 結局そいつらも俺たちの食料となる運命にある

 甲斐銀子は生前、強敵を求めて戦っている節があったが、

 それでも狩人の鉄則を守って生きていた

 “狩るのは獣だけ”……とな」


なるほど、それなら納得だ……とはならない。

北澤班のメンバーは全員この魔物にやられたのだ。

彼らは実力者の集まりだったが、アキラより強いかと聞かれると

どう返答すべきか悩ましいのが実際のところだ。

その彼らが『戦う価値がある』と判断されたのはなぜだろうか?


「俺には魔力が無い

 おそらくそれが原因で狩りの対象から外されたんだろう

 甲斐銀子は魔物の肉体を得たことで相手の魔力を測れるようになり、

 魔力を持つ人間を“未知なる生物”として認識しているのかもしれない

 母は冒険者や魔物、そして魔法の存在を知らずに一生を終えたんだ

 未知なる強敵に挑みたいという貪欲な好奇心が、

 攻撃魔法に対する反撃という形となって表れているのかもな」




アキラは母の形をした魔物を殴り続けた。

先程までとは違い、彼女は玉座に着いたまま動こうとしない。

そのため殴られる度に変形した体を背もたれに叩きつけられるが、

例の回復によって次の瞬間には元の状態へと戻っている。


この流れを変えようと、並木は思い切って弱体や凍結の魔法を使用。

そしてそれらはなんのリスクも無く、すんなりと通用したのだ。

どうやら銀子はあらゆる種類の魔法に対して耐性を持っておらず、

ダメージを伴わない魔法には見向きもしないことが判明した。


が、それだけである。

いかに弱点だらけであっても、ダメージの蓄積が不可能な現状では

何をどうしようが彼女を撃破することはできないのだ。


と、ここでグリムが新たな発見をする。


「わかったぞ!

 俺は勘違いをしていた!

 近くに回復魔法を使う魔物が潜んでいると思い込んでいたが、

 そうではなく、このダンジョン自体が回復装置なんだ!

 あいつがダメージを受けると大気中のマナが生命力に変換され、

 消耗した分のマナは他のフロアから補充される仕組みらしい!

 そして道中に残してきた冒険者が何かしらの魔法を使うと、

 その残滓が新たなマナを生み出し、半永久機関の完成だ!」


「え、それって……」

「あれを倒せないのは味方のせいでもあるってこと!?」

「それじゃあ手詰まりじゃないか!!」


仲間たちはその仮説に驚愕し、否定したい気持ちで一杯になる。

だがグリムはこの時、完璧に正解を言い当てていた。


味方に『魔法を使うな』とは言えない。

魔法の恩恵無しに魔物と渡り合える冒険者はほぼ皆無であり、

彼らは多かれ少なかれ無意識に魔法を常時使用しているのだ。

自動強化もそうだが、各種装備品を身につけているだけでも

魔力というものは常に発揮されていると考えていい。


冒険者用の装備品に使われている魔道工学合金(マギアメタル)

魔道工学繊維(マギアファイバー)といった素材は魔力伝導率が非常に高く、

その性質が自動強化とよく似た効果をもたらしてくれる。

スマートな体型の少年少女たちが軽々と金属の塊を振り回せるのは、

ほとんど装備品自体の特性のおかげであると言っても過言ではない。


結論、魔法を使わずに魔物を倒すのは至難の業なのである。



並木と山口は同じ思考に辿り着く。

倒すことのできない相手にこれ以上構う必要は無い、と。

この魔物は自分たちがどうにかできる相手ではない。

戦うだけ無駄。即ち、撤退すべき状況なのだ。


どうしても今すぐにあれを葬り去る必要があるならば、

核兵器を撃ち込むでもしない限り解決しないだろう。

その場合は秩父だけでなく関東全域が死の土地となるが。

もちろん誰もそんな結末は望んでいないし、

他の手があるのだから最終手段に頼らなくてもいいのだ。


聖域ダンジョンの攻略を諦めるという選択肢だ。

ラスボス撃破という目標を完全に除外し、

この先ずっと魔物の流出を防ぐことだけに専念すればいい。

後世の冒険者たちにとっては負の遺産でしかないが、

数十年、数百年、あるいは数千年後には攻略法が見つかり、

その時代の彼らがこの地を清めてくれることを願うしかない。


並木と山口は互いに顔を見合わせて頷き、

仲間たちに撤退の指示を──



「うおおおおおっ!!!」



……突如、不可能を可能にする男(ヒロシ)が奇妙な魔法を使用し、

リーダー2名は、これはどうしたものかと頭を悩ませる。


ヒロシの叫びに合わせて辺りの空間が歪み、

壁、床、天井がぐにゃぐにゃと不規則に波打つ。

その広がり方は一定ではなく、波紋と波紋がぶつかり合い、

再現不可能であろう曲線模様を描き出す。

赤や緑、金や銀などのサイケデリックな色彩がどろどろに混ざり合い、

形容し難きそれは、薬物中毒者の見る世界を思わせた。


冒険者たちは突然の出来事に慌てふためき、

しかし何もすることができず、ただ波が止むのを待った。

気がつけば銀子は玉座から立ち上がっており、

まるで困惑の感情があるかのように、歪む世界を眺め回すのだった。



やがて正体不明の魔法はその活動を停止し、

ダンジョンはすっかり元通りの景色になっていた。

一同はそのまま口を半開きにして立ち尽くすこともできたが、

いち早く自我を取り戻したグリムはすかさず状況確認を行なった。


魔力の解析に長ける彼は真っ先に銀子の状態を調べたのだが、

あろうことか彼女は今の魔法によって強化されてしまったようだ。

攻撃魔法ではないようなので反撃されずに済んだものの、

この強化状態の銀子から攻撃されたら一撃死もあり得るだろう。

安全のためにもう一度弱体の魔法をかけ直さねばならない。


そして恐ろしいことに味方の強化状態が解除されており、

それどころか全員の能力が弱体化されているではないか。

銀子にやられたわけではない。ヒロシの仕業だ。

これも落ち着いて強化し直せばいいだけとはいえ、

緊迫した状況下で予告なくこういうことをされては困る。


味方を強く、敵を弱らせていたというのに、

味方を弱らせ、敵を強くするなんて愚の骨頂である。

これでは縛りプレイだ。

ゲームでそれをするのは構わないが、今この状況ですべきではない。

これは遊びではない。命が懸かっているのだ。


そして、ヒロシは更に味方を困惑させた。


「山口、味方に弱体(デバフ)を撒いてくれ!!

 斎藤さんはボスに強化(バフ)を頼む!!」


「えっ、何を言ってるんだ君は!?」

「逆だよ逆!!」


「それでいいんだ!!」


「「 意味がわからない!! 」」


グリムの脳裏に、ある考えがよぎる。


(ん、“逆”……?)


だがその考えが彼の中でまとまるより早く、

山口と斎藤はとりあえず言われた通りに動き、

味方を弱体させ敵を強化するという謎の儀式を行なったのだ。


「「 ……って、あれえ!? 」」


困惑に次ぐ困惑。

山口は確かに味方を弱体させたはずだった。

斎藤は確かに敵を強化したはずだった。

が、しかし。

どういうわけか味方の能力は向上し、敵の能力は下降したのである。


これでは効果が逆……そう、逆なのだ。


「よし、成功だ!!

 俺がさっき使った魔法……名前はこれから決めればいいとして、

 あれは“補助魔法の効果を逆転させる魔法”なんだ!!

 即興で編み出した大技だからどこかしら改善点はあるだろうけど、

 とりあえずはあの鬱陶しい瞬間回復を無効化できたはずだぜ!!」


一同は口を半開きにして立ち尽くした。




気を取り直した仲間たちは改めて五角形の陣形を整え、

装備やアイテム、敵味方の状態に不備が無いか再確認する。

武器よし、防具よし、道具よし。強化(バフ)弱体(デバフ)も異常無し。

今のところ誰も怪我をしておらず、腹が痛いという者もいない。

準備万端、いつでも戦闘再開が可能ということだ。


アキラは五角陣形の中心で銀子と向かい合い、

その場で軽くトントンと跳ねてからネコの構えを取った。


するとここで銀子は初めて見せる行動パターン、

ヒョウの構えを取って敵対者に応じたのだ。

彼女は、アキラを敵として認識したのである。


──アキラは銀子の顔面目掛けて拳を突き出した。


それは一瞬の出来事であった。

その拳はあまりに速く、川魚を捕らえる猛禽類の如く、

昆虫を捕食する爬虫類の如き早業であったが、

銀子はその見えない拳を掻い潜り、

それを上回る速さで攻撃に転じたのだ。


アキラの胸部に4本の線が走り、鮮血が飛び散る。

仲間たちは初めて彼が傷を負う姿を見て動揺するが、

当の本人は至極冷静であり、むしろ安堵していた。


“ネコの構え”は脳と心臓を守りながら迎撃を狙う構えであり、

本来なら胸に傷が付くということはまずあり得ない。

ではなぜアキラはこのダメージを許してしまったのか。

決して油断していたのではない。

神経を尖らせていた彼は手首の動脈を狙われたことを察知し、

敢えて胸部を守っていた左腕を自由にしたのだ。

その結果、彼は左のネコパンチを放つことができたのだ。


──銀子は右側へ吹き飛ぶ……が、先程までとは違い、踏み留まる。

直撃を受けた箇所は即座に元通りの形へと戻るが、

仲間たちの表情に絶望の色は無く、期待に満ちていた。


「効いてる……効いてるぞ!!

 アキラが叩いた分と、効果が逆転した回復によるダメージ……!!

 1回の攻撃で2倍のダメージを与えている……!!」


期待が歓喜へと変わる。

無敵かと思われたラスボスだが、こうしてHPを削ることができた。

それができれば、あとはその作業を積み重ねるだけである。


ヒロシは偉業をやってのけたのだ。

数千年先の未来で発見されるかもしれなかった攻略法を、

彼は今この場で思いつき、実行し、有効であると証明したのだ。


……まあ、再現できる者がいるかどうかは別としてだが。




──アキラが右拳を放つ。

銀子はそれを掻い潜り、アキラに爪痕を残す。

アキラは打ち終わりの瞬間を狙って左拳を被せる。

銀子は体勢を立て直し、再びアキラに飛び掛かる。

それをアキラは回し蹴りで迎え撃ち……

と、アキラと銀子は超高速の近接格闘を繰り広げ、

仲間たちはその激闘ぶりに感嘆するばかりだった。


いや、それではいけない。

当初の作戦では、攻撃魔法のみが有効手段とされていたのだ。

このままアキラに任せてもなんとかなりそうな雰囲気はあるが、

彼は相手に1発与える毎に、相手からも1発貰っているのだ。

アキラは血を流している。

失った生命力を一瞬で回復させる手段は持ち合わせていない。

戦闘を長引かせれば取り返しのつかないことになるだろう。


「アキラ!!

 そろそろ俺に攻撃させてくれ!!

 あんまり敵と密着されてちゃ巻き込んじまうぞ!!」


グリムの呼び掛けに、アキラは何も答えなかった。

一手遅れれば即死の状況下につき、極限まで集中していたのだ。

だが、それでも耳から入ってきた情報を無視はせず、

戦いながらその言葉の意味を理解し、次なる行動を決定する。


“待機”。

この魔物は珍しい反撃タイプの敵であり、

こちらがダメージを与える行動をしない限りは何もしてこない。

ならば先程のように命の火花を散らすような死闘を演じるよりも、

安全確実な一撃を積み重ねていった方が賢明と言えよう。


アキラは少々熱くなり判断力が鈍っていたのを反省し、

こちらから銀子に攻撃を加えるのを中止した。



……のだが、銀子は攻撃をやめなかった。



アキラの頭上を死の風が通り過ぎる。

銀子の拳はもはや鋭利な刃物を越えた何かであり、

手応えからしてダイヤモンドさえ切り裂ける切れ味なのだろう。


アキラは獣の闘争心を呼び起こしてしまったのだ。

魔物に心が無いことは理解している。

だが、現に目の前の魔物は、甲斐銀子という獣は、

どこか嬉しそうな笑みを浮かべながら襲い掛かってくるではないか。

ああ、それでこそ母だ。

倍以上の身の丈を持つ熊を屠っても、退屈そうにしていた母。

彼女は自身を満足させてくれる獣とはとうとう出会えなかった。

それが今、人間の時には叶えられなかった夢がようやく実現したのだ。


母は獣の本能を解放できる相手を追い求めていた。

そして、彼女はそれに出会うことができたのだ。



アキラは己の中にある感情が芽生えてゆくのを感じ取っていた。

それは以前にもどこかで味わったことがある。

だが、詳しく思い出そうという気にはならない。

今はそれどころではないし、思い出す必要など無いのだ。


感じるだけでいい。

今はただ、この激しい感情に身を任せてしまえばいい。

アキラはその直感を疑わず、再び自ら攻撃する意志を示した。


──アキラの右拳が銀子の顔面に放たれる。

空振りではない。しかし芯を外しており、直撃とも言えない。

それでも進歩した一撃だった。

アキラは銀子と拳を交えるうち、わずかに成長していた。

早い話、銀子のスピードに少し慣れてきたのである。


母には絶対に追いつけないと思っていた。

あの怪物の強さには太刀打ちできないと思い込んでいた。

それが今、自分の拳が届いた事実が、意識に変化をもたらしたのだ。



「アアアアアァァァァァッッッ!!!!!」



──アキラの左拳が銀子の横っ面を捉え、

顔の右半分が破裂し、肉塊が壁や天井へと飛び散る。

銀子は足の裏から()()()()らしき栄養を吸収し、

すぐさま失ったパーツを復元してしまう。

だが復活するのは姿形だけであり、生命力までは元に戻らない。

命を削り取る感覚。

アキラはその手応えを確かに感じ取っていた。



「アキラ!!

 もうよせ!!

 撤退だ、撤退!!」


ヒロシの言葉は届かなかった。


アキラは戦闘に夢中になるあまり、自身の惨状を把握していなかった。

無意識に急所を庇っていたので致命傷こそ負ってはいないが、

全身はズタボロであり、至る所から出血をしていた。

制服の上着は既にただの布切れとなって地面に散乱しており、

シャツもズボンも最初からその色であるかのように真っ赤だった。

切り裂かれた皮膚からは肉が見え隠れしている状態であったが、

異常分泌されたアドレナリンがその痛みを忘却させていた。


アキラはこの3年間、

いや、彼が生まれてから初めて見せる表情をしていた。

銀子もまた同じ表情であり、2人が親子であることは疑いようがなかった。


アキラと銀子──2頭の獣は共に喜びを分かち合っていたのだ。

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