破滅への序曲
今回の魔物流出事件は“秩父防衛戦”の名で報道されており、
どのニュース番組も今年最大の話題として大きく取り上げていた。
多数の死傷者が発生した“沖縄地震”の方が悲惨とも言えるが、
謎の力が働き、まるでそんなものは最初から無かったかのように
世間の関心は本件へと誘導されていた。
それはさておき本題の秩父防衛戦についてだが、
去年に起きた2つの流出事件よりも規模が大きいということで
国民の注目度は非常に高く、日本冒険者協会は緊急記者会見を開き、
『極めて遺憾』の意を表明。
そこで切り上げておけばよいものを、彼らは余計なことをしてしまった。
『えー、この度の騒動に関しましては我々も重大な事件と受け止めており、
早急な解決を望んでいる次第であります
つきましては近隣住民の方々ならびに全国の皆様の安心を取り戻すため、
更なる戦力強化を実現するための緊急措置を取らせていただきます
このようなやり方は好ましくないと思う方もいらっしゃるでしょうが、
事態の収拾に貢献した冒険者に多額の報奨金を確約することにより、
現場の増員を図っていきたいという次第でございます』
会場は少しざわめいた後すぐに静まり返り、
記者たちが余すことなく挙手を行う。
壇上の協会職員は目についた女性記者を指名すると、
一口の水を含んで喉を潤し、質疑応答に備えた。
『多額の報奨金と仰いましたが、
具体的な金額はいくらなんですか?』
『えー、それに関しましては現在協議中につき、
はっきりとした数字を申し上げられる段階ではございません』
答え終わると同時に、記者たちが一斉に手を挙げる。
協会職員はすかさず別の女性記者を指名し、水を飲んだ。
『その報奨金の出所は日本冒険者協会からという認識でよろしいですか?』
『えー、それに関しましても協議中なので、
現段階で断言できるものではございません
ですが、1つだけ……
我々は潤沢な組織ではございませんので、報奨金の確保につきましては
国民の皆様の善意に頼る形になる可能性が高いと予想しております』
『それはつまり、募金を行うということですか?』
指名していない男性記者からの質問だ。
協会職員はあからさまに不愉快な表情になる。しかし相手はまだ若く、
未熟な若者がしでかした無礼にいちいち目くじらを立てるべきではない。
そう気を取り直し、用意してあった回答を述べる。
『えー、申し上げた通り、そうなる可能性が高いというお話です』
『入職1年目で右も左もわからない新米職員に対して、
ボーナス1000万をポンと出せる組織は潤沢だと思いますけどねえ』
『おい、カメラ止めろ
お前どこの記者だ?
本件と関係無い発言すんなよ
仕事させてやってんだから、よく考えてから物言え
こっちはなあ、やろうと思えば会社の1つや2つ、
いつでも潰せるだけのコネがあるんだよ
せっかくいい大学出ていい会社に入れたってのに、
余計な一言のせいで全部パアにしたくないだろ?
路頭に迷いたいか? ん?
低所得の生活に耐えられるのか?
その覚悟が出来てないなら口を慎めよ
立場を弁えろ、立場を』
さすがに黙っていられなかった。
なんと躾のなっていない若造だろうか。
おそらく彼は入社1年目あたりのひよっこなのだろう。
彼の親や教師、先輩や上司の教育不足が招いた結果がこれだ。
が、それにしても酷い。
世の中には越えてはならない一線というものが存在するのだ。
たとえ1000万円のボーナスの件が事実だとしても、
それについて言及するのはフェアプレーの精神に反する行いなのだ。
彼はそれをわかっておらず、平然と踏み越えてしまった。
日本冒険者協会は税金泥棒扱いされることを何よりも嫌っており、
懐具合や金の流れを探られるなんてもってのほかである。
『あの、生放送……』
『ああぁ……っ!!』
この放送事故により日本冒険者協会は悪評を高めるが、
元からこの組織を信用している国民なんてごくわずかだったので
それほどの痛手にはならなかった。
問題なのは、彼らが多額の報奨金を確約してしまったことだ。
それにより全国各地から生活に困っている冒険者が押し寄せ、
更に金目当ての一般人までもが身分を偽ってまで参戦し、
勝手に大怪我を負っては現場の人間に責任を追及する始末だ。
人が増えればそれだけトラブルが増えるのは必然であり、
1人分の宿泊料金でこっそりと10人が旅館に泊まろうとしたり、
立ち入り禁止の場所で酒盛りや野宿する者が現れたり、
トイレを待てなかった者の落とし物が公園に散乱したりと、
例の記者会見から1週間足らずで秩父は随分と荒らされてしまった。
秩父だけの問題ではない。
全国から冒険者がやってきたということは
元々人手不足だった地方から更に人材が減ったということであり、
今までのペースでダンジョンを巡回できなくなった影響で
小規模な魔物流出が各地で頻発するようになってしまった。
日本冒険者協会は、戦力の一極集中が最悪手だと理解していなかった。
この結果を鑑みた彼らは、『誠に遺憾』の意を表明したのだった。
余計なことをやらかしたのは日本冒険者協会だけではない。
魔物の人権を守る会はこの全国規模の混乱を好機と捉え、
冒険者の信用を失墜させるためにとっておきの爆弾を放ったのだ。
へいわビジョンが独占入手したというその衝撃映像の内容は、
とても日本で起こった出来事とは思えないような代物であった。
それは今年4月に撮影されたもので、場所は沖縄とのことだ。
そこにはバットやゴルフクラブなどで武装した若者たちが、
商店のショーウィンドウを破壊して押し入る様子が映し出されていた。
強盗に成功した若者たちはカメラに向けて戦利品を見せびらかし、
男性の店員は頭髪をバリカンで剃られた挙句に小突き回され、
女性の店員は公開ストリップをするように強要されていた。
それが終わると、もう用済みだと言わんばかりに店員は追い払われ、
若者たちは店内に火炎瓶に投げ込んでゲラゲラと笑い合う。
更に駐車場の車両も次々と破壊して回り、辺り一面は火の海となった。
若気の至りでは済まされない、非道なる行い。
その過激な映像が、善良な人々の怒りを買ったのは想像に難くない。
なぜそんなことをするんだ。それの何が楽しいんだ。
なぜ加害者の顔だけモザイク処理されているんだ。
『ご覧ください!
沖縄では今、冒険者による略奪行為が横行しています!
彼らはつい先日この平和な地に人工地震を発生させたばかりか、
罪の無い人々を傷付け、建物や車を破壊し、金品を奪っているのです!
なんと残酷で恥知らずな連中なのでしょうか!
こんな暴挙が許されていいのでしょうか!
とりあえず突撃インタビューを行なってみたいと思います!』
『ヒャッハー!
俺たちは東京から来た冒険者だぜ〜!
平和な世の中なんて、この俺たちがぶっ壊してやるぜ〜!』
『あなたたちは、なぜそんなことをするんですか!?』
『それが冒険者の本性だからだぜ〜!
俺たちは罪の無い人々が苦しむ姿を見たいんだぜ〜!
それと、罪の無い魔物をぶっ殺すのが生き甲斐なんだぜ〜!
冒険者ってのは極悪非道な連中の集まりなんだぜ〜!』
『それはなんて酷い!
我々が掴んだ情報によると、先日に発生した地震は
冒険者が引き起こしたとのことですが、それは本当なんですか!?』
『もちろん本当だぜ〜!
罪の無い人々を困らせるために魔法で地震を起こしたんだぜ〜!
実は今まで起きた災害や事件なんかも全部俺たちの仕業なんだぜ〜!』
『もしやと思ってましたが、やっぱりそうなんですね!?
すると去年の2大事件も冒険者の仕業ということですか!?』
『その通りだぜ〜!
実行犯とされる鈴木さんと川嶋さんは俺たちが魔法で操ったんだぜ〜!
だからその2人は無実で、本当に悪いのは冒険者なんだぜ〜!』
『むむむ……
視聴者の皆さん、今の発言を忘れないでください!
これで冒険者の連中は全て危険な存在なのだと証明されました!
世界の平和を乱そうとする邪悪な集団なんです!
くれぐれも彼らを信用してはなりません!
現場からは以上です!』
……。
なんという三文芝居だろうか。
冒険者の実態をわずかにでも知っていればすぐにわかることだが、
高齢冒険者ならまだしも、若年層の冒険者がバットなどの日用品を
武器として持ち歩くだなんてまずあり得ない。
どうしても金欠で他に用意できないのであれば話は別だが、
映像内の自称冒険者が全員そのような装備というのは明らかにおかしい。
まあ、全員偽物なので当然なのだが。
彼らは冒険者を貶めるためにその映像を公開したのだろうが、
それは魔人会信者による略奪行為の証拠以外の何物でもない。
彼らは自ら犯罪の証拠映像を不特定多数の人間に提供したのだ。
そして、彼らは現代が情報化社会であることを忘れていたようだ。
その映像から個人の特定が完了するまで数分の出来事であった。
なんというか、まあ、最初からわかっていたことだが、
沖縄で暴れ回っていたのはやはり全員魔人会の信者であり、
今は亡き八巻の指示で動いていた若者たちだった。
真実を知った国民は魔人会に対する怒りを募らせたが、
なぜか魔人会自身も魔人会に対して不信感をあらわにするという、
異例の展開へと発展する。
本州の信者たちは例の三文芝居をすっかり信じ込んでいたので、
沖縄から戻ってきた同志を“冒険者側に寝返った裏切り者”と認識し、
片っ端から吊し上げて問答無用のリンチを加えたのだ。
それだけで済めばよかったのだが、怒りの収まらない信者たちは
“裏切り者”の家族や知人、果ては顔が似ているだけの他人に至るまで
大勢の無関係な人々に暴力を振るうようになった。
魔人会信者による暴力事件が全国各地で多発したことにより、
これまでこの組織に無関心だった国民たちの意識に変化が生じる。
彼らはようやく魔人会がどういう存在なのか学習したのだ。
あいつらは罪の無い人々を傷付ける邪悪な集団である、と。
そして日本政府も黙ってはいなかった。
そもそも例の映像は“沖縄地震”の真実に深く関わる代物であり、
その内容を公共の電波を使って発信したということは、
政府と結んだ秘密保持契約に違反したことに他ならない。
映像が流れた結果、危惧していた通り全国規模の混乱が起きてしまった。
これは国家転覆を目的とした秩序破壊と捉えられても仕方がない。
魔人会に内乱罪を適用するかどうか、検討が急がれる。
──魔人会本部の大会議室には四天王が集結していた。
と言っても、席に着いているのは2名だけだが。
四天王の紅一点、通称“77”の城戸は葉巻をふかし、
最古参の渡……“90”に不満を漏らした。
「ちょっと、“00”が来てないじゃないの
ただでさえ“88”が死んだせいで人手不足だってのに、
まったくどこをほっつき歩いているのやら……
まあ、もしあいつがこの場にいたとしても、
どうせいつも通り何も喋らないんだろうけど」
渡はグラスの中の氷を転がし、琥珀色の液体を一口飲んだ。
「今はこんな状況だからな
奴は各方面の火消しで忙しいんだろう
ただ自分に与えられた役割を果たしているだけさ
お前も少しは奴の勤勉さを見習ったらどうだ?」
「何よ、失礼ね
私だってちゃんと自分の役割を果たしてるでしょ
言っとくけど、組織に一番利益をもたらしてるのはこの私よ?
椅子にふんぞり返ってるだけの中間管理職が偉そうにしないでくれる?」
「中間管理職を軽視するな
どんな組織にも上下の意思を繋げる人間は必要なんだ
当たり前の話だが、管理が行き届いていない組織は円滑に事業が回らず、
いずれ必ず滅びゆく運命しか待っていない
魔人会が今もこうして存続できているのは俺の働きがあってこそだろう」
「管理が行き届いてないから今回の騒動が起きたんじゃない?
下っ端の連中が暴走して沖縄の映像を放出しちゃったわけだけど、
その責任は誰が取ってくれるのかしらね?」
「責任だと?
そんなもの、勝手なことをしてくれた本人の自己責任だろう
世間の連中を黙らせるにはそいつらを逮捕させるのが一番だが、
あいにく当事者たちは行方不明で連絡が取れない状態にある
まあいつも通り、適当な末端組織を見繕って生贄に捧げればいいさ」
と、高を括っていたのだが……
「……え、無い?」
渡は秘書からの報告に耳を疑い、睨みつけながら聞き返した。
しかし秘書は微塵も怯む様子を見せず、淡々と報告を続ける。
「はい、以前から社長にお伝えしていた通り、
末端の者たちが次々と逮捕された影響で
罪を被せられる組織がもう残ってないんですよ」
「なんだと……?
おい、ふざけるなよ
代わりなんて探せばいくらでもいるだろう
目先の金欲しさに、怪しい儲け話にホイホイと乗っかる馬鹿な連中がな
そいつらを言いくるめて魔人会の思想に染め上げればいいだけの話だ」
「いえ、だからその儲け話に乗っかる連中も見つけられない状況なんです
連日の報道により、今や我々はただの犯罪集団だと思われてますからね
外部の人間が警戒して近寄らないばかりか、離反する信者も現れています」
「なっ、何ィ!?
それじゃ困るだろうが!!
今がどんな状況かわかってるのか!?
どうしてもっと早く言わなかったんだ!?
対策する時間ならたっぷりとあっただろう!?」
「私は何度もこの件について報告してきたのですが、
社長はまるでこちらの話に聞く耳を持たないどころか、
その度に『代わりはいくらでもいる』と仰っていたじゃありませんか
今こそその代わりの人材を使えばよろしいのではないでしょうか?」
「がっ……!
お前、そんな……くそっ!!」
この段階まで来て、渡はようやく自身の置かれている現状を把握した。
これまでは何か不都合があれば下の人間に罪を被せてこれたのだが、
今はその生贄に捧げられる人材がさっぱり残っていない。
思い返せば去年あたりから何度かそんな報告を耳にした気がするが、
取るに足らない問題だと判断して対処せずに過ごしてしまった。
そのツケが今、回ってきたのである。
「我々はトカゲの尻尾を切りすぎたんですよ
……ご存じですか?
トカゲは高い再生能力を持っていても、
二度と同じ尻尾は生えないことを……
そして再生には膨大なエネルギーを消費するので、
生涯で1〜2回程度が限界だと云われていることを……」
「ええい、そんな昆虫知識なんぞ今はどうでもいい!!
とにかくなんとかしてすぐに生贄を用意しろ!!
このままだと俺たちは破滅するかもしれないんだぞ!!
もっと真剣になれ!! 自分の仕事をしろ!!」
「トカゲは爬虫類です」
「うるさい!!」
切羽詰まって頭に血が昇っているのか、
それとも昆虫と爬虫類を言い間違えたのが恥ずかしかったのか、
とにかく渡が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
こうなってはもう冷静な話し合いなどできないだろう。
秘書は内心やれやれといった感じにため息を吐き、
静かな場所で打開策を考えるために部屋を出ようとした。
が、渡の不審な行動を目撃してしまったので足を止め、
その行動についての説明を求めた。
「どうして金庫を開けようとしてるんですか?」
「いや、これは……お前には関係無い!!
いいから早く代わりの人材を見つけてこい!!」
明らかに様子がおかしい。
この上司、ついさっき顔を真っ赤にしたかと思えば、
金庫について質問されたら今度は真っ青になった。
ああ、これはそういうことなのか。
秘書は思い浮かべた疑惑をダイレクトに言葉にしてみた。
「もしかして、高飛びしようとか考えてます?
今はやめておいた方がいいんじゃないですかね
下っ端の信者ならまだしも、
幹部ともなると絶対に警察からマークされてますよ
ほとぼりが冷めるまで海外を逃げ回る生活をするより、
国内でおとなしくしていた方が与える印象がよろしいかと」
「ええい、黙れ!!
臆測で物を言うんじゃあない!!
この俺が高飛びなんかするわけがないだろう!!
俺は最古参だぞ!? 魔人会に一番長く在籍してるんだぞ!?
この組織は俺にとって、言わば家族のような存在なんだ!!
家族が大変な時に自分だけのうのうと逃げ果せるなんて事できるか!!」
──羽田空港に到着した渡を出迎えたのは2人の男だった。
彼らは親子ほどの年齢差だが、見た感じ血の繋がりは無さそうだ。
若い方はある種の使命感に燃える青年といった雰囲気を醸し出しており、
ギラついた眼光で周囲の状況を観察している。
渡がどの方向へ走り出してもすぐ捕まえられるように身構えているのだ。
血気盛んな青年とは対照的に、初老の男性は柔和そうな笑顔を崩さない。
だがその瞳の奥に秘めた輝きは青年と同じ種類のものであり、
絶対に悪を許さないタイプの人間であることを証明していた。
彼は胸ポケットから黒い手帳を取り出し、渡に見せつけた。
「渡譲一郎さんですね?
私は警視庁の青木という者です
こちらの若者は新人の長谷川君と言います
以後お見知りおきください
ところで随分と重そうなカバンを持っていらっしゃいますね
これからご旅行ですか?
どちらへ向かおうとしているのか、是非お聞かせ願いたいですね」
ああ、やはり刑事だ。
渡は反射的にその場から逃げ出したい衝動に駆られるが、
長谷川刑事が無言の圧力で退路を塞いでくるので下手に動けない。
しかしこのまま何もせずにいたら計画が頓挫する。
せっかく秘書の目を盗んで空港までやってきたというのに、
ここで警察なんかに構っていたら予約した飛行機に乗り遅れてしまう。
高飛びするなら今しかないのだ。
この機会を逃したら、待っているのは破滅だ。
下の連中が勝手にやらかした件の責任を取らされるのだろう。
最悪、一生檻の中で暮らすことになるかもしれない。
そんなのは真っ平御免だ。
何か、何かこの状況を切り抜ける方法は無いか……
「え、ワタリ……?
人違いですね
私はサトウです
それじゃ急いでるんで、これで……」
渡はシラを切る作戦に出た。
が、長谷川刑事がすかさず進行を阻止する。
「すっとぼけるな!
ほとぼりが冷めるまで海外に潜伏するつもりだったんだろうが、
警察が犯罪組織の幹部をみすみす海外へ逃亡させるわけがないだろう!
匿名の通報が無くとも、お前がここに来るのはお見通しだったんだよ!」
「えっ、匿名の通報!?
誰だ!? 誰がそんな余計なことをしたんだ!?」
「アホか!!
名乗らないから匿名なんだよ!!」
ごく当然の回答をされた渡は思考がフリーズしそうになるが、
なんとか必死に頭を働かせて通報者の特定を試みる。
が、思い当たる人物が全く浮かんでこない。
自分は魔人会の最古参メンバーであり、四天王のリーダー的存在なのだ。
言わば組織のNo.2であり、教祖の次に尊敬されて然るべきだろう。
それを踏まえると、通報したのはまず内部の人間ではない。
すると外部の犯行ということになる。一体誰の仕業なのか……
「渡さん、無駄な抵抗はおやめなさい
衆目がありますし、我々も手荒な真似をしたくはありません
おとなしくご同行していただけませんか?」
「え、いや、ちょっと待ってくださいよ刑事さん
これは何かの間違いなんです
今話題になってるあの映像の存在は全然知りませんでしたし、
沖縄で暴れていたのは八巻が抱えていた信者たちであって、
私とは一切関わりがございません
ですので、あなた方が期待するような情報は持ってないんですよ」
「映像……沖縄……?
ああ、いえいえ違います
我々はその件であなたに会いに来たわけではありませんよ」
「……へ?」
キョトンとする渡。
ニコニコ顔を崩さない青木刑事。
長谷川刑事は軽くため息を吐いた後、強く言い放った。
「渡譲一郎……
お前を贈賄の容疑で逮捕する!」
「えっ、ぞ、贈賄……!?」
思ってもみない角度からの攻撃だった。
贈賄……それは、公務員に金品を与える犯罪行為である。
例えば、“犯罪の証拠を揉み消すために警察上層部に大金を支払う”などだ。
この渡譲一郎という男は、まさにそれを常態的に行なっていたのだ。
「お前のお友達は洗いざらい吐いてくれたぞ
金の流れを追ってみたが、この1年で賄賂の金額が急激に下がってるな?
元お偉いさん方は『娘の電話代にもなりゃしない』と嘆いていたよ
しかし、“金の切れ目が縁の切れ目”とはよく言ったもんだ
もうお前を庇ってくれる者はどこにもいない……おとなしく観念しろ」
「なっ……!?
そんな、まさか、そんな……!!」
まずい。非常にまずい。
協力者が逮捕されたとなると、もう犯罪の証拠を揉み消せなくなる。
それどころか過去に犯した数々の悪事もじきに暴かれてしまうだろう。
そうなれば残りの人生を牢屋で過ごすことになる。
嫌だ。そんな惨めな思いは絶対にしたくない。
と、気がつけば渡の足は勝手に動いていた。
こんな所で捕まるわけにはいかない。とにかく逃げなければ。
どうにかしてこの場を乗り切って、顔と名前を変えてやり直すんだ。
今までより生活の質は落ちてしまうだろうが、それも仕方ない。
車は乗れればそれでいい。1000万円くらいの安物で我慢しよう。
時計も時間の確認さえできれば300万円程度の安物で構わない。
スーツも、靴も、酒も、これからは全て安物で賄うことになるが、
なんの楽しみも無い獄中で惨めな思いをさせられるよりは、
ある程度の自由が許される貧乏暮らしで妥協した方が断然マシだろう。
……が、渡にそんな甘い未来は訪れなかった。
逃げようとした彼を取り押さえたのは若い長谷川刑事……ではなく、
ベテランの青木刑事が魅せた巧みな柔術であった。
その顔からは先程までの柔らかい笑みが消え失せており、
氷のような眼差しと抑揚の無い口調が、無機質なロボットを思わせる。
「無駄な抵抗はしないようにお願いしたでしょう
結局、手荒な真似をしてしまったではありませんか
……長谷川君、権利の読み上げをどうぞ」
「あ、はい……!
渡譲一郎!
お前には黙秘権がある!
それと、弁護士を呼ぶ権利もな!」
渡は組み伏せられた体勢のまま、ガクガクと震え上がった。
逮捕。自由の無い生活。人生の終わり。完全なる破滅。
これからその身に降りかかるであろう試練の日々を想像すると、
いっそこの瞬間に心臓麻痺でも起こってくれればいいとさえ思った。
と、窮地に追い込まれた渡だが、ここで名案を閃く。
「そっ、そうだ!!
金!! 金をやる!!
お前たちにも賄賂を約束するから見逃してくれ!!
いくら欲しいんだ!? 必ず用意するから、頼む!!」
渡が見出した最後の悪あがきは……贈賄。
今まさにその罪で逮捕されるという場面で、
新たに同じ罪を重ねて刑事たちの度肝を抜いたのだ。
贈賄罪は実際に金品のやり取りが行われなかったとしても、
それを約束したり、ただ申し込むだけでも成立する犯罪なのである。
青木刑事は渋い表情の長谷川刑事と顔を見合わせた後、
再び無機質な口調で容疑者に語り掛けた。
「……渡さん
警察官には2種類の人間がいるんですよ
悪い警察官と、普通の警察官です
あなたはこれまで悪い方としか接してこなかったので
金さえ積めばどうにかなると思っていらっしゃるのでしょうが、
それが通用しない相手もいるということをご理解していただきたい」
渡はもう何も言えなかった。
ここから逆転できる方法は何も無い。
この先待ち受けているのは地獄だ。
消えてゆく。
これまで築き上げてきたものが、全て。
社会的地位。信用。貯金。豪邸。高級車。時計。スーツ。靴。
何もかも暗闇に吸い込まれてゆく。
無くなる。失う。奪われる。
未来が。
渡はただ口をあんぐりと開け、大粒の涙をボロボロと流した。
「……さあ、参りましょう」
青木刑事は容疑者をパトカーに乗せ、隣に座った。
渡譲一郎。
魔物の人権を守る会の最古参メンバーにして四天王の1人。
教祖とは旧知の中であり、唯一の友と言える存在。
組織のNo.2として君臨し続けてきた男が今、表舞台から姿を消した。




