分岐点
生徒会室には生徒会長の並木美奈と副会長の進道千里、
主任訓練官の内藤真也、状況悪化の原因である峯岸来夢、
そして秩父の現状を伝えにやってきた客人が集結していた。
「僕は静岡を主戦場に活動している野良冒険者の恩田だ
単刀直入に言うと、現場は今かなりまずいことになっている
“関東魔法学園の有馬君”がテレビで余計な情報を喋ったせいで
近隣住民の不安を煽った結果、魔物を活性化させてしまった
それでもなんとか聖域周辺の封鎖を維持できてはいるけど、
連日の戦闘により冒険者たちの疲弊は大変著しく、
防衛線が決壊するのは時間の問題とみている」
「それは本当にかなりまずいですね……」
「こりゃまた人員を追加してやらないとな」
「それが本題なんだ
僕らの士気はもうほとんど残っていない
一般市民を守るために身を削って事態の収拾に尽力しているというのに、
安全圏にいる同業者から『底辺の人』扱いされたらたまったもんじゃない
たしかに僕らは『ちゃんとした魔法学園で訓練を受けてこなかった』けど、
それでも誇りを持って冒険者の使命を果たそうと努力してきた
なのに、その誇りを侮辱されたんだ
ただでさえ人手不足の現場から辞退者が続出してしまうのも無理はない」
「ええ……現場を放棄するなんて無責任な連中っすね」
「峯岸お前は黙ってろ殺すぞ」
「僕のチームも近いうちに地元へ帰る予定だけど、
その前に後任への引き継ぎをきちんと済ませておきたい
……峯岸君、君は『いざとなったら俺の出番』と言っていたね?
今がその時なんだけど、僕ら底辺の人の代わりに戦ってくれるかい?」
「…………」
峯岸は何も答えない。
だが決断を迫られて悩んでいるという様子ではなく、
ひょっとこみたいに口をすぼめており、目が笑っている。
ああ、こいつは黙ってろと言われたから黙っているのだ。
残念ながら世の中には彼の同族が一定数存在している。
他人をおちょくることでしか自尊心を保てない悲しい生き物が。
「真面目な話をしてんだよ、答えろ」
峯岸の体が燃え上がり、「ギャアアアアア!!」と
けたたましい悲鳴が室内に響き渡った。
「──いや、急に戦えとか言われても困るんでパスします
俺は冒険者であると同時に高校生でもあるんで、
学業に専念しなきゃいけないんすよね〜
来月には期末テストもあるし、勉強で忙しいんで無理です
あー、テストさえ無けりゃ代わりに戦ってあげられたのになー」
と、ろくにテスト勉強をしたことのない彼が答える。
なんと白々しい。どうせ口先だけだと皆わかっていた。
それ以前に彼は退学済みなのでテストの心配など不要なのだが、
どうやら本人はまだ学園に残れると思い込んでいるようだ。
「峯岸君
君に戦う意志が無いのはよくわかった
実力不足の君には無理だから仕方ないし、それを責める気は無い
ただ、状況悪化を招いたあのテレビでの発言について、
非を認めて誠意ある謝罪をしてもらえないだろうか?
それで全ての問題が解決するわけではないけど、
いくらか現場の士気が回復するのは確実だ」
「いや〜、問題が解決しないんじゃ謝る意味無いっすね
つーか俺に責任押しつけんのやめてくれません?
現場が大変なのはあんたらの実力が足りないせいでしょ?
俺たちが作戦に参加してた時は何も問題無かったのに、
あんたらに任せたらこれだもんなあ
やっぱり俺の言ったこと間違ってないじゃん、ってなるよね?」
「まだ減らず口を叩くのか……
もう充分だろう、そろそろ真剣になってくれ
君は今、運命の分かれ道に立っているという自覚を持つべきだ
このまま一生誰からも嫌われ続ける人生を送るか、
それよりはマシな生き方を目指すか……」
「ブハァ!! アッハハハ!!
運命の分かれ道!! 運命の!! 分かれ道!!
底辺の生き方しかできなかったザコが人生語っちゃうんですか!?
俺より先に生まれたってだけで偉そうにしないでくださいよ〜!!」
「もう一度言う
真剣になってくれ
君はただ一言、現地の人たちの前で謝るだけでいいんだ
せめて体力も魔力も尽きかけている僕らに、
あと数日だけ戦い抜くための精神力を補充させてくれよ」
あと数日……思っていた以上に短いタイムリミットだ。
現場はそれだけ逼迫しているということであり、
一刻も早く追加戦力を確保しなければならない。
と、窮状が充分に伝わったところで峯岸は、
「言葉一つで頑張れるなら自分で言ってりゃいいじゃないっすか
気合いでどうにかできるなら最初からそうすりゃいいでしょ?
それってつまり今まで手抜いてたってことになりませんかね〜?
冒険者の仕事ナメないでくださいよ先輩〜」
絶対に謝ることができない悲しい生き物であった。
翌日、聖域を封鎖中の冒険者たちは余すことなく撤退を開始した。
これにより村、里、集落の住民たちも一部を残して現場を退く形となり、
今後は山地を取り囲む各町を防衛拠点として利用するそうだ。
既に自衛隊の方々が動いており、町民の避難に取り掛かってくれている。
もし峯岸が素直に謝っていたとしても、この状況は避けられなかっただろう。
ただ望まぬ予定が数日分前倒しになっただけだ。
その数日があればどれだけの準備をできたか計り知れないが、
今更何を言ったところで事態が好転するわけではない。
戦場の拡大。
これから秩父山地の大部分が魔物に汚染される。
先月の戦いが全て無駄になったのだ。
学園の会議室では緊急会議が行われており、
内藤訓練官の灰皿には吸い殻の山が出来上がっていた。
落合訓練官は時折チラチラとスマホに目を移し、
おそらくニュースサイトをチェックしているのだろうと思われる。
その場には生徒会コンビの2人だけでなく他の3年生も在席し、
2年生からも数名が代表として参加していた。
「現場の人手不足は深刻だ
最初から作戦に参加していた者たちは全員撤退、
増援した300人も今や100人程度しか残っていない
戦場が広がったぶん敵が分散してくれるのはありがたいが、
全域をカバーできるだけの人数を揃えないと
どこかしら魔物が町に侵入し、更なる混乱を招くだろう
今はとにかく戦闘員の確保が最優先事項だ
意見を出してくれ」
「手っ取り早いのは、再び魔法学園の生徒を投入することですね
今回は東京魔法学園にも協力してもらいましょう
質より量を求められている状況ですから、
人数だけが取り柄の彼らがようやく輝ける時だと思います」
「うむ、早速職員に手配させよう」
「戦力としてはあまり期待できませんが、
ティルナノーグの住民に協力を仰ぐというのはどうでしょう?
現在の人口が500人として、その半分でも動員できれば
防衛網の隙間がだいぶ埋まるはずです」
「なるほど、彼らか……
主力にはなり得ないが、歩哨任務ならこなせるだろう
それに去年の一件で俺たちに大きな借りがある
恩を返してもらうにはいい機会だな」
「ティルナノーグの高齢冒険者たちだけでなく、
中間層にターゲットを絞って募集をかけるのはどうですかね?
具体的には“免許は持ってるけど冒険活動はしてない冒険者”です
例えばピークを過ぎて魔法を使えなくなった人とか、
怪我の治療でしばらく現場を離れてた人とか、
そういう仕事探しに困ってる層ならすぐに集まりそうだし、
高齢者よりはまだ戦力として期待できるかと」
「良い案だ
それもすぐに手配しよう」
「あ、僕たちに借りがある人たちといえば、
新宿のヤンキー軍団がいたじゃあないか
名前なんだっけ……まあいいや
あそこのダンジョンは完全に消滅したんだし、
もし手が空いてるなら加勢してもらいましょうよ」
「東京十字天使軍だったな
彼らが味方についてくれれば心強い
早速近況を確認してみよう」
こうして彼らは約3時間に亘って話し合い、
建設的な意見を積み重ねていった。
その結果……
「東京魔法学園からは1名、
ティルナノーグからは25名、
ペーパー冒険者が50名、
以上が外部からの参加者となる」
「「「 少なっ!! 」」」
「先生、どういうことですか?
東京魔法学園の生徒はどうしてそこまでやる気が無いんですか?
関東の10倍以上の人数を抱えてるのに、たった1人って……」
「まあ、なんというか……
あそこの連中は“東京”のブランドに酔っているからな
奴らの感覚だと、東京以外で活動するのは田舎者だけなんだそうだ
今回の現場は埼玉の山奥……そういうことだ」
「そんな、新宿テロの時にも来なかった癖に……」
「あいつらの管轄は千葉だからな
それ以外の場所で活動するかどうかは個人の自由だ」
「その自由参加の1人って、やっぱり山口君ですか?」
「ああ、あいつ1人で東京の生徒100人以上の働きをしてくれるだろう
質より量が欲しかったが、まあ結果オーライだ」
「他の参加者が少ないのはどうしてですか?
合わせて100人未満というのはあまりにも……」
「単純な話、命が惜しいからだろうな
お前たちは多くの経験を積んで感覚が麻痺しているのだろうが、
今回流出している魔物は平均的な冒険者にとってはどれも強敵だ
詳細を聞いて怖気付いてしまうのも無理はない」
「ヤンキーの人たちが1人も参加しないのは同じ理由ですか?」
「いや、彼らはあの戦いの後にチームを解散したらしい
元リーダーの2人が今どこで何をしているのかは調査中だ
まあ見つかったとしてもチームを再結成させるのは難しいだろうな」
結局、この会議で人手不足を解消することはできなかった。
東京以外の魔法学園から参加する生徒の合計は120名であり、
前回出動した際の半分程度まで減少している。
総勢297名。
それが現在揃えられた冒険者の人数である。
会議が終わり、並木美奈は議事録を抱えて生徒会室へ向かっていた。
友人たちは電話応対から解放されたいのか運ぶ手伝いを申し出たが、
今は1人で考えたいのでそれを断った。
果たして300人にも満たない少人数で事態を収拾できるのだろうか。
まあ、それはあくまで現在の冒険者だけに限った人数だが。
村人や自衛隊の方々を含めれば1000人以上の戦力はあるだろうし、
後々また増援があればギリギリなんとかなりそうではある。
問題はそれまでどう持ち堪えるかだ。
前回の出動と決定的に違う点は、流出の件が一般人に知られたことだ。
近隣住民は不安や恐怖を覚え、声の大きい部外者が憎悪を叫び、
人々が抱える負の感情が連鎖して混沌を生み出し、秩序を乱す。
今回はハードモードでの開始となるのは間違いない。
……と、そこへ目障りな人物が話し掛けてきたので
思わず眉をしかめ、チッと舌打ちする。
「峯岸……
なんであんたがここにいんのかねぇ?
部屋にあった荷物は全部処分したんでしょ?
もうこの学園に帰る場所なんて無いんだから諦めなさいよ」
「いや〜、荷物は副会長に燃やされないように、
一時的に避難しただけなんで安心してください!
それより会長〜、
上の連中に退学取り消すように頼んでくださいよ〜
このままだと俺、中卒になっちゃうじゃないっすか〜
それじゃ困るんでお願いしますよ〜!」
「……っ!!」
並木美奈は目をカッと見開き、平手を振り上げた。
すると峯岸は反射的に顔を庇い、半笑いで相手の表情を覗き込む。
所詮は女の平手打ち。もしノーガードで喰らっても痛くはない。
それよりこの状況をどうしてくれようか。反撃するか?
先に手を出してきたのは向こうだ。反撃してもいいだろう。
正当防衛だ。女だから反撃されないとでも思っているのだろうか?
甘い甘い。これは二度と男に逆らえないように教育する必要があるな。
……などと考えていると、峯岸は脳天を貫かれたような衝撃を受けた。
その衝撃の発生源は頭部ではなく、ガラ空きの股間から来るものだった。
金的。
ほとんどの格闘技で禁止されている危険行為ではあるが、
これはボクシングやレスリングなどの試合ではない。
魔法能力者同士による暴力行為は全て訓練の一環と見做されるので、
つまりこれはただ先輩が後輩に稽古をつけてあげただけである。
その場に転がるように倒れ込んだ峯岸は地獄の苦しみに悶絶し、
芋虫のように這いずり回って汗、涙、涎、その他の体液を撒き散らす。
そして“人は気絶する直前に視界から色が消える”と学習し、
関東魔法学園の敷地外へ放り出されたのであった。
後日、空き教室で発見された峯岸の荷物は全て焼却炉で燃やしました。