遭遇
聖域を目指す東軍はその後順調に深い森を突き進み、
翌日の夕方には第二の防衛拠点を築いて12名を配備した。
人員の内訳は全て2年生。
これで半年前にプロライセンスを取得したばかりの
ひよっこ冒険者を使い切ることになる。
監督として誰か大人を残すべきか検討したが、
聖域に近づくにつれて戦闘が激化するのは明白であり、
この場に熟練者を残すのは悪手という結論に至った。
「本当に僕たちだけで大丈夫かなあ……
内藤先生、せめて3年生が1人いるだけでも
だいぶ不安が解消される気がするんですが」
「悪いな、山田
敵戦力を把握できていない以上、主力は温存しておきたい
心細いだろうが少しの間だけ辛抱してくれ
戦況を見て、余裕があると判断すれば人を寄越すつもりだ」
「もし誰も来なかったら、余裕が無いってことなんですね……」
「そういうことになるな
だが、そこまで心配する必要は無いぞ
地図によると、ここから南は断崖絶壁になっているようだ
その方角から敵が攻めてきたとしても、高低差で落下死するだろう
飛行能力を持つ魔物は別だが、精霊系やフライングデビル程度なら
今のお前たちにとってはもう脅威ではないはずだ」
「それくらいなら、まあ」
「北方向への警戒も少し緩めて平気だろう
東軍と西軍は左右から防衛拠点を築き上げながら目標地点を目指し、
北軍は横一列に広がり足並みを揃えて南下している
自然と挟み撃ちの形となり、中心に楔を打ち込める陣形だ
そして俺たちは視界に入った魔物を全滅させながら進んできたのだから、
ここより東側に存在する脅威は野生動物くらいなものだ」
「残るは西ですが、これから主力部隊が向かうので
そちらもあまり気にせずとも大丈夫……って、あれ?
これだと全方位安全ってことになりません?
戦闘の可能性が低い場所に拠点を設ける意味ってあるんですか?」
「この拠点は言わば補給基地だ
第一と第三の物資が不足しないように管理するのが主な役割となる
南に天然の防壁があるのはさっき伝えた通りだが、
北の町との距離が近いという大きな利点もある
この地形的有利を利用しない手はない」
「僕たちは補給部隊……
責任重大だなあ……」
「よくわかってるじゃないか
まあ、いざとなったらこの拠点は放棄して構わない
その場合は第一拠点まで撤退し、補給は忘れて防衛だけに専念しろ
あそこが東軍の最終防衛ライン……最も重要な“最後の砦”だ
絶対に東の町へ魔物を流出させるな」
山田は質問しようとしたが、言葉を飲み込んだ。
『その場合』とは、対処できないほどの魔物に襲われた場合だ。
あり得る可能性として最も高いのは西からの襲撃。
それはつまり第三拠点で討ち漏らした魔物、
あるいは拠点が決壊したせいで流れてきた魔物ということになる。
熟練者が対処できなかった相手を自分たちがどうにかできるのだろうか?
そう考えると更にプレッシャーがかかるが、覚悟しておくしかない。
緊急事態に対するマニュアルはある程度用意されているが、
いくら手順を守ったところで必ず上手く行くという保証は無い。
今回の任務も手探りであり、先生方も最適解を知らない状況で戦っている。
有事の際、冒険者に必要とされるのは体力や魔力だけではない。
状況に合わせて臨機応変に対応できるアドリブ力。
そういった数値化できない能力も求められる業界なのだ。
翌日、午前6時に主力部隊が西へ向けて出発し、
第二拠点には予定通り12名の2年生が配備された。
拠点に留まる、といっても全員がその場でじっとしているわけではない。
北東西の方角へ各2名ずつ哨戒に当たらせ、3時間毎に交代する流れだ。
襲撃を受ける可能性が低いとはいえ、絶対に無いとは言い切れない。
安全は確保するだけでなく、その状態を維持させるのが大事である。
「それにしても絶妙なタイミングで起きたよねぇ、緊急事態
長期滞在訓練のために準備してた保存食がここで役立つとは」
「あ、そっか
本当なら私たち今頃ダンジョン内で寝泊まりしてたんだ
これで訓練チャラになってくんないかな〜
状況は違うけど、それなりに厳しい環境で野宿したんだからさ」
「さすがにチャラにはならないんじゃないかな?
厳しいって言っても一部地域の虫が酷かったくらいで、
ここら辺は防護服無しでも全然歩き回れるからね
秩父の大自然をゆったり感じられてキャンプに来た気分だし、
これじゃ僕たちの訓練にはならないでしょ」
「ぶー、だめかぁ
まあキャンプ気分ってのは同意だけどね
1ヶ月も魔物が流出してたにも関わらず町で混乱は起きてないし、
主戦場近くの村人は謎の戦闘民族でかなり強いらしいし、
もしかしたらこれって今までで一番気楽な緊急事態じゃない?」
「気楽かあ……
うん、たしかにそんな感じはするよね
だからこそ油断大敵だよ」
「と、仰いますと?」
「なんたって、この班のリーダーはこの僕だよ?
しかもまたくじ引きで決まったんだよ?
そして保護者不在の12人パーティー……
どうしても進級試験での戦いを思い出しちゃうよ
何が起きるかわかんないし、緊張感は保っておかないと」
「進級試験……ああ、あったねえ
あの時はバルログ2匹から挟み撃ちにされて生きた心地がしなかったよ
だけど、そんな絶望的な状況でもなんとか切り抜けられたんだよね
これも優秀なリーダーがいてくれたおかげかな?」
「え?
いやいや、優秀だなんてそんな……
僕はただ生き残ろうと動いてただけで……」
「あの時の山田君、ちょっとカッコよかったよ?
ほら、『俺がみんなを守る!』とか言って、
単身でバルログに立ち向かっていったりさ」
「いやいやいや!!
僕はそんなキャラじゃないから!!
一人称からして絶対に違うから!!
勝手に武勇伝を捏造しないで!?」
「あっははは!
それでこそ山田君だ!」
「からかわないでよ、も〜……」
午後5時、第二拠点に思いがけない来客が訪れる。
峯岸来夢。
先日、野生の猪に石を投げたアホである。
「え、峯岸君?
まさか第一拠点で物資が不足してるの?
いや、さすがにそれはまだ早すぎるか……
とにかく緊急の連絡なんだよね?
向こうで一体どんな問題が起こったの?」
ここは補給基地であると同時に情報の中継地点でもある。
狼煙を上げれば第一拠点と第三拠点がお互いの状況を知ることは可能だが、
信号の専門的知識に乏しい彼らがやり取りできるのは
『良い』か『悪い』くらいなもので、詳細までは伝えられない。
そのため、何か問題があればこのように足を使うしかないのである。
「いや、まあ問題発生ってわけじゃないんだけど……
近くまで来たからふらっと立ち寄ってみたんだ」
「んん?
近くまで?
いや、何言ってんのさ
拠点毎に行動範囲を決めてあるよね?
勝手に持ち場を離れちゃまずいんじゃないの?」
「いや、一緒に哨戒してた奴には俺がここに来るのは言ってあるから、
そいつが上手いこと説明してくれてると思う」
「ん……?
だからつまり、峯岸君は哨戒任務を放っぽり出してきたんだよね?
それって勝手に持ち場を離れたってことでしょ?」
「いや、だから俺がここに来ることはちゃんと伝えたし、
持ち場がどうこうって話はもうやめようぜ」
「うわあ」
なんて自分勝手な奴だ。
こんなちゃらんぽらんな奴でも貴重な戦闘員の1人であるというのに、
今は作戦行動中だという意識が著しく欠如している。
「……それで、ここに来た目的は何?
道中の魔物をあらかた排除済みとはいえ、
普通に歩くだけでも何時間もかかるよね?
ふらっと立ち寄るにしては距離がありすぎるよ」
「いや、まあなんつーか……
向こうは男ばっかでつまんないんだよな
それに比べて、こっちの半分以上は女じゃん?
どうせなら華のある方で過ごしたいと思うのは当然だろ?」
「なんだそのくだらない理由は……
峯岸君、僕たちは遊びに来たわけじゃないんだよ?
そりゃここまでは比較的安全で気が緩むのはしょうがないけど、
今は緊急事態への対処中だということを思い出してほしい
聖域へ向かってる先輩たちは今、間違いなく戦ってるんだ
僕たちも自分のやるべきことに責任を持とうよ」
「いや、責任とか重いこと言うなよ
この先で先輩が戦ってようが、そんなの俺たちには関係無くね?
ここまでは安全なんだからそれでいーじゃん
せっかくの屋外活動なんだし、お前ももっと楽しめよ」
「うわあ」
午後6時。
峯岸に持ち場へ戻るよう説得したが聞き入れてもらえず、
結局彼はこの第二拠点で一夜を過ごすことになった。
この状況を第一拠点に知らせに行くのはやめておいた。
既に日は落ちており、色濃い雲に月明かりを遮られて暗さに拍車がかかる。
せっかく大自然の中だというのに星空が見えなくて残念だ。
夜の森とはこんなにも暗い……いや、黒いものなのか。
火を手に入れる前の人類はどう生きていたのだろうと思いを馳せる。
「えっ、今から仕事すんの!?
もう真っ暗だし、それに俺は第一のメンバーだぜ?
なんで第二の仕事を押しつけられなきゃなんないの!?」
「あのね、峯岸君
なにも今から哨戒してこいとまでは言わないからさ、
せめて神崎さんの護衛くらいはしてもらえないだろうか?
彼女は今、第一拠点に君の無事を知らせようとしてるんだ
本当は北軍の進捗を確かめるのに使わせたかったんだけどね……」
神崎久遠の特異能力、“念力”。
それは手で触れずとも物質を動かせるという非常に貴重な能力である。
ただしパワーは微々たるもので紙切れ1枚を操る程度しかできないが、
今はその紙切れ1枚さえ動かせれば充分な状況であった。
彼女は式札に現状を書き記し、第一拠点に向けて送り出したのだ。
「この暗闇の中じゃ第一拠点のみんなも下手に動けないだろうし、
僕も仲間に危険な行動をさせるつもりは無い
そこで神崎さんの出番だ
この方法なら何時間も悪路を歩かなくていいし、
もし敵に襲われたとしても被害は式札1枚だけで済む
安全ではあるけど遠隔操作には相当な集中力を要するから、
本体が無防備になっちゃうのが弱点なんだ
だから護衛が必要になる……それは理解できるよね?」
「え〜、でもそいつ第二のメンバーじゃん
第二の連中で護衛すんのが筋ってもんじゃねえの?」
「あれ、僕の話を聞いてなかったのかな?
本当は別の目的で念力を使わせる予定だったのに、
君が押しかけてきたせいで仕方なく予定変更したんだよ?
その埋め合わせくらいはしてもらいたいんだけどね?」
「いや〜、パス!」
「うわあ」
どうしてこんな奴が同じ学年にいるのだろう。
この様子だと、彼は嫌なことから逃げ続けて生きてきた男だ。
進級するには実戦だけでなく筆記試験もクリアする必要があった。
だが、どう見ても彼は真剣に勉学と向き合えるタイプではない。
採点が甘かったとはいえ、テストの結果は公正だったはず。
……テストの結果は。
(あっ、学園長の一存……!)
峯岸来夢、元1年1組。
彼は素晴らしき才能の持ち主として、
VIPクラスに在籍していた生徒の1人であった。
その才能の正体は未だ不明だが、学園長から期待されていれば
どんなクソ野郎であっても学園に留まることができるのだ。
午後7時、神崎はまだ式札の遠隔操作に集中している。
早乙女と望月を護衛に就け、板倉、高崎、立花は3方向の監視を担当、
残り6人は夕飯のカレーライスを調理し、峯岸は何もしなかった。
「まあ、レトルトなんだけどね」
「それでもいいんじゃない?」
「こーゆーのは気分が大事だからね!」
「電子レンジじゃなくてもご飯って温められるんだなぁ」
「あんたは今までどんな食生活してたのよ……」
「とにかく食べよ食べよ!」
和気藹々と着席する面々の横から、先に座っていた部外者が不満を漏らす。
「え、福神漬け用意してないの?
カレーには絶対必要だろ……
つーか、ラッキョウすら持ってきてないとかあり得ないでしょ
お前らには日本人としての常識が備わってないのかよ」
「「「 うわあ 」」」
そんなやり取りをしていると、北の方角を見張っていた板倉が
大慌ててで本陣まで駆け戻ってきた。
「みっ、みんな!!
あれを、あれを見て!!」
何事だろう。
板倉は木の上辺りを指差し、その顔は恐怖で引き攣っている。
おそらくそれは魔物を見た時の表情ではない。
一般的な都会の冒険者が恐れをなしてしまうような得体の知れない相手。
即ち、初見の野生動物。
「……?」
だが、目を凝らしてみても木の枝のそれはよく見えず、
ただその場所に何かがいるという情報しか把握できない。
「え、なんだろう
鳥……かな?」
「鳥なら目が光るんじゃない?
なんか羽が生えてる感じはしないし、別の生物だと思う」
「……って、1匹だけじゃないよ!
よく見たらうじゃうじゃいるじゃん!」
そう、それは木の上から山田たちを見下ろしており、
気がつけば北だけでなく東西の木々にも存在していた。
木の上だけではない。
その集団は地上をのそりのそりと歩き、顎を掻いたりしながら
こちらの出方を見定めている様子だった。
その器用な前肢の使い方はもはや前足の次元ではなく、
手と呼んでも差し支えなかった。
「「「 猿だーーー!!! 」」」