筋肉は1日にして成らず
“愛と勇気とプロテイン!! 〜輝け真夏の大三角筋〜”
8月に開催された某MMORPG内のイベント名である。
ジャンルを問わず様々なオンラインゲームが
水着姿の美少女キャラを前面に打ち出して夏感を演出する中、
当ゲームでは完全にその真逆の方向へと振り切り、
登場するNPCのほぼ全てが海パン姿のマッチョ男という
暴挙としか思えない行為に出たのだった。
しかも実在するボディービルダーがNPCとしてゲスト出演し、
有料級の筋トレ講座を開催するというサプライズが用意されており、
実質、これが初めてのコラボイベントである点も話題になった。
暑苦しいキービジュアルのせいでイロモノイベントかと思いきや
仲間たちと力を合わせて巨悪を討つ王道ストーリーが高く評価され、
人気のショタ系美少年キャラの顔以外のパーツがムキムキになって
全国の腐女子たちを絶望させたりと、大きな盛り上がりを見せた。
そしてプレイヤーたちを最も刺激したのは、新職業の格闘家だろう。
つい最近無法者が実装されたばかりなのに、
もう次の職業が実装されたのだ。
最新の職業にしてはなんともシンプルな名前で、
字面から性能を想像しやすい。
実際、想像通りに拳で戦う前衛職であり、
強力な武器を持てない代わりに身のこなしが素早く、
至近距離で連撃を叩き込むのが基本的な使い方らしい。
プレイヤーたちは思った。
弱い、と。
「なんというか……中途半端だよね
装備のリーチが短いって大きなデメリットがあるのに
剣闘士の攻撃力には遠く及ばないし、
暗殺者ほどのスピード感があるわけでもない
前回で調整ミスったから慎重になってるのかな?」
「それに拳で戦う前衛って……なんだかすごく既視感あるなあ
初期に実装されててもよさそうなのに、今更感が強いよね」
とまあ、軽く10分ほど試した感触はそんなものだった。
だが、その評価はすぐに覆る。
「おっほほほほほほ!!
ヤッバ、これヤバいって!!
最強……ううん、神だわこれ!!
本当にこの調整で合ってるぅ!?
また下方修正されちゃったりしない!?」
「早苗……?」
港区女子の2人は新職業の性能を確かめるため、
早苗はコンセプト通り近接戦闘メインのコンボ型、
ユキはテクニカルな立ち回りができるチャクラ型を担当した。
そしてどうやらコンボ型の方は大当たりだったようで、
廃プレイヤーの彼女に『神』とまで言わしめるレベルらしい。
「その、横から見ててもよくわかんないんだけど……
普通に敵を殴ってるだけだよね?」
「チッ、チッ、チッ
違うんだなあ、それが
ユキも実際に使ってみればわかるよ」
「???」
と、一時的に席を交代してユキにコンボ型を体験させたのだが……
「やっぱりわかんない」
彼女にはその素晴らしさが理解できなかったようだ。
「ん〜……
そうじゃなくて、使い方が違うんだよね
敵をロックオンして自動攻撃じゃなくて、
手動操作することで真価を発揮できるの」
「へえ、手動で……」
ヒントを得たユキは再び試してみるが……
「ギブアップ!」
彼女にはそれを使いこなせなかった。
自分の席に戻った早苗はコンボ型の強さを証明するため、
キャラ作成してからまだ30分しか経っていない格闘家を
適正レベル70程度の上級狩場へと移動させた。
「えっ、さすがに無理でしょ
しかも初期装備のままって……」
「まあまあ、いいから見ててよ」
なぜ早苗がそこまで余裕でいられるのか、ユキには理解できなかった。
カタログスペックだけで評価したのではなく実際に使用してみた結果、
格闘家は微妙な前衛職だと判断せざるを得ない。
攻撃力は剣闘士以下、素早さは暗殺者以下、HPはそこそこ高いものの
盾を持てず、体にはローブ系しか装備できないので防御力が低い。
これでは神どころか紙である。
※紙装甲の意。耐久面が薄っぺらいキャラクターを指す用語。
早苗はその紙キャラをモンスターと戦わせ始めた。
相手はリザードマン。
純粋に前衛能力が高く、わかりやすい脳筋タイプの敵である。
対してこちらは初期装備の低レベルキャラ。
戦う前から勝負は見えている。
さて、何秒で蒸発させられてしまうのか……
……。
…………。
「……え?
あれ、なんで?」
ユキは目を疑った。
どういうわけか、早苗が操作している格闘家はまだ生きている。
それどころかHPは満タンのままであり、1ダメージも喰らっていない。
更に、格上のリザードマンが一方的に殴られっぱなしではないか。
本来なら剣をブンブン振り回してくる相手がほぼ棒立ちの状態だ。
これは不具合の類だろうか?
「わかる!? わかるこれぇ!?
たぶん内部で“怯み値”みたいのが設定してあって、
格闘家はその数値にダメージを与えられるんだよ!
それが一定量を超えると敵の行動がキャンセルされて、
結果的にこんな風に“ハメ”が可能になるんだと思う!」
「え、いや、ええ……
私の時はそんな現象起きなかったよ?」
「そこがミソ!
適当に殴ってもちょっとしか怯み値が蓄積しないから、
相手に適したブローを与えて弱らせる必要があるの!
ただし同じブローを使い続けるのもNGで、
状況に合わせて的確に使い分けなきゃならないの!」
「操作が忙しそう」
「そりゃ忙しいけど、ハメが成立すればご覧の通り、
レベル30の初期装備でも格上相手にノーダメだよ!」
「そういや早苗は普段から3PCを同時操作してるし、
マルチタスクの処理能力が高かったね」
「それだけじゃなくてタイミングも重要!
相手の行動に合わせてジャストアクションが成功すれば
必中且つ防御無視のクリティカルダメージを与えられたり、
カウンターからの派生コンボに繋げられたりするんだよ!」
「それはすごい……んだろうけど、
アクション慣れしてない人には難しいよね
早苗はムエタイの天才だったらしいから、
そういうセンスに恵まれてて使いこなせそうだけどさ」
「あっ、それでかなー!?
まさかここでその設定が活きるとは思わなかった!!」
「自分で設定とか言っちゃったよ」
例の新要素の存在はネットの匿名掲示板でも騒ぎとなっており、
“崩し値”や“ピヨリ値”など、まだ正式な名称は定まっていない。
ただ、この時点で『格闘家だけは別ゲー、略して格ゲー』
という一文が投稿され、後にそれが今年のネット流行語大賞にまでなる。
格闘家の強さに気づいたプレイヤーたちはこぞって研究にのめり込み、
コンボレシピの開発に精を出すのであった。
公式はなぜこの新要素をイベント初日に発表しなかったのか、
その真相が翌日のお知らせで明らかになった。
彼らはユーザーの力量、集合知を見誤っていたのだ。
実装からしばらくは微妙な職業だと認識させておいた後に
『実は使いこなせば強い』という感動を与える予定だったのだが、
まさか実装初日にカラクリを見破られるとは思っていなかったのである。
そして、もう隠す必要が無いと判断して発表された内容は、
コンボ型は上級者向け、チャクラ型は初心者向けというものだった。
それは単純にゲームキャラとしての使いやすさという点だけでなく、
完全に使いこなすにはリアルマネーが必要になるという意味も含む。
PCのスペックや通信環境によってはジャストアクションが成功せず、
上手くコンボが繋がらないという状況もあり得るのだ。
そればかりはプレイヤーの腕だけでは対処し切れない問題であり、
それなりの設備を用意しなければならない。
まあ、タワマン最上階民の早苗には無縁の悩みだが。
「そういやチャクラ型ってどんな手応えだったん?
結局昨日は1日中コンボ型で遊び倒しちゃったし、
掲示板でもあんまり話題になってないよね」
「チャクラ型はゲージを溜めて強力なオーラ砲を放ったり、
移動できなくなる代わりに一定時間無敵になれたり、
状況に合わせて一点特化の活躍ができる感じだね
ソロよりパーティー向きな性能だと思う」
「ふーん、そんな感じね
まああとで自分でも試してみるけど、今はやっぱコンボ型よ
久々に……いや、初めてこれだと思える職業と出会えたかもしんない
今までメインで使ってたのは雑に強い剣闘士だったけど、
これからは格闘家が私の生きる道になるかもね」
「そこまで気に入ったんだ
早苗に運命の出会いがあって何よりだよ
……さて、私はそろそろ補習に行ってくるね
本当は行きたくないけど、退学にはなりたくないし」
「毎日が夏休みの私とは違って大変だねえ
とりあえず新キャラ育成するついでに露店見張っておくね」
※露店……商人のスキル。
手持ちのアイテムを任意の価格で他プレイヤーに販売できる。
長時間席を離れる時などに設定しておくと効果的。
「うん、よろしく
それじゃ行ってきまー」
「いてらー」
──補習時間にバッチリ睡眠を取ったユキは訓練棟へと足を運び、
ランニングマシンのスイッチを入れて走り出す。
彼女も年頃の少女であり、これ以上はまずいと危機感を抱いているのだ。
ネトゲと運命の出会いをしてからだいぶ太ってしまった。
楽しい時間は毒になる。それがわかっていてもやめられない。
だが、どこかでブレーキをかけないと抜け出せない。
それが今だ。
べつにネトゲをやめようとは思っていない。
これからも続けるだろう。というか絶対にやる。
ただもう少し、リアルを大事にする心を持つべきだろう。
彼女が本気で痩せようと決心したきっかけは、
先月駆り出された足立フォレストワールドでの一件だ。
ユキは見られていたのだ。
狭い通路に腹が引っ掛かって変な声が出てしまった場面を。
進道千里が見ていたのだ。
あの彼が、ユキの肉付きを興味深そうに観察していたのだ。
ああ、いよいよそのレベルにまで来てしまったか。
残酷な現実から目を背けたくなる。
だが怠惰な生活を続けた結果を受け入れるしかない。
過ちを認め、反省し、前へ進む。
そうして人は成長するのだ。
BMIが30を超えている早苗も痩せるべきなのだが、
今の彼女を言葉だけで説得するのは不可能だろう。
ならば自分が減量に成功した姿を見てもらい、
努力は裏切らないということを証明しよう。
早苗は根っからの運動嫌いではないはずだ。
ムエタイは自分の意志でやり始めたのだと聞いている。
彼女はただ、体を動かす楽しさを忘れているだけだ。
それを思い出すだけでいい。それだけで彼女も前へ進める。
今の早苗に必要なのは、そのきっかけなのである。
──8月31日。
「よおーーーっし!!!
3kg減ったーーー!!!」
杉田雪。
努力の甲斐あって-3kgの減量を達成。
本人にやる気があったのは大前提として、
灼熱の季節が脂肪燃焼効果を促進したのだろう。
それにゲーム内のイベントがちょうど筋トレにまつわる内容だったので、
モチベーションの維持に大きく貢献してくれたのは言うまでもない。
とにかく彼女は憎き贅肉を削ぎ落とすことに成功したのだ。
まだ適正体重とまではいかないが、とりあえずは勝利を収められた。
これで胸を張って早苗に言える。
「ルームランナーを買おう」と。
「ユキ!!
ちょっとこっち来て!!」
「えっ!?」
学園から帰ってくるなり早苗のただならぬ声が聞こえてきたので、
ユキはすぐさま洗面所に駆けつけて相棒の安否確認を急いだ。
だが現場で何か事件が起こった様子は無く、
早苗はタオル姿で下を向いて突っ立っているだけだ。
なんだ?とうとうゴキブリが出たのか?
と周囲を見回してみるが、それらしき生物は見当たらない。
「ほら、これ見て!!
実は私、今月5kgも痩せたんだよ!!
運動とかしてないし食事も変えてないのになんでだろう!?」
「え、ちょっ……えええ…………???」
早苗は体重計の数字を見てはしゃいでいたのだ。
1ヶ月で5kg……ユキよりも大きい数字だ。
毎日訓練室で汗を流していたユキよりもだ。
ピザを食いながら遊んでいただけの早苗がだ。
「いやいや、そんなのあり得ないって……
私が補習受けてる間に体動かしてたんじゃないの?」
「してないしてない!!
疑うならPCの使用履歴を調べ上げてもいいよ!?」
「いや、そこまではしないけど……
何もしないで痩せるとかおかしいって
PCの履歴よりも病気を疑うレベルだよ」
「でも本当に何も……
あっ!
もしかしたらイベントのおかげかもしんない!」
「んん〜?
もしかして例の有料級筋トレ講座クエスト?
『モニターの前のみんなもご一緒に』ってやつでしょ
やっぱり運動してたとしか思えないんだけど……」
「いや、そうじゃなくて
私は今、コンボ型の格闘家にハマってるじゃん?」
「うん」
「それで、どんなコンボを組み立てようかって
頭の中でシャドー……まあ、イメージトレーニングしててさ」
「うん」
「きっとそのおかげでカロリーが消費されたんだと思う
ほら、イメトレもトレーニングには違いないじゃん?」
「意味がわからない」
「名付けて、“運動した気になったダイエット”!」
「超常現象だよ」
森川早苗。
ネトゲで遊んでいただけで-5kgの減量に成功。