栄光と挫折の波間
落合賢悟は駐車場で缶コーヒーを飲んでから15分ほど歩き、
木造2階建てのボロい安アパートへと辿り着いた。
そして1階の一番奥にある部屋の扉をノックする。
コン、ココン、コンコンコン。
それは部屋の主と取り決めた合言葉のようなものであり、
インターフォンや違うリズムのノックには対応しないと言われている。
静かに、ゆっくりと、カチャリと鍵が外れる音が鳴り、
玄関の内側にいる人物が素早く離れたような気配を感じ取る。
ドアを開ける前に周囲をキョロキョロと見回し、
誰かに見られていないか細心の注意を払う。
ここに来るまでにも尾行が無いか確認済みだが、
用心するに越したことはない。
入室後すぐに内鍵を施錠して奥へと進むが、そこには誰もいない。
だが、そういう手筈だ。部屋の主は既に移動済みである。
足音を立てないように慎重に歩き、押し入れを開けて中に入る。
そして壁に手を掛けて物音を立てないようにそれを動かす。
すると押し入れは隣の部屋に通じており、ようやく主とのご対面となる。
そこには学園の教え子である栗林努の姿があった。
彼は机の上に並べた大量の携帯電話に不備が無いか確認中であり、
それと並行して黒い表紙の不気味なノート……
通称“ブラックリスト”に何かを書き込んでいる。
それで怪しい業者をジワジワと追い詰めているらしいが、
第三者からすれば彼も怪しい業者の人間に見えることだろう。
「まったく毎度毎度……
少し慎重すぎるんじゃないのか?
こんな風にコソコソしてる方が怪しまれると思うんだがな」
「どうも、先生
頼まれていた調査の結果です」
と、挨拶もそこそこにレポート用紙の束を渡される。
いきなり本題とは礼儀がなっていない。
だがまあ、こいつとはこれくらいの距離感でいいと思ってしまう自分がいる。
「相変わらず仕事が早くて助かる
こっちも頼まれてたブツを持ってきたんだが……
丸山と向井は地回りで出払ってるみたいだな」
「ええ、シノギが無いと食ってけませんからね
とりあえずカネはいつもの場所に置いてあります」
まったく、なんて会話だ。
なんだかヤバい取引でもしてる気分になる。
俺が持ってきたのは学園で販売している“冒険弁当”だぞ。
ダンジョン活動中の栄養補給に向いてる合法な食料だ。
懐かしの味を口にしたいとリクエストされたから持ってきたんだが、
少々タイミングが悪かったようだ。
「あら、美味しそう!
もしかしてこれが例の冒険弁当?
私も少しだけお裾分けさせてもらってもいいかしら?」
「ん……!?」
現れたのは、女。
10代半ばの健全な男子3人が借りているボロアパートに、
見たことのない女がいる。
あいつらの家族か?
いや、あの3人はとっくの昔に家族と縁を切ってあるはずだ。
こんな和やかな雰囲気でこの場に溶け込んでいられるとは思えない。
「ああ、彼女は平塚瑠璃さんと言って、
俺たちの活動に興味を示して勝手についてきた人ですよ」
「秘密結社の新入社員、平塚瑠璃です!
あなたが落合先生ね?
グリム君たちからお話は伺ってるわ
写真で見るよりいい男じゃないの〜
たしか独身よね?
私、未亡人なんだけど……どう?」
「えっ、なんだこの人いきなり……
こんな初対面の挨拶ってあるか?
……って、平塚……未亡人…………まさか」
「ええ、はい
彼女は平塚彩の母親です
なんの因果かこんなことになっちゃいましてね
時々こうやってアポ無しで秘密基地に乗り込んでくるんですよ
先生、迷惑なんで引き取ってもらえませんかね?」
「やだよ!
迷惑だとわかってて引き取る奴はいねえよ!」
「ちょっ、初対面で迷惑とか言われちゃった……!」
どうやら瑠璃さんは1ヶ月ほど前から頻繁に訪れていたらしく、
いつ俺と鉢合わせてもおかしくなかったそうだ。
それが今日たまたま出会ってしまったというだけの話であり、
こんなのは絶対に運命の出会いだとか、そういう類のあれではない。
そもそも俺はああいう押しの強い女性は苦手だ。
いい男だと言われて悪い気はしなかったが、
彼女のような人間を妻どころか恋人にしたいとも思わない。
……こんなくだらないことを考えてしまうのは、
最近の俺はこれまでの人生を振り返ってばかりだからである。
中3の時に自分が魔法能力者だと判明した時は、そりゃ嬉しかったさ。
俺は他の奴らとは違う。特別な存在なんだと歓喜したものだ。
だが、いざ魔法学園に入学してみたらどうだ。
周りの連中はみんな俺と同じ特別な存在だった。
それどころか俺なんかより才能溢れる奴がゴロゴロいたし、
そいつらに負けじと張り合うほどに虚しくなっていった。
俺は自分を“普通の中の特別”だと思い込んでいたが、
その実、“特別の中の普通”でしかなかったのだ。
それでもなんとか歯を食いしばって頑張り続けてはみたものの、
俺が1年かけて習得した魔法を後輩が1ヶ月で使いこなす姿を見たら、
今までの努力はなんだったんだ?という気持ちになり、俺は退学した。
その後は……どうしたっけ?
ああ、ひたすら戦いまくったんだった。
だって当時はそれ以外に生きる手段が無かったからな。
普通のアルバイトをしようにも時給100円……と騙されて日給100円とか、
あの頃の日本は本当にイカレてたのをよく覚えてる。
どうやらたまたま酷い時期にぶち当たっちまっただけで、
その数週間後には最低賃金の見直しがされたらしいが、
当時の俺にはそんなニュースを知る由もなかった。
家も電話も着替えも無い。あったのは剣だけだ。
それから特別な事は何もしていない。
俺はただ生きただけだ。
毎日毎日ダンジョンに潜っては魔物を斬りまくり、
剣の効かない相手には魔法をぶっ放す。
まあ、他の冒険者とそう変わらない日常を送ったのだ。
そんな生活を何年も続けていたら、意外な場所から仕事の誘いがあった。
俺が人生初の挫折を味わった関東魔法学園で、
訓練官が不足しているので是非来てほしいとのことだ。
新手の詐欺かと思った。
学園を中退し、魔法大学にも通わなかった俺になぜその仕事を?
と当然の疑問を投げ掛けてみたが、どうやら俺は自分でも知らないうちに
単独で魔物を倒した数の最年少記録を塗り替えていたらしい。
その記録はすぐに破られることになるが、それはどうでもいい。
とにかく俺は実力の高い冒険者だと認められたのだ。
訓練官になった俺は『努力は実を結ぶ』ということを教えるべく、
いわゆる熱血教師的なキャラで生徒の指導にあたった。
これが駄目だった。
体罰こそ無かったが、生徒からすればまあウザかっただろう。
初めて担当した1年4組の生徒たちは誰も進級しなかった。
熱血指導がいけなかったのか?とかなり落ち込んだが、
どうも4組はそういうクラスなのだと聞いて少し安心した。
特別な才能は無いが、やる気だけはあると認められた集団。
しかしその唯一の強みさえも時間と共に失われてゆく運命にある。
言われてみれば俺の代も俺以外は1人も進級していなかった。
誰も進級しない1年4組を何度も担当し続けると、
俺はなんのためにここにいるんだ?という気持ちにもなってくる。
前任者も同じ悩みを抱えていたそうだ。
そうして二度目の挫折を味わった俺は熱血教師ぶるのをやめた。
惰性で訓練官を続けていたら当たり年が来た。
なんと、あの1年4組から3人もの進級者が現れたのだ。
その中でも特に栗林が進級してくれたのは嬉しかった。
あいつは凡人側の人間でありながら努力と工夫を重ね、
独自の魔法技術を完成させた男だ。
きっと本人はただ楽しんで自己研鑽に取り組んでいただけなのだろう。
必死こいて天才共に追いつこうとしていたあの頃の自分とは違う。
その栗林に悲劇が訪れた。
大切な人の死というのはいつか誰だって経験するものだが、
それでもあいつにはまだ早いと思ったし、本人もそうだったことだろう。
そのまま学園を去ってしまうかもしれない状況だったが、
栗林は今も俺の教え子であり続けてくれている。
そして今年、元1年4組の生徒たちを卒業まで導こうとした矢先、
事もあろうに俺が魔法を使えなくなってしまった。
まあ99%以上の訓練官は年齢的に魔法が使えなくて当然だが、
俺はまだ29歳だし、あいつらの卒業までは持つだろうと高を括っていた。
これは完全に俺の自己満足なんだが、
生徒たちにとって俺は“強い先生”のままでいたかったのだ。
俺は今、三度目の挫折……とまでは言えないような、
なんとも中途半端な状態にあってモヤモヤしている。
そうすると目の前の仕事に集中していた頃には避けてきた、
様々なくだらない物事について考える時間も増えてくる。
とまあウダウダゴチャゴチャと悩んではいるが、
結局のところ俺は、ただ俗な願望を抱いているだけの普通の男なのだ。
(あ〜、彼女欲しいなあ……)
コンコン。
ドアを叩く……といっても今度は玄関ではなく、車のだ。
それもただの車ではなく黒塗りの高級車だ。
運転手の若い女性は読んでいた本に栞を挟み、
少し窓を開けて「何か御用ですか?」と当然の台詞を口にする。
「──平井円香
石川県出身、5月23日生まれの29歳
資料に目を通した時は驚いた
実は俺も誕生日が同じでね」
「えっ!?
な、なんですか突然!?
資料……!?」
「高校卒業後に声優デビューを目指して上京するが
通う予定だった養成所に入学金や授業料を持ち逃げされ、
それと同時期に両親が新興宗教にハマって散財するようになる
心労が祟ったせいか体調を崩しがちになり、夢を断念
両親とは疎遠になったが5歳下の妹とは今でも連絡を取り合う仲
千代田区のコンセプトカフェで働いた経験があるが、
暴力団絡みのトラブルに巻き込まれて頭に10針の怪我を負う
ちなみにそこでの源氏名は“マルルゥ”」
「ちょっ、本当になんなんですか!?
やめてください!!
どうして私の過去を知ってるんですか!?」
「妹さんや元同僚からの情報提供だ」
「え、妹が!?
なんでそんなことを!?」
「ちなみに高校時代は同じ趣味の友人と漫画を描いており、
将来は2人で一緒に作家デビューしようと約束していたが、
異性絡みのトラブルが原因でコンビを解消」
「黒歴史をほじくり返さないで!?
なんでそれを知ってるの!?
私のストーカー!?」
「失敬な
もし俺がストーカーなら自分で調査を行なっただろう
自分にとって大切なものほど他人任せにしてはいけない」
「うわあ……
すごく良い言葉っぽいのに、全然心に響いてこない
……って、調査というと探偵か何かを雇ったんですか?」
「まあ、そんなところだな
高校時代の話は元友人が情報提供してくれたそうだ
ちなみに初めて仕上げたBL本のタイトルは“薔薇の王国”」
「やめっ……やめろおおお!!」
「コンカフェ時代にコーヒー豆の違いに興味を持つようになり、
後に本格的な珈琲屋で働きながら勉強してバリスタの資格を取得」
「ああ、でもその後……」
「店長が裏で禁輸品の取引に関わっていたことが発覚して逮捕
その後職場を転々とするが行く先々で店が潰れてゆき、
職業紹介所の職員からは“疫病神”の名で恐れられるようになる」
「絶対そうだと思った!!」
「仕事が見つからずネカフェ暮らしをしていたところに
森川不動産社長の森川加奈子から声を掛けられ、
以降は森川早苗の専属運転手として勤務……で、間違いないな?」
「ええ、はい
……あの、もしかして刑事さんですか?
過去の事件を再捜査とかそういうアレですか?」
「いや、俺は関東魔法学園の訓練官だ
以前から教え子が怪しい高級車に乗り込む姿を目撃していてな
ずっと気になっていたから、知り合いに頼んで調査してもらった」
「最初に名乗れよ」
とりあえず公園に場所を移して自販機の前に立つ。
俺はつい癖でさっきも飲んだ缶コーヒーを選んでしまい、
なんとももどかしい気分でそれを拾い上げた。
「平井さんはどれにします?」
「いえ、私は結構です」
さりげなく器の大きさをアピールしたかったのだが、
その目論見は失敗に終わった。
彼女は元バリスタ。缶コーヒーなんかに興味は無いのだろう。
「実は昨日、飲み忘れて車に置きっぱなしだったのがありまして」
と、彼女が取り出したのは奇遇にも俺と同じ缶コーヒー。
どのメーカーが出しても似たデザインになる無糖だ。
特に美味しいわけではないが、謎の安心感があるのでつい飲んでしまう。
砂糖入りよりも多くのカフェインを摂取できた気になれるからか?
「へえ、意外だ
てっきり本格的なのしか飲まないものかと」
「そんなことありませんよ
私は素人に毛が生えた程度ですし、プロを気取るつもりはありません
それにこのメーカーの無糖は思い出の味でして……
初めて飲んだ日の、満天の星が輝く冬の夜空が思い浮かびます
まあ、あの時はホットを飲んでいたわけですが」
「思い出の味か……
プルースト効果というやつだな
五感のうち嗅覚は記憶を司る海馬に直接刺激を与える仕組みであり、
特定の匂いを嗅いだ時にすぐ記憶が蘇るのはそのせいらしい
コーヒーは香りの強い飲み物だから思い出しやすいんだろう」
「あ、先生っぽい知識」
「まあ教壇に立つタイプの先生じゃありませんがね
……ところで森川早苗は元気にやってますか?
学園の方針は『去る者追わず』ですが、退学した生徒たちが
その後どうなったのか知れる機会があるならそうしておきたい」
「ええ、特に何事も無く過ごしてますよ
本当に何事も無く……1日中ただネットゲームをするだけの生活を」
「え、ネトゲ……?
そんな趣味があるようには見えなかったけどな……
まあ、元気にやってるならそれでいいか
するとあなたが毎日のように送迎してる杉田雪も、
森川と一緒になって1日中ネトゲ三昧というわけですか?」
「仰る通りです
べつに遊ぶのが悪いことだとは思いませんが、
貴重な青春をそれだけに費やすのはどうかと思いますね
ここはひとつ人生の先輩として注意するべきなのかもしれませんが、
一介の運転手にすぎない私が口出しする問題ではない気もしまして……」
「放っときゃいいんじゃないですか?
それを『無駄な時間だった』か『楽しい時間だった』かを決めるのは、
結局は本人次第ですからね
俺は特に問題無いと思いますよ」
「でも、学業や訓練に支障が出てるんじゃありませんか?
いつも徹夜明けのユキちゃんを送り届けてるので、
睡眠不足で頭が回ってないんじゃないかと不安で……」
「ああ、ご心配なく
今は夏休みなので自主練以外の訓練は実施してませんし、
杉田なら補習の時間にバッチリ睡眠を確保してるそうですよ」
「だめみたいですね」
「ははは」
……さて、こんなもんだろうか。
彼女の警戒心を解けたという確かな手応えを感じる。
第二印象。
恋愛のハウツー本に書いてあった心理テクニックだ。
第一印象よりもそれを大事にした方がいいらしい。
とりあえず俺は『個人情報を知ってる謎の男』から
『生徒思いの訓練官』にグレードアップできたと思う。
そろそろ次の段階に進んでもいいはずだ。
彼女が杉田雪の送迎役だというのは半年ほど前から知っていたが、
教え子を厄介事に巻き込んでいる様子ではなかったので放置していた。
だが俺は、何度も彼女を目にするうちに意識するようになった。
平井円香の手袋を。
断っておくが、俺は手袋フェチではない。
しかしあの白い手袋を見ていると、なぜだか胸が高鳴るのだ。
上品でしなやかな繊維が、細長い指でステアリングを握る仕草が
この虚無の心に明かりを灯し、狂熱を宿して体内を駆け巡る。
きっと俺は彼女に恋をしたのだろう。
「平井さん自身はどのように休日をお過ごしで?」
「え、私ですか?
そうですね……」
少し先走ったかもしれないが、直前の話題が生徒の休日についてだったので
それほど不自然な会話の流れではないはずだ。
もし彼女の答えが『特になし』に属する休日の過ごし方だったならば、
ここは思い切ってデートに誘ってみるのもいいかもしれない。
行き先はすぐに思いつかないが、ただドライブするだけでも楽しそうだ。
もちろん彼女の運転で。
「休日は図書館で過ごすことが多いですね
元々読書が好きですし、それに、その……恥ずかしいんですが、
お金をかけずに時間を潰せる場所でもありますから」
「へえ、いいじゃないですか
恥ずかしがる必要なんてありませんよ
利用できるもんはどんどん利用しちゃいましょう」
「あ、それ!
彼氏も同じようなこと言ってました!
もしかしてそれも調査済みだったりするんですか!?」
「えっ……!?」
「……なぁーんて、冗談です
それが普通の考え方ですもんね
私自身も実はあんまり恥ずかしいと思ってなかったり」
「は、はは……
冗談か……ですよね」
彼氏……?
つまりそれは、いるってことだよな……。
そんなの聞いてないぞ。
栗林、あいつ……
そこまで調べておけよ!!
一番重要な情報だろうが……!!