雷神を継ぎし者
それは黒岩真白が6歳の時であった。
いつも仕事で忙しそうな父が久々に連休を取れたそうで、
この貴重な家族水入らずの時間をどう過ごそうかとみんなで話し合った。
1日目は母のリクエストにより自家用ヘリで空の旅を、
2日目は兄のリクエストにより自家用ヨットで海の旅を堪能した。
3日目はましろの番だったが、彼女は特に何も望まなかった。
彼女は、ただ父といられるだけで嬉しかったのである。
ましろは父と手を繋ぎ、特に目的も無く川原を歩いたり、
駅前のショッピングモールをぶらついたりして過ごした。
その帰り道、公園でソフトクリームを舐める娘に父が話しかける。
「ましろ、今日は楽しかったよ
誘ってくれてありがとう
実は僕、乗り物が苦手なんだよね
これはママやお兄ちゃんには内緒だよ?」
他の家族が知り得ない情報を聞かされ、
少しばかりの優越感を覚える。
2人だけの秘密。信頼されている証拠だ。
だが喜んだのも束の間、
これからの予定を聞かされたましろは不機嫌になった。
「こんな風に家族で過ごせる日はしばらく来ないかもしれない
明日からまた忙しくなっちゃうんだ……今まで以上にね
パパはなんというか、正義のヒーローみたいなお仕事をしててさ
困ってる人たちを放っておくわけにはいかないんだ
たとえそれが日本から遠く離れた外国であってもね」
父がブラジルで何かすごいことをしたのは知っている。
その父がまたブラジルへ行ってしまう。
1年の大半を過ごしている、あの国へ。
「そんな寂しそうな顔をしないでくれよ
僕だって本当は行きたくないんだ……
…………
……あ、そうだ
ましろに面白いものを見せてあげるよ
それでどうか機嫌を直してもらえないかな?」
ましろは頬を膨らませたまま目を輝かせる。
面白いもの、という言葉につい反応してしまったのだ。
父はキョロキョロと辺りを見回し、
やがて何かを発見した後にそれを指差した。
「ましろ、あのワンちゃんを見ててごらん」
それは雑種の野良犬だった。
まあ動物を見るのは好きだが、今はそれほど面白いものではない。
だが父が見せたいのは犬そのものではないのだろう。
ましろは言われた通りに犬を見つめ続けた。
「……あっ!?」
それは一瞬の出来事だった。
突然、犬が消えたのだ。
「わあっ!!」
そして気がつけばその犬がましろのすぐ足元におり、
体の周りをぐるぐると回って匂いを嗅いでいるではないか。
「ワンちゃんがテレポートした!!」
先程までの不機嫌はどこへやら、不思議な出来事に遭遇したましろは
大はしゃぎでテレポート犬と遊び始めた。
「あ、いや
君からすれば犬がテレポートしたように見えるだろうけど、
そうじゃなくて、僕がちょっとだけ時間を止めたんだよ」
「パパが時間を?
ふーん……」
「反応が薄い……
で、止まった時間の中で犬だけが動いて、
ましろの足元まで来たところで再び時間を動かしたのさ」
「どうしてワンちゃんは止まった時間の中で動けたの?」
「犬には時間停止が効かないんだ」
「ワンちゃんすごい!!」
「うん、すごいね……」
それから月日が流れ、黒岩親子は魔法学園で語り合っていた。
「ましろ、あれから例の魔法を使えるようになったかい?
君は僕と魔力の波長がよく似てるから、きっと使いこなせるはずだよ」
「いや〜、無理無理
あたしなりに頑張ってはいるけど、一度も成功した試しが無いもん
戦闘センスのいいお兄ちゃんだって使えなかったんだし、
攻撃魔法の適性すら持ってないあたしじゃあね」
「いやいや、センスとか他の適性の有無は関係無いよ
それに透は『時間』の適性そのものを持ってないし」
「どうせならお兄ちゃんに遺伝すればよかったのにね
パパと同じく学園最強の魔法剣士とか呼ばれてたんだしさ」
「ん〜……
透はその、ママ似だからしょうがないよ」
「え、そうかな〜?
あんまりママに似てると思ったこと無いよ
それより内藤先生にそっくりだってよく言われてたね
卒業式の後にツーショット撮ったんだけど、見る?」
「え、そんなの撮ったんだ……
シンちゃんはそういうの断ると思ってたけど、よく応じたね」
「……改めて見ると本当にそっくり!
お兄ちゃんに髭生やしたら見分けつかないよこれ!
まるで本物の親子みたい!」
「本物の親子だからね」
「アハッ、笑えないよ〜!
まあとにかく、あたしの卒業式にはちゃんと来てよね!
そんで家族みんなで写真撮ろうよ!」
「家族みんなで、か……
うん、僕もそうしたいよ」
──訓練棟にて若き剣士たちが修練に励み、
伝説の英雄に飛び掛かっては返り討ちに遭う
という光景が繰り広げられていた。
当の英雄、黒岩大地はこう何日も居座るつもりはなかったのだが、
あまりにも規格外な才能の持ち主と出会ってしまったがゆえ、
興味本位でもう少しだけ日本に留まろうと決めたのだ。
バチン!
予告無しで放たれた青白い静電気に大地氏が怯む。
微弱とはいえ、この電流を喰らった生物は筋肉が収縮し、
ほんの一瞬だけ無防備となる。
そしてヒロシはその隙を見逃すような詰めの甘い男ではなく、
瞬き程度の時間があれば相手に剣を届かせることができた。
ヒュオン!!
ヒロシの剣が虚しく空を切る。
まただ。
完全に捉えたと思ったのに、大地氏が目の前から消えた。
今度こそ絶対に当たると思ったのに、また外してしまった。
世界最強ともなれば電気に対する耐性まで付くのだろうか。
と、ヒロシの首筋に何かが当たる。
大地氏の修練用ソードだ。
これが真剣であれば命は無い。
彼はまた勝てなかったのだ。
大地氏が窓の外を見ると、すっかり夜になっていた。
室内には立っているのもやっとな若人たちの姿があり、
それは彼らが全力で立ち向かってきた証拠であると頷き、
今日はもうこの辺でお開きにしようと提案する。
大地氏は申し訳なく思っていた。
まず学園の教師たちに対してだ。
本来この生徒たちは学年毎に時間割をズラしているのだが、
せっかく伝説の英雄が稽古をつけてくれるのだから、と
急遽スケジュールを調整して触れ合いの時間を作ってくれたのだ。
落合訓練官に対しても申し訳なさはあったが、
ワンオペで全学年の指導をしている彼から感謝されたので、
これはまあ気にしなくてもいいだろう。
そして生徒たちに対する罪悪感。
これまで彼らからの攻撃を全てかわしてきたが、
時間停止という反則的な能力を使っていなかったら
同じ結果にはならなかっただろう。
それは例えば他の者たちが自らの足でマラソン競技に挑戦する中、
自分だけ車で移動しているようなズルさを感じずにはいられないのだ。
とはいえヒロシが相手では使わざるを得ない。
世界最強と呼ばれている自分がひよっこに負けるわけにはいかない。
その称号を好いてないものの、大先輩としてのプライドは持っている。
彼にはこの背中を目標に追いかけ続けてほしい。
願わくば、いつか追い越せる日が来るように──
「たのもーーーーー!!!」
突然の来訪者に全員が注目する。
そこには巫女装束に身を包んだ2年生の女子、神崎久遠の姿が。
腰には愛剣である“プチ村正”を引っ提げており、
その瞳は闘志に燃えていた。
「えっ、もしかして道場破り……かな?」
「うむ、いかにも」
彼女の目的はすぐに判明したが、なぜこの時間なのだろうか。
大地氏に挑みたいのならば、もっと早く来ればよかったのだ。
ついさっき本日の稽古を終了すると宣言したばかりであり、
なんとも間の悪い登場としか言いようがない。
「神崎さん、今日はもう終わりだよ!
そういうのは明日にしよう!」
「いや、しかし山田殿
つい先程拙者の必殺技が完成したばかりでな
感覚を忘れないうちに試し斬りがしたいのでござるよ」
「伝説の英雄で試し斬りしちゃだめだよ!?
しかもそれって真剣でしょ!?
なんで持ってきちゃったの!?」
2年生たちが神崎の説得を試みる。
そういえば彼女は空気を読むのが苦手だった。
本人に悪気は無いのだろうが、失礼な言動であるのは確かだ。
これ以上ボロを出す前に食い止める必要がある。
が、そんな彼らの思惑とは裏腹に、
大地氏はこの物珍しい格好をした少女に関心を示した。
「へえ、必殺技か
それはちょっと興味あるな
僕なら構わないから、是非拝見させてもらいたいね」
本人がそう言うのなら仕方ない。
生徒一同はおとなしく事の成り行きを見守った。
静寂に包まれた訓練室で、神崎久遠が腰を落として身構えている。
彼女の左脇には安全のために持ち替えた修練用ソード。
それは大地氏に対する安全確保ではなく、見物者への配慮だ。
当然だが、刃物は危険なのだ。
当てるつもりが無くとも欠けた刃が跳ね返ったり、
手からすっぽ抜けるという事故が後を絶たない。
普段他の生徒と交流の無い神崎ともなれば尚更警戒するのが道理だ。
皆、彼女がまともに戦っている姿を見たことが無いのである。
(ふむ、居合の構えか……
和装だと特に絵になるなあ
でも、ただの居合ってわけじゃなさそうだね
たぶん今、彼女は剣に魔力をチャージしてるんだ
……なんだろう、この世代は魔法剣が流行りなのかな?)
魔法剣……剣に限らず、武器に魔力を付与する技術。
物理と魔法の複合攻撃といえば強そうに聞こえるが、
それを維持するのに魔力管理に集中する必要があるので
近接戦闘での反応が遅れやすいというデメリットがある。
そもそも敵に魔法ダメージを与えたいのならば、
遠距離から攻撃魔法を使った方が確実だし安全である。
以上の理由から実用性に欠ける技術だと思われていたが、
継戦能力の高さを求められる戦いでは有用だと証明され、
最近では少しずつ評価が見直されてきている。
「──紫電・改!!」
そして、大地氏は余計なことを考えていたために出遅れた。
彼はまた戦闘中に油断していたのだ。
とはいえ、そうなるのも無理はない。
神崎久遠との距離は3m以上離れていたのだから。
(神崎さん……!?)
(その距離で剣抜いても届かないって!!)
(やっぱポンコツじゃん、あいつ)
見物者たちは『がっかり』と『やっぱり』の入り混じった感想を抱き、
この無駄な時間は一体なんだったんだと後悔し始めた。
のだが……
ズガガガガ!!
と、激しい衝撃音が室内に鳴り響き、
しかもあの伝説の英雄がゴロゴロと後方へと転がり、
壁に頭を打ちつけて苦悶の表情を浮かべているではないか。
ただの攻撃魔法ではこうはならない。
魔力そのものに物理干渉できる力は備わっていないのだから。
かと言って彼女の剣が大地氏に当たったわけでもない。
もし直撃したとしても、おもちゃのような修練用ソードで
100kg以上ある人間を吹き飛ばせるだけの腕力は無いはずだ。
となると、やはり魔法剣。
それもただの魔法剣ではない。
神崎久遠は質量のある斬撃を飛ばしたのだ。
彼女は魔法剣士という存在を次のステージへと引き上げたのである。
しばらくして大地氏が頭をさすりながら立ち上がり、
本日のMVPに向かって拍手を送った。
「いやあ、こりゃ参ったね
まさか斬撃を飛ばしてくるとは……
実現不可能と言われてた技術をこうもあっさりとやられると、
常識なんてつくづく当てにならないもんだと思い知らされるよ
……本当に肩書き変えよっかなあ」
その不用意な一言が要らぬ誤解を招く。
「おい、今……」
「『参った』って言ったよな!?」
「神崎さんが勝ったってことだよな!?」
「あ、そういう意味じゃないよ
あの程度はかすり傷みたいなもんだし」
「神崎さん、すげーーー!!」
「まさか伝説の英雄をやっつけちまうとはな!!」
「いや、僕は負けてないけどね」
「しかも『肩書き変える』とか言ってたぜ!?」
「それってつまり、あれだよな……?」
「“雷神”の称号に決まってんじゃん!!」
「いや、“世界最強の魔法剣士”の方だよ!」
「黒岩兄妹ですら得られなかった伝説の称号が今!」
「神崎さんへと受け継がれた……!!」
「勝手に継がないで!?」
「神崎さん、万歳!!」
「神崎さん、万歳!!」
「神崎さん、万歳!!」
「どっ、胴上げはやめるでござる〜!!
ドサクサに紛れて尻を揉むのもやめるでござる〜!!」
「……」
本日の勝利に熱狂する若人たちを目の当たりにして、
黒岩大地は『まあいいか』と状況を受け入れることにした。
“雷神”の称号は割と気に入っていたのだが、
元々自分でそう名乗り始めたわけではない。
それは他人が決め、広めてゆくものなのだ。
神崎久遠。
ここに新たなる雷神が誕生した。