異形の獣
現在、1年生が活動してもいい範囲はこの第2層の終点までだ。
それ以上進むことは安全のために制限されており、
上級生は後輩が無鉄砲な行動をしないように見張らなければならない。
「うっし!
そんじゃ目的達成のお祝いに、もうちょい先まで行ってみっか!」
不安が的中した。
宮本先輩はこういう人だった。
「余力があるうちに引き返しましょう
ここまで目についた敵を全て殲滅してきたとはいえ、
帰り道で新たな魔物と遭遇しないという保証はありません」
ダンジョンでは何が起こるかわからない。
魔物が発生するタイミングはある程度把握されているものの、
その正確なスパンまでは解明されていない。
それと滅多にない現象だが、突然地形が変わったという報告例もある。
異常な現象なら他にも色々あるが、とにかく今は進むべきではないのだ。
「お前らも見てみたいよなあ?
未知なる冒険の舞台をよぉ」
「はい! 見たいです!」
「俺たちは……冒険者だ!」
「わくわくするよねー!」
「やめた方がいいんじゃないかな」
「新種のスライムとかいませんよね?
またションベン浴びせられるのは勘弁ですよ」
ヒロシまで乗り気になっている。
あの人についていくのはやめた方がいいのに。
「すまねえアキラ
あいつら、こうなるともう止まらないんだ……」
「いや、お前のせいじゃないさ」
こうして俺たちは民主主義の暴力……多数決に従い、
本来進んではいけない第3層へと足を踏み入れたのである。
──第3層。
景色自体はこれまでとそう変わりない。
だが若干通路の幅が狭くなり、天井も低くなった気がする。
以前にも説明した通り地面や壁には小さな突起物があり、
それは天井も例外ではない。
背の高い俺は油断すれば頭をぶつける可能性が高い。
そこで、このような事態に備えてある物を用意していたのだ。
「おいアキラ、それって……」
「懐かしいなぁ」
「小学生の時、椅子に敷いてたやつだ!」
「猫ちゃん柄だ! かわいい〜!」
そう、防災頭巾。
俺は日本冒険者協会からの嫌がらせで制服以外の装備を禁じられているが、
これはあくまで座布団だと言い張らせてもらう。
座布団として使えるだけでなく、頭を保護できる便利道具。
先人の知恵の賜物だろう。
「おっと、アキラがそう来るなら……俺はこれだぜ!」
どうやらヒロシも何か用意していたようだ。
黄色のヘルメットに緑の十字……安全帽。
工場や建設現場などで事故を防ぐために広く使われている帽子だ。
安全靴、安全装置……その“安全”という言葉の裏には、
必ず“危険”が存在することを忘れてはならない。
ヒロシはそれを被ると、人差し指を斜め下に向けて言い放った。
「今日もゼロ災でいこう、ヨシ!」
「ガハハハハハ!
ヒロシぃ! サマになってんじゃねえか!
お前、建設現場でもやっていけるぜ!」
「あはは……恐縮です」
しばらく進むと、早速新たな魔物と遭遇した。
魔物図鑑で概要は確認済みだ。
あれはジェリーという名前の魔物で、精霊という種族に分類されている。
欠陥図鑑にはそれしか記されていなかった。
監修が日本冒険者協会だと知り、俺は納得がいった。
あの図鑑を手に取ることはもう二度とないだろう。
「見た目は火の玉そのまんまだな……」
「あいつ絶対ファイヤーボール使ってきそう」
「たぶん氷属性に弱いよな」
「でも魔法使えるの誰もいないし……」
グリムパーティーの面々は困惑している。
かくいう俺もどう対応すべきか考え中だ。
武器を持てない以上は素手で戦うしかないのだが、
あれに触れたら火傷するのは目に見えている。
石を拾って投げるという手もあるが、ダンジョン内には存在しない。
ならば外から持ち込むか、地面や壁の突起物を削り取って使えばいい。
それか、他の魔物をぶん投げて当てれば解決するはずだ。
「あいつな、物理攻撃が一切通用しねえんだ
精霊って種族はなんつうか……幽霊みたいに攻撃がスカるんだよな
魔法ダメージで倒すか、特定の状態異常を上手く使うのが攻略法だ」
俺の作戦は頓挫した。
「お前らの予想通り、あいつは炎属性の魔力攻撃を仕掛けてくる
俺ら人間の使うファイヤーボールとは少し違うが、まあ似たようなもんだ
で、氷属性に弱いってのも正解だぜ それも極端に弱いレベルだ
この階層には他にも炎弱点と雷弱点の精霊がいて、
攻撃魔法を覚えたてのひよっこが自信をつけるのに最適な環境なんだ
だからこそ、この第3層にはまだ入れないように制限をつけてる
お前らはまだ魔法を使える時期じゃないからな」
そうだ……この人はちゃんと説明はしてくれるんだ。
進んではいけない理由を説明しながら違反を犯す人なんだ。
「宮本先輩は何属性なんですか?」
「俺は炎属性だ
残念ながらあいつにダメージを与えることはできねえな
それどころか同じ属性を吸収して回復させちまうんだ
こいつは他の精霊にも言える共通事項だぜ?
基本的に弱点属性しか通らねえってのがこの種族の特徴だな」
炎には氷、氷には雷、雷には炎……いわゆる三竦みの関係だ。
一応“無属性”ならどの属性に対しても安定してダメージを与えられるが、
その属性の持ち主は極端に少ないらしい。
攻撃手段が無いということで、俺たちはジェリーとの戦闘を見送った。
精霊は索敵範囲が狭く、早く先へ進みたいのなら無視するのが安定だそうだ。
「宮本先輩、もう戻りましょう
何か取り返しのつかない事態になる前に引き返すべきです」
「甲斐ぃ〜……
お前はホントに真面目だなあ
そんな心配しなくても平気だぜ?
この階層はただの通過点みたいなもんだからよ
俺がお前らに見せてやりたいのはこの先なんだよ」
「この先って……
まさか第4層まで行くつもりですか?」
先輩は無邪気な笑顔を見せるだけであり、俺の質問には答えなかった。
──第4層。
来てしまった。
流れに逆らえず、とうとう来てしまった。
そこで俺たちを待ち受けていたのは……辺り一面に広がる花畑であった。
土、水、光の無いこの環境でどうやって生きているのか謎だ。
じっくりと観察してみたいが、それは今すべきことではない。
「へえ、ダンジョンにも花って咲くんだな」
「幻想的な光景だ……」
「セーブポイントどこ〜?」
「記念にちょっと摘んでいこっかな」
彼らが馬酔木の群生に心を奪われる中、俺は別のものに気を取られた。
チョウ目シジミチョウ科の昆虫、コツバメ。
日本全国に分布しているが、埼玉では準絶滅危惧種に指定されている。
まさかこんな所でお目にかかれるとは……。
「な? 来てよかっただろ?
ここは休憩地点として人気のスポットなんだぜ
ちなみに1年生が最終的に行けるようになる階層はここまでだ
その先は俺たちもまだ探索したことねえな」
「俺たち冒険の序盤で後半マップに来ちゃったんですね
あ〜、カメラ持ってくりゃよかった!
あ、でもこの腕じゃどっちみち無理か……」
「あん?
ヒロシ、スマホ忘れたのか?」
「いえ、そうじゃなくて一眼レフのことです
どうせなら手に馴染んだカメラで撮りたいなぁ、と……
俺、風景写真とか撮るのが好きで中学では写真部だったんですよ」
「ほーん、いい趣味持ってるじゃねえか
俺とコシローの趣味はスポチャン……スポーツチャンバラだな
ガキん時から続けてきたおかげか、本物の剣も案外すんなり馴染んだぜ」
「ああ、そういえば先輩って二刀流ですよね
やっぱり宮本武蔵を意識してるんですか?」
「まあそんなところだ
でも実は詳しく知らないんだよなあ
実家に置いてある五輪書には目通したことねえし」
「たしか武蔵が書いたって本ですね
せっかくあるなら読んでみたらいいじゃないですか
名前だけじゃなくて強さも武蔵に近づけるかもしれませんよ」
「え〜、や〜だよ〜!
俺、活字だらけの本なんて読みたくね〜よ〜!」
「なんかもったいない気がするなぁ」
「あ、じゃあ今度持ってきてやるよ
お前も剣士目指してんなら、なんかの役に立つだろう
怪我が治るまではおとなしく本読んで勉強してろ」
「うぅ、勉強か……
でもまあ、そうするべきだよな……」
俺たちは花畑を鑑賞しつつ、カルマが用意した軽食で小腹を満たした。
タコス……今まで和食以外の物はほぼ口にしてこなかったので新鮮だ。
時間にして15分程度だったろうか。
充分な休憩を取って心身共にリフレッシュした俺たちは、
学園への帰還を目指して歩き出した。
早歩きなら1時間以内には戻れるだろう。
行きと同様、第3層の敵は全て無視だ。
途中で炎弱点の精霊を見かけても先輩は戦闘を見送った。
強化魔法を自分にかけて力でねじ伏せるのが先輩の戦闘スタイルだそうで、
それ以外の行動でMPを消耗したくないらしい。
まあ、理由はなんにせよ不要な戦闘は回避するに越したことはない。
第2層。無事に戻ってくることができた。
いや、これからが本当の帰還だが、とりあえず制限区域内には戻れた。
俺たちはこの先へは進んでいない。そう口裏を合わせよう。
と、まずは目についた敵を掃討せねば。
右側にコボルトが6匹。3匹の群れが2つという内訳だ。
左側にもコボルトの群れ。こっちは5匹の群れが1つ。
このコボルトだが、群れ単位で1人の人間を集中攻撃してくる性質があるので、
複数の群れと同時に戦闘する際はヘイトを分散させるのが効率的だ。
「俺は左をやる」
右はグリムたちに任せた。
グリムと野村君は二手に分かれ、それぞれ盾を構えて防御役に専念した。
カルマはパルクールの動きを取り入れたスタイリッシュな槍捌きで、
カムイは卓球部で鍛えたスピーディーな双剣捌きで攻撃役に回った。
「みんな頑張れー!」
「怪我さえしてなけりゃ俺も戦ったのに……」
「あいつらまた無駄に疲れる動きしやがって……」
まあ、任せた以上はもう気にするのはやめよう。
俺は目の前の5匹に集中……といっても攻略法は確立している。
俺は群れの注意を引いた後、狭い通路の袋小路へと誘導した。
ここなら相手が何匹だろうと関係無く、正面以外からは攻撃が飛んでこない。
こういう対複数戦の拠点として使える場所は調査済みだ。
そして……“ネコの構え”。
それを見た全員から『招き猫みたい』と言われた。
右手を頭に、左手を胸に、右足は前、重心は低く……。
これは人体の急所である脳と心臓を守りつつ、
敵の様子を窺いながら最速の打撃を繰り出せる迎撃特化の構えだ。
ヒュッ──
不用意に飛び込んできたコボルトの首が地面に転がる。
あとはこれを4回繰り返すだけだ。
こちらの戦闘が終わったので合流すると、彼らはまだ戦っていた。
そして攻撃役のカルマとカムイはだいぶ疲弊しているようだった。
彼らの継戦能力が低い原因はスタミナ消費が激しい点に尽きる。
そのきっかけを作っているのは、やはりアリスだろう。
女子の前でカッコつけたいという心理が悪く作用しているのだ。
だがまあ、それは俺が口出しすることではない。
最初から完璧なパーティーなんて存在しない。
欠点を把握し、改善しながら成長していけばいい。
むしろ問題点が浮き彫りになっているからこそ克服もしやすい。
帰ったら、俺はどんなパーティーを目指したいのか考えてみよう。
とにかく今日はいい経験ができた。
彼らに感謝だ。
「あ、やべえ」
先輩が異常を察知した。
俺は空気が変わるのを肌で感じていた。
他のメンバーたちは目を見開いてそれを見上げた。
体長3m50cm、黒い毛皮に覆われた怪物。
赤い瞳、獰猛な牙、太い四肢、鋭い爪……。
俺はそれを見たことがある。
一見すると熊のようであるが、本来存在しないはずの翼が生えている。
翼の生えた熊──異形の獣。
『ヴォオオオオオォォォッッッ!!!』
奴は内臓を震わすほどの重い咆哮を放ち、
既にこちらを敵として認識している事実を知らせてきたのだ。
おぞましい姿の乱入者に驚いたメンバーたちは腰を抜かし、
その場に転倒して立ち上がることすら困難な状態になった。
「やべえやべえやべえやべえ……!!
おいお前ら走れ!! とにかく走れ!!
ここは俺に任せて……いや俺も逃げる!!
進級試験用の中ボスだぞあいつは!!
どうしてこんなとこにいんだよおお!?」
先輩は逃げろと促すが、グリムはまだコボルトと応戦している。
他のメンバーはまだ立てないどころか、転倒時に負傷したようだ。
ヒロシは動けそうだが、仲間を置いて逃げるような奴ではない。
その場に留まるのは得策ではない。
待っているのは死だけだ。
それはわかっているが、それぞれに逃げられない理由があった。
「俺がやります」
この時、俺はどんな感情だったのか思い出せない。
ただ妙に落ち着いていたことだけは覚えている。
静かで、穏やかで、何かに満たされていたような気がする。
「おい戻れ甲斐!!
そいつはコボルトの1000倍は強えぞ!!
今の2年生が全員で協力してやっと倒せるレベルだ!!」
それは……編成が悪い。
今の2年生は刀使いが2人、魔法剣士が2人、あと1人は特殊なタイプで、
全員どちらかというと攻撃寄りの性能をしているらしい。
守備の要であるタンクやヒーラーが不足しているため、
この魔物……“バルログ”を相手にするには分が悪いのだ。
「あいつの狩り方なら母から教わりました」
俺はバルログの正面に立ち、敵の目を見据えた。
奴はこちらを見下し、俺の目を見た。
「お前の母親ナニモンだよっ!?」
俺はバルログの瞳に映った自分の姿に、在りし日の母を重ねた。
「人型の猛獣です」