憧れ
春休み、ヒロシは実家で過ごしていた。
いつもの長期休暇であればより強くなるために
学園に残って修行をしていたのだろうが、
前年度が多忙な年だったこともあり、
“休めるうちに休む”大切さを思い出したのだ。
それまで月に1日のペースで帰省していたが、
今回は2週間も自宅に息子がいるということで
ヒロシの母親は大層喜んでいた。
初めのうちは。
「ひ〜ろ〜しぃ〜〜〜!!
また終わったゲームのレベル上げしてんの!?
非生産的な行為だと思わないの!?
他にやること無いの!?」
「いや、レベルはもう上げ切ったから
ステータスMAX目指して種集めしてるとこ」
「そんなのいつでもできんでしょうが!!
二度と訪れない貴重な青春の1ページを
ゲームの種集めなんかに費やしていいの!?
友達誘ってどっか遊びに行くとかさあ、
彼女の1人や2人作ってやろうとか思わないの!?」
「2人もいらないよ
そもそも作ろうと思って作れるもんじゃねえし」
「んなこたぁないでしょうよ!?
あんたは優しいし、努力家だし、度胸がある!!
モテる要素は充分にあるんだよ!?」
「そりゃ母ちゃんからすりゃあ
自慢の息子って認識なんだろうけど、
他の奴らにとって俺は『平凡な男子』なんだ
俺自身そう思ってるし、それに不満は無い
無理してモテようとか考えたくねえし、
今は家でゴロゴロしたいんだよなあ」
「私だってやりかけのゲームの続きがしたいの!!」
「うん、わかってるよ
でも交代まであと30分だから……」
30分後、母と交代したヒロシは居た堪れなくなり、
外に出て時間を潰すことにした。
とはいえ何かやりたいことがあるわけではない。
同級生も今頃各々の休暇を満喫しているだろうし、
呼び出したところで迷惑になるだけだろう。
そんな彼が思いつく暇潰しの場所といえば、
ゲームセンターくらいしかなかった。
(家でもゲーム、外でもゲームか
何やってんだ俺……)
レース、ガンシュー、パズル、音ゲー……。
手当たり次第に遊んでみるがなぜか熱くなれない。
どれもこれも数年ぶりに手をつけたにも関わらず、
衰えていないどころかハイスコアを出したのにだ。
(父ちゃんと来た時はワクワクしたんだけどな……)
父はゲームが上手い方ではなかったが、
一緒に遊んでいて楽しいと思わせる人だった。
親子というより兄弟や友人に近い雰囲気の、
とても子供じみた感性の持ち主だったのだ。
ゲーセンを出たヒロシは再び悩む。
カラオケ、ビリヤード、ボウリング……。
いや、やっぱり無しだ。
ファミレスかバーガーショップにでも寄って、
久々にジャンクな食事を堪能して家に帰ろう。
そう心に決めた直後、スマホに着信が入る。
(ん……公衆電話から……?)
しかも学園支給の方ではなく、私物の方にだ。
学園関係者には一部の者にしか番号を教えていない。
おそらく中学時代の友人か先輩後輩だろう。
「はい、もしもし
どちら様ですか?」
だが、その相手は思いもよらない人物であった。
『ひーくーーーん!!
たーすーけーてーーー!!』
突然の悲鳴にイタズラ電話を疑うも、
その声には聞き覚えがあり、切羽詰まった感じだ。
“ひーくん”……。
ヒロシをそう呼ぶ人物は1人しか思い当たらない。
「もしかして……阿藤先輩ですか!?
一体何があったんですか!?
今どこにいるんですか!?」
阿藤理恵……2つ上の先輩であり、錬金術という
非常に稀少な才能の持ち主として名を馳せていた。
が、卒業直前の期末テストで赤点を取り、
残念ながら退学になってしまった元生徒である。
彼女のように特別な才能の持ち主ならば
特例措置として留年が認められる可能性はあったが、
学園の所有物を無断で錬金術の材料にしたという
擁護不可な行為が発覚し、見放されてしまった。
その彼女が実に1年ぶりに、
しかもヒロシのプライベートスマホに電話をかけて
開口一番に助けを求めてきたのだ。
これを放っておけるはずがない。
──電車を乗り継ぐこと2時間、
ヒロシは憧れの阿藤先輩の姿を見て困惑する。
錬金術師の杖にタイトなミニスカートのワンピース、
そしていかにもな魔女風の三角帽子……と、
学園にいた頃と全く変わらない格好をしていたのだ。
いや、よく見れば衣装は汚れだらけであり、
所々ほつれていて正直みすぼらしい印象を受けた。
「ひーく〜〜〜ん!!」
「せっ、先輩……!!」
憧れの阿藤先輩が抱きついてきて嬉しくはあるが、
鼻を突く異臭とベットリとした髪の毛が
再会の喜びを半減させる。
ああ、やはりそういうことか。
公衆電話からの連絡、みすぼらしい格好、
しばらく風呂に入っていないであろう異臭。
彼女は金に困っているのだ。
せっかく他県まで足を運んだのだから
少しくらい観光してみたかったかったが、
それよりも今は先輩の醜態をこれ以上
衆目に晒さないようにと、ヒロシは帰宅を急いだ。
帰りの電車の中で確認させてもらったが、
やはり予想通り、先輩は金欠であった。
残金10円。
先程の公衆電話で最後の100円玉を使ったらしい。
これでは駄菓子も買えやしない。
ちなみにこの日は4月1日であり、
一般的には嘘をついても許される日……
エイプリルフールとして知られている。
これが嘘ならどれだけよかったか。
憧れの阿藤先輩はガチでギリギリの状態だったのだ。
先輩が腹を空かしていたので
途中で飲食店に寄ろうともしたが、
明らかに店員が嫌そうな顔をしていたため、
コンビニで肉まんを買う程度に留めておいた。
飢餓状態の先輩にとって、
その肉まんは涙が出るほど美味かったようだ。
最後に固形物を口にしたのは10日ほど前らしい。
それからは公園の水を飲んで我慢していたそうで、
犯罪に手を染める一歩手前の精神状態だったと語る。
先輩はおかわりを欲しそうにしていたが、
それは危険なのでやめておいた。
リフィーディング症候群。
極度の空腹状態の時に食べ過ぎると、
最悪、死に至るという恐ろしい症状だ。
帰ったらお粥と味噌汁を振る舞うと約束し、
先輩にはもう少しだけ辛抱してもらった。
居た堪れない。
こんなにも追い詰められる前に、
もっと早く連絡を寄越してくれればよかったのに。
家に着くなり、まずは先輩を風呂に入らせた。
帰宅の10分ほど前に沸いたようで、
湯加減はちょうどいいはずだ。
母は今、女物の服を買いに出掛けている。
先輩のバストはMカップもあり、
うちにはそんなサイズの物は無い。
憧れの先輩が自宅の風呂場にいるというのに、
とてもじゃないがいやらしい気分にはなれない。
こういう時は性欲が掻き立てられるのかと思いきや、
ヒロシはただ彼女の身を案じるばかりだった。
所詮、ラブコメ漫画はフィクションだ。
それが少し残念でもある。
それから母が帰宅し、先輩の風呂上がりに合わせて
ヒロシは約束のお粥と味噌汁を調理し始めた。
まあ、インスタントの物を温めるだけなのだが、
彼にできることはそれくらいしかなかった。
ラッパーのようなダボダボのシャツを着た先輩は、
用意されたご馳走につい飛びつきそうになる。
しかし前述の通り急な食べ過ぎはよくないので、
ゆっくり時間をかけて食べるように言い聞かせた。
先輩は少しもどかしい表情をしていたが、
それも自身の安全のためだと受け入れて
言いつけ通りにゆっくりとお粥を食べ始める。
何はともあれ、これで衣食住の確保が完了し、
ようやく落ち着いて会話ができるというものだ。
「私は魔法学園を卒業した後──」
「退学でしょ?」
「……」
いかん、出鼻を挫いてしまった。
「どうぞ続けてください」
「うん……
私は魔法学園を去った後、野良冒険者として
いろんなダンジョンに行ってみたんだけどね
自分で思ってたよりも全然体が動かなくて、
魔物の討伐じゃ稼げないことがわかったんだ〜」
「それは最初からわかっていたのでは?
先輩はアイテムの生産が専門だったでしょうに」
「それでね、現場の人たちからは
『魔法学園の卒業者だから期待したのに!』
って怒られてばかりだったんだよね〜」
「経歴詐称はだめですよ」
「うん、みんなも『詐欺だ』って言ってた
……で、他の方法で稼ごうと思って
アルバイトに応募してみたんだけどね
コンビニは仕事を覚え切れなかったし、
お掃除は重労働だし、長続きしなかったの」
「ん……?
清掃員って年齢層高いイメージありますけど、
意外と肉体労働だったりするんですか?」
「あ〜、ヒロシ
その質問には母ちゃんが答えよう
……清掃は紛れもなく肉体労働だ
冬場でも余裕で汗だくになれるぞ」
「へえ、大変なんだなぁ」
「本当に大変だったんだよ〜
水のたっぷり入ったポリッシャーを
エレベーター禁止で最上階まで運ばされたり、
若者は休憩中も率先して動かないと怒られたり、
働くのってこんなに辛いんだ……って思った!」
「それはただのパワハラじゃないですかね……」
「階段でポリッシャー運んでる時に落としちゃって、
危うく上司を怪我させるとこだったんだよね
……で、気まずくなって辞めちゃったんだ〜」
「それは是非ぶつけてほしかったような……
いや、本当にやったらだめだけど……」
その後も先輩は他のバイトを試したが失敗続きで、
月収3万円の稼ぎでどうにか耐え凌いでいたらしい。
だが先月に段ボールハウスで熟睡中に財布を盗られ、
警察には冒険者であることを理由に相手にされず、
勤め先に給料の前借りを申し出るもクビになり、
どうにも立ち行かなくなって現在に至る。
「……俺、思ったんですけどね
先輩には錬金術があるじゃないですか
そのレアスキルを活かせばよかったのでは?」
「あ〜、うん それね……
錬金術師として働いたこともあるんだけど、
職場にあった貴重な素材を勝手に使っちゃって
『二度と来るな!』って怒られちゃったんだよね」
「あなたは一体、学園で何を学んだんですかね」
その日からしばらく、
阿藤理恵は小中家で暮らすことになった。
6畳1間のアパート暮らし。
学園の女子寮よりも狭い一室。
1人なら快適、2人でもまあ平気、
3人からは少し窮屈なこの空間で
新生活を送ることになったのだ。
不満は無い。
それどころかワクワクしている。
ここには“家”としてあるべきものがある。
彼女の実家は裕福ではあるが選民意識が高く、
冒険者のような不安定な職業を見下しており、
その道に進んだ彼女は一族の恥として
絶縁されたも同然の状態だった。
そもそも彼女は優秀な兄と比べて不出来な妹であり、
両親や使用人たちからは疎ましい存在として、
兄からはストレス解消の捌け口として扱われてきた。
そのような仕打ちをしてきた人間を、
どうして好きになれるだろうか?
彼らに対して不信感を抱くのは必然であった。
あんな連中に助けを求めるくらいなら、
野垂れ死んだ方がマシだ。
それが家族を頼らなかった理由である。
「理恵ちゃんさえよければ、
いつまでもうちにいていいんだよ」
「え、本当ですか!?
ありがとうございます!!」
「いや、ちょっと待てよ
それはまずいって
俺、タワー出て自宅から通うようになるしさ
母ちゃんはたまに現場近くに泊まり込むだろ?
年頃の男女が一つ屋根の下ってのはさすがに……」
「あっははは!
なぁに心配してんのかねえこの子は!
それとも期待してんのかな? おぅ?」
「いや、期待とかそんなんじゃなくて……」
「ひーくんも男の子ですな〜」
「先輩までそういうこと言う……」
「まあ、もし何かが起きても
それは間違いじゃないから大丈夫!」
「母ちゃん!!
親としてそれでいいのか……!?」
ともあれ、彼らの共同生活が始まったのだ。