5月下旬
ヒロシは落ち込んでいた。
無理もない。
あの谷口に負けてしまったのだから。
それだけではない。
ヒロシは史上最低の基礎魔力の持ち主であり、
魔法使いとして活躍するのは不可能だと伝えられている。
ならば前衛能力に特化するしかないのだが、
よりによって利き腕を負傷したために剣を握れないのだ。
「134……! 135……! 136……!」
「おい、ヒロシ!
何をやっている! 安静にしていろ!」
目を離せばすぐにこれだ。
あいつは左手で素振りをし、少しでも剣の腕を磨こうと努力している。
気落ちしてはいるが、それで冒険者の道を諦めるような男ではない。
「いや〜、平気だって!
医務室の先生が言ってたんだけど、
適度な運動した方が回復が早まるんだってさ」
「訓練だけで充分だ
焦る気持ちはわかるが、無茶をすれば傷口が開くぞ」
「そうは言われてもなぁ
1日でもサボったら、みんなに追いつけなくなる気がしてさ……」
「サボるのと休むのとでは大違いだ
お前は今、休むべきだろう
俺にも骨折の経験がある
今のお前のように無茶をして、周囲を心配させた経験もな」
「へえ、お前にも折れる骨があったんだな」
「真面目に聞け
もっと自分を大事にしろ」
「お、おう……」
その夜、ヒロシから頼み事をされた。
この時だけではない。あいつの骨が折れた日から続いている。
「毎度すまねえな、アキラ
でも俺にはこいつが必要なんだ……」
「いや、気にするな……」
ヒロシから渡された発泡スチロール製のパックを開け、
付属のたれとからしを入れ、箸でよくかき混ぜる。
そう、納豆だ。
「アキラも食えばいいのに
ビタミンBとかKとか豊富だし、単純においしいじゃん」
「いや、遠慮する
食えなくはないが、どうも苦手意識がな……
俺の母親は異常に鋭い五感の持ち主だったんだ
発酵食品全般を腐った食べ物としか認識できなくて、
初めて納豆が食卓に並べられた時の顔を思い出してしまう」
「相当すごいリアクションだったんだな……
そういや俺も最初は苦手だったなぁ
ただ、父ちゃんが毎日あまりにも美味そうに食うもんで、
徐々に俺も食うようになっていつのまにか克服できたって感じだ
あれはそういう作戦だった……わけねえな
あの人は単純に自分が食いたいから食ってただけだ、うん」
納豆トークに花を咲かせていると、誰かが扉を叩いた。
まあ、来訪者はグリムだ。
彼もヒロシを気遣い、最近は3人で行動することが多くなった。
「よう、今ならシャワー空いてるぜ
……って、お前らこれから晩飯か
じゃあ俺も先にメシにすっかな
アキラ、ついでに近代史のノート見せてくれよ」
断る理由は無い。
狭い部屋が更に狭くなり、心地良い。
グリムは一度自分の部屋に戻り、
彼のソウルフードである卵かけご飯を持参して合流した。
俺は鮭茶漬けにしようと思っている。
つまり、みんなの手元に米がある。これはちょうどいい。
俺はクーラーボックスを開けた。
「2人に食ってほしい物があるんだ
俺1人じゃ食い切れなさそうでな……」
「お?
なんだなんだ?」
「あ、このパターン……
例の親切な農家の人だな!」
「ああ、今回はしば漬けと梅干しと──」
「はいそこのアキラ止まりなさーい」
「はは、なんだそれ
二人乗りの取り締まりかよ」
賑やかな夜になったものだ。
──翌日。
教室で納豆と卵白の組み合わせについて3人で話し込んでいると、
眼帯をしたリリコがやってきた。
頬にはガーゼが貼られており、歩き方がぎこちない。
同級生たちはその様相に一瞬驚いたようだが、
すぐに興味を失って友人同士の会話へと戻っていった。
「喧嘩でもしたのか?」
リリコは中学時代に荒れていた時期があるらしく、
数多くのチンピラを血の海に沈めてきたそうだ。
そういう暴力の世界に生きてきた人間だし、
また誰かとやり合ったのだとしても不思議ではない。
だが、その予想は外れた。
「喧嘩っつーか……
試合でやられたんだよ」
「相手は無事なのか!?
手加減はしたんだろうな!?」
「まずはオレの心配をしろよ
……ああ、無事だよ
それどころかオレが手加減された側だ
悔しいけど全くの無傷だよあの女……
それに比べてオレは……ほら見ろよこのアザをよー!」
リリコはYシャツを大きく捲り上げ、
脇腹に出来た生々しい傷痕を俺たちに公開した。
「ちょうど肝臓の辺りか
苦しかっただろうな」
「こっちも超痛てぇんだけど!」
そう言い、スカートをたくし上げて太腿の側面にも出来たアザを見せる。
「ああ、それで歩き方がぎこちなかったのか」
ヒロシとグリムはその光景をじっくりと目に焼き付けていた。
それにしても、リリコが負けた……?
にわかには信じ難い。
こいつは天性の狩人なのだ。
誰よりもウサギを狩るのが上手かった、あのリリコが……。
「3組の森川って知ってるか?
地味な顔して、とんでもなく速えーパンチ打ってやがる
あいつ絶対格闘技やってるよ……油断したぜ」
「リリコちゃんを負かした相手かぁ
森川、森川……あった
3組所属、森川早苗
女、身長体重非公開、属性非公開、戦績も非公開……謎多き女だな」
「ん?
ヒロシ、なんだその情報は……
インターネットで調べたのか?」
「いや、対人戦のマッチング用アプリだよ
全1年生の簡単なプロフィールを見れるだけでなく、
対戦の申し込みと会場の予約までこのアプリで行えるんだ
……しっかし、試合するなら教えてくれれば観に行ったのに」
「んー、それがよー
目立つのが嫌だって理由で口止めされてるんだよな
あんな強えーのに正体を知られたくないみたいでさ、
会場にはオレとあいつと審判の3人しかいなかったぜ」
「それを俺たちに話してもいいのか?
口止めされているんだろ?」
「あ、やべ」
この情報はここで堰き止めよう。
「まあ……そんな感じで、オレは早くこの傷を治したいわけよ
あーくん、ババ様から秘薬貰ってきてくんねえ?」
「おっと……なんか気になるワードが出てきたぞ」
「ババ様、秘薬……ちょっと詳しく教えてくれ」
ヒロシとグリムは興味津々な顔をしている。
そこまで惹かれるような単語だろうか。
「ババ様は村の御意見番でな、
村長を黙らせることができる唯一の人間だ
薬草作りに長けていて、医者のような役割を担っているんだ
ババ様の秘薬には俺も世話になったことがある
効き目は抜群……なのかもしれないが、
他の薬と比べた経験がないから断言はできない」
「あーくんはワニに噛まれたことがあるんだぜ?」
「ワニ!?」
「またパワーワード!」
「いやー、川で遊んでた時に襲われちゃってさー
そしたらあーくんが咄嗟に身代わりになって、
右腕をガブっとやられちまったんだよなー」
「えっ、ちょ……秩父にワニいんの!?」
「それ以前に日本の動物だっけか?」
「基本的に日本には生息していない
だが捨てられたペットが野生化するなどのケースは存在する
あの時のワニもそういう個体だったのだろう
……とりあえず明後日に実家へ戻る予定だ
その時に秘薬を貰ってこよう」
「それ、俺も試していいか!?」
「なんか効き目ありそうだよな」
「処方された薬以外は使わない方がいいんじゃないか?
ババ様は医者代わりというだけで、本物の医者ではないんだ
あの秘薬は医学的根拠があるか不明だし、責任を持てないぞ
リリコの場合は軽症だからな ヒロシとは怪我の程度が違う」
「うぅ、そっか〜 そうだよなぁ……」
「ま、正論だわな」
──本日、ダンジョンに同行してくれるのは宮本先輩だ。
それと、グリムが率いるパーティーと初めて組むことになった。
リリコは歩くのも辛い状態なので不参加なのはわかるとして、
休んでほしいヒロシが一緒に来るのはいかがなものか。
「まあいいじゃねえか甲斐
見学くらいさせてやろうぜ
この俺がついてんだから安心しろよ」
だから不安なんだ……。
「そういやお前らの護衛は初めてだし、
軽く自己紹介でもしてくれよ」
「あ、はい
4組の栗林です」
「待て待て、違うだろ
一応お前らの話は小耳に挟んでんだ
“いつものノリ”で頼むぜ」
「いつものですか……
よし、じゃあ──」
グリムは左手で顔の右半分を覆い、
キリッとした表情で名乗りを上げた。
「俺は深淵の魔剣士グリム──」
他のメンバーも各自ポーズを決めてリーダーに続く。
「断罪の凶槍カルマ──」
「神速の双刃カムイ──」
「聖風の癒し手アリス──」
「「「「 そして── 」」」」
「──野村だ」
……グリムの紹介はいいとして、
カルマ=3組の丸山和輝君、カムイ=3組の向井洋平君、
アリス=2組の東雲ありすさん、そして2組の野村勇気君ということらしい。
「ガハハハ!
お前ら面白れえぞ! 俺は好きだぜ!
ちなみにお前らみたいなのが案外早く魔法使えるようになるんだよな
普段から色々と空想してる連中は魔法のイメージがしやすいらしいぜ?
イメージする力が高いほど出力時の負担が減るって話だ」
「本当ですか!?」
「よ〜し、帰ったら今日も掃除機回すぞ!」
「私ももっと頑張らなきゃ!」
先輩からの助言に目を輝かせるメンバーたち。
グリムも何かリアクションを取りたい様子だったが、
それよりも俺にもう少し詳しい説明をしてくれた。
「まあ俺たちはオタク仲間ってやつでさ、
いつもこんな感じでダンジョン探索してんだ
野村ってのは今日突然アリスが連れてきた奴だから、
今後も一緒に活動するかはまだわかんねえな」
「野村君はすごいんだよ!
もう魔法が使えるようになったんだって!」
「え、マジで!?
それじゃあそいつ、第1号じゃね!?」
「最初の男……“ファーストマン”だな」
「俺も早く魔法使いて〜」
野村君は恥ずかしそうに頭を掻いている。
彼の名誉のためにも進道君や黒岩さんの存在は黙っておこう。
グリムパーティーの本日の目的は第2層の終点まで辿り着くことだ。
現時点でそれを達成している1年生は5人だけである。
この階層にはコボルトという魔物が湧き、3匹〜6匹の群れで襲ってくる。
単体なら特に脅威ではないが、やはり数の暴力というのは恐ろしく、
1つの群れと戦っている時に他の群れが乱入するという状況も珍しくない。
「くっ! 次から次へと……!」
「またおかわりが来たぜ!」
「くそ〜、腕が疲れてきた……」
グリム、カルマ、カムイの3人はそれぞれの武器で応戦……というか、
まだ魔法が使えない現状ではそれしかできることがない。
「みんな頑張れー!」
「MP無くてごめんねー!」
癒し手とは名ばかりのアリスは声援を送るだけであり、
野村君は前日に魔力……MPを使い切って回復期間中らしい。
彼は紅一点のアリスの護衛として戦闘には加わらず、後方にいる。
「あの女いらねえよなあ?」
「もっと静かな声でお願いします」
「オタサーの姫ってやつだな」
グリムパーティーはできる限り自分たちの力だけで
目的地まで行きたいと言っていたので、
経験者の俺たちは助けを求められるまでは見守る形だった。
そして、途中で何度か危うい場面もあったが、
彼らはなんとか自力でコボルトの群れを捌き切ったのだ。
「ハァ、ハァ……
なんとか掃除できたな
アリス〜、クッション頼む あと水も」
「オッケ〜」
アリスは指示通り、クッションと飲み水をメンバーに配った。
「フゥー! 生き返るー!」
「アリスの聖水は最高だぜ!」
もしかしてあれが癒し要素なのか?
「東雲さん、僕にも水くれる?」
「……あ! ごめん忘れてた!」
「ええぇ……」
自分で連れてきた野村君の分を忘れるとは、手際の悪さが目立つ。
居た堪れないので、彼にはこちらで用意した予備の飲み水を渡した。
「さすがはアキラと言うべきか……抜かりねえな
アリスには回復魔法の適性があるから、
そいつが使えるようになるまでは補給係をやらせてるんだが……
まあ、ご覧の通りポンコツなんだよなあ」
「適性?
すると、練習すればどんな魔法でも習得できるわけではないのか」
「あれ、知らなかったのか?
俺たちは入学前に適性検査ってのを受けててな
それで将来どんな魔法が使えるようになるのか把握してるんだ
お前は魔法能力者じゃないから検査を免除されたんだろうな」
魔法に関してはほとんど勉強してこなかった。
才能の無い俺には関係無い分野だからだ。
ただし円滑なパーティープレイを実現するには、
どうやらそれなりに学ぶ必要がありそうだ。
彼らは自力だけで終点には辿り着けなかった。
この第2層に出現する魔物はコボルト以外にも4種類が存在し、
特にローパーの触手攻撃の射程距離は約15mもあり、
初見で対応するのは難しかったのだ。
それでもグリムパーティーは目的を達成することができた。
彼らは数々の苦難を乗り越えて、第2層の終点へと辿り着いたのである。
「コングラッチュレーショーーーン!!」
「任務完了、これより帰還する」
「了解、ザザッ」
「みんなおめでとう!」
「僕もここにいていいのかな……」
これで、ここまで来れた1年生は10人になった。
彼らは問題を抱えているパーティーだが、きっと俺たちにも問題点はある。
人の振り見て我が振り直せ、だ。
今日の経験はいい刺激になったと思う。
これからはヒロシやリリコ以外とも積極的にパーティーを組むべきだろう。
基本情報
氏名:小中 大 (こなか ひろし)
性別:男
年齢:15歳 (12月23日生まれ)
身長:168cm
体重:58kg
血液型:A型
アルカナ:愚者
属性:氷
武器:レンタルソード (片手剣)
能力評価 (7段階)
P:2
S:4
T:1
F:1
C:2