ショートストーリー to be or not to be,that is the question.
「まったく、酷い現場でしたね」
署に帰り、ディスペンサーのコーヒーを入れ乍ら、新人刑事のゴートが呟いた。先程まで検分していた事件現場を思い出したのか、眉間に深い皺が寄っている。出来上がったコーヒーを一口啜り、更に顔を顰めた。
「不味……せめて、もう少し人間の飲み物らしいものを飲みたい。あ、先輩も要りますか?」
ゴートに尋ねられ、先輩刑事のDC‐1は、銀色に鈍く光る頭を掻きながら、苦笑した。
「俺が飲むわけないだろ? そもそも、そんな不味そうに飲んでる物を人に勧めるなよ」
「先輩は人じゃないじゃないですか。それに、最近は飲食出来る様に改造してるロボットも多いみたいだし」
ゴートは、しれっとした顔でそう言いながら、またコーヒーを啜る。その遠慮のないもの言いは上司から睨まれる原因であったが、DC‐1は、ゴートのそういう処が気に入っている。相手が人間であろうがロボットであろうが態度を変えないこの後輩は、生意気ではあるが、仕事に対しては真面目だし、何より、こちらも気を使う必要がないのは、付き合うのに気楽だった。
「刑事の薄給で、そんな改造出来ると思うか?」
「いいえ」
「お前は、きっと出世しないな」
ゴートは肩を竦め、DC‐1は再び苦笑した。
一息ついた二人は、報告書を作成する為に、空中操作型タッチパネルを呼び出す。
DC‐1は、脳内の一時保存から事件現場の情報を呼び出し、少し考え、手早くタッチパネルを操作しながら写真資料や文章を纏めていく。
ロボットならば電脳同士を接続すれば一瞬で済む筈の作業だが、そう言った行為は世界中の大抵の都市の条例で違反行為とされている。人権を有するロボットは、直接電脳同士を繋ぐことは推奨されていないのだ。ロボットに対する人権侵害ではないかと大騒ぎをする輩も居るが、ウィルス感染や情報漏洩等を防ぐ為に必要な措置であると、殆どのロボットは納得している。そもそも、剥き出しの自己を何かに繋ぐなんて気持ち悪いじゃないかと、DC‐1も思っている。
それに、DC‐1は、人間と同じ様に作業することが好きだった。自分の意思でボディを動かし、自己と外の世界を同調させる作業は、何とも言えない安堵がある。
「ああ、また現場を思い出しちゃいました。先輩は、よく平気ですね」
「慣れだよ、慣れ。お前だって、その内、バラバラのご遺体に向かい合った後に、平気で焼肉を食える様になるぜ」
「いっそ、早くそうなりたいですよ」
確かに、今日の現場は酷い有様だった。
事件現場は、個人経営の居酒屋だった。小ぢんまりとした店構えだが、焼き鳥が美味いと評判で、中々繁盛していたらしい。店主は、五十年以上焼き鳥一筋でやっているロボットで、最近雇われた人間の従業員の男と共に店内で倒れているところを、配送中の酒屋が発見したのだ。
現場は、割れたビール瓶や調味料、沢山の鉄や竹の串、仕込み中の肉や野菜が、足の踏み場もない程床にぶちまけられ、火の落とされた焼き台に掛けられた、真黒に炭化した焼き鳥の焦げた臭いと共に、臭気のカオスとなっていた。
「酒屋さん、せめて、ビールケースを置いて連絡してくれればよかったのに」
「そう言うなよ。あんな現場を見たら、誰だって動揺するさ」
第一発見者の酒屋の配送員は、毎日決まった時間に店を訪れ、裏口から声を掛けドアを開けて貰い、厨房に注文の品を置いて行くことになっていたのだが、その日は、声を掛けても鍵の開く気配がしない。試しに非接触式ドアに足を近づけると、ドアはすっと開いた。鍵は最初からかかっていなかったのだ。
この時点では、配送員は疑問を抱かなかった。半年ほど前から居酒屋に雇われた従業員は仕事熱心で、早目に出勤して仕込みを終わらせ、その分空いた時間に、店主に鳥の焼き方を教わっていることがあった。どちらも真面目でのめり込むタイプで、これまでも、配送員が何度か声を掛けても中々気付かれない事があったからだ。
酒屋が改めて声を掛けながら中を覗くと、荒れた厨房と倒れた人影が目に入り、慌てて救急と警察に連絡したのだが、その際、持参したビールケースを取り落としてしまい、床に多量のビールが流れる羽目になった、という訳だ。
だが、配送員の、大切な商品を台無しにしてまでの救急連絡は、残念ながら徒労に終わった。救急が駆け付けた時には、既に店主も従業員も死亡していたのだ。包丁を手に持ったままの店主は、鉄串で頭を貫かれたことに因る電子頭脳と身体制御システムの破壊で死亡。両手に鉄串を握りしめた従業員の身体には、多少の打撲痕と切り傷はあったが、直接の死因は感電による心臓停止。
第一発見者は、第一被疑者に早変わりしたが、幸い、配送員の嫌疑は直ぐに晴れた。アリバイもはっきりしていたし、動機もない。居酒屋の店主とも長い付き合いではあるが、殺意を抱くほど個人的な関わりは持っていない。従業員とも、本人の供述通り、挨拶を交わす程度の関係でしかないということは、間もなく裏付けが取れた。
現場周辺の商店街の幾つかの防犯カメラには、不審人物は見当たらず、また、彼等を殺したい程憎んでいる者もいないようだった。厨房は荒れていたが、第三者の痕跡や盗まれた物は無く、最終的に、不運な事故か諍い等に因る衝動的な犯行、という結論に達した。どちらかが転倒しかけ、もう一人が支えようとした際、従業員が手にしていた鉄串が運悪く店主の頭に刺さり、従業員も店主の身体を流れる電流で感電してしまった。或いは、感情的な行き違いで、どちらか、もしくは同時に凶器を手に取り、格闘の末、従業員が店主の頭部を刺し従業員は感電死した、等。
憶測はいくらでも出来たが、現場の状況や検死結果は、二人の身体に傷が付いたのはほぼ同時であり、先に致命傷を受けたのは店主であることを示していた。問題は、そこに殺意があったのか無かったのかだ。従業員の家族は、息子が故意に店主を刺したとは思えないと主張した。優しい子で、店主を尊敬していたと何度も警察に繰り返した。関係者や店の客への聞き込みでも、互いに不満を抱えている様子は無かったそうだが、実際どうだったかまでは分からない。強いて言えば、従業員が早く焼き場に立ってみたいと常連客にぼやいていたらしいが、単なる軽口という印象だった、とのことだ。
店主の電子頭脳を調べれば、詳しいことが分かるかと試してはみたが、損傷が酷く、それもままならなかった。そして、彼の個人ナンバー登録に、電子頭脳が停止した際の修理は希望しないと記載があり、本人の希望通りそのまま死亡扱いになった。
結局この出来事は、多少不自然とは言え、事件ではなく事故として処理されることになりそうだった。
もっとも、不自然な点は確かに残っている。店内に設置された防犯カメラは、事件の起きる直前から何も映していなかった。骨董品と呼べるほど古いタイプのカメラは、すっかり壊れていたのだ。警察はカメラを修理し、データを調べたが、それも徒労に終わった。カメラが得た情報は、店主が契約していた警備会社の情報バンクにも送られる仕組みだったので、当然そちらも確認したが無駄だった。誰かの手で意図的に壊された形跡はなかったが、タイミングが悪過ぎた。
折角修理したんだから、防犯カメラを事情聴取出来ればいいのに、とゴートは呟いていたが、勿論本気では無かっただろう。防犯カメラや自動走行車のような機械類と、DC‐1のように感情のあるロボットは違う物だ。少なくとも法律上では、器物と基本的人権のある人間と同等の存在として、別物として定められている。ただの機械に事情聴取をしたところで、物証以上の成果を得るのは難しい。そもそも、古ぼけた防犯カメラ程度の機械に、事情聴取に応じられる性能があるかも疑問だ。
だが、DC‐1は時折考える。感情の有無が機械とロボットを分けるなら、感情という概念を決めるのは人や法では無く、機械で在るべきではないだろうか。人間の定めた法に不満があるのではない。単純に、とうの人間ですらあやふやだと感じている「心」という存在が、明確に線を引く基準たり得るのかが疑問なのだ。
ともあれ、報告書の作成を切り上げ、引継ぎを済ませると、DC‐1は帰り支度を始めた。
「先輩、帰るんですか?」
仮眠室に泊まるつもりのゴートが訊ねた。
「ああ。もう二日も帰ってないからな。報告書の続きは明日だ。流石に家のベッドが恋しい」
お疲れ様でーす、と言いながら仮眠室に消えていくゴートに背を向け、DC‐1は、オフィスを出ようと署の出口に向かう。その足が次第にゆっくりになり、やがて完全に止まった。
(念の為だ。今更、新事実が出て来る訳がない)
DC‐1は、踵を返し、証拠品の保管室に向かう。一体何が気になっているのか、自分でも分からない。強いて言うなら、これが刑事の勘というものなのだろう。
保管室には誰もおらず、それがDC‐1を、どことなく後ろめたい気持ちにさせる。
目当ての物を手に取り、部屋の奥にある簡易机にそっと置く。修理を終えた、あの古い防犯カメラだ。電子手帳と防犯カメラを繋ぐ。音声を切り、カメラが最後に映した映像から高速の早送りで遡り見ていくが、不審な点はない。閉店後、丁寧に掃除する店主と従業員や、客で賑わう店内が映る。半年も遡ると従業員の姿は登場しなくなったが、それ以外は、代わり映えのしない映像が続く。従業員が帰った後、或いは従業員が雇われる前から、店主が決まって一人で調理場を点検している姿は、如何にも職人気質な感じだ。
丁度一年前まで遡ると、映像の再生は終わった。DC‐1は手帳と防犯カメラの接続を切った。
DC‐1は一度室外に出て、廊下に据えられた固いソファに腰かけ伸びをすると、手帳を操り警備会社の情報バンクにアクセスした。あの防犯カメラ自体は、一年分の音声と映像しか保存出来ないタイプだが、情報は契約している警備会社の情報バンクに随時送られ、半永久的に保存される。取り敢えず、数年分のデータを手帳にダウンロードすると、再び保管室に戻った。
今回の事件は、突発的なものであることがほぼ確定している。警察は常に忙しい。署の誰も、事件直前の映像以外は興味が無い。それはDC‐1も同じ――筈だ、が。
(俺は、一体何が引っかかっているんだろう?)
圧縮された画像を二年程遡り、今度はそこから事件当日までを早送りでチェックする。画面の中で一年分の時間が経った頃、DC‐1は、やっと違和感の正体に気付いた。
(このカメラ、どこに焦点があるんだ……)
広い店では無い。防犯上重要な所が、画面の割合を多く占めるようにカメラは設置されていた。画像の比率で言えば、客席が半分、キャッシャーが十分の四、残りの十分の一が調理場といった所で、それは問題ではない。だがカメラの焦点は、客席でもキャッシャーでもないようにDC‐1には感じられるのだ。
(調理場? 何故?)
再び手帳を防犯カメラに繋ぐ。情報バンクよりややましな映像を、従業員を雇い出した頃の閉店後から、今度は音声も出力しながら、早送りの速度を少し落とし順再生する。早送りの不自然な声は耳障りだが、聞き取れない程ではない。
画面の中で過去が現在に近付く。
悪くない焼き加減だ。とんでもない、まだまだっす。おう、慢心するなよ、とは言え、もう一息でお客さんに出せるかもな。ありがとうございます、おやっさんが、焼くところ見せてくれるお陰っす。はは、こりゃ、うかうかしてらんねぇ。あの、おやっさん、本当に味覚ないんすか。ん、なんでだ。だって、こんなに美味いの作れる人が味を知らないなんて、信じられないっす、手術しないんすか。俺ぁ古いタイプだからな、合う味覚センサーがねぇんだよ、なに、お客さんの顔見てりゃ、食うまでもなく料理の出来なんて判るってもんだ。俺も早くおやっさんレベルになりたいっす、ああ、やっぱ美味いなぁ。おい、つまみ食いも大概にしろよ。これ、ザラメのコクっすか。おお、気付いたか……
何てことない会話だ。努力を重ね評判を手にした店主と、飲み込みが早い従業員の仲は、周囲に聞いた以上に良好に思えた。映像は続く。従業員が帰った後、何時も通りに店主が調理場の点検を始める。その時、店主が何か呟いている事に気付いた。DC-1はボリュームを上げ、聴覚に集中する。
「俺の五十年は軽くねぇ」
「味覚なんて無くたって、仕事は出来んだよ」
「簡単に……」
「何でだ? 人間だからか?」
「俺は……」
営業中の映像を確認する。そこには、従業員に仕事を教え、偶には冗談も言う、今まで通りの店主が映っている。
だが映像が日を追う毎に、閉店後の店主の独り言は増えていく。
ある日を境に、それがぷつりと止んだ。閉店後、厨房で一人になった店主は何も言わず立ち尽くし、時折天を仰ぐ。己の手を見詰め、静かに包丁を研ぐ。野菜を、肉を、丁寧に、執拗に切り分ける。鶏の骨をへし折り、じっくりと肉を削ぐ。ただ只管に、毎日、毎日。
DC‐1は耐えられなくなり、カメラの映像を止めた。店主の感情は、自分にも覚えのあるものだった。
店主は、従業員に、否、人間に激しく嫉妬していた。
身体が機械なだけ、心があることが人間の証拠、などという言葉が、単なるお為ごかしに過ぎないという事に、どれだけの人間が気付いているのだろう。法で定めた付け焼刃な関係性は、人間とロボットをさらに引き離す。ロボット達は、増々人間ではないことを強く意識する。
DC‐1は頭を振り陰鬱な気分を追い払うと、確信した。この防犯カメラは、やはり厨房を意識している。理由は解らないが、少なくとも自分にはそう見える。人間ではないからこそ分かる、それこそ、ロボットの勘だ。
気付くと、電子手帳に受信を知らせるライトが点滅していた。手帳に伸ばしかけたDC‐1の手が止まる。自分は今、証拠品保管室の中にいる。先程、警備会社の情報バンクにアクセスする為に、態々部屋を出なければならなかったのは、防犯上、保管室内は外部とのデータのやり取りから完全に独立しているからだ。
ならば、今、手帳が受信しているのは一体何だ?
受信ライトは、まだ点滅している。DC‐1は手帳の通話マイクをオンにした。
「……誰だ?」
DC‐1の低い声に、合成音の様な女の細い声が答えた。
「あの、あたし、防犯カメラです……」
「何?」
女が、小さな声でもう一度名乗った。
「あたし、刑事さんが手帳と繋いでる、防犯カメラ、です」
DC‐1の思考回路は、相手の言葉を上手く理解出来なかった。防犯カメラが喋る? 只の機械が? 馬鹿馬鹿しい。
DC‐1は、厳しい声で追及した。
「ふざけるな。どんな手段か知らんが、警察のシステムに忍び込むとは、良い度胸だな。何が目的だ」
「ふざけてなんていません。本当に防犯カメラなんです、信じて下さい。確かに、手帳の機能を借りてますけど、それは自力じゃ喋れないから……ハッキングとか、そんなつもりじゃないんです。たまたま刑事さんがあたしと手帳を繋いでくれて、今しかチャンスがないって思って。
それに、警察のシステムや刑事さんの手帳って、簡単に忍び込めるものなんですか?」
言葉に詰まるDC‐1に、女の声は続けた。
「お願いがあるだけなんです。捜査が終わったらで構いません。あたしのこと、壊してくれませんか。もう、直しようのないくらいに」
DC‐1は、女の声が防犯カメラであることを受け入れ始めていた。
「折角直ったっていうのにか?」
「直して欲しくなかった。自分から壊れたのに」
「自分で壊れた? 何故だ? 事件の直前、あんたは何を見た? 何を知ってるんだ?」
女の声は、今にも泣き出しそうだった。
「事件のことは、何も見てません。でも、あの男の人を雇ってから、親父さんの様子は段々おかしくなってしまった。あの日は悪い予感がしてました」
ありえない。〝悪い予感〟ときた。機械が予感を抱く? 何を言っているんだ。そう思いながら、ロボットの刑事は、女の告白に引き込まれていく。
「親父さんは努力家でした。味が分からないなら、味覚以外の感覚で美味しさを追求するんだって、食材の鮮度や焼き加減、味付け、お客さんの反応、凄く研究してました。段々お客さんも増えてきて、ロボットだってやりゃあ出来るんだって、毎日楽しそうでした。最近じゃ凄く忙しくなってきていて、従業員を雇う事にしました。ロボットでは行き届かない所もあるだろうからって、人間を雇う事にしたんです。とってもいい人で、最初は親父さんも喜んでました。
でも、あたし、知ってました。親父さんは、本当はずっと人間が羨ましかったんです」
あの日は朝から嫌な予感がした、と彼女は続けた。
従業員が串打ちをする姿を後ろから見詰める店主。従業員が、大きい肉の塊を鉄串で刺す。何かに気付いた様に顔を上げる従業員。いつの間にか、すぐ後ろに立っていた店主に驚きはしたが、屈託ない笑顔を浮かべ、直ぐにその顔が曇る。店主の異様な空気にたじろぐ従業員。店主の手には包丁が握られ、そして……。
雇われた従業員は人柄も良く、心から店主を尊敬していたし、店主が考えていたよりも優秀だった。店主の料理を一口食べれば、どこがポイントかを的確に見抜き、店主の技術もあっという間に吸収した。店主を尊敬し、仕事熱心で謙虚であり続けた。やがて店主はいたたまれなくなった。従業員を憎んでいたのではない。ただ羨ましくて、どうしようもなくなってしまった。
防犯カメラは、すすり泣いた。
「あたし、親父さんが好きだったんです。親父さんの心が壊れるの、これ以上見たくなかった。だから、咄嗟に壊れました。なんであたしのこと、壊れたままにしてくれなかったの……」
何時もと違う道を選んだのは、ほんの気紛れからだった。
商店街を通り、まだ立ち入り禁止のテープが張り巡らされた小さな居酒屋の前で、DC‐1は立ち止まる。
或る程度の目星がついた事件現場に、見張りの警察官の姿は見当たらない。DC‐1は周囲を確認し、そっと店内に忍び込んだ。
まだ、こもった臭いのする店内の天井付近の壁を眺めると、一か所がくりぬかれたように、元の白い壁色を晒している。あの防犯カメラが備え付けられていた処だと、すぐにわかった。
「あたし、親父さんが好きだったんです。親父さんの心が壊れるの、見たくなかった。だから、咄嗟に壊れました。なんで、壊れたままにして貰えなかったの……」
哀しそうな声が脳裏に甦る。ロボットは人間への妬みという感情から殺人未遂を犯した。何十年もかけ、機械は心を持った。もしも人間を雇わなければ、店主かカメラが壊れる日まで、彼等の心は誰にも気付かれることも無く、店主は毎日焼き鳥を焼き続け、カメラは店主を見守り続けただろう。それが幸せか不幸かは分からない。
だが、DC‐1にも分かることもある。ロボットは人間を羨んでいる。恐らく、自分も含めて。そして、防犯カメラ――彼女に心が芽生えたというのなら、他の機械にも芽生える可能性があるということに他ならない。
それは何処かで、身近で、ひっそりと、既に芽生えているかもしれないのだ。
DC-1は身震いし、足早に事件現場を後にした。
DC‐1が玄関を開けると、銀色のボディの犬が駆け寄る。頭を撫でてやると、センサーになっている瞳を光らせ、嬉しそうに足元にじゃれついてくる。犬型ペットのマターだ。洗面所に向かうDC‐1の後を、ちょこちょことついて廻る。DC‐1は棚から取り出したタオルで念入りに全身を拭い、もう一枚取り出したタオルでマターのことも拭ってやった。汚れたタオルを洗濯機に放り込み、少し考え、足拭き用マットやキッチンに掛けてあるタオル、シーツ等をかき集め、纏めて洗濯機に放り込み運転ボタンを押す。朝までには洗濯、乾燥から折りたたみ、除菌まで終えている筈だ。
その間も後をついて廻るマターをひょいと抱き上げ、居間のソファに腰を落ち着けた。
居間では、部屋の床を掃除機が這っている。自動で家の中をマッピングし、掃除に最適なルートを辿る、最低限の機能しかないタイプだ。家族暮らし用の多機能な掃除機も買えないことは無いが、狭い一間暮らしの独身男用には、この程度の機能で充分だ。
洗面所では洗濯機が、夜間モードの微かなモーター音を立てている。
膝の上では、マターが機能レベルを少しづつ落とし、スリープモードに移行しようとしている。
キッチンでは、ロボット用燃料とオイルの鮮度を保つ為、保管ケースが常に温度をチェックしている。
人間もロボットも、生活の多くを機械に依存している。まるで奴隷か、無償の愛を注ぐ母の様に甲斐甲斐しい機械を、意識することなど無い。
――だが、自分は今日知ってしまった。ロボットが人間と同等であるなら、機械もまた人間と同等となり得る。もしそれを機械が、ロボットが、人間が知ってしまったら、我々の、いや、俺の生活は、一体どうなってしまうのだろう。
堅牢だと思っていた足元が揺らぐ。
DC‐1は頭を振り、その考えを断ち切った。一介のロボットの自分に、何が出来る訳でもない。考えても仕方のないことだ。今はまだ、何も問題は起きていない。
自分は、事故の顛末を報告書に書いていないのだから……。
仕事を終えた掃除機が、ゆっくりと充電器に向かっている。
「……いつも悪いな。有難う、助かってる」
掃除機に話し掛けたDC‐1に
『どういたしまして』
喋る筈の無い機械の聞こえた気がした。