知らないやめろ分かってる
僕が知ってる『あの子』はとても寂しがり屋だ。
『え?北波がまた喧嘩してた?あ、違う…?止めてた?』
僕が知ってる『あの子』はとても優しい。
『はぁー…北波君は《仮にも》委員長という立場なんですから、少しは大人しくしてくれませんかねぇ…。
どんな事情があれ相手を怪我させる様な生徒は、この学園には相応しくないんですよ』
僕が知ってる『あの子』はとても真面目だ。
『北波がまたサボり?途中でお婆さんの道案内してたって…小学生でもそんな言い訳しないぞ』
僕が知ってる『あの子』はとても…可愛い。
◇
「鵜飼…。おい、鵜飼」
月末締めの作業に追われていた生徒会室は、まさに戦場だ。
机の上に積み上げられた書類は、項目ごとに整頓されている。
…終わりかけの作業に集中出来ていないのは、自分でも自覚していた。
ふいに聞き馴染みの声が聞こえて、眺めていた書類から顔を上げる。
「畢…」
さっきまで他の生徒があーだこーだと議論していたが、気が付けば僕一人になっていたようだ。
顔を上げると机のすぐそばに、いつもの仏頂面を険しく歪めた北波が立っていた。
こんなに近くに立たれていたというのに、全く気が付かなかったなんて。
鞄を二つ持っている所を見ると、もしかしなくても一つは僕のものだろうか。
少しぼんやりした頭に、窓から入る冬の冷たい風が突き刺さる。
「ごめんごめん…。忙しくてちょっとボーっとしてたみたい」
また自分一人で仕事していたと思われたんだろう。
以前仕事を家に持ち帰って寝不足になった時も、今と同じ怒ったような顔をした畢に無理やり布団を被らされたんだった。
『そんな半分寝てる頭で、いい考えが浮かぶかよ』
意外と効率主義の彼は、そんな憎まれ口を利きながら温かい生姜湯と共に僕を寝かしつけたんだ。
彼にとって生徒会の仕事より、僕の体調管理が大切なのは分かっているつもりだ。
「他の奴は帰った…というか帰ろうと話しかけても、お前が上の空だったから俺が東に捕まってこの状況だ」
通りがかっただけと話す彼のその言葉とは反対に、その大きな右手には僕の愛用しているひざ掛けが握られている。
「寒くないか?」
こちらを見つめる目には、他の人には分からない位小さな『揺らぎ』が見えた気がした。
「ううん、大丈夫。ごめんね、心配させて」
冬の風は確かに肌寒いが、震える程ではない。
出来るだけ優しく、真綿に包むように柔らかく答える。
心配させてしまった。
自分の事で彼自身を縛りたくないというのに。
◇
彼は背が大きく、とても男らしい。
学園をまとめる風紀委員長でもあり、月詠学園の大事な『北』の存在だ。
しかし、他人は彼を見た目や素行のみで判断する。
『乱暴者』や『ヤンキー』、『不良』などは日常茶飯事。
『貴方にはあの粗暴な輩は相応しくない』と僕に面と向かって言ってきた猛者も居たほどだ。
彼はその事を全て知っているが、《聞かないふりをしている》。
僕は…いや、俺だけは知っている。
彼は彼自身の『力』が好きではない事を。
喧嘩も《一番相手が傷つかない方法》として、一切反撃せず諦めるまで耐えているだけという事も。
その姿に怯えた相手が、事実とは異なる噂を流している事も。
もし戦えば相手を自分以上に傷つけてしまう事も。
同時にそれほど『自分』という存在が、他人を傷つけると思っている事も。
誤解されている事を、彼は知っている。
知った上で、その事実を変えようとしない。
なぜなら彼は、俺を守るためにそうなると決めたからだ。
─昔の彼は俺よりも小さく、守らなきゃいけない存在だった。
動物が好きでいつも笑顔の、可愛らしい男の子だった。
それが…俺が原因で顔に傷を負った。
守ろうとしていた俺は、彼に《守られた》のだ。
そこから、彼は変わった。
いや─変わってしまった、というべきか。
俺を守る為─俺を失わない為に強くなった。
俺はそれを見ている事しか出来なかった。
今までの自分を捨て、全く別の人間になろうとする彼を見ている事しか出来なかった。
今の彼は、過保護かと思えるくらい俺の傍にいる。
俺が生徒会に入るのだって、3日かけて説得した。
普通の男子高校生に、心配されるような危険はない。
そう話しても納得せず、結局彼が留年という形を取ったという結果から察して欲しい。
◇
「…そうか、ならいい」
ぎこちなく、けれど柔らかく君が笑う。
昔の彼は、未だに俺の心の中で生きている。
他人が彼をどう評価しようと、彼をどんなに責めようとかまうものか。
彼は、『あの子』は今も昔も変わらない。
寂しがり屋で
優しくて
真面目で
とっても可愛いんだ!