7 奥様、夜会に参加する
今、お屋敷の空気は華やいでいる。
なぜなら奥様が三年ぶりに夜会に参加するから。仲良しの夫人が主催する夜会だ。
大事をとってまだ踊るのは一曲だけだけれど、それでも馬車の乗り降り、会場での立ったり座ったりを考えたらすごいことだと使用人の皆さんが明るい顔で言う。
伯爵様はこの日のためにアクセサリーを奥様に贈ってらっしゃった。ドレスは引き締まった体用に新しく仕立てられた。
ダフネ様は筋トレの他にストレッチも頑張られた。手羽先スープも毎日飲んでいる。私も知ってる範囲で美肌美髪に関するお手伝いを全力で頑張った。
蒸した布でお肌を温めた後のオイルマッサージはたいそう喜ばれた。蜂蜜と搾りたてミルクのパックもした。かさついてたお肌は艶々ときめが細かくなり、毎日運動して汗をかいていたから、お身体が引き締まり本当に見た目が若くなった
私、貴族女性の美への執着に脱帽です。奥様に付き合って運動してたらモニカちゃんの体もスッキリ引き締まった。効果は抜群でした。
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夜会参加が決まるしばらく前のこと。
「奥様、私まで夜会に参加していいのでしょうか。ドレスまで用意して頂いてなんだか……」
「当たり前よ!あなたが参加しなくてどうするの。あんなにダンスを頑張ったじゃない。踊りましょうよ。楽しみましょう?」
そうね。ご夫婦で練習と称してアツアツイチャイチャと踊ってるのは、いい景色だった。
仲の良い夫婦って、いいなあ。私が手に入れることがなかった景色はとても眩しく見えた。
「モニカもダンスのお相手が行列を作るんじゃないかな。私が選んでいいなら選ぶが?そろそろ未来の旦那様も探さねばならんな」
「うーん。私、結婚はいいんです。何かで働いてお金を貯めて静かで平和な老後を過ごしたいです」
「モニカったら……なんて寂しいことを」
しまった。ご夫婦ともにしょんぼりさせちゃった。
「とりあえず、結婚は急ぎません。えへへ」
そんな感じで参加した夜会。
「ダフネ!魔法でも使ったの?見違えたわ!」
昔からの仲良しという奥様が驚きと喜びで目をまんまるにして迎えてくれた。二人とも泣き笑いしてる。ダフネ様も伯爵様も嬉しそう。
会場の視線をダフネ様が一身に集めている。三年ぶりに参加した夜会ってだけでも話題になるのに、ほとんど一人では歩けなかったダフネ様が優雅にご夫婦で踊ってるからだ。
近くのご婦人方のヒソヒソ話に耳を澄ませれば……。
「どうして?彼女はあんなに肌が美しかったかしら?」
「肌だけじゃないわよ。身体が引き締まって娘時代のようよ」
「小皺が消えてるんだけど、どういうこと?」
「それより髪よ!艶々してなんて美しい」
そうでしょうそうでしょう。頑張りましたもん、ダフネ様。運動もお手入れもしまくりましたもん。私も全力で協力いたしましたよ!
そういう私も次々ダンスを申し込まれて、ちょっと勘違いしそうだわ。ダンスの練習を頑張ったから、今夜はまだ相手の足を踏んでない。私も成長できたのね。
ダフネ様ご夫婦が踊り終わると、ブワッと旧知のお仲間が群がって、質問の嵐。
「私のことはどうか内緒にして下さい」と事前に私がひたすらお願いしたので、私の名前は伏せられたけど、『秘密を知りたかったら我が家に遊びにいらしてね』というお返事をなさってた。
それ、私のことを知らせる気満々じゃないですか?やめてくださいね?私は注目されたくない。地味にひっそり生きて小さな幸せを掴んで笑って暮らしたい。
奥様のことはたちまち噂になったらしく、翌日からお茶会のお誘いの手紙がバンバン届いたそうだ。クララちゃんが教えてくれた。でも奥様はほとんどを断るらしい。
「みんなすごく興味を持ったみたいね。でもこちらから教えに行く必要はないわね」
「いいんですか?」
「いいわよ。普段お付き合いがない方にはね。だって逆だったら彼女たちは私に教えてくれると思う?美しくなる秘訣なのよ?絶対に教えてくれないわよ。ふふ」
ふふって。
女の世界はどこでも怖い。
「ねえモニカ、私の長年のお友達二人だけ、我が家に呼んでもいいかしら?」
「いいも何も奥様のお屋敷なんですから。私は奥様の大切なお友達でしたら頑張りますよ」
「まあ!助かるわ。じゃあ、早速鍛錬用のあれを縫っておかなきゃね」
あれとはワイドパンツのことかな。奥様はワイドパンツがすっかりお気に入りで、伯爵様が出かけるとすぐにあれに着替えて、暇を見つけては小まめにストレッチしている。
硬かった関節も今では見違えるほど柔らかくなっている。筋トレとストレッチって、効くんだなぁと奥様を見て実感する。私もこれからちゃんと毎日やろうって気になった。
縫い子の有能女子イルヴァさんは、追加のワイドパンツ二着をサクッと縫い上げた。ウエストは紐で縛るフリーサイズ。さすが有能女子。わかってらっしゃる。どんなサイズの人が来てもお直し不要だわ。
私は奥様に一通りの筋トレのコースをおさらいしながらメモを仕上げる。お友達が欲しがるだろうと思ってね。
蜂蜜とミルクの温パックも、おおよその分量を書く。マッサージの方法も顔の絵を描いて矢印で指の流れを書き込む。
手羽先スープのレシピもざっくりと書く。
「奥様。人の役に立てるって、楽しいです。誰かに喜んでもらえるのは私にとっても喜びです」
私がそう言うと、ダフネ様はちょっと目をパチパチして
「あなたはやっぱり天使先生ね」
と仰った。
「天使先生はやめてください。天に召された人みたいです」
二人で笑った。笑えるって幸せ。
今まで笑えずに生きてきた分をたくさん笑って取り返したい。
「奥様。私、伯爵様に呼んでいただいて良かったです」
「なら良かったわ。欲のないあなたのことだから、本当は実家に居たかったんじゃないか、可哀想なことをしてるんじゃないかって、私はずいぶん胸を痛めたのよ。みんながみんな贅沢な生活を目指してるわけじゃないって、モニカを見ていて思ったわ」
「私は、贅沢も素敵だと思いますが、本当はささやかな幸せが有ればいいのです。こちらではささやかどころか豊かな幸せをいただいております」
ダフネ奥様は何かを言いかけたが、飲み込まれてしまった。何が言いたかったのだろう。
後日訪れた奥様のご友人たちはダフネ奥様という成功例を見ているからか、それは熱心だった。
「こんなに汗をかいたのは子供の頃以来よ」
そう笑いながら筋トレやストレッチに取り組んでいらっしゃる。
ひと休みの時間に手羽先スープを試食してもらう。お気に召していただけたようだ。ワイドパンツも高評価。自宅に持ち帰って自分の家の縫い子に作らせると言う。
「それはもっと布を使って沢山のヒダを寄せて作ると、一見スカートにも見えますよ。脚が見えてしまうので鍛錬には向きませんが」
「家の中で着るにはちょうどいいわね」
楽な服装が広まればいい。どう見えるかだけに突っ走ったファッションは健康に良くないよ。
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今日、クララちゃんがメイドさん達を代表してお肌と髪のお手入れ方法を聞きに来た。クララちゃんとはミサンガの件以来仲良しなの。
「いくらでも教えるわよ!」と言ってお手入れのメモを渡したらとても喜んでくれた。
ああ。楽しい。家の中でこんな会話ができることが楽しい。ずっとこんなふうに暮らしていけたらいいなぁ。
前世で、ドアを閉める音やカップをテーブルに置く音、階段を踏む音、そんなものにいつもビクビクして相手の機嫌を推し量っていた頃が夢のよう。
そうか、そうだわ。今はもう、過去の世界の方が夢の世界の話になったのよ。