49 カロアの花の咲く頃に
「モニカ様!どこへ行かれるのです?」
「すぐそこ、カロアの花を摘むだけよ」
「いけません。私が摘んでまいりますから、花嫁様は座ってくださいまし!」
そう言ってクララちゃんが下へと降りて行った。私が椅子に座るのを待って、いよいよ侍女さんたちが何人も仕事に取りかかる。これでもう三時間は動けないだろう。その前、最後に少しだけ動いておきたかったのだけど、だめだったか。
髪を梳かしながら少しずつ束にする者、腕にオイルを塗り込んでマッサージする者、デコルテから背中にかけて白粉を叩き込む者。
「今日はいろいろと大変でしょうけれど、よろしく頼みます」
「おまかせください」
侍女頭の力強い言葉にすこし勇気付けられる。
教育係のコンスタンツォさんに「よろしくお願いします」はもう使ってはいけませんと昨日注意された。私が忘れないように結婚式の前日に伝えるあたりがさすがです、コン先生。
やがて髪はハーフアップにまとめられ、真珠のついたピンで留められた。
ミルキーホワイトのドレスには後ろに長いトレーンが付いていて「どの方向から見ても美しく見えます」と侍女頭さんが満足げにうなずいている。よかった。
お化粧が終わりドレスも着て、あとは呼び出されるのを待つばかり、というところでドアがノックされた。
「ベルトーナ伯爵夫妻がいらっしゃいました」
入り口を守る衛兵さんの声に思わず立ち上がる。伯爵様にお会いするのは久しぶりだ。
「モニカ様。本日はおめでとうございます」
伯爵様にそう言われて少し寂しく感じてしまう。それを察したのか侍女さんたちが部屋を出ると
「なんて美しい花嫁さんだろう。モニカ、おめでとう」
と抱きしめてくれた。ダフネ夫人も抱きしめてくれたけれど、奥様は泣いてしまって言葉が出ない。実は私もひと言も言葉が出ない。
「モニカ、泣いてはだめよ。お化粧が崩れるわ。深呼吸なさい」
そう言ってダフネ夫人はハンカチで私の目元を押さえてくれた。懐かしさ、寂しさ、感謝、それらがひと塊になって喉の奥からこみ上げてくる。
「あなたにどうしても会わせたい人を連れてきたの」
そう言ってダフネ夫人がドアのところへ行き、外の人に声をかけた。入ってきたのはタウスト家の父と母だ。
「お父様!お母様!」
私はついに本気で泣いてしまった。
二人も何か言おうとするのだけど、やはり泣いてしまって、「うん、うん」と頷くだけだ。もう、一年近くも顔を見てなかったモニカちゃんの両親。この世界に来て最初に愛される喜びを与えてくれた人たち。
「なかなか会えないままで結婚してしまうことを許してください」
「何を言うんだい。私の可愛いお姫様や」
「モニカ、とってもきれいだわ」
グスグスと泣きながら抱きしめて抱きしめられて、互いにそれしか言えなかった。でも、言いたいことは伝えられたし伝えてもらった気がする。
「カロアの木、一生大切にします」
「うん、うん」
「また手紙を書きます」
「うん、うん」
母よりも父の方が泣いていた。子供の頃からモニカちゃんを慈しんでくれた父と母。ありがとう。ほんとにありがとう。
「モニカ様、お化粧を直しますよ」
それが合図になってベルトーナ夫妻もタウストの父と母も振り返り振り返りして泣き笑いの顔を残すようにして部屋から出て行った。
泣いて崩れたお化粧を直されながら、深呼吸を繰り返す。しっかりよ、私。失敗しないよう、練習の通りやり抜かなくては。
耳に小さな銀の雪の結晶の付いた真珠のイヤリングを付けてもらう。殿下からの贈り物だ。そこへクララちゃんがカロアの花を抱えて戻ってきた。
「モニカ様、このお花をどうします?」
「会場のどこか、私の姿が見える所に飾ってくれる?」
「わかりました」
クララちゃんが優しいお姉さんみたいな笑顔でカロアの花を銅製のコップに挿して「これでいいかな」と言いながら運んで行った。コップはジャコモさんの作だ。
「モニカ様、では会場に向かいます」
侍女頭さんの声に従い、椅子から立ち上がった。
ドアを出て陛下がいらっしゃる大広間に向かった。これから陛下の前でジルベルト殿下と誓約の儀式を行うのだ。
大広間のドアの前で殿下が待っていた。真っ白い正装用の軍服にはたくさんの勲章と金色のモール、腰には剣。目眩がするほど美しい。
その美しい殿下が
「世界一美しい花嫁さんだね」
と優しい声で話しかけてくれた。
「ジルベルト殿下、モニカ・ベルトーナ様!」
ドアが両側に開かれ中から声が響く。
正面に国王陛下、その隣にクラウディア王妃様、その隣にクリスティーナちゃん、宰相様、コンスタンツォ先生。
皆が優しい微笑みで私たちを迎えてくれる。
私は殿下の腕に手を添えて部屋へと足を踏み入れた。
宣誓の儀式を終え、王宮二階の広いテラスに出た。今日だけは王宮の庭が国民に開放されていて「氷の王子と食いしん坊姫」の結婚式とあって、多くの民衆が集まっている。
今か今かと待っていたであろう人々の前に殿下と私が現れると、皆が一瞬どよめいた。それに続く「王太子様、モニカ様、おめでとうございます!」の声はうねるような大音声となって長いこと続いた。
「笑ってね」
殿下に何度も声をかけられてなかったら号泣してたかも。
午後からは各国の首脳と国内の高位貴族を招いた祝いの会が延々と続いた。広い会場には何箇所も軽食と菓子のコーナーが設けられている。
ひと口サイズで摘みやすい料理は肉、野菜、魚と種類が豊富で、飾られた香草も彩を添えて美しく並んでいる。菓子は乾燥しないように薄くゼラチンを塗られてキラキラ輝いている。
いつもならそれらに集まる人も無く、食べ物は手付かずで放置されるのだが、今回ばかりは皆知らん顔が出来なかったようだ。
皆チラチラと目を奪われながらも手を出さずにいたが、一人が我慢できなくなって食べて満足げに目を閉じた。そうしたら我も我もと食べ物に集まった。よし!それで良いのです。これで私の黒歴史は帳消しです!
クリスティーナ王女は
「これはどんな天国かしら」
と目を輝かせて次々とヨランダさんに取りに行かせ、ついに
「クリスティーナ様、たいがいになさいませ」
と注意されていた。
「モニカお姉様、罪深いお菓子を作られましたね。私、止まらないです」
凝った菓子が並んでいたけど、王女の一番のお気に入りは頭に金箔を載せた小さな小さな白鳥の形のシュークリームだった。
♦︎
日付が変わり全ての客が会場から姿を消した頃、私たちは熱いお茶を飲みながらホッとくつろいでいる。
「疲れただろう?」
「はい、少し」
「明日から一週間は僕も執務から解放される」
「そうなんですかっ?」
嬉しくて思わず大きな声になってしまった。それを愛おしそうに笑って見つめてくる殿下の目に、もう私の姿はブレたようには見えていないらしい。
「あちらの世界の歌を思い出せなくなった」と私が言うようになった頃からそれがなくなっていたそうだ。
「モニカの身体にゆきの魂がすっかり馴染んだのだろう」と殿下は仰る。
殿下にはずっとひとつの不安があったらしい。さっき初めて聞かされた。
『愛されることに飢えてこの世界に来た花井ゆきは、自分が確かに愛されていると満足したら消えていなくなってしまうのではないか』と考えて、殿下はずっと不安だったという。口に出せば本当になりそうで、私にも言えなかったそうだ。
しかし次第に私の姿がブレなくなって、それでも私が笑顔で暮らしているのを見て、やっと安心できた、安心できたのはつい最近だ、と言う。
ほんとにもう。この人は切ないことを考える。
「二人で旅行に行きたかったよ」
「大丈夫ですよ、私は殿下とのんびりできればそれで」
「ゆきはいつも僕に甘いな」
「私の趣味は殿下を甘やかすことですから」
「あっはっはっは」
声を上げて笑った殿下の幸せそうな笑顔を眺めていたら、ソファーに並んで座っていた殿下が、そっと宝物に触れるように私を抱きしめてくれた。
「二人で長生きをしよう」
「仲良く楽しく長生き、ですよ殿下」
「ああ、そうだったな」
♦︎
カロアの木は毎年初夏になると白い花をたくさん咲かせた。ちょうど私、花井ゆきがこの世界で目を覚ましたころだ。白く咲く花を見ながら、毎年二人で私の誕生日を祝っている。
長女のグロリアが
「毎年お祝いしているこの日は、何の日なのですか?」
と尋ねた。
殿下は自分譲りの紫の瞳と私似の柔らかな茶色の髪をもつ娘に
「父と母が出会うきっかけになった大切な日なのだよ」
と説明する。
グロリアは「ふうん」と言うだけだった。五歳の息子エルガルドは、イチゴと生クリームのケーキが大好物で、何も言わずにムシャムシャと食べている。
エルガルドは殿下が生まれ変わったかと思うほどに父親似だ。
この二人の子も多くの国民の子供たちと同じように「氷の王子と食いしん坊姫」の絵本を見て育った。物心のついた子供が最初に親しむ本としてこの本はすっかりこの国で定着している。
「殿下、私、幸せです」
「そうか。僕もだ」
殿下は御年二十六才。
以前よりずっとお体ががっしりして、美しさにたくましさが加わった。無敵な美の神みたいだ。その美の神は
「僕はだんだんゆきの好みに近づいているだろう?」
などと言う。
愛されることに飢え続けていた私、花井ゆきは、この世界でたくさんの愛に包まれて生きている。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
たくさんのブックマーク、評価、感想、誤字報告のおかげでこの回までたどり着くことができました。どんな方が読んでくださっているのか、数字の向こうの皆さんを想像しながら書いておりました。
また新しい話が生まれた時に読みに来ていただけると幸いです。
2021年1月23日朝。守雨





