48 約束の行方
長かった冬も終わり、春になった。
三ヶ月後のジルベルト殿下とモニカの結婚式に向けて、様々な準備が進められている。
結婚式のドレスに使われるレース、生地、アクセサリー、手袋、ベール、靴。全てが手作りなので時間はあればある程ありがたいのが職人たちの本音だ。
もちろん式に参列する高位の貴族たちもその日に向けて衣装やアクセサリーの準備に入る。国中で見れば膨大な数の人間と品物と金銭が動くのだ。
王宮でも、招く各国要人の席順、料理の種類、食材のリスト、要人が滞在する場所の確保、その部屋で使われる品の点検、購入とやるべきことは限りなくある。平常時の仕事の他にこれだけの仕事が増えるので王宮内はザワザワしている。
しかしそんな王宮内でひとつの部屋だけが深刻な空気が立ち込めていた。
その部屋で顔を突き合わせているのは国王アウレーリオ三世、クラウディア王妃、宰相、ジルベルト王子の四人だ。
「なんとまあ残酷なことを」
「あの国は冷夏の被害が大きかったから」
「なぜ国王は沈黙を守っているのか」
「身代わりの犠牲者が欲しいのでは?」
ガルダリアに何年も平民に紛れて暮らしている間諜がひとつの知らせを送ってきたのだ。
「ガルダリア王国では魔女狩りと呼ばれる私刑が頻発している」と。
その兆しはガルダリアの国民として代々暮らしている他の間諜からも報告されていた。
冷夏と長雨で穀類、野菜類の病気が広がり、食料品が大幅に値上がりしていること。国民の多くが食費を切り詰めねばならず、まだ餓死者は出ていないが都市部での不満は高まっていると。
その結果起きたのが魔女狩りだ。
かつてハビエル教を弾圧をしたベスカラ王国は民たちの信仰にすがる空気が弱く、魔女狩りも起きていない。一方のガルダリアはスフォルツァ同様ハビエル教の信者が多い国だ。
各国の内情に通じている宰相が事情を説明した。
「ガルダリアは国王が五年以上体調が優れず、最近は床に伏したままというのも影響しているでしょう」
それを聞いた国王が息子に顔を向けた。
「ここしばらく、お前は随分と法の整備に尽力していたな?それはこのような私刑が我が国にも起きる可能性を見越してのことか?」
尋ねられたジルベルトが感情を表さずに端正な顔を父親の方へ向けて答えた。
「何か起きてから手を打つのではなく、起きる可能性は全て潰すべきだと思ったのです、父上」
あの初雪が降った夜にモニカから魔女狩りの話を聞いて以降、ジルベルトは密かに、しかし着々と法の改正と整備を進めてきた。
自分が発案者になって一気に大きく地ならしをすれば話は早いのだが、それをやれば「おや?殿下はなぜそれほど必死に?」と腹を探る者が必ず現れる。力のある貴族ほど一度芽生えた疑問は忘れずに腹の底にしまい込み、機会があれば道具にするものだ。
ジルベルトは法整備の理由を探られないよう、互いに繋がりがない貴族たちからそれぞれ意見が出るよう手を回し、取り引きをし、最終的に議会で国王が承認する形を選んだ。
その法改正とは『私刑の禁止』と『拷問による自白強要の禁止』と『正式な裁判を経ない判決の無効』である。
今までも公には認められていないが、内々には行われている行為だ。なのでジルベルトはこれらを明文化し、さらに念を押すように
「これらが行われた場合は領地を司る者に管理不行き届きがあるとみなす」
という文言を付け加えたのだ。
領民が私刑を行えば領主が責任を問われるとあって、これは議会で揉めた。皆、領民の突発的な行動のツケなど払いたくない。
すると国王アウレーリオ三世はすぐさま王子の援護に立った。
「ほほう。そなたの領地は私刑の心配をするほど荒れているということか?」
と何食わぬ顔で尋ねて、反対発言をした貴族に冷や汗をかかせた。
無事に法案の改正が議会を通ったあと、ジルベルトは国王である父に援護の礼を述べた。すると国王は
「次期国王の歩む道の小石は、私が早めに道の脇によけておかないとな」
と黒い笑顔で答えた。
こうしてスフォルツァ王国では国土の隅々まで私刑禁止、拷問禁止、不正な裁判の無効、それらを遵守させるための法が周知された。
領地を治める側にしたら誰もが知らん顔をしたくなる内容だ。だから議会で否決されると再び議題に上げるのが難しくなる。ジルベルトは一度で可決されるよう手回しするのにずいぶん時間と手間をかけた。
更に天候不順による飢饉が生まれないよう、今まで以上の食糧の備蓄を同時進行で制度として推し進めた。
何ヶ月も前に「必ずあなたを守るよ」と小さな声で告げられたジルベルトの約束は、結果的にモニカだけでなく、多くの弱者を守るものになるのだが、ここまでの殿下の一連の働きはモニカに知らされていなかった。
なのである日、全てを終えたジルベルトがモニカの部屋を訪れて
「あなたを守るための制度がやっと完成した」
とその成果を告げた時、モニカはとても驚いた。
「私、何も知らずにのんびり暮らしておりました」
胸を詰まらせ目を潤ませると、王子は
「僕は戦争から戻った夜に、あなたを傷つけるものから必ず守ると誓った。その約束を守っただけだよ」
と少々疲労の滲む顔で微笑んだ。
スフォルツァ王国は幸いにも大きな天候不良に遭うこともなく例年通りの収穫を得られ、国内は平穏で民たちの顔は明るかった。
ハビエル教の指導者たちもガルダリアでの魔女狩りの話を知り「我々の神はそのような犠牲を求めてはいない」と全国の神殿の祈りの会で繰り返し訴えた。
スフォルツァ王国で魔女狩りは起きなかった。
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モニカはタウスト家に手紙を書いて、一本の苗木を王宮に届けてもらった。
「家の近くに生えている苗木を送って欲しい」という手紙を読んだタウストの両親は「このような物を欲しがるのは、モニカは遠い王宮で故郷を恋しく思っているのだろうか」とホロリとしながら苗木を選んだ。
あれがいいか、いや、こっちの方がいいかと父と母は悩んで、屋敷の隣の森に生えていた苗木を掘り上げて王宮へ送り届けた。初夏に白い花が咲くカロアの木だ。
モニカはそれをすぐに二階にある自室の窓の下に植えた。「自分が植える」と珍しく譲らないモニカのために庭師たちが穴を掘った。モニカがそこに苗木を植え込み、土をかけ、水やりまでを終えた。
(ずっと、あなたに祈りを捧げる場所がなくて申し訳ないと思っていたの。ここがあなたの眠る場所と思うわね、モニカちゃん。私の命が尽きるまでここで一緒に暮らしましょう。私と殿下に子供が産まれたら、それはあなたの子供でもあるわ。花井ゆきの寿命が尽きたあとは、どうぞ私と一緒に子供たちとこの国を見守ってね)
若い木の根元にしゃがみ込んで目を閉じ両手を合わせているモニカを見て、クララも護衛も何やら声をかけにくいものを感じて静かに見守った。
その後、カロアの若木のところで目を閉じて祈っているモニカを見かける者は多かった。庭の管理責任者は、間違って他の庭師がその木を切ったりしないよう、王宮の庭師全員に「あのカロアは王太子妃となるモニカ様が大切にしている樹である。傷つけることなく大切に扱うように」と周知させた。
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ウーゴが立ち上げた出版社はウーゴと事務員の二人だけの小さなものだったが、一連の童話と料理本が大当たりして資金はかなり余裕があった。
相変わらず食いしん坊姫のレシピ本は人気が高くてモニカは初心者向け料理だけでなく、もう少し手の込んだ料理のレシピ本も監修した。
「ウーゴさん、私の本以外の本も出版してくださいな。楽しいお話を読みたいです」
「実は自分の書いた話を出版してほしいという申し込みがたくさん来ているんですよ。その上、こうして王宮に上がらせていただいているご縁で、ドナート先生にアルコールを使った消毒の効果について本を書いていただく契約を取り付けることができました。医師向けと民衆向けの二冊です」
「それは……ウーゴさん、あなたは数え切れないほどたくさんの命を救うことになるわ」
「え?そうなんですか?」
ドナートが執筆した二冊の本は、やがてドナート医師を勲章の授与へと導くことになる本だった。
次回で完結です。





