46 編集員ウーゴ
ウーゴは先祖代々のハビエル教の信者である。
「我が家の由緒正しき信者の血筋は、遡ればベスカラ王国から追われてこのスフォルツァ王国にたどり着いた『迫害された人々』の前まで遡る」
と父は自慢する。
ウーゴは赤子の時に神官に祝福されて以来、毎週のように祈りの会に参加していた。しかしこのところは欠席しがちで、それと言うのも仕事がうまくいかず、祈りの会に行く暇が無かったのだ。
遠く東の国で発明された印刷の技術がベスカラ経由で伝わって、手書きの高価な写本ばかりだった書物は値段も下がってきた。少しずつ身近になっている。けれどまだまだ学者や医者の難しい物ばかりだ。
平民が気楽に手に取れる本は作られていない。それでは本は広まらないし売り上げも伸びない、もっと娯楽性のある本を、と何度も上司に訴えたが「字が読めない者も多い庶民用の本など売れるわけがない」と認めてもらえないのだ。
上司は「そんなことより最近話題の蒸留酒やもっと強い酒を使った治療の話をどこからでもいいから本を出してもらうよう頼み込んで来い」というばかりだ。しかし医者たちはその治療法を開発した王宮の医師を差し置いてそんな本は書けないと断る。王宮の医師になど伝手がないウーゴはお手上げだ。
「今日は久しぶりに祈りの会に行くか」
癖の強い金髪を整えて一張羅のジャケットを着て神殿に行くと、その日はたまたま王太子の婚約者が来ていた。
モニカ・ベルトーナ嬢はふんわり柔らかな印象の、笑顔の似合う女性だった。とびきりの美人というわけではなかったが、ツヤツヤと光の輪ができる美しい髪と頬や唇の美しさに目がいく健康的な感じの女性だった。
(ほう、女神に見初められたと言われるほどの美男子は、案外普通の娘が気に入ったんだな。それとも親が伯爵とはいえ相当な実力者なのか)と口にはとても出せないような感想を抱いて彼女の話を聞いた。
ところがこの普通に見える令嬢が意外に面白い話をする。貴族なのに料理が得意で、料理がきっかけで王太子とご縁ができた、と。
王太子にどんな料理を出したんだろう、見てみたいし食べてみたいと思いながら聞いていると、ひと皿の料理に関わる人や動植物の命に感謝して食べると言う。予想もしない謙虚な話だった。
きっと王家が偉大だとか自分の実家はこんなに力があるとか、その手の話をするのだろう思っていたのに、スッパリとそんな話は切り捨ててかけらも口に出さない。
帰りに侍女と思われる少女から焼き菓子を受け取ると、それには雪の結晶の焼印が押されていた。
(この印、どこかで見たな)と記憶を探れば、姉と母が共有して使っている化粧品だ。そういえば神官長が化粧品のことを言っていた。モニカ様が作ったとかなんとか。モニカ嬢が?本当に?
そう思いながら手の中の菓子を見ていると、小さな男の子がそのモニカ様に「食いしん坊なの?」と正直過ぎる質問をして、周りにいた大人たちを固まらせた。
どんな対応をするのかと少し離れた場所から見ていると、彼女は楽しげに微笑んで「本当に食いしん坊なのよ」と返事をして男の子の頬をそっと撫でた。自分のことを「食いしん坊」だと?こんな庶民的な王族は初めて見た。
ウーゴは俄然モニカ・ベルトーナ嬢に興味をもった。
焼き菓子はハンカチに包んで上着のポケットに入れ、急いで会社に行って貴族年鑑をめくった。しかし、去年発行された貴族年鑑のベルトーナ伯爵家の家族にモニカなる女性がいない。
「あれ?じゃあ最近養女になったのか。てことは、伯爵以下の身分てことだよなぁ。子爵家から王太子妃に?なかなか珍しいことじゃないか」
そこでその辺のことに詳しくてウーゴのような平民とも気さくに話をしてくれる、ありがたい知り合いに連絡を取った。
アマディ子爵家の三男、トリスターノ・アマディである。
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「子爵じゃないよ。彼女は男爵家だ。それも山奥の貧しいタウスト家だよ」
トリスターノは昼過ぎの酒場の奥の席でウーゴ払いの強い酒を飲みながら即答した。
「男爵。それはまたすごい玉の輿だね」
「ああ。上位貴族の娘たちは全員歯ぎしりして悔しがってたよ。どの令嬢にも均等に優しくて誰にも踏み込まないし踏み込ませなかった氷の王子が、あれよあれよと言う間にモニカ様に夢中になって王宮に住まわせたんだ」
トリスターノは指を立てて酒のお代わりを注文した。店の女がお代わりを置いて空のグラスを下げるのを待って話を続けた。
「やっかみのあまりにモニカ様に怪我を負わせた女もいたくらいだ。その名前は聞くなよ。関わりたくないからな」
「えっ。怪我?」
「ああ。血だらけになるほどのね。それも王宮内でだよ。もちろんその貴族令嬢は罰として十年間の出入り禁止を食らったんだけど、父親はちょっと格下げされただけで済んだ。本来なら役職など全て取り消される事態だよ。それを救ったのがモニカ様御本人らしい。これは知り合いの文官から聞いたから本当だ」
「へええ。慈悲深いんだね」
「丁度王子は国境での戦争で留守だったけど、居合わせてたらそんなもんじゃ済まなかったろうってみんなで噂してた。なにしろ大切にするあまりに貴族の茶会にさえ婚約者を出したがらないんだ」
「それはまた」
「だからお前もモニカ様は元々は男爵令嬢だなんてこと、触れて回るなよ。貴族が養子縁組で身分を整えるなんてことはよくあることだし、知っていても言わないのがマナーだ。だから王子の怒りを買うようなことはするな。職場ごと消えて無くなるぞ」
「でもさ、俺たち平民にとっては夢物語だ。貧乏な男爵令嬢が王太子妃になっていずれは王妃様だぜ?」
「やめとけ。俺ならやめとく。俺は注意したからな」
トリスターノはそこまで喋るとウーゴと関わるのは危ないと思ったのか、いつもよりさっさと帰って行った。一人残ったウーゴは猛烈なやる気が漲って頭をフル回転させていた。
童話なら?誰が読んでも王太子様とモニカ様とわかるけど、名前は違う人物の童話だ。文字は少なく絵は多く。色刷りの絵本。字が読めない人にもわかりやすく。これは売れるんじゃないか?
本の題名は「氷の王子と食いしん坊姫」だ。ウーゴは自分が持っていた王太子妃のイメージをひっくり返したモニカ嬢が面白い。王族なのに神殿に協力的なのも好感が持てる。他の王族はハビエル教を否定もしないが関係を深めようともしていないからだ。
なので料理が得意で慈悲深くて優しい笑顔のお姫様が、どんな令嬢にも興味を持たなかった王子様の氷の心を溶かして仲良くなって、意地悪されてもくじけず相手を許す。最後は美味しいご馳走を互いに食べさせ合う仲睦まじい夫婦になりました、という微笑ましくも単純な物語を考えた。庶民向けの最初の一冊だから子供も大人も笑顔になれる本がいい。
「よし」
酒場のテーブルでポケットに入っていたしわくちゃの紙に一気に話を書き上げると、ウーゴは満足げにビールの入ったグラスを傾けた。そうだ、とポケットの中の焼き菓子を思い出して食べてみた。実に美味しく洗練された味の菓子だった。
ウーゴは絵本を自費出版しようと決めた。上役に話をしても無駄なことはわかっていたからだ。
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前払いで依頼した挿絵絵師から絵を受け取り、印刷業者に原稿を、版画業者に絵を渡した。最後に出来上がってきた物を製本業者に依頼して、自分の貯金と親からの借金を注ぎ込んだ自費出版本は完成した。千二百冊の童話の本はウーゴが世に出せる最大の数だ。
登場人物の名前は変えてあるが、絵の方はかなり本人の特徴に近い。モニカ嬢の方はよくある茶髪に茶色の目だからまだいいが、王子様の方は金色の髪に紫の瞳なので、読んだ人は自国の王子を連想するだろう。
不敬と言われるだろうか。
「まあ、本人の目に触れることはないだろう。なにしろ千二百冊しか売らないのだから」と思う一方で見られても困る内容ではない、むしろ本人に見てほしいとも思う。
神殿で見聞きしたモニカ嬢は優しげで知的で、噂を聞けば包容力のある人だった。そんな彼女を選んだ王子が将来国王としてどんな政治をするのか、自分は楽しみになった。他の人たちにも二人の絵本を読んでそんな明るい気持ちになってほしい。
絵本は床屋、薬局、婦人服屋などあちこちに頼んで置かせてもらい、店の目立つ位置に三十冊ずつ積んだ。庶民向けの本屋は無いからだ。
結果、千二百冊の絵本は十日もかからずに完売した。(やった!僕の狙いは正しかった!)と興奮した。
本が完売した直後、ウーゴの家に王宮からモニカ様の名前で呼び出しの手紙が届けられた。





