45 鍛冶屋のジャコモ
鍛冶屋のジャコモは四十才。親に教わりながら鍛治仕事を始めてこの道三十年のベテランだ。最近では王宮からの注文を受けることが増え、誇らしく思っている。
最初の注文は銅製の箱だった。蓋はいらないと言われた。注文したのは平民の若い娘だ。紙に描かれた絵には縦横奥行きが記入されていたので手早く作って渡した。
何日もしないうちに今度は男性が来て、同じものを十個欲しいと言われたので、(どこか大きい料理屋の厨房で使うのだろうか)と思った。
次はまた娘さんだ。「泡立て器」という棒の先に丈夫な針金を八本丸く曲げて両端を棒に固定した奇妙な物と、「マフィン型」という銅の板に八個のコップ半分ほどの窪みをつけた物を二枚注文された。もしやと思っていたらやはり同じ男性から泡立て器を十本とマフィン型を二十枚の注文が入った。何に使うのかわからないが、大きな料理屋なら決まった取引先があるだろうに。
一人になり白髪混じりの頭をガシガシ掻いて(これはもしかすると、あの娘はたいそうな太客なのではないか)と考えた。
次にその娘が来た時、さりげなく雇い主を聞いてみた。クララと名乗る娘はあっさりと「王太子様の婚約者のモニカ様よ。私、モニカ様付きの侍女なの」と教えてくれてジャコモを大いに慌てさせた。
「今までちゃんと包んだりせずむき出しで渡してとんだ失礼を。申し訳ないことをしました」と頭を下げるとクララは笑って
「モニカ様はそんなことは気にしない方よ。品質さえ良ければそれで十分と仰ってたわ」
と言う。
ジャコモの妻がお茶を出し、干した果物を添えて出すとクララは嬉しそうに茶を飲んで指先で干し果を摘んで食べた。
「その、なんでモニカ様はうちを選んでくださったので?」
「あら、選んだのは私よ。モニカ様の買い物は、全部私に任されているの。箱をひとつだけ注文しようとして大きい鍛冶屋を四軒くらい回ってからここに来たの。おじさん、嫌な顔しなかったじゃない?」
職人が何人もいるところはそうかもしれない。細かい指定が入った物をひとつだけ、相手は平民の若い娘ならそんなこともあるかもしれない。自分は一人でやっているから銅のカップひとつでもありがたく注文を受けているけれど。
「同じ物を注文してくださってる男の人は?」
「王宮の料理人よ。おじさんの品は丁寧に仕上げてあるって喜んでいたわ」
「王宮ですか?王宮に納入する業者は決まっているはずですが」
「鍋やナイフは今まで通りの業者が使われるけど、モニカ様が一度注文してる道具なら、おじさんのところで作ってもらえば話が早いからよ」
そんなやりとりがあってしばらくして、今度は小さな道具の注文だった。
裁縫で使う指抜きか?と思うほど小さい。丸い筒の先を細くして平たい口にしたもの、口をノコギリのようにギザギザさせたもの。小さく丸い穴にしたものを口のサイズ違いで三つずつ九個だ。
「これも料理道具ですかい?」
「そうらしいの。それをこの袋に入れて使うと硬くしたクリームをこんなふうに絞り出せるらしいわ」
絞り袋という実物の他に絵が添えてあった。焼き菓子の上にクリームが美しく飾られていた。覗き込んだ妻が「なんて美しいお菓子かしら」と驚いている。
細かいだけに手間がかかったが、仕上がった品は絞り袋にぴたりとはまった。硬くしたクリームというのがわからないからバターで試してみた。
「おお。そういうことか!」
「こんなふうに出てくるのね!」
夫婦で顔を見合わせて笑った。
しかしこれは微調整が必要になって一度戻されたが、すぐに言われた通りに絞り口を調整して渡した。
納入して何日か後。笑顔のクララが籠に入れてお菓子を持ってきてくれた。
「ジャコモさん、モニカ様からの差し入れよ」
手のひらに乗る大きさの丸く柔らかい焼き菓子にはバター味のクリームが花のように絞り出されていた。自分が作った道具がどう使われているのかを見て感心する。五つの焼き菓子は食べるのがもったいないほど美しい。息子と娘も一緒に家族四人で食べた。
「王様や王妃様も同じ物を召し上がるのかしら」
娘はうっとりした顔で食べている。
「この世にこんな美味しいお菓子があったなんて」
妻も感動している。
儲からない小さな鍛冶屋に見切りをつけて運送屋で働いている息子がその夜遅くに、父親の仕事場を眺めて立っていたと、妻が嬉しそうにジャコモに耳打ちしてくれた。
焼き菓子にはカードが添えられていて『丁寧に端の処理がされているので安心して料理ができます。大きさも指定した通りで助かっています。いつもありがとう』と書いてあった。ジャコモの妻はそれを「我が家の宝物」と言って宝石の入っていない宝石箱に収めて感謝の祈りを捧げる始末。
やはり何日か後に王宮の料理人と思われる男性が同じ物を十個ずつ三十個注文していった。
八ヶ月後、王太子様の結婚披露の会の食事に自分の作った道具が使われたことを知るのだが、この時はまだ「太客を掴んだ、商売も上向きになるかもしれない」と喜んでいるだけだった。
それから三ヶ月ほどしたある日、黒髪の痩せて背の高い女が店にやって来た。そして
「モニカ様の料理道具を作っているのはこちらの店で間違いないですか」
と言う。
「はい。モニカ様にはご愛顧いただいています」
相手の質問の意図がわからず曖昧な表情でそう答えると
「マフィン型が欲しいのです。モニカ様が使っているのと同じ物を」
と言う。
「ああ、それなら確か何枚か有りますが」
と言って一枚を差し出すと痩せた女は大喜びして買っていった。それが始まりだった。
次の日からひっきりなしに主婦や若い女性がやって来る。平民もいれば貴族の使いもいた。
やがて「絞り口を三種類」とか「パンの型を」とか「泡立て器を大小一個ずつ」とか、全てモニカ様がかつて注文して作った物ばかりだった。
次第にその手の客が増えて、鍋や銅製のコップ、フライパンなどよりそちらの売れ行きの方が多くなった。
何が起きているのかわからなかったが、商売人の心得として品切れだけはないようにしよう、とジャコモは夜遅くまで『モニカ様の料理道具』を作って翌日に備えるようになった。
「あなた、今月の売り上げが急に増えたわ」
妻が帳簿を見ながら教えてくれる。ジャコモも実感として普段の倍近い商売をした気がする。
「モニカ様が宣伝してくれたのかしら」
「まさか。いずれは王妃様になるお方が、こんな小さな店の宣伝をなさる理由がないぞ」
「そう言われたらそうだけど」
夫婦は首をかしげながらも「商売繁盛はいいことだ」という当たり前の結論に達して、月末のその夜は少しばかり高い肉とすこしばかりいいワインを食卓に並べて繁盛を祝うことにした。
娘は
「あれ?今日は誰かの誕生日だった?」
と的外れなことを言っていたが
「お母さん、この肉、柔らかいねぇ」
と年頃の娘にあるまじく口いっぱいに焼いた肉を詰め込んで喜んでいる。
息子は
「今日職場で『おまえのうちはいつのまに王宮御用達の店になったんだ?ずいぶんな出世だなぁ』って言われたけど、御用達に指定されたの?」
と真顔で尋ねた。
「いいえ、何も言われてませんよ」
と妻が答えると
「そりゃそうだよね。うちが御用達の店に選ばれるなんてこと、ないよね」
と一人で納得してワインを飲み
「やっぱり高いワインは旨い」
とつぶやくのだった。
ジャコモの一家が新たな顧客の理由を知るのはもう少し後のことである。





