44 神殿でお話を
「私がですか?神殿で?」
「神殿側や信者たちにモニカの良い印象を持ってもらうためさ」
「あっ、なるほど。私の印象を良くして魔女狩りを防ぐ作戦ですね」
殿下がコクリと頷く。
「王家が神殿を取り込みつつあるから魔女狩りは起きないとは思うけどね。人の印象は少しずつ地道に積み重ねることが大切なんだよ」
「そうですね。で、何を話せば良いのです?私、ハビエル教に関しては薄っぺらな知識しか」
「好きなことを話せばいいんだ。ゆきの良い印象を残せればなんでも」
念のために教育係のコンさんに相談したが、コンさんは
「お妃教育もすっかり終えましたし、私から指導が必要なことは特にございません。背筋を伸ばして笑顔でお話しなされば大丈夫」
と笑うだけだった。
殿下に知らされてから二週間。何をしていても落ち着かなかったけれど、ついにその日が来た、来てしまった。
ファーゴ神官長の説話があり、皆が祈りの言葉を捧げた。やがて神殿長の紹介が始まった。
「さて。本日は王太子妃になられるモニカ・ベルトーナ様がいらしています。モニカ様はご自身が作られた化粧品に祝福を受けてくださっています。ありがたいことです。では、モニカ様、お話をお願いいたします」
私は深く息を吸って吐いてから壇上に上がった。
「初めまして。モニカ・ベルトーナです。今日は食べ物にまつわることをお話しします」
早口にならないよう気をつけてゆっくり話し出した。
貴族の娘でありながら料理が好きなこと。夜会で初めてお会いした殿下と料理の話をしたこと。自分の料理を食べてもらったことがきっかけで、殿下と親しくなったこと。
そこまで話した段階で、女性陣の目がキラキラしてきた。まるで童話みたいだものね。出会うはずのなかった田舎の令嬢がいきなり王子様に見初められる、みたいな。
まあ、実際は誰も食べない軽食を食べまくり、魂が別人なことを見破られたんだけど。ハビエル教の神様、良いところだけをかいつまんで強調して話す私をお許しください。
それからは少し日本人の考えを滲ませて話した。
「美味しく食事をするのに必要なのは、健康でいることだけではありません。食材を生産してくれる農夫の皆さん、それを集めて売っている市場の皆さん、料理してくれる人々がお皿の向こうにいます。食器や薪の向こうにも見えない人の手が存在しています。それと、忘れてはならないのが私たちが食べることで私たちの体に引き継がれていく命です」
「私は動物や植物の命にも感謝して食べます。『ありがとう、あなたの命を大切にいただきます』と食事の前に心の中で感謝して食べています」
(これじゃお坊さんの説法か)と思うけど、小さくうなずいてくれる人がたくさんいたから良しとしよう。
「美味しく食べられる幸せは、たくさんの人の労力とたくさんの命の上に成り立つ幸せです。美味しい食事を食べたとき、その料理の向こうにいる人や命に、感謝の気持ちを持ってもらえたらと思います。短いですが、私の話はここまでです。今日は一人ひとつずつお渡しできるよう、焼き菓子を作ってきました。王宮の料理人の皆さんに手伝ってもらいました。良かったらあとで食べてくださいね。今日はありがとうございました」
優しい拍手が起こった。良かった。
私が壇から降りると神官長から終わりの挨拶があって礼拝は終わった。クララちゃんたちが神殿の出口で焼き菓子を配ってくれた。
ひとつひとつに雪の結晶の焼印を押したバターの香りの小さな焼き菓子。焼印はハンコに続き殿下がプレゼントしてくれた。
四、五才くらいの男の子が受け取ったその場でパクリと食べて「美味しい!」と叫んだ。「良かったわ」と私が応えたらその子が母親の止める間も無く駆け寄ってきた。
「モニカ様は食いしん坊なの?」
「これ!やめなさい!モニカ様、お許しください!」
母親が慌てて頭を下げた。
「いいんですよ。本当に食いしん坊ですから」
「ほら!本当に食いしん坊だって、お母さん。食いしん坊姫だね」
母親は冷や汗をかいていたけど、「食いしん坊姫」が面白くて笑ってしまった。笑いながら男の子の頬をそっと撫でた。男の子は嬉しそうにまた笑った。
周囲でハラハラしていた大人たちが皆ホッとして笑った。
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「モニカの話はどうだった?」
「わかりやすくて良い話でしたよ。多くの者が良い印象を持ったようです」
人前に立つことが苦手そうなモニカが役目を果たせたことにジルベルトはホッとした。
「殿下、せっかくですから今回だけで終わりにせずに定期的に神殿でのモニカ様のお話を組み込みませんか。王家と神殿が協調していると国民に知らせるいい機会です。信者の数は増えこそすれ、減ることはなさそうですから」
「そうだね。神官長にそういう方向で話を進めてもらえるかい?」
「承知いたしました」
「そういえば、ヤント地区に移動させた神官たちはどうだ?」
「大人しく信仰漬けの生活をしています。むしろ処罰があの程度で済んだことに感謝して、初心に戻っているようです」
「そうか。ご苦労だった」
副神官長に就任した間諜の男は上品な仕草でお辞儀をすると部屋から出ていった。王家の間諜は神殿の組織にすっかり馴染んでいるようだった。
♦︎
私は久しぶりに自分で洗髪をしていた。自作の石鹸はいまだにカッチリとはならず崩れやすいが、泡立ちは良くなった。もうこれでよしと割り切って可愛い壺に入れてスプーンで取り出して使っている。
私にシャンプーの仕方を教えてくれたのは美恵子お姉ちゃんだ。お隣のおばあちゃんの孫娘で、美容師さんだった。
小さい頃は「いつもばあちゃんの肩揉みしてくれてありがとうね」としばしばおばあちゃんちの浴室でシャンプーをしてくれた。
中学高校の頃はお願いしてお姉ちゃんを私がシャンプーさせてもらった。「美容師はね、腕さえあれば食べていけるよ」と笑顔でシャンプーや頭皮マッサージのアドバイスしてくれたことを懐かしく思い出す。
美恵子お姉ちゃんは会うたびに「ゆきちゃん、何があっても笑顔を忘れないでね。笑顔は幸せを運んでくるんだからね」と繰り返し教えてくれた。私の宝物の思い出だ。
懐かしいことを思い出しながら湯上がりにガウンを羽織って部屋に戻ると、ジルベルト王子が待っていた。クララちゃんはいなかった。
「申し訳ありません。お待たせしていたんですね」
すると殿下は私から視線を逸らしながら
「いや、のんびりしてるところを邪魔したくなかったから。クララに伝えなくていいと言ったんだ」と微笑む。
「そうでしたか。肩の具合はいかがです?今、揉みましょう」
「いや、今日は大丈夫だ」
そう言って殿下は置いてある布を手に取ると私を暖炉の前に座らせて髪の水気を拭き取り始めた。この世界にはタオルもドライヤーも無いけど、なんとかなる。暖炉は多機能だ。
「いえ、いえいえいえ、自分でやりますから」
「いいよ。僕がやりたいんだ」
「そ、そうなのですか?申し訳ありません」
「神殿での話は評判が良かったそうだよ」
「ほんとですか?良かったです。人前は苦手なので、そううかがって安心しました」
「ねえ」
「はい?」
「あちらでもこうやって髪を拭いてたの?」
「いえ、温かい風が出る小さな機械がありましたね」
「それは作れないの?」
「作れないです。便利な道具はたくさんありましたが、動かすための力になるものが必要ですから。それは私にはとても」
「そうか。見てみたいものだな、あなたの住んでいた世界を。いろんな道具がありそうだ」
「ありとあらゆる道具がありましたね。でも私はこの暮らしにすっかり馴染みました」
「そうか」
「はい」
殿下は濡れて重くなった布を新しい布に替えながら満遍なく髪を拭いてくれている。今振り返ったら、殿下はきっと優しい顔をしているのだろう。私は前を向いたまま話しかけた。
「殿下」
「なんだい?」
「仲の良い夫婦になりましょう」
「もちろんだ。僕の父上と母上は仲が良いぞ」
「クラウディア様は陛下の前では可愛らしいですよね」
「可愛らしい?母上が?」
「はい。ああいう方をあちらではツンデレと呼んでいました」
「ツンデレ?」
殿下が不思議そうに『ツンデレ』と繰り返す。
「普段はツンツンしてるのに、時には可愛らしくデレッと甘えたりする人のことです」
殿下が笑い出した。
「実に上手い表現だ。母上は確かにツンデレだな」
ツボったらしく、殿下はクックックと笑い続けている。振り返ると、幸せを呼び込みそうな良い笑顔だった。
「殿下、今日はほんとにいい一日でした」
「そうか。それはよかった」
暖炉の薪の燃える音だけが聞こえる静かな部屋で、私たちは互いに笑顔だった。





