42 公爵家への訪問
クラウディア王妃が考え込んでいる。
夫アウレーリオ三世の弟であるアウグスト・スフォルツァ公爵からお茶会の招待状が来たのだ。そこに『ぜひモニカ嬢を連れてきてほしい』と書いてあるのだ。
常々息子のジルベルトからは「モニカへのお茶会の誘いを受けるのは最低限にしてくれ」と言われている。化粧品の開発や製造、孤児院の子供たちの就労援助と忙しいのも、クラウディア王妃は十分わかっている。
「でも、最低限のうちに入るわよね、これは」
しかし義弟のアウグストはともかく、その妻のブリジッタは曲者だ。おとなしそうに見えるモニカを甘く見て利用しようとするに違いない。
「おとなしそうに見えるけど、実はそうでもないこと、あの欲張りは気がつくかしらね」
どちらにしろ、永遠に義弟義妹のお茶会を断り続けるわけにはいかないのだ。この辺でブリジッタに会わせないとかえって面倒なことになると判断して、クラウディアはモニカを連れて行く旨の返事を書いた。
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「本日はお招きありがとう」
「光栄ですわ、クラウディア王妃様。それにモニカ様もようこそ」
「お招きありがとうございます。モニカ・ベルトーナでございます」
穏やかな笑顔と共に始まったお茶会だったが、最初の一杯を飲み干す前に公爵夫人のブリジッタが口火を切った。
「クラウディア様、ほんとに髪が美しいわ。お肌まで若返ったのではなくて?」
「そうかしら。変わらないと思うけど」
「いいえ。髪が一本一本金糸のように輝いて。お肌もツヤツヤと光るようではありませんか。何か秘訣がおありになるの?」
「そうねえ、最近は野菜をよく食べて運動をしています。モニカに勧められてね。そのせいかもしれないわ」
(洗髪のおかげと知ってるくせに。相変わらず面倒くさい女ね)
腹の中ではうんざりしながらもクラウディアは「はて?なんのことやら」という顔を崩さない。
「そういえばモニカさんの髪も美しいわ。お手入れはどうなさっているのかしら」
「特には何も。日々の汚れをきちんと落とすように心がけているくらいで」
「そう。日々の汚れをね。どんなふうに?ぜひ教えていただきたいわ」
「それが、実際に私の手で試してご覧にいれたいのですが、殿下に『侍女のようなことを他家でしてくれるな』と固く禁じられているのです。頭皮は顔の倍の広さがあるのですから、頭皮の手入れを怠れば顔がたるむのは当然なので、お教えできないのが本当に残念です」
しょんぼりとした風情で断るモニカを見て、クラウディアは笑い出しそうになるのを必死に堪えていた。
こちらに向かう馬車の中でクラウディアが「きっと上手いことを言ってあなたに洗髪させようとするから、そんな失礼なことは絶対に断りなさい。たとえジルベルトの婚約者にでもブリジッタは遠慮無しなんだから」
と注意したところ、モニカはちょっと首を傾けて
「王妃様、あちらのご要望を孤児たちの仕事の話に持っていってもよろしいでしょうか」
と言ったのだ。
そんなことをどうやって?と思いつつ
「まあ、あなたに任せるわ」
とお手並み拝見と決めたのだが。
頭皮の手入れを怠ると顔がたるむ、と聞いてブリジッタの顔が引きつる。生まれてこの方、頭皮の手入れなど意識したことがないのはこの世界の人間なら皆同じだ。
「あちこちの貴族のご婦人たちからどうしても頭皮の手入れ方法を教えて欲しいとお願いされまして。殿下には禁止されておりますし困ってしまいました。なので……」
「なので?」
「わたくしの研究した頭皮と髪の手入れを若い者たちに全て教え込みましたの。それなら殿下の御命令に背きませんから。そうしたらもう、予約が恐ろしいほどに入りました。その子たちは不遇な生い立ちなので、力になれて良かったですわ」
「予約が殺到してるの?既に?」
「はい。私の母となりましたダフネ・ベルトーナ伯爵夫人は社交界にお顔が広いので」
ブリジッタはわなわなと手を震わせつつも顔だけは笑顔を装っている。貴族の夫人たちが自分に内緒で良い思いをしていたのかと思い込んだのだ。
ブリジッタは出遅れたことに頭がいっぱいで、何がなんでもその予約の中に入りたい。予約したのがどこの誰かなど気にしていなかった。
モニカの方は、もし聞かれたら「女性のお手入れのお話ですもの。お名前はお教えできませんわ」と困った顔をする予定だったが。
子供たちは今はまだ練習生の立場なので、実際に予約を入れているのは王宮の侍女たち、ダフネ伯爵夫人、その友人数人、ベルトーナ家の侍女たちのみで、貴族からの予約はまだそれほどは受けていない。
「予約が恐ろしいほど入っている」のも「ベルトーナ夫人が顔が広い」のも本当だが。
(まあ、出張シャンプーの正当な対価を貰うだけだから許してくださいませ)
「わたくしも予約できるかしら?」
「もちろんですわ。少々お待ちいただきますので、その分、わたくしの作った化粧水、ハンドクリーム、リップクリームをプレゼントさせてくださいませ」
(少々お待ちいただく間にもう一度練習生のあの子たちに、おさらいをさせなきゃ)
クラウディアはテーブルの下で自分の腿を指先でつねって笑いを堪えていたが、帰りの馬車でモニカと二人になると、好きなだけ笑った。おなかを抱えて涙を浮かべてまで笑った。
「はぁはぁ、苦しい。モニカ、素晴らしい手腕だったわ。私は長年ブリジッタに手を焼いていたのに、あなたはあんなに上手にブリジッタを手の上で転がして。陛下は可愛い弟の妻だから甘いの。注意もなさらなかったの。今日は胸がスッとしたわ」
「まあ、そうなんですか?」
「そうよ。お気に入りのドレスを真似され、ネックレスも真似され、髪型や靴まで!真似された側の私が夜会の直前に泣く泣く着替えなければならないことがどれほどあったか。
それと、ブリジッタは最初から孤児たちが洗髪すると言ったら受け付けなかったわ。そういう人なのよ」
王妃は孤児たちのことを彼女なりに大事に思っていたのだ。一方のモニカはモニカで、別の感慨に浸っている。
(私、もし王宮を出されることがあったとしても、この世界でなら商売でうまいこと生きていけるんじゃない?)
ジルベルトが聞いたら青くなるようなことを考えていた。
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公爵家のお茶会から二週間後、十四才の三人の少女たちが簡素な馬車に乗って公爵家にやってきた。
皆、綺麗に身なりを整え、肌も髪も磨き上げられ、マナーを繰り返し練習してきた孤児院の精鋭たちだ。小さな荷運び用の馬車が後ろに続き、それには洗髪用安楽椅子と道具一式が積んである。
挨拶もそこそこに洗髪をすることになり、頭皮をマッサージしながらシャンプーする者、適温のお湯をひしゃくでかける者、排水が溢れないよう、お湯が不足しないよう手配する者の三人はチームワークも完璧だ。
洗い終わりにりんご酢入りのお湯をかけ、オリーブオイルを擦り込まれ、何枚もの布を交換しながら髪から水分を吸い取ってもブリジッタは目が覚めず、控えていた侍女たちを少々慌てさせた。
「お風邪を召してしまいます。起きてくださいませ」
可愛い声をかけられ、背中に手を入れて起こされ、やっと「ふわ」と言いながら目を覚ましたブリジッタは、頭から首にかけて軽くなり、顔色も良くなり、なんといっても髪が絡まず手触りが良いのに驚いた。
「今日使った石鹸などを言い値で買います。全部置いていきなさい」
と公爵夫人は少女たちに命じた。しかし少女たちは
「王妃様にそれは禁じられております。どうかお許しを。よろしければまた私たちをお呼びくださいませ」
と申し訳なさそうに答えるのだった。
王妃様は
「あなたたちは技術を売る仕事なのだから、他の物は売らずに技術だけを売りなさい」
と釘を刺していたらしい。
その話を少女たちから聞いたモニカは
「たしかに消耗品だけ買われてこの子たちが呼ばれなくなったら困るわね」
と思った。
王妃クラウディアはその後ブリジッタが三日か四日に一度という頻度で孤児院の少女たちを呼びつけると聞いて「してやったり」と満足げな笑みをこぼすのだった。





