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4 私の覚悟

 私、モニカ・タウストこと花井ゆきは今夜のメニューを考えている。


 私の料理を楽しみにしてくれる人がいるという喜ばしい状況なのだが気分は冴えない。この先のことが不安なのだ。


 今が恵まれているのだから苦しかった過去はなるべく思い出さないようにしている。でもたまに沼の底からプクリと浮かぶ腐敗したガスのように、辛い記憶が浮かび上がる。


 前世の私は、親業に向いてない母に育てられ、家の中では笑うことがないまま育った。家は私にとって安らげない逃げ場もない怖い場所で、楽しい思い出が残念ながら何も無い。


 だから(結婚したら絶対に楽しい家庭を築く。そして幸せになる)と思って二十四歳で結婚したのだが、結婚してみたら夫が母にそっくりな「外面そとづらだけがいい人」だった。


 なぜ母と同じような人を選んでしまったのかと、結婚後、呆然とし、途方に暮れた。そして別れる勇気と気力がないままに心が押しつぶされるような結婚生活を送っていた。何度も(この世から消えたい)とぼんやり願った。


 三十回目の私の誕生日の夜、せめて自分で自分を祝おうとワインを何杯か飲んで、翌日のパートがあるからさっさとお風呂に入った。


 どうやら私の人生はそこで終わったらしい。目が覚めたらモニカ・タウストという十六歳の女の子になってた。


 この世界が私の体が変わっただけの数百年前の世界なのか、まさかの異世界なのか。西洋の歴史に全く興味と知識が無かった私にはいまだに判断がつかない。


 目覚めた直後は(貴族の娘になったのならラッキー!)と思ったけど、すぐ驚愕の現実を突きつけられた。


 目が覚めて最初に、よろよろ起き上がってトイレを使おうとしたらモニカちゃんの記憶にトイレの場所が見つからず、察したメイドさんに座面に穴の開いた椅子とバケツみたいな物を差し出された。


 モニカちゃんの記憶があったから使い方はわかったが、日本の衛生観念と生活の常識は一旦忘れないと生きていけなかった。


 本物のモニカちゃんは階段から落ちたところまでの記憶が残ってた。彼女はきっと昏睡状態の間にこの世から旅立ったんだと思う。


 モニカちゃんの脳に私の記憶も入ったから、モニカちゃんの記憶を抱えたままで今、私は生きている。モニカちゃんの体に感謝して大切に使わせてもらうべく、健康に気を使って暮らしている。


 タウスト家の優しいお母さんと温厚なお父さんと真面目なお兄さんに囲まれて「私の可愛いお姫様」って呼ばれ、初めて温かい家庭を手に入れたことに感動して何度もこっそり泣いた。


 前世で趣味だった料理を作って振る舞ったら絶賛されて、嬉しくて嬉しくて料理教室で磨いた腕前を披露していたら、伯爵に王都に誘われた。


 身分社会だと全然断れないのね。私に拒否権は無かった。


 でも、食い道楽の伯爵様の居候になっても、こき使われるかと思いきや丁重に扱われてるから、私はとても恵まれてる。伯爵はいい人だ。


 そして伯爵に連れて行かれた王家主催の夜会で、王子の興味を引いたのは私の何だったのか。外見ではないはず。生き人形のような美人は山ほどいたもの。


 王子様は神がかったイケメンで、すらりと背が高く、若干俺様だったけどそれは仕方ない。だって王子様なんだもの。日本人好みの謙虚さを持てと言う方が無理。


 素敵ねえと思ったし、レディと呼ばれてポーッとはなったけど、私は王子様よりも会場の入り口を警備していた軍人さんたちがどストライクだった。


 もうもう、ほんとに素敵だったなぁ。青や緑の目に金髪や赤髪の本物の軍人さんたちが、鍛えられた身体に軍服を着ていて、その破壊力たるや。眼福とはあのことね。


 軽食コーナーは、現代日本人の口には今ひとつだったけど、あれがここでの美味なら、否定なんてしない。異分子の私の口が合わないんだと思う。無料ただだし、ありがたく全種類食べた。


 問題はその後か。


 まさか王子様に私の料理を出すことになるとは。


 私は趣味の料理教室にパートで稼いだお金で八年以上も通ってた。そこで学んだ料理を披露したのだから、そりゃ美味しいでしょう。先人たちの経験と苦労と才能の上にあるレシピだもの。加えて火加減はこっちの世界のプロの料理人が全部やってくれたのも助かった。


 料理は成功でも、嫌な予感がしてならない。


 王家と関わったらどうなるんだろう?なにか失敗したらあっという間に殺されるんじゃなかろうか。中世って誰かに一度「こいつは魔女だ!」って言われたら火炙りで殺される世界じゃなかった?


 ああ、リアル中世の歩き方が全くわからない。山奥育ちのモニカちゃんの記憶だけでは、この世界では何が正解で何が間違いなのか、何があって何が無いのか、全然わからない。


 とりあえず重い病気や怪我をしたらアウトなことはわかる。抗生物質がないしワクチンも絶対に無い。病院や手術はあるのか。あっても世話にはなりたくないが。


 ていうか、そもそもここは地球なんだろうか。見た感じは普通にリアル中世ヨーロッパ風なんだけど。身分差別は当たり前だし男尊女卑は半端ない。でも魔物は見てないし魔法も未確認。聞けば正体がばれそうで怖くて聞けない。


 情報不足過ぎてスマホと検索機能とwikiがどれほど尊い存在か、骨身に染みて思い知ってる今日この頃よ。


 私はここで生き延びたい。今度こそ笑って暮らしたい。そのためには目立たず憎まれずひっそり暮らすのがいいんじゃなかろうか。それには王子や王家に関わらない方がいいのでは?



 そんな不安を抱えていたら王子様をお招きした時にワインを飲み過ぎて眠っちゃった。モニカちゃんの体は西洋人なのに日本人の私よりワインに弱かったらしい。十六だから?


 おそらく大変な失礼をしたんだと思うけど、恥をかかせたな!って伯爵様に叱られることもなく、良かったわ。伯爵様にはほんとに感謝。


 ただ、翌朝、伯爵様もメイド長も、執事さんも、私と目を合わせてくれなかったけど、なんでだろう。何かしたんだろうか私。聞いても誰も答えてくれないんだけど。


 貴族の礼儀だからと言われてティラミスをクレープで包んだものをお届けすべく頑張った。この世界にティラミスが無いことはリサーチ済みだから、喜ばれたと聞いてホッとしたわ。


 そして今。

今晩のメニューとこの先の生き方戦略を考えながら刺繍糸で指の幅ほどのミサンガを編んでいる。


 質のいい絹の刺繍糸が色とりどり常備してあるのはさすが裕福な貴族って感じ。こんな時代なのにすごいなぁって感動してたらメイド長さんが

「貴族の家に刺繍糸が揃っているのは当たり前のことですよ。モニカ様だって貴族令嬢でしょうに」

と呆れられたわ。いやいや、モニカちゃんちにあったかな?とても慎ましい暮らしぶりだったよ?


 机に並べた刺繍糸の端をレンガで押さえてミサンガを編んでいたら、メイドさんたちが興味津々で見に来る。どうやら「道具がなくても糸だけで作れる」って所がポイント高いらしい。


 出来上がったのをクララという若いメイドさんにプレゼントしたらえらく喜ばれて、作り方を教えて欲しいって頼まれた。


 人に喜んでもらえるのは嬉しい。笑顔を貰えるのって、幸せ。この世界では誰かに喜ばれる人になりたい。喜びを与えられる人になりたい。


 私、生まれてから死ぬまで誉められたことがほとんど無かったから、あんなふうに可愛子ちゃんに喜ばれたり誉められるなら何本だって編んで全員にあげたくなる。


 再びミサンガを作りながら考え事してたら伯爵様が慌ただしく私の部屋にやってきて、「食事とクレープのお礼をするから王宮の茶会に来なさい」と王妃様が言ってきたそうな。


 えええ。なにそれお礼合戦エンドレスじゃないですか。おなか痛いから行けませんってお断りしたらだめですか?


 あ、そうですか。ありえないんですか。王家に睨まれたら色々危ないんですか。


 やっぱり私の命なんて王家の前ではその辺の葉っぱと同じだわ。間違いない。


 ここはひとつ覚悟を決めて、このリアル中世で生き残る覚悟と方針を持たなきゃ。今度こそ笑顔で暮らしたいもの。


 人柄の良い伯爵様に拾ってもらったのだから、ここからは伯爵様に恩返ししながらなんとかこの世界で生き残りたい。


 はぁ、夢中でミサンガを編んでいたら肩が凝ったわ。お茶でも淹れ……って緑茶はこの国には無いのか。まろやかな美味しい緑茶、飲みたい。塩味の効いた豆と甘さ控え目の餡子がたんまり入った豆大福と一緒に。


読んでくださってありがとうございます。


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