38 結末と肩もみ
神殿の中はざわついていた。あちらこちらで神官同士、下働き同士がヒソヒソと噂話をしている。
「コルラド副神官長が王子の婚約者に薬物を飲ませたらしい」という噂はたちまちに広まっていた。
「なんでまたそんなことを」と驚く者もいれば「いや、今までも金持ちの信者に飲ませていたそうだ」と情報通を気取る者もいる。
やがて神官長から祈祷のための大部屋に全員集まるようにと指示が出された。事情を察した皆が集まると、当のコルラド副神官長も平然とした顔で座っている。
やや遅れて神官長が登場して話を始めた。
「この度、まだ信仰の行き届いていないヤント地区に新たな神殿が建てられ、我がハビエル教団の教えを国の隅々まで広める機会を得た」
皆が驚く。新しい神殿の話など誰も聞いていないし、ヤント地区は領主も不在の荒れ地だ。人もまばらな場所に神殿を建ててどうしろというのか。
一番驚いているのはコルラドだ。この教団の実質的指導者の自分が何も聞いていない。そもそもなぜそんな話が持ち上がったのか。
「神官長、それは一体いつ決まったのです?そんな人も少ない地区に神殿などと。誰を送ると言うのですか」
部下とは思えぬ高圧的な口調に、いつもなら気押される神官長がジロリと目だけを動かして答えない。
「さて、新たな神殿のことだが、王家の援助により既にほとんど完成している。あとは人を送るだけだ。こちらから神官が到着する頃には神殿も住居も出来上がっているだろう」
「神官長、ですからどう言うことかと!」
「さて、コルラド。そこの総責任者としてヤントに向かって欲しい。同行する者は次の六人だ」
そう言ってファーゴ神官長が名前を挙げたのは見事に全員がコルラド副神官長の子飼いの名前だ。
「先日、王太子様の婚約者、モニカ・ベルトーナ様からご自身で作られた化粧品に祝福を受けたい、とありがたいお申し出があったことは皆も知っているだろう。その際に出されたワインに蒸留酒とティカツィオネが混入していた」
全員が息を飲んで静まり返った。
ティカツィオネは遥か昔、教団がベスカラ王国で迫害されていた時代に、信者の炙り出しに使われた有名な薬草だ。その薬草を酒に混ぜて飲ませ、朗らかになり口が軽くなった信者が仲間の名を喋ったために、どれだけ多くの隠れ信者が処刑されたことか。
教団の歴史を知る者なら忌まわしい過去の一部としてティカツィオネの名は記憶に刻み込まれている。まさかそれを教団を受け入れて保護してくれた国の王族に使うとは。
「ティカツィオネをワインに入れたフランコは捕らえられ、自白により既に牢に入れられた。だが、王家はフランコを主犯ではないと見ている。私も同じ考えだ」
普段はのんびりおっとりしているファーゴ神官長が力強い声で話し続けている。皆の目がコルラド副神官長に向かった。ヤントに同行しろと言われた六人の者たちは顔色を失いうなだれていた。
「非は間違いなく教団にある。ティカツィオネ入りの酒を飲まされたモニカ様はいずれは王の妻、王の母となられるお方だ。ここで王家に逆らえば、我が教団に新たな迫害の歴史が始まるのだ。だが王家は慈悲深くも首謀者の配置換えだけで許そうと言ってくださった」
「王家の陰謀だ!」
コルラドが怒りに染まった声を張り上げたが、同調する者はいなかった。コルラドが汚い手段で金を集めていること、それを自らと手下達の懐に入れていることは半ば公然の秘密だったからだ。
「残念だよコルラド。フランコはお前の指示だったと自白しているのだ。証人も大勢いるのだよ。裁判が公に行われて他の罪も明らかになればお前の首だけではとても済むまい。無関係な神官たちも連帯で責任を負わねばならぬだろう。お前が使ったティカツィオネで弱みを握られた人間を見つけることなど、王家の力を以ってすれば容易なのだぞ」
「くっ!」
コルラドが怒りに震えている。
「コルラド及び先の六名は午後にはヤントに向かうことになる。ゆめゆめ逃げようとはするな。既に神殿にはお前たちをヤントに送り届けるための国王軍の小隊が待機している。逃げれば即、捕縛され投獄される。荷造りもあるだろう、七名は今から部屋に向かうように」
コルラドの子飼いの六名は虚ろな顔でその場から出て行ったが、コルラドは視線を床に向けたままだった。
「さて、次に七名の抜けた穴を埋めねばならん」
ファーゴ神官長が名前を書いた紙を広げ、次々と副神官長を含めた新たな職責に就く名前を読み上げた。その七名は全員が王家の送り込んだ間諜だったが、それは当人たち以外はファーゴ神官長さえも知らないことである。
ファーゴ神官長は「その七名は貴族の落とし子なのだ。苦労してきた者たちに立場を与えてやってくれるな?」と王に笑顔で依頼されたのだ。
♦︎
「モニカ様、あの噂をお聞きになりましたか?」
「ん?あの噂って?」
「神殿の中で悪いことを繰り返していた人たちがいて、その人たちは荒れ地に送られたらしいですよ。あの副神官長のことでしょうかね。なんでも畑の開墾から始めないと飢えるような場所だそうです」
「今までよりは大変でしょうね。でも平民が同じことをしていたら間違いなくもっと重い罰が下されたわ。神の下では平等と教えていたなら、今回は自分たちが投獄もされない身分制度下の不平等さに感謝すべきね」
「えっと、難しくてわからないです」
「そっか。ごめんね、面倒くさいこと言って」
「いえ、とんでもない。そうそう、モニカ様が作ってくださったレモン味の氷菓子、夢のように美味しいですね!」
「美味しいでしょう?あれは冬しか食べられないから、今だけのお楽しみよ」
「ええー!春は?春は駄目なんですか?」
「難しいかなぁ。春は春で美味しいお菓子を作るから、大丈夫よ。それよりクララちゃん、お花の香りの化粧水と保湿クリームを作ろうと思うの。出来上がったら使い心地を試してくれる?商会を通して売り出す前に、肌に合うか合わないか、できるだけ多くの人に試してもらいたいのよ」
「試します!お花の香りの化粧品なんて、女の子の夢ですよ!」
「良かった。じゃ、お茶にしましょうか。クルミ入りのクッキー、食べる?」
「頂きます」
食い気味に返事をして素早くお茶の用意に動くクララを見て微笑むモニカはコルラドたちが処刑されないことにホッとした。
♦︎
夜、ジルベルト王子がモニカの部屋で肩を揉んでもらっていた。
「あー。なんと心地よいのだろう。モニカ、そんな技をなぜ知っているの?」
「私、子供の頃に隣の家のおばあちゃんにずいぶん助けられたんです。そのおばあちゃんが肩凝りがつらいつらいって、いつも棒の先にボールが付いている道具を使っていて、見かねた私が肩揉みをしていたんですよ」
ジルベルトの肩は十七才とは思えないほどに硬く凝っている。首などは凝り固まっていて触ると冷たく感じるほどだ。
「殿下は働きすぎなんですよ。睡眠も短いし。若いのにこんなに肩こりが酷いって、いつか身体を壊しそうで怖いです」
「僕が身体を壊したらモニカが看病してくれるの?」
「当たり前じゃないですか。でも、看病しなくて済むのが一番ですよ。あ、そうだ!蒸しタオルを作りますから、ちょっとお待ちくださいね」
モニカがバタバタと動いて洗面器にお湯やら水やらを入れて湯温を調節し、布を浸して絞っている。そんな姿をジルベルトが嬉しそうに眺めている。
「ちょっと襟元を緩めていただけますか?はい、そんな感じです。少し熱く感じるかもしれませんけど、火傷はしない温度ですからね」
心地よい熱さの布を当てられ、ジルベルトが「はあぁ」と息を吐いて目を閉じる。モニカは普段はジルベルトの肌には触れないようにしているのに、こういうことになると熱心に首や肩に触れてほぐしてくれるのが嬉しい。
「たまにこうやってほぐしてくれるか?」
「肩もみなら毎晩だっていたしますよ。任せてくださいな」
「そうか。……婚約とはいいものだね」
「ふふ。なにを仰ってるのやら。あ、殿下、椅子で眠ったら駄目ですよ。殿下、そこで眠らないでくださいってば。ジルベルト様、起きてくださいな」
二人から一番遠いドアの近くに控えていたクララは(私はお邪魔かしらね)と静かに部屋から退出した。
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