36 ファーゴ神官長
私は王宮に戻るなり医務室に運ばれた。そこで解毒薬を飲まされ、検査され。更に、ワインに入っていた薬草を明らかにすべく様々な薬草の匂いを嗅がされ、匂いで絞られた数種類をごく微量、味見をさせられ、口をすすいでいた。
結果、楽天的で開放的な気持ちにさせるひとつの薬草に行き着いた。つまりアルコールと一緒に摂れば自白効果がある薬草ってことだ。それはすぐさま王族の三人に報告された。
ドナート医師は珍しく顔を強ばらせていた。
「そのワインを持ち帰るべきでした。その薬草は多量に口にしなければ毒にはなりませんが、モニカ様に黙って酒に入れて良いわけがない。しかも、よりによってティカツオネとは」
こんな時だけど私を心配してもらえることがありがたい。自分を心配してくれる人がいるのはなんて心強いことだろうか。ティカツオネの名は初めて聞いたけど。
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「そう。そんな物を飲まされたの」
殿下の顔から感情が消えている。まずい。これは相当怒ってる。
「途中で気づきましたし、毒ではありませんから。それより、あそこまで味を変えずに蒸留酒を加えた技術は大したものです。どうやったのかしら」
「ほんとだね」
くあー。怒ってるわー。
「殿下。お願いですから!物騒なことはなさらないでくださいね?」
「もちろんそんなことはしないさ。安心して」
安心できないから!顔がめちゃくちゃ作り物の笑顔になってるじゃないの。殺したりしないでしょうね?寝覚めが悪いから嫌ですよ?
「大丈夫。王家の誰も怒ってはいないよ、その証拠に父上が『今度神官長を招いてモニカの美味しい料理を食べてもらおう。あまりに美味しくてきっと驚くよ』なんて言ってるくらいさ」
「そうですか?それならいいのですけど」
何度も殿下を振り返りながら退出した私は、(そこまで陛下が仰ってるなら大丈夫か)と安心した。
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「なんてことをしてくれたんだコルラド。自分が何をしたのかわかっているのかね!」
「毒を飲ませたわけじゃなし、大丈夫ですよ神官長。今までこの手で上手くやってきたではありませんか」
「成り上がりの商人や新興貴族とはわけが違う!相手は将来の王妃だぞ!何百年もの間、我々と王家は互いに一線を越えずにやってきたんだ。それをお前はぶち壊したかもしれんのだ!」
「婚約者といってもど田舎の男爵の娘じゃないですか。大貴族との政略結婚てわけじゃなし。きっと王子の気まぐれの相手でしょうから、本命はこれから現れるのでは?」
ファーゴ神官長は一気に老けた顔を引き攣らせて自分の見込み違いを嘆いた。
「ああ、お前は何もわかっていない。もっと賢い男だと思って任せた私が愚かだったよ。いいか、コルラド、よく聞け。後ろ盾もないあの娘を、あの王と王妃が受け入れたのだ。王子が気に入っただけであの連中がただの田舎娘を受け入れるとでも思っているのか?何百年もの間貴族たちの頂点に立ち続けた一族なんだぞ?」
あの娘の反応をコルラドは思い返した。
今まで誰もあのワインの秘密を見抜けなかった。甘口の少し強めのワインに見せかけたあれは、実は結構な量の蒸留酒に少量の自白剤が仕込まれているのだ。蜂蜜は目くらましだ。自白剤のことは神官長も知らない自分とフランコだけの秘密だ。
あの娘は気づいたのか?いや、薬草としか言ってなかった。もっとも、蜂蜜と蒸留酒に気付いた人間も今までほとんどいなかったが。そのくらい巧妙に作られた酒だ。元から神殿では甘口のワインを出している。似た香りの薬草を入れることもある。
これと思った信者には何度も通常の甘い酒を出して口に馴染ませ、ある日急に豪華な部屋に通すのが手だ。雰囲気で威圧してからあの酒を出せば、皆落ち着かない気持ちからゴクゴク飲んですぐに効果が出るのだ。
皆、うっかり口を滑らせていた。様々な秘密、様々な悩みや恨み。それは上手く利用すれば多くの実りをもたらす物だ。
自分は耐性がついているから平気だが、客には帰るまでに薬も酒も抜けるよう、解毒効果のあるお茶を忘れずに飲ませてきた。
そう、自分が副神殿長になってから十三年間、何十回も上手くやってきたではないか。あのぽやっとした田舎娘が気付くわけがない。たまたま三種類を言い当てられただけだ。
神官長はまだくどくどと文句を垂れ流しているが、なに、明日になれば機嫌も直るだろう。
神官長は大貴族の育ちだから度胸がない。手を汚すことなく美味しいところだけを味わわせてもらってきたくせに。ずっとこの自分が、貧乏貴族の三男だった自分が汚れ仕事をして面倒を見てきてやったことを忘れたか。
そろそろこいつは引退してもらう頃合いだな。
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「モニカ、今度私と一緒に孤児院に行ってもらいます。その時に子供たちに渡す物を何にするか一緒に考えて欲しいのだけど」
「かしこまりました」
ああ見えて(あ、失礼か)王妃様は奉仕活動に熱心だ。それはご実家の「慈善は富める者の務め」との家訓に基づくものだそうで、子供の頃からかれこれ三十年間続けていらっしゃるという筋金入りだ。
今、私は王妃様の部屋で向かい合って話し合いをしている。王妃様がいつになく穏やかなお顔なのはなぜだろう。私が怪我をさせられた時は鬼気迫る勢いで怒っていたのに。毒ではなかったからかな。
「今まではどのような物を渡されていたのでしょう」
「服、靴、下着、食べ物です。孤児院に与える服はずっと同じデザインでした」
そう仰りながらデザイン帳の様な物を開いて差し出してくれた。そこには実用最優先のシンプルなスモックが描かれている。可愛くはない(これも失礼)
「何か良い考えがあるの?」
「そうですね……色の決まりはありますか?」
「特には無いわ。汚れが目立たない紺色、濃い灰色、そんなところかしらね」
「あまり手間と費用が増えないようにして少しデザインを考えてもよろしいでしょうか」
「構わない。任せるわ」
そこでクラウディア様は優雅な所作でお茶を飲んで私を見た。
「モニカ。婚約者になった以上、今後はあなたが中心になって孤児院に関する慈善事業を仕切った方がいいと思うけれど、あなたの考えはどうかしら」
「王妃様のように完璧にはできないかもしれませんが、私も王家のために役に立ちたいと思います」
「そう。いい心がけね。では少しずつあなたに任せるようにしていきましょう。
そうそう、この前のパン、とても美味しかったわ。陛下が大変お喜びでした。クリスティーナなんて私の分が残ってたら自分に寄越せと言ってきたくらいよ。王宮の厨房でもこれからは時々出してくれるよう頼んでおきました。力になってやってくれる?」
「はい。喜んで」
「それと、今度、神官長が初めて王宮に来るの。忙しいのに悪いけど三人分の夕食の手配を頼みたいの」
「もちろんでございます。あの、三人分ですか?」
「ええ、陛下と私と神官長よ。手伝いの者は厨房の料理人から行かせるわ」
「かしこまりました」
そっか、殿下は参加しないのね。ずっと忙しそうだものね。
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モニカがあの酒を飲まされた翌日、王宮から神官長に夕食の招待状が届けられた。こんなことは初めてだった。王家と神殿は常に一定の距離を取って付き合ってきたのだ。
文面には「昨日の件に関してはモニカは酔ったけれど体調が悪くなってはいない。美味しいものを用意するので気楽にきて欲しい」という内容が、貴族的な遠回しの文章で書かれている。
その文章を繰り返し読みながら神官長は悪寒を抑えられない。何種類かの解毒薬を用意させながら(毒薬とは限らない)という声さえ聞こえる気がした。





