32 ルビーニ商会
クララちゃんが私のレシピで大量に仕込んだ柑橘類の種の化粧水は二週間ほどで出来上がった。
小瓶を煮沸消毒して同じく消毒した漏斗を使って詰める。コルク栓をして、これには使用した柑橘類の輪切りの絵を描いたラベルを貼った。最近、私の厨房は作業場と化している。
早速売店に並べると化粧水も飛ぶように売れてクララちゃんは笑いが止まらない。お金が入るのも嬉しいらしいが「売れる」と言うことに「血がたぎる」らしい。クララちゃんは商売人になった方が良かったのではないか。
「ねえクララちゃん、将来の王太子妃がこんなに商売に手を出すって、品がないって言われないかしら」
「何を仰います。今や貴族の令嬢達がこっそりあの手この手でモニカ様のハンドクリームや化粧水を手に入れようとしているのですよ。ご兄弟がこちらでお勤めの場合、そのルートを持っていると羨ましがられるそうです。売店の侍女さんが教えてくれました。流行を作り出すのは誉められこそすれ、批判なんてされません」
王太子の婚約者でもそうだろうか。
コンスタンツォ先生(私の中ではコン先生。銀狐みたいだから)に尋ねると本当だった。貴族マナーの講義の時にさりげなく聞いたら
「領地運営や投資で利益を出す夫人は歓迎されます」
と言う。
「世間に浸透している方法としては小麦を粉に挽くのも共同のかまどでパンを焼くのも領主がお金を取ります。いかにしてお金を稼ぐかは貴族の腕の見せ所ですよ」
だそうだ。
「ドレスやアクセサリーの流行を発信する女性は社交界で力を持つことになります。化粧品でも同じです」
とも仰る。
そうなのか。それならクララちゃんの言う通り売りまくってもいいよね。そう覚悟した頃に販路が開けた。とある王宮出入りの商会から私のハンドクリームと化粧水を扱いたいとの申込みが来たのだ。
♦︎
ルビーニ商会の長男クレマン・ルビーニは帳簿を見ながら首をかしげていた。王宮に毎年大量に納入しているグリセリンが今年に限って売り上げが悪い。
手荒れする季節なのにどうしたのだろうと思い、リネン類の納入のついでに下働きの侍女に尋ねてみた。すると年若い侍女がにっこり笑って手を差し出した。なにやらほんのり良い香りがする。
「いい香りですね」
「でしょう?香りの種類が何種類もあって、容れ物も可愛くて、お値段はおたくのグリセリンより少し高いだけなのよ」
「ほう。どこの商会の品です?」
「王太子様の婚約者、モニカ様の手作りの品よ」
「王太子様の婚約者が?本当に?」
「本当よ。化粧水も作ってくださるの。とってもお肌がしっとりするって大人気なんだから」
そこからのクレマンの動きは素早かった。他の商会に契約を取られては大変だ。侍女頭に話をつけ、消耗品の購入を仕切っている担当者に頼み込んだ。
なにしろ将来の王太子妃が作ったハンドクリームに化粧水だ、それだけでも売れそうな上に品質が良く見た目も垢抜けているなら売れないわけがない。
「モニカ様の了解が取れるまで待つように」と言われて待つ間も、大きな魚を他の商会に横取りされないかジリジリしていた。
王宮から呼び出しがあり、「やっとか!」と駆けつけ、出入り商人用の部屋で係の人間を待つ。
やがてまた部屋を移動させられ、ずいぶん上等な部屋に通された。(これはまた。まさか担当者のずっと上の人が間に入るのか?それだと利益も中抜きされそうだが)と思っているとドアが開き、体格のいい騎士に続いて役者よりもはるかに美しい顔のすらりと背の高い若者が入って来た。
クレマンは急いで頭の中の人物像と照らし合わせる。何度も。何度も。やはりあの方しかいない。王太子様だ。いやまさか。なんで一介の商人との打ち合わせに殿下が?
「頭を上げよ」
美しい王太子殿下が声をかけてくださる。声まで美しい。『女神に見初められた王子』とこっそり言われるのも無理はない。
恐る恐る顔を上げると彫像のような整った顔が柔らかく微笑んでいた。
「ルビーニ商会の者か」
「はい、殿下」
「我が婚約者モニカ・ベルトーナの作ったハンドクリームを扱いたいとか」
「はい、殿下」
「最初に声をかけて来たルビーニ商会に扱わせてほしいとモニカに言われている。が、契約するにあたり、ひとつモニカから条件がある」
「はっ」
「そちらに納入する品を神殿で祝福を授けてもらうつもりだ。それから売って欲しいとのことだ」
「神殿で祝福、でございますか」
「そうだ。売る時は必ず客にそれを伝えて欲しい。祝福を受けるのに必要な費用はこちらが負担する。モニカ本人がそれを強く望んでいる」
「はっ。仰せの通りに致します」
「そうか。では細かいことは担当者と打ち合わせをするように」
そう言うと王太子様は颯爽と出て行った。
商品に祝福を受けるからそれを宣伝しろとはよくわからない条件だが、費用を王家で持つと言うならこちらに損はない。いや、むしろ祝福を受けた商品ということで付加価値がついてありがたい。
クレマンは上機嫌で対応に来た係の男性と契約を交わした。
♦︎
ルビーニ商会から契約の申し込みが来たと聞いた時、私は閃くものがあった。
前世の日本では家を建てる時、赤ちゃんのお宮参り、七五三も、人によっては新車を買った時もお祓いをしてもらっていた。映画の撮影もお祓いを受けることがあったはずだ。
こちらの神殿がそのようなことをしているかどうかはわからないが、祝福を授けてもらう度に神殿にお金が入るということにすれば神殿側に損はない。ルビーニ商会も損はない。自分は神殿にとって利益をもたらす者になるので睨まれにくくなり損はない。
ジルベルト殿下にその話を相談したところ、
「なるほど。王家はこのままではいずれ神殿との間に溝が生まれるだろう。だが、祝福を利用することでモニカが神殿に対して敬虔な信者であると訴えることができるな」
とわかってくれた。
『祝福を利用する』って言っちゃってる辺りに殿下の神殿に対するお考えが見えるけど。
「そうです、そこです」
「それに、ゆきが利益をもたらす存在となり、王家と神殿との間に新たな関係を作ることができるだろう。その考え、試してみる価値が十分にある」
「よろしくお願いします」
「『王家と神殿は親密なようだ』という民たちの良き評判を提供する代わりにこちらの言い分もジワジワと聞いてもらう糸口にもなるかもしれない」
「殿下、笑顔が黒いですよ」
「ふふ。ゆきがこの顔を好きなことは知っているよ」
くっ。ばれてたか。
「あっ、殿下、大事なことを忘れてました」
「ん?どうしたの?」
「神殿にお支払いする額が小さすぎたら意味がありません。今後はもっと人員を増やしてハンドクリームと化粧水を量産しなくては」
「ああ、それなら手先が器用で口の堅そうな者を侍女頭に選ばせてある。売店での品切れが早すぎる、自分も買えないことが多いからもう少し量を増やせないか、とヨランダに泣きつかれていたからね」
「殿下……」
「なんだい」
「なんてできるお方でしょう」
ここは殿下が「できる男が好きなのも知っているぞ」と言うのがお約束だが、殿下は赤くなって照れるばかり。
可愛い。そして美形の照れ顔は破壊力がある。
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