31 私のお店、いや、売店 ・
各分野の専門家が入れ替わり立ち替わりして私を相手に講義をしてくれている。前世の知識がある私が知っていることがほとんどだし、知らないことも前世の知識があれば理解できる内容だ。
天動説が出てきたらどうしようと思ったが、それは大丈夫だった。ちゃんとこの惑星は回っていると知られていた。天文学が発達していて、月の満ち欠けも日蝕も理解されていた。ほっとする。うっかり何か口にしても宗教裁判にはかけられなくて済む。
どんどんメモを取り、しっかり覚える。座学はこなせそう。問題はダンスか。
社交ダンス風のものばかりではなく、相手の身体に触れずに全員が同じ動きをするダンスが何種類もある。(これは盆踊りと同じ。だから大丈夫)と自分に言い聞かせて必死に覚えている。
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「ありえない」
コンスタンツォ・デルネリは学者たちの報告を読んで呆然とする。
たかが男爵の娘だ。ベルトーナ伯爵に料理の腕を見出されるまではあの山奥の、文化とは縁がなさそうな土地で育った娘がなぜここまで博識なのか。
図書館で本を次々読んだり借りたりしていたのは見栄を張っているのだろう、読んでも理解できてはいないだろうと思っていたが。
試験の時の解答は満点だった。暗記したのかと思うほど正確に本の内容が綴られていた。学者たちが講義をすれば、その場で理解していると全員が口を揃えて報告する。
コンスタンツォは己を博識な人間と自負していたが、この娘は大変な逸材かもしれないと思った。男爵の娘であることなどカバーしてあまりある能力ではなかろうか。
「いや、むしろ政治に口を出してくる厄介な後ろ盾がいない分、殿下のお妃としては好ましいとさえ言える。クラウディア王妃もジルベルト殿下も稀に見る優秀な王族でいらっしゃるが、これはまた……」
コンスタンツォは愚鈍な者にはとことん冷たい人間だったが、優秀な人間は大切にしている。
モニカの大人しげな外見から最初は少々見下していたが、今後は丁重に扱わねば、と考えを改めた。
「さて、どこまで講義を進めるか」
天文学の学者は「実に教えがいのある生徒です。飲み込みが早い。学生たちの中に入っても十分ついていける、いや、彼らと比べても優秀だ」と褒めちぎっていたが。殿下のお妃にどこまで望むか、王妃様と相談しなくては。
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「殿下、そこをなんとか」
「駄目だよ。モニカはもう十分忙しいんだ。これ以上の負担はかけられないよ」
殿下のお部屋に入ろうとして立ち止まる。開かれたドアの向こうからヨランダさんと殿下が何やら話し合っていた。
「モニカ様がいらっしゃいました」
護衛騎士さんが声をかけ、二人の話し声はピタリと止まる。
「あの、私のことで何か?」
「いい、あなたは気にしなくていいよ」
ヨランダさんは黙って下を向いている。
「ヨランダさん、どうしたの?」
渋い顔の殿下の前で聞き出したのは、私の作ったハンドクリームをまた欲しいと言う声が多く、今度は代金を払うから売って欲しいということだった。
「でも、ハンドクリームは街で売っているはずですが」
「いいえ。モニカ様の作られたお品は売られている物とは品質が違います。香り付けもされていますし、侍女たちに『なんとかあれをまた手に入れる方法はありませんか』とあちこちでねだられまして。わたくしも実は同じお願いをしたいと思っておりました」
「かまいませんよ。なんなら別の香りのものも作ってみましょうか」
「ありがとうございます!殿下のお許しが頂けるならもう、皆が喜びます」
この世界でハンドクリームはグリセリンそのものだ。しかも精製が甘くて獣臭がする。私は何度も湯煎して溶かし、また固めてを繰り返し、不純物は取り除いて使用した。やがて渋い顔をしていた殿下が口を挟む。
「モニカ、学者たちの講義にダンスの練習、マナーの練習もしているのにかい?いつか倒れるよ」
「殿下、山奥で育った私は丈夫ですよ。まだまだ、今の倍は動けます」
「はぁ。あなたはきっとそう言うと思ったから僕のところで止めていたのに。そうだなあ、レシピを売る手もあるが、それはやめておこう。それはモニカの財産だ。それに売った相手に利益優先で粗悪な物を作られてはモニカの名前に傷がつく」
そう言って殿下がしばらく考えている。
「それでは作業する者を用意しよう。そして王宮内に小さな売り場も作ろう。販売する数は制限する。モニカが延々とハンドクリーム作りに時間を取られるなんて事態は避けたいからね。売る場所はヨランダ、お前に任せるよ。いいかい、小さな場所で少量ずつだ、いいね?」
ヨランダさんは満面の笑顔で退出して行った。
「殿下!ありがとうございます。なんて嬉しい。私の作ったハンドクリームが喜ばれて、しかもお店まで。ハンドクラフト愛好家にとっては夢のようなことですよ」
殿下は心配そうな顔だったけれど、やっと笑ってくれる。
「そんなに喜ぶとはね。僕はまだまだあなたのことがわかってないようだ。ハンドクリームの他にも売りたいものがあったら売ればいい。ただし、ハンドクリーム作りは使用人に任せてあなたが指導すること。そうすればあなたが納得できる品質になるだろう」
「はい、そういたします」
やったー!私のお店ですよ!ひゃー!
「そういえば母上が心配していたが、あなたは何百ものハンドクリームの材料費はどうしたの?」
「手持ちのお金とお人形のデザイン料で」
「そんな。やはりそうだったか。気づかずに済まなかった。あなたにそんなことをさせてしまうとは。今後はクララに言えば全部王宮のあなたの予算から出すからね」
「厚かましくはありませんか」
「何を言ってるの。堂々と要求しなさい。宝石をねだっても文句は出ないさ。僕の婚約者なのだから」
「宝石は別に。失くしたら大変ですし」
これは本音。私はわりと物を失くす人だ。
ククク、と笑って殿下は私を抱きしめた。最近の殿下はスキンシップが多くないか。心がもたぬ。
「僕の婚約者はなんて可愛らしいんだろう。欲しい物はなんでも言って。なんでも叶えてあげよう」
おお。これでハンドクラフトの材料費の心配はなくなるね。なんて恵まれた環境か!
早速ハンドクリームの量産を始めた。私の厨房を使い、派遣された上級侍女さんたち四人がガンガン作る。作られたハンドクリームを入れる缶の蓋に可愛い絵のラベルを貼る。糊は小麦粉と水で作った。何だって手作りしてやる。
丸いラベルには香り付けに使ったカモミールやラベンダー、ローズマリー、ゼラニウムなどの絵を描いてそれぞれの缶に貼った。絵を描く人も殿下の手によって派遣された。
お洒落な缶に入ったハンドクリームはヨランダさんが「一人二個までです」と売り子に制限をかけるほど売れた。
「絶対に売れると思ってましたよ。モニカ様、化粧水も売りましょう。レシピは覚えてます。私が作ります!」
クララちゃんは目をキラキラいや、ギラギラさせている。
「使用人用の控え室の前は、普段上級侍女たちは寄り付かないんですよ。なのに小さな売店が設けられた途端に賑わうようになりました」
クララちゃんが満足そうに報告してくれた。男性客も多いらしい。
「たいていは恋人や母、妹への贈り物のようだ。アントニオは娼館のお気に入りにひとつ渡したらもっと欲しいとねだられたとかで、一人で十個買おうとして居合わせた侍女達にたいそうな顰蹙を買った、しかも二個しか買えなかったとぼやいていたよ」
これは殿下がこっそり教えてくださった。
私はこれらの品の全てに私の印を青いインクで押した。小さな雪の結晶を刻んだハンコは、殿下にお願いして職人さんに彫ってもらった。
小さな雪の結晶の意味は私と殿下だけの秘密だ。





