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3 王妃様とティラミスクレープ

 伯爵家で晩餐を楽しんだ翌朝、僕は母上に呼び出された。


「ああ、やっと来たのね。待ってたわ」

「お急ぎの要件でしたか?」


 母は今日、誰とも会う予定が無いらしい。豊かな金髪をゆったりと背中に流して薄めの化粧だ。その姿は若々しくてとても三十七才には見えない。


「あなたにようやくお気に入りの令嬢ができたと報告があったものだから」

「は?」

「昨夜は陛下と二人でずっと報告を待っていたのに」

「『のに』と言われましても。残念ながらそういう話ではないのです」


 母、クラウディア王妃は手に持っていた絹の扇をパチンと閉じるとわざとらしくため息をついた。


「あなたね、十七にもなって、そろそろ浮名のひとつも流す甲斐性を見せたらどうなの?それとも何か体に問題でもあるの?」

「ありませんよ。いたって健康です」


 すると母はパチンパチンと扇を左手に打ち付けながら僕に立て続けに問いかける。


「まあいいわ。それで昨夜のお相手の名前は?」

「パトリツィオ・ベルトーナ伯爵邸に滞在しているモニカ・タウスト嬢ですが、昨夜は彼女に会いに訪れたわけではありません。母上、この話は少々ややこしく、母上のお気に召す方向には進みませんよ?」


「おや。ベルトーナ邸に滞在ねえ。ややこしいとは、もしやその若い娘はベルトーナの愛人なのかしら?」

「いえ、そうではなく、タウスト男爵の娘をベルトーナ伯爵が客人として滞在させているそうです」


 パチンパチンと僕の神経を毛羽立たせていた音が止まる。あれはきっと無意識のうちに相手に圧をかけるためにやってるんだろうなぁ。


「タウスト男爵。あの山奥の、これといって取り柄もなく、野心も無い男の娘を屋敷に。また面白そうな」


 タウスト男爵など会ったことも話したこともないだろうに。どれだけ貴族情報に詳しいんですか。


「面白くはありません。モニカ嬢は料理が上手い故に伯爵のための料理を作るべく客人になった、というから腕前を見に行っただけです」

「料理?貴族の令嬢が?まあ、男爵の娘ならそんなこともあるかもしれないわね。でもジルベルト、あなた夜会でその娘と休憩室に入ったそうね?」


 わかっているのよ、というように僕を見上げているのだが。


「入りましたよ。休憩室ですから休憩しておしゃべりしましたよ。母上、いい加減にしてください」


 パチン、パチン、パチン。


「なぜその娘と踊ったのです?手ぐすね引いて待っている令嬢はいくらでもいたでしょうに」


(誰も食べない軽食を全種類食べていたから)

……これは印象を悪くし過ぎるな。却下。


(姿が霞んで見えて悪霊でも憑いてるのかと思って)

……もっと却下だ。真相がわかるまでは言わないほうがいい。


「答えられないのね?」

「まあ、可愛いかな、とは思いましたが」


 パンッ!と勢いよく扇が王妃の左の手のひらを打った。痛くないの、それ。


「居並ぶ令嬢の中からその娘を選んで踊り、休憩室に連れて行き、家まで押しかけた。そして可愛いと思った。ふむ。いい流れだわね」

「押しかけたとは人聞きの悪い」


「その娘を連れていらっしゃい。適当な令嬢二、三人と一緒によ。いえ、適当な方は私が用意するわ。本人を見て却下するかもしれないから形は整えておかないと」

「嫌ですよ。お断りします。そんな関係ではないのですから」

「……ふうん。そう。わかりました、もう結構。さっさと下がりなさい」

「はい」


 僕は釈然としない気持ちを吐き出したくて、騎士隊の寮、乳兄弟アントニオの部屋に向かおうとして立ち止まり、振り返って母上に告げた。


「そうそう、ルーベル嬢は相変わらず憑かれてました。結婚したら相手は多分、宝石のために金が必要になります」

「そう。彼女の親と恋人は既に監視対象に入れてあるわ。ありがとう」


 あの娘、恋人がいたのか。


 僕はダンス中の彼女の甘えた態度を思い出した。急に寒気がしてぶるっと体が震えた。


♦︎


「子供扱いも大概にしてほしいよ。朝から呼び出されて根掘り葉掘り。挙句に呼んでおいてさっさと下がれって」


 子供じみてるとわかっているが、愚痴をこぼした。


「仕方ないだろ。お前もそろそろ婚約者を見つけないとならん年だ。その年まで一切女っけが無いって、俺だって心配してるよ。でも、あの娘とそういう関係を望んでないならもう二度と会わなきゃいい話だ」

「……」


 アントニオが思わず、と言ったように声を大きくする。


「なんだよ!会いたいのかよ!」

「その、料理が信じられないほど上手で美味なのだ。スパイスの使い方も洗練されていた」

「ほう?それで?」


 乳兄弟のアントニオにも『彼女には霊が入り込んでる』とはまだ言えない。僕の能力を知ってるアントニオでもね。万が一人に知られたらモニカ嬢の人生が台無し、いや、投獄?処刑もあるか。


「それだけだ」

「ふうん。男爵家の人間と言えどベルトーナ伯爵が大切にしている令嬢なら権力を使って王宮の料理人にするのは無理があるぜ?」

「そうだね」


「かと言って毎度毎度ベルトーナ伯爵の家に通うのはもっとおかしな話だな」

「そうだな。だけど……」

「うん?」

「彼女に尋ねたいことが沢山あるんだ」

「……ジルベルト、そりゃあ、恋だな」

「違う。興味だ」


 そこははっきりしておかないと。


「興味を持つところから始まるのが恋だよ」

「だから違うんだって。あと何回か会って話をすれば、スッキリ終わる興味なんだよ」

「ほうほうほう。賭けるか?スッキリ終わらない方に金貨一枚」

「ああ、受けてやるさ。スッキリ終わる方に金貨三枚だ」


 アントニオは「ヒャッヒャッヒャッ!」と気味の悪い声で笑い「待ってろよ、ニーナちゃん!」とあらぬ方向を向いて叫んでいる。


 ニーナというのは高級娼館の売れっ子の名前だ。僕は行ったことがないけど。宰相から「万が一病気を貰っても万が一赤子を与えても困る」と繰り返し言われているんだ。まあ、そのうち誘われたら行くかもしれないけど。


 アントニオに愚痴を聞いてもらうだけのはずが、おかしな賭けに乗ってしまった。まあいいか。どうせ僕が勝つ。あの娘自体に興味があるわけじゃないんだから。


♦︎


 僕宛に届けられたのは、平たい箱にギッシリ並べられた柔らかそうな菓子だ。薄黄色の小麦粉の皮で何かが包まれて四角に折り畳まれた、ぽってりとした菓子。上にはほんの少し金箔が散らされている。


 添えられた手紙には必ず本日中に食べて欲しい旨が書いてあった。王族が訪問した貴族がこうした贈り物をするのは礼儀らしく、いつもは使用人に下げ渡すのだが、これは食べてみたい。


 菓子と手紙を持参したベルトーナ伯爵家の家令が万一に備えて待機している。万一とは、もし毒が入っていた場合は自分と主の首が飛ぶのは覚悟の上ですという意味だ。


「殿下、どうなさいますか?」

「すぐに食べる」


「陛下と王妃様には?」

「伝えてくれる?」

「はっ」


 さっさと食べたいけど毒見係からの報告を待つ。しばらくしてティールームに呼び出されて、父上、母上、僕、妹の四人は銀の皿に載せられた見た目は素朴な菓子を前にしている。


「陛下、毒見係から安全と報告が来ました」

 女官が厳かに告げた。


「僕もこれは初めてですが美味なはずですよ」

「そうか。楽しみだな」


 父、アウレーリオ三世が笑顔だ。父上は甘いものがお好きだからね。


 半分に切られて味見が済んでいる菓子は、四角く畳まれた薄い皮の中にクリームと茶色のスポンジが包まれていて、切り口からとろりと中身が溢れている。


 父上がナイフを入れ、ひと口頬張る。

「下の方はコーヒーか」


 父上が舌の上の味を楽しんでいる。


「チーズの味もするわね」


 母上は早くもふた口目だ。太るのを気にして甘いものはひと口と決めている人なのに珍しい。妹のクリスティーナははしたなく食べて早くも完食しそう。「もっと食べたい!」と女官にねだっている。


 僕も柔らかい菓子をそっと口に入れる。もっちりとした小麦粉の皮は卵の味がする。柔らかい中身は濃厚なチーズ味のクリーム、その下には甘さ控えめのコーヒーを染み込ませたスポンジ。


 ほろ苦いコーヒーを染み込ませたスポンジが濃厚なチーズクリームを受け止めて、口の中で贅沢な味わいと爽やかな喉越しを生んでいる。


 あぁ、美味しいなぁ。彼女はこんな美味しいものを他にも作れるんだろうか。


「旨いな」

「美味しいわ」


 両親は気に入ったようだ。


「ジルベルト、これを作ったのがお前の惚れた娘なのか?」

「ですから……」


 また最初から説明ですか!



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