29 新年の贈り物
年が明けた。王宮のあちこちにヒイラギの束が飾られ、新しい年の訪れを祝う雰囲気が漂う。
「ジルベルト、モニカはどうするのです?まだこのままにするとはどういうことです?」
「母上、もう少し時間が欲しいのです。これに関しては私に一任させてください」
そこで国王が苦笑しながら割って入った。
「クラウディア。ジルベルトが待ってくれと言うのだ。何か理由があるのだろう。待ってやりなさい。二人を見ていれば仲が悪く無いことはわかるだろう。ジルベルトはまだ十七だ。私は十九まで周りを待たせたぞ」
「そ、そうでしたわね」
陛下とその周囲の人々を五年も待たせたのは他でもない自分であることを思い出して恥ずかしげな顔になる王妃だった。
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「エルダさん、これ、皆さんに使ってもらえたら嬉しいのですが」
「まあ、たくさんございますね。なんでしょう、いい香りが」
王妃付きの侍女エルダは木箱の中にギッシリ入っている小さな銀色の缶の香りを嗅いだ。
「ハンドクリームです。私が作りました」
「まあ。こんな高級なものを」
「手荒れはつらいですから」
「ありがとうございます。皆が喜びます」
小さな缶に入ったハンドクリーム。上級の侍女たちも思いがけない贈り物に喜んだが、下働きの下級侍女たちは大変喜んだ。店で買えば値の張るものだから気楽には買えない品なのだ。
殿下が大切になさっている令嬢が男爵の娘と聞いた当初、侍女たちは「なんでまた男爵」と思った者がほとんどだった。しかし今ではモニカを好ましく思っている者は多い。
下級侍女は人の目に触れないように働くのが礼儀とされ、雇う側も目に入らないかのように振る舞うのが当然の中、モニカは誰に対しても平等に笑顔を向けてくれる。そばに人がいない時を見計らって労いの言葉を控えめにかけてくれたりもする。殿下に選ばれた自分を驕ることは全くない。
「私、これ大切にとっておくわ」
「あら、使わないのはかえって失礼よ」
嬉しい贈り物を貰った使用人たちは大切にハンドクリームを使った。自分たちのアカギレに気づく男爵令嬢がいつの日か殿下と結婚される。さらにその先には王妃様になられる。その日に想いを至らせると、まるで素敵なお伽噺の中にいるようで自分まで嬉しくなる。
冷たい水仕事も「さあ、片付けてやろうではないか」という気になった。
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「モニカお姉さま、ヨランダがいい香りのハンドクリームを使っているんです。お姉さまの手作りだと言って嬉しそうに。わたくしの分はありませんの?」
クリスティーナ王女がやや目を潤ませて不満を訴える。彼女は手荒れの気配もないから贈らなかったのだが。
「お花のカチューシャ、あれはお気に召しませんでしたか?それにクリスティーナさまは手荒れとは無縁なので必要ないかと……」
「いえ、あんな素敵な髪飾り、初めて見ましたよ!でも、小さな缶に入ったハンドクリームも欲しいのです」
紫がかった青い瞳のクリスティーナ王女には瞳の色と同じバラの花をメインに布で小花をあしらったカチューシャを作って渡してある。
ベースにするプラスチックが無いから、ごく薄い木の板をお湯で煮て曲面を作り出した力作だ。それに布をニカワで貼り、布の花を同じくニカワで貼り付けた。自画自賛した作品だったが、少女には小さな缶に入ったハンドクリームの方が魅力的だったか。
「承知いたしました。材料を使い切ってしまいましたので、少しお時間を頂ければお渡しできますよ」
「まあ、本当ですか?嬉しい!」
「クリスティーナ様にはベスカラ語を教えていただいてますもの、ハンドクリームも差し上げますとも」
「クリスティーナ、わがままはやめなさい」
声に振り向くとジルベルト殿下が入り口に立っていた。
「あらお兄様。わたくし、お兄様にひと言文句がございましてよ」
「ほう。なんだい?」
「モニカお姉様に刺繍のハンカチを贈られて、お兄様は何を贈ったのです?何も贈ってないことは調べがついてますわ。さすがにどうかと思います。モニカお姉様の優しさを当然と思っているのではなくて?」
一気にまくし立てる妹にジルベルト様は苦笑している。
「贈り物なら用意してある。ちょっと間に合わないだけだ」
「殿下、私は殿下が無事にお帰りくださったことが一番の贈り物でしたから、もう十分大きな贈り物を頂きました」
「いや、あとで驚かそうと思っていたのだが、まあ、いい。あなた専用の小さな厨房を用意しているんだよ」
「えっ!私専用の厨房。殿下、なんて、なんて素晴らしい贈り物を!ありがとうございます!」
誰もいなければガッツポーズをとってしまいそうなほど嬉しくて、思わず小さくぴょんぴょん跳ねてしまう。王宮の料理人の中に入るのはさすがに非常識かと我慢していたけど、ずっと料理がしたかったのだ。
「では、わたくしもモニカお姉さまのお菓子や料理が食べられますのね!お兄様、さすがです!」
「おまえは……」
調子の良い妹に思わず苦笑する兄である。その妹君は侍女のヨランダに促されてモニカの部屋から出て行った。
ジルベルト様は大股で私に近づくと長い腕でふんわりと私を包み込み、話しかける。
「ベスカラ語を勉強しているの?」
「はい。時間が余ってしまって。以前の暮らしの癖が抜けないんです。家事や仕事をしながら料理や手芸、読書などをしていた頃に比べれば、今は時間がたっぷりありますから」
王子がベスカラ語で話しかけてきた。
『可愛いお嬢さん、あなたは働き者だね』
『私の大切な人はもっと働き者ですよ』
私がベスカラ語で応じるとジルベルト様の目が大きく見開かれた。
「完璧じゃないか。クリスティーナよりよほど発音が綺麗だ」
「ヨランダさんのおかげです。それにクリスティーナ様が毎日根気強く教えてくださいますし」
「あなたは語学の才能があるのだろうね」
「そうでしょうか。語学の勉強は以前から好きでしたが」
「実は、あなたにお妃教育をさせたいという意見が出ているんだ。僕の方で止めていたのだけど、もしかしてそういう勉強に興味がある?」
生活に困ることがない今、勉強はとても興味がある。
「お妃教育、ですか。私が受けていいものでしょうか。婚約者でもないのに。このままで不都合があるのなら、私、その、お友達からと申しましたが、殿下がお許しくださるのなら、その、」
「婚約に応じてくれるの?いいのかい?取り消しは受け付けないよ?本当にいいのかい?」
「本当にいいのかと尋ねなければならないのは私の方です。訳あり物件の私でよければ、どうぞ殿下のおそばに居させてくださいませ」
いきなりジルベルト様が私のウエストを両手で掴み、高く持ち上げグルグル回り出した。
「うぐっ、やめて、やめてください、目が回りますから殿下!」
「あっ、悪かった。あんまり嬉しくてつい」
「ふうぅ。殿下がそんなふうに喜ぶお姿を、これからは近くで見られるのですね」
「そうだ。僕もあなたを近くで見られる。で、訳あり物件とは、どんなものなの?」
最近のジルベルト様は花井ゆきがいた世界のことに興味津々だ。クララちゃんを気にしてどうとでもとれる言葉を使ってはいるが、現代日本の人間がSF小説を読むような面白さがあるのだろうか。
「それを私に説明させますか。まあ、他の人が避けたくなるような事情がある、という意味ですよ」
「へえ。僕は大きな宝を独り占めしてるのに」
ぽんぽんと腕を叩いて「恥ずかしいからその辺でやめてくださいな」と笑っていたら、壁際で気配を消していたクララちゃんがそーっと部屋から退出した。
廊下に出たクララは(仲睦まじいご様子で何より。モニカ様が殿下の前であんなにくつろいだお顔をされる日が来るなんてねぇ)と微笑んだ。





