25 王宮図書館
ドナート医師に本当は免疫の仕組みを説明するべきだったろうか。でも免疫の話をするにしても、顕微鏡がない世界で細菌やウイルスの話をして、魔女とか言われたらどうする。
あっ!
魔女について調べるならまさに今じゃない?この国最高の図書館に出入りが自由の今よね?下手に誰かに質問するより本で調べればいい。ついでにこの大陸の情報や年代、ここが地球なのか違う世界なのかも調べられる。
もう、なんで人形作りなんてしてたかな!図書館に通うべきだったわよ。
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早速訪れた図書館は王宮の外れ、西日が当たらない王宮の東側にあった。私が近寄ると門番が恭しく頭を下げて通してくれる。なぜに顔パス?と、思ったけど違った。後ろに護衛騎士さんが二人もついていたからだった。
「ジルベルト殿下のお客様であるモニカ・タウスト様が図書館を利用されます」
「了解いたしました」
偉ぶって見えないよう、笑顔で腰をかがめて愛想良くする。スマイル0円は私のスタンダード。
図書館に入ると、私の知っている図書館とは違う匂いがした。嗅いだことのある独特な、そう、革製品の匂いだ。紙だけではなく羊皮紙の本がたくさん収められているのだろう。
「モニカ様、こちらは館長のラファエロ・アゴスティです」
「初めまして。モニカ・タウストでございます」
「モニカ様、何かお探しの本があれば何なりとお申し付けくださいませ」
いきなり魔女について調べたい、は駄目だ。えーと。
「香辛料について調べたいのでよろしくお願いします」
「かしこまりました」
ラファエロさんは真っ直ぐに目的の書棚に案内してくれた。私は久しぶりに興奮してる。前世で見慣れたスパイス、見慣れた食材、植物図鑑、ボタニカルアートまである。すごい。
「ごゆっくりどうぞ」
ワクワクしている私に笑顔で挨拶して立ち去る館長。それに比べて動かぬ護衛騎士さん。
「私、じっくり読みたいので騎士さんたちはどうぞ休憩してください」
「いえ、離れては護衛の役が務まりません。それでは少々離れて護衛致します」
なんてこと。私が何を手に取り、何を読んだか、丸わかりではないか。
ふうぅ。仕方ない。それなら疑われないように次々手に取って読み、本命を隠すことにしよう。
まずはスパイス。紙とペンは持参した。メモを取りつつ読む。少し離れて動物図鑑。見たことのない動物の特徴と名前をメモ。ドラゴンとかゴーレムとかサラマンダーとかの項目がないことを確認。
続いて地理。大陸の図を探す。この大陸のことをじっくり読む。この国は「偉大なる大地」と呼ばれる大陸の中央から南の海岸までを支配するスフォルツァ王国だ。
この大陸の形、全く見覚えがない。この世界の地図の精度は知らないけれど、これは地球じゃない確率、高い。ていうかもうこれ決まりか。そうか。
ちょっと放心しつつ、医学のカテゴリーへ。
医学を学ぶ人向けの入門書を開く。どんな理念なのか最初のページには『頭上の天使、足元の悪魔』の図。それに続いて色々書いてあるけど、医学の本なのに宗教色がとても強い。なにこれ。
瀉血は万病の初期に効くって書いてある。効くかい、そんなもの。モーツァルトは瀉血のしすぎで死んだって噂もあるわ。衛生観念のないこの世界で、やたらに皮膚を傷つけていいわけないって。
「だめだ」
遠い。私の知識とこの世界の医療の知識との距離は果てしなく遠い。中途半端に私の知識を伝えたら、魔女と言われて殺される可能性がたっぷりある上、基礎知識のない人々に私の生半可な医学の知識を伝えても混乱を生むだけな気がする。ドナート先生のような人は稀だろうし。
初日からがっかりして図書館を出た。
私がいなくなった後、ラファエロ館長が差し戻された本の並ぶ順番の違い、微妙な本の戻し具合の違いから私の読んでいった本の表題をメモに取り、誰かに連絡に行ったことを、この時の私は知らない。
私は図書館を出たその足で医務室に向かった。
「モニカ様、どうかなさいましたか?」
「傷はもう痛みません。先生のおかげです」
「何をおっしゃいますか。おっと」
近くにいる医療職員に配慮してそこで、やめてくれた。ドナート先生、ありがとう。
「先生に再度お願いに参りました」
私がそう言うと、何か察したのか先生が奥の小部屋に案内してくれた。エンツォ君も一緒だ。
「今、図書館で医療に関する本を何冊か読みました。傷を縫ったことや蒸留酒の効能のこと、私の指示だと陛下や王妃様にも言わないでほしいのです」
「どうしてでしょう。図書館の本に何か不都合が?」
「私は目立ちたくないのです」
「ほう。既に殿下のお気に入りなのにですか?」
いたたた。頭がいい人は鋭い。
「目立ったばかりに早速傷を負いました。同じ目に遭うことは避けたいのです」
先生は返事をしない。
同じように黙り込んだ私に小さくため息をついて、先生が「わかりました。頂いた知識と引き換えにしますか。陛下や王妃様に尋ねられたら私が考えついたことにいたしましょう。ばれたら処罰は確定ですがね」
そう言葉を結んだ。
私は心の底から頼れる人がいないこの世界で、モニカちゃんの身体を守って平和に暮らしたい。ただそれだけだ。
「あなたに教えてもらった傷を縫うこと、蒸留酒で洗うこと、器具や包帯を煮ること、それは大変な財産です。ありがとうございました」
先生はそう言ってくれた。小部屋を出るとき、振り返って先生に最後の礼を述べる。
「私を詮索せずにいてくださったこと、名前を出さないでくださったこと、心から感謝しております」
あとは振り返らずに歩いた。
口の中がとても苦く感じた。
♦︎
「ふむ。香辛料、植物、地理、動物、医療。見事にバラバラだな。暇つぶしにしては難しい内容が多い。ラファエロ殿、ご苦労だった。またあの方が図書館を利用されるようなら同じように閲覧の履歴を調べて報告してくれ」
ラファエロの報告を受けていたのはお妃教育担当の総責任者コンスタンツォ・デルネリである。五十代のコンスタンツォは白髪の痩せ型の几帳面そうな男だ。
クラウディア様のお妃教育の時は次世代の責任者として前任者の教育方針を見学し、記録していた。
クラウディア王妃から「そろそろお妃教育の計画を立てるように。頭の良い娘なのでできる限りのことを学ばせるよう」と言われている。
まずはモニカ・タウストなる娘のことを知らねばならぬ。殿下がえらくご執心で、料理と人形作りが得意とは聞いていたが。問題があれば早期にその旨を報告してお妃候補から外す必要がある。
「地理に医学、か。面白い」
先日の怪我の騒ぎのあと、ドナート医師にその時の様子を尋ねると「自分に対してまず目眩や吐き気の有無を報告した。取り乱す様子は一切なく、加害者をかばっていた。あの出血量であれほど冷静でいられる令嬢は珍しい。気丈な方である」と返答された。
「クラウディア様レベルか?いや、さすがにそれはないか」
クラウディア王妃は見目の良さと育ちの良さもさることながら優秀さで知られている。読み書き計算、諸外国の言語と文化、歴史、地理、会話術、マナー。どれも申し分ない生徒だった。
その王妃様が随分と肩入れしている令嬢である。コンスタンツォは「楽しみだ」と呟くと指導計画書に視線を戻した。





