23 医師ドナート
蒸留酒が届けられて、それをジャバジャバ傷口にかけてもらったところで医師に人払いを頼んだ。お酒が傷に染みるし辺りがお酒臭いけど、それを気にしてはいられない。
「頼みたいことがあるのですが、あまり人に知られたくないのです」
「ご令嬢と私が二人きりにはなれませんので助手を一人残してもよろしいでしょうか」
医者の後ろに立っている二十代の男性がぺこりと頭を下げた。彼が弟子か。
「はい。大丈夫です。それで、ここから先は他言無用に願いたいのですが、まずは傷口を合わせ鏡で見たいです」
「傷を見て失神するのではないか」と医師は渋ったが、どうにか粘って鏡を二枚持ち込んでもらう。
あー。結構深くて傷口がパックリ開いてる。長さは三センチくらいか。この程度の傷は日本でなら気にしないんだけど、私はモニカちゃんの身体に傷を残したくなかった。口が開いてる分、感染もしやすそうだ。
「針と糸で傷口を縫って欲しいのです。それは珍しいことでしょうか」
「縫うんですか?人の体を縫うなど、聞いたこともありませんが、縫って欲しいと仰るなら縫いますし、言うなと言われればもちろん誰にも言いません。私はドナート、彼はエンツォと申します。で、何を使ってどう縫えばいいかご要望はありますか?」
ドラマの医療物で使う針は、釣り針みたいに曲がっていたよね?頭なら尚更曲がってないと大きく縫うことになるか。
「薄い絹を縫う時用の一番細い糸と針が必要です。針はペンチで挟んで火で熱して、真ん中から緩い二つ折りにしてください」
エンツォと呼ばれた青年が出て行き、すぐに針と糸を持って戻って来た。ペンチに挟んだ針をロウソクで熱して、赤く熱した針をUの字になるまでゆっくり机に押し当てて曲げた。絹糸は薄い生地用の細い糸だ。
「縫う方法に指定はありますか?」
「あります」
この医師はごちゃごちゃ言わずに私の指示を受け入れてくれる貴重な人だ。外科の縫い方なんて知らないけど、麻酔無しだからなるべく頭皮の中を通る距離は短くしたい。麻酔、有るのかもしれないけどこの世界で注射はされたくない。飲む形だとしても危ない気がする。
「傷は細かく縫ってください。そしてひと針ごとに縛ってください。ほどけないように二重に縛って欲しいです。針と糸は蒸留酒に浸けてから使ってください。あと、手も石鹸で丁寧に洗ってから、たっぷりの蒸留酒を揉み込んでください」
ドナート先生は(ほほう?)みたいな顔はするけど一切何も聞かずに私の指示に従ってくれる。今ほど『王子がご執心』という噂をありがたく思ったことはない。普通なら「素人は黙ってろ」と怒られる場面だ。
さあ、縫ってもらおう。麻酔無しで。
「縫います。痛いと思います」
「お願いします。痛いのは覚悟の上です」
ドナート先生は幸いにも器用だった。ゆっくり丁寧に細かく、ひと針ずつ傷口を縫う。縫っては縛る。ハサミで切る。ハサミは言わなくてもエンツォ君が蒸留酒で洗ってくれていた。有能ね!
縫合はそりゃ痛い。でも、私は痛みには強い。奥歯を噛み締めて我慢した。三センチの傷を六針で縫い終えた。
ドナート先生も私も、見ているだけのエンツォ君も、縫い終わる頃には全員が汗びっしょりになった。
「傷口に蒸留酒で綺麗に拭いた油紙を当ててから包帯を巻いてください。一週間後に傷の様子を見てから糸を切って裁縫用の糸抜きで抜いてください」
「わかりました。従いましょう」
「先生、それで……」
「もちろん誰にも何も言いません。が、陛下と王妃様に聞かれたら話します。私の立場では黙秘できません」
「あー。そうですよね。ええ、わかりました。それはじゃあ、聞かれたらってことで」
こうして私は頭を包帯でぐるぐる巻きにされて部屋に戻された。怪我は正直、頭に心臓があるかのようにズッカンズッカン痛い。拍動にシンクロして痛い。蒸留酒が染みてるし、麻酔無しで縫いましたからね。それは仕方ないわ。化膿してそこから腐るよりはマシ。敗血症になったら死んじゃうもの。
夕食はスープとお茶だけ貰ってあとは辞退した。血糖値が高くなると化膿しやすいはず。動物が怪我や病気で食べないのを真似てみる。水分をたっぷり摂って、一日二日は食べないで傷の修復具合を様子見したい。
この日から私には常に護衛が二人付くことが決まった。専属のメイドをもう一人付けると言うので、「もし伯爵様の了解が出るなら、クララちゃんをお願いしたい」と申し出た。
それは聞き入れられたが、クララちゃんは王宮にて教育されてから配置する、と言う。了解了解。待ちますよ。
王妃様とクリスティーナ様が毎日お見舞いに来てくれた。寝ている必要は無いのにベッドに寝ていろと言われるので仕方なく手芸をして過ごした。
「モニカお姉様、今度は何を作っているんです?」
「小さなお人形です」
二頭身の手のひらサイズの人形は、既に五体も仕上がっている。
「わぁん!なんて可愛いの!妖精みたい!」
クリスティーナちゃんが頬ずりしている。わかるわかる。小さい二頭身、可愛いよね。今回のは小さいから髪の毛は刺繍糸よ。
「モニカお姉様、これも欲しいと言ったら私は欲張りかしら」
「いくつでも差し上げますよ」
「わあ!嬉しいっ!」
クリスティーナ様は正直で素直だ。二番目の子供らしい感じ。私にも王子にも無い無邪気さが微笑ましい。五体全部お持ち帰りする姿が文字通り小躍りしていて、久しぶりに笑ってしまった。
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怪我と縫合から一週間後。医務室で人払いの上、抜糸してもらった。エンツォ君も見学している。
パチンと糸を切っては糸抜きで挟んで引っ張って抜いてもらうのだけど、これも少々痛い。でも私は我慢できる。
「すごい。傷口が腐るどころか、もう傷口が塞がっているし跡も目立たない。モニカ様、これはすごいことですよ。しかもあなたが実験台になってこの有用性を証明してくださった。感謝いたします」
ドナート先生が感心している。私も合わせ鏡で確認した。現代の日本で治療したのと変わらない仕上がりに大満足だ。
「先生、エンツォさん、お話があります」
そう話しだすと、ドナート先生は軽く笑ってドアの外を確認して戻ってきた。
「さあ、たっぷり話をしてください。私も質問したいことがあります」
「今回の治療に関して全て先生が考えたことにしてもらえませんか。私が知っているとなると、この先色々と不都合なんです。聞き入れていただけますか?」
先生は黙って考え込んでいる。
「医療に素人の私がこんな提案をして、先生に失礼なことは十分承知の上です。こんな怪しげな知識は不要ということなら、もちろんそれで結構です。とにかく、今回の件は内密にして欲しいのです」
ドナート先生は私を面白いものを見るように眺めていたが、フッと笑うとひとつ頷いた。
「私には何の損もない。ありがたいご提案ですよ。聞きたいことはたくさんありますが、まあ、ゆっくり参りましょう。傷を縫う技術を軍人に使ってもかまいませんか?こんなに早く綺麗に傷が治るのなら、ぜひ試してみたい」
「もちろんです。どんどん試してください。蒸留酒を使うことをお忘れなく」
「そのことですが……蒸留酒を使う理由を聞かせてもらえますか」
なぜ蒸留酒を使うか、ざっくりと説明した。空気中にも手指、道具にも目には見えないが、ごく小さな腐る元となる物がいるらしいこと。道具や包帯を煮ても殺せるが、傷口に関しては蒸留酒がそれを殺してくれること。なぜそんなことを知ってるかは言わなかった。
「そんなにあちこちに腐らせる物がいるなら、なぜ我々は腐らずに生きていけるのです?」
免疫の話か。そこにすぐ気づくなんて、さすが王宮の医師。
「それについては私は専門家ではないのでなんとも」
うん、これでいい。顕微鏡もない世界の人を納得させるだけの説明は、私にできそうにない。必要に迫られたら動けばいい、と思う。
「僕も怪我人を縫ってもいいでしょうか」
エンツォ君がたまらず、と言う感じに口を挟んだ。
「それはドナート先生のご判断にお任せします。傷の中に汚れが残ったまま皮膚を縫ってしまうと中から腐りますので、そこは気をつけてください。なので生水や汚い水で傷を洗うのは逆に危険だと思います」
ドナート先生が全てメモを取っていた。
それからしばらくして、『軍では最近、切り傷の深いものは針と糸を使って縫うらしい』という噂が聞こえてきた。早く綺麗に治ると評判は良かった。私の名前は出ていない。
約束は守られているようだった。





