21 不憫な王子
ジルベルトとモニカが笑いながら庭を歩いている。それを二階の窓から王と王妃が眺めていた。クラウディア王妃が指先でツッと自分の頬の涙を拭って、それを見た王がそっと妻の肩を抱き寄せる。
「あの子があんなに楽しそうに」
「ああ。楽しそうだ」
「幼い頃から恐ろしいものを見続けてきたあの子が」
「うん、うん」
「あの年までよくぞ心が壊れることもなく」
「頑張ってきたよ」
国王も声が少し鼻にかかっている。
「王国のためとは言え、たった十二才の時から悪しき霊と話までさせて。私はあの子にどれだけ恨まれても仕方ないのです。なのにあの子はそんな私にも優しくて」
「もう泣くな。お前は国のために心を鬼にしたのだ」
「モニカに見せるあの笑顔。今までどんな娘にも心を開かなかったというのに。陛下、私は本当に嬉しいのです」
「ああ。私も嬉しいさ。ジルベルトのためにも、あの娘は大切にしなければならんな」
普段は気の強い面しか見せない王妃が、胸に溜め込んでいた長年の苦しい思いを抑えきれない。ついに両手で顔を覆って泣き出した。我が子に残酷な仕事をさせている自分に、ずっと苦しんでいたのだ。
優しくその背中をさする王も目頭を押さえた。
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「今夜は二人で星空を眺めよう。焚き火を囲み、毛布に包まって温めたワインを飲み、星を眺めながら話をしよう」
「殿下、今夜はクリスティーナ様と人形の家の内装の打ち合わせがございます」
それを聞いてジルベルトがため息を吐く。
「またか!あいつはなぜ僕の邪魔をするんだ」
「今こうして一緒に散歩をしているではありませんか」
若い男の子だけに、まっすぐで可愛いなぁと思う。そして話を聞けば聞くほどこの王子は不憫な子なのだ。
十二才の時に初めて王宮の文官の背後にいる霊と、向かい合って話をしたと言う。巨額の横領を暴くために必要なことだったらしいが、恐ろしくなかったのかと聞けば恐ろしかった、しばらくは夜が来ると怖くて独りのベッドで震えたという。
「やらねばならないんだよ。僕にしかできない仕事だからね」
なぜその震える夜に「怖いから僕のそばにいて」と誰かに言わなかったのか。真面目な性格ゆえに言えなかったのか。そこが不憫でならない。
状況は違えど私も独りで子供時代を耐えてきたから、自分のことのように胸が痛い。そう言うと彼は少しだけ笑った。
「僕は『王になる者は決して感情を周りの者に知られてはならない』と幼い頃から養育係に叩き込まれて育ったんだ。母上が心配してくれた時も、なんでもないと笑って見せた」
なんて残酷な躾だろうか。
ベンチに並んで座り、最後の秋バラの花を眺めながら話を聞いていると、今まで抱いていたおっとりした人、時々ちょっと俺様というイメージがどんどん崩れていく。
「ずっと頑張ってきたんですね」
そう言って思わず慰めるように王子の背中をポンポンすると殿下は赤くなって「僕は赤ん坊ではないよ」などと文句を言う。
私は王宮に参上して以来、伯爵邸に戻っていない。専用の部屋を与えられ、「必要なものは取って来させる」「欲しいものがあるならこちらで揃える」と侍女さんたちに言われる。伯爵家からもこちらのことは心配いらないと手紙を貰っている。
王子は身長が百八十五くらいだろうか。まだ縦に伸びる時期なのか筋肉は薄いのだが、その細く高い体を折り曲げるようにして私の顔を覗き込み、ふんわりと笑ってから前を向いた。
肘を差し出すのでそっと自分の手をそこに添える。これを見た人はさぞかし、仲の良い恋人たちだと思うだろう。
不敬を覚悟で言えば、この人は、前世の私と似ているところがある。相手が五を望めば十を差し出し、相手が十を要求すれば二十を返す。血を吐く思いで差し出したことに、たとえ相手が気づかなくても。
欲望に囚われた霊と話をして、悪行を聞き出して、罪人が処刑されて霊が消えるところまでを確認してきたという。怖くなかったのかなどと聞くまでもない。
そんなことを子供の時から続けてきたら、用心深くなるのも仕方ないだろう。私のことを根掘り葉掘り質問したのだって当たり前だと今は思える。
日本の十七才は高校二年か。ゲームやSNS、甘えてたり反抗したりの年頃だ。親に身の回りを世話になり、育ててもらっていてもクソババアなんて言う子だって普通にいる。
それに比べ、王子は要求され続けて要求することを忘れてしまった若者だ。なのに初めて望んだことが、私なんぞにそばにいて欲しいことだなんて。不憫な。
甘えて駄々をこねるなんて、この子の辞書にはなかったのだろうと、たくさん話をするほどそう思える。
並んで歩く王子の顔を見上げると、微笑みながら庭園を歩いている。私がそばに居て微笑むことができるなら、そばにいるよ。君がいつか私に飽きて普通の人へと向くまでは。
私は思いがけなく人生の続きを送ることができて、しかも前世では得られなかった幸せをたくさん味わうこともできた。ここでの時間は前世のご褒美かおまけならば、この不憫な王子様を微笑ませるために私の時間を少々使うのも、悪くはないと思った。
◆
「モニカ姉さま、今夜は人形の家に置く家具の相談をさせてくださいませ」
「クリスティーナ様、恐れ多いので私のことはモニカとお呼びください」
「だってモニカ姉さまはお兄様の婚約者になるのでしょう?今からお姉さまとお呼びしてもいいではありませんか」
「どうでしょう。婚約までは至らないかもしれませんし」
人形の豪華なドレスを着替えさせていた王女様が『えっ!』みたいな顔になり、手を止めて私の顔を見た。
「お兄様はね、やっと笑えるようになったのです。モニカ姉さまがお兄様を笑える人にしてくれたのです。今までは、ええと、薄気味悪い?いえ、嘘くさい?そんな感じの笑顔を貼り付けていましたの。妹から見ても『この人は大丈夫かしら』って思うような人でした。でも、お姉さまと一緒にいるときのお兄様は本当に笑ってらっしゃるの。だからどうぞ、私のだいじなお兄様を見捨てないでやってくださいませ」
聡明そうなお嬢さんだとは思っていたけれど、ちゃんとお兄ちゃんを心配して見ていたのね。
「はい。王子様に愛想をつかされない限りはおそばにおりますよ」
「じゃあ、安心ね」
そう言ってクリスティーナ王女は私が描いた家具の図案を覗き込んだ。その隣には王宮出入りの家具職人の手による高級感漂うドールハウスが置いてある。
手前の壁は観音開きにして書棚や窓が作られている。これから壁紙を貼るのだが、壁紙は絵師に柄を描き込ませるという。いいのかね、プロの絵師にそんなことさせて。
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王宮では私の存在について噂が広まっているらしく、私に対する人々の対応が変わってきている。以前は景色の一部みたいに見過ごされていたのに、最近ではすれ違う人たちが皆、道を譲り頭を下げる。
今の私は婚約者でもない、王子の友人でただの男爵令嬢だ。なのにこの状況は精神衛生に良くない。
私付きの侍女さんに皆の態度が変わったことを話して一度伯爵家に帰った方がいいと思うと伝えたけれど、「皆にモニカ様のことが知られるのはいいことです」と笑う。いやいや、いいことじゃないと思う。
客観的に見たら、飛び抜けて美しいわけでもない田舎育ちの男爵の娘が、王子をたぶらかして大きな顔をして王宮内を歩いてるように見えるのではなかろうか。
殿下や王妃様に直接訴えようと思ったけれど、お二人とも最近は何かあったのか、会議会議であまり会えないでいる。殿下に至っては深夜までお仕事に追われていて、ほんの数分だけ夜に顔を見せる程度。
「君がここにいてくれると思うと頑張れる。用事はそのうちに片付くから、待ってて」と言っておやすみなさいの挨拶をしている間にも人が呼びに来る。何が起きているのか。





