2 伯爵邸の晩餐
王宮の夜会から二日後。僕はベルトーナ伯爵の屋敷にいる。夕食をご馳走になりたいと、少々あつかましい要望を出したのだ。
だって、気になって仕方なかったんだよ、レモンチーズムース。僕は食べ物に執着する方ではないと思ってたけど、美食に命をかけてるベルトーナ伯爵が滞在させてまで食べたいと思う料理を食べてみたいじゃない?あと、どうしても確かめたいことがひとつあるんだ。
「ジルベルト殿下、本日はお越しいただき、まことに光栄でございます」
「悪かったね、急に」
「とんでもございません。モニカも張り切っております」
「で、料理は彼女が全部作ってるの?」
「本日はモニカが指導しながら我が家の料理人と一緒に作っております」
「彼女はタウスト男爵の娘らしいね」
「はい。山奥の小さな領地であんな美味に出会えるとは思わず。あのまま田舎に埋もれさせておくのは実に惜しいと思いまして、我が家に迎えた次第です」
「そう」
そして一生ここで料理を作らせるつもりかね。それはどうかと思うが。
そんなことを考えていたら晩餐用のドレスに着替えたモニカ嬢が部屋に入って来た。今まで料理をしていたせいか、頬が赤く、目がキラキラしている。
「やあ、世話になるね」
「お口に合うとよろしいのですが」
やがて料理が運ばれて来た。料理についてその都度モニカ嬢が説明してくれた。
最初はカリッと焼いた小さな薄切りパンに酢と油で味と香りをつけた刻み野菜を載せたもの、あとは三種類のハムの盛り合わせ、唐辛子とニンニクとベーコンのパスタ、豚肉とキノコの煮込みのパイ包み焼き、削ったチーズと半熟卵を載せたサラダ、レモンチーズムース、だった。デザートは僕が指定してお願いした。
あー……。
何から感想を言えばいいのか。
とにかくどれも垢抜けていて美味しい。
初めて食べる料理もあったけれど、香りといい食感といい、どの皿も素晴らしい。
レモンチーズムースは天国の食べ物のようだった。こってり濃厚な乳脂肪のコクとレモンの爽やかさが口の中で溶け合わさって、飲み込んだ後まで美味しい。
「パスタは最近出回るようになったと聞いていたが、これは美味いな。小麦であろう?」
「はい。小麦粉でございます。私が指示して料理人が打ちました」
「唐辛子とニンニクでこんなに味わい深くなるとは。唐辛子はオイル漬けにして使うのだと思っていたが」
「料理に刻んで入れても美味しいのです。辛さも味のうちです。今夜はどれも上手にできました」
そう言ってモニカ嬢は気持ちよい食べっぷりで皿に向かっていた。食べる合間に威勢よくワインを飲んでいるが、大丈夫なのか。ちゃんと酒に強いのであろうな?
やがて。
そんな気はしていたが、さっきからモニカ嬢は真っ赤になっている。酒に弱いのか。弱いなら賓客の前でゴッキュゴッキュと飲むんじゃないよ、まったく。そのうちメイドが見かねて部屋から連れ出していった。仕方のない子だ。
「して伯爵、タウスト家について少々尋ねたいのだが」
「はい」
したたかな伯爵は狼狽えることはなかったが、ほんの少し警戒心を外に出した。
「タウスト男爵家の娘だったモニカ嬢はどこであのような斬新で洗練された、金のかかる料理を覚えたのであろうな?」
「さすが殿下。そこにお気づきになりましたか」
「僕も興味があってね。伯爵はタウスト男爵のあの言い訳を本気にしたのかい?」
「しかし、男爵が私の目の前で話をしているのを見た限り、嘘をついているとは思えませんでした」
夜会で伯爵に尋ねたら「タウスト男爵が申しますには」と聞いた話は到底納得できる話じゃなかった。それは……
「モニカがドレスを何着も抱えて前が見えず、階段を降りるときに踏み外して転がり落ちた。頭を打ち、五日間意識がなかった。そして意識が戻ったら別人のように活発になって、料理の知識を山のように持っていた」
ありえない。モニカ嬢の料理は洗練され、計算され、歴史を感じさせる。
肉の火の通し方もパスタの茹で方も「ここしかない」という時点で止められている。塩の使い方もそうだ。あれは経験を積んだ料理人が繰り返し試行錯誤して作られるものだ。
「伯爵、すまないがモニカ嬢と二人だけで話がしたい」
「かしこまりました、と申し上げたいのですが酔っておりましたから、会話は無理かもしれません。山育ちなればその辺のマナーがまだまだでして」
二人だけで、と言ったら伯爵が緊張している。モニカ嬢を横取りされるとでも思っているのか。
「モニカ嬢は今、自室か?」
「は。眠っておるかと」
「伯爵と一緒でよい、寝顔を見せてほしい」
「殿下、さすがにそれは」
「ああ、メイドたちが勘違いするといけないから、メイドたちも一緒でいいよ」
伯爵は年頃の娘ですので、とかいろいろ抵抗したけど、まあ、最後は折れたよ。
で、今。
僕、伯爵、メイド長、執事の四人でモニカ嬢の寝室にいる。モニカ嬢が熟睡しているベッドから、少し離れた場所に立っている。
「うん。もういいよ。ありがとう」
そう言ってさっさと部屋を出た。ほんのひと呼吸、ふた呼吸ほどの時間しか部屋にいなかったので皆驚いていた。でも僕には十分だ。
モニカ嬢を見るたびに彼女だけがわずかに霞んで見えるような気がしていたが、あれは霞んでいたのではなくて霊がうまく体に収まってなかったんだな。霊なら取り憑いた人の背後にいるものだが、アレはモニカの身体をまるごと所有していた。眠ってる今ははっきりとそのズレというかブレの正体が見えた。
おそらくだが、本物のモニカは死んだのだ。そこにすかさず誰かの霊が入り込んだのではないか。初めて見た事例なので断言はできないが、当たらずとも遠からずだろう。
僕は晩餐の礼を述べて唖然としている伯爵に手を振って王宮へと戻る馬車に乗った。知りたいことは知ったからね。
僕にしか見えなかっただろうが、モニカ嬢の眠るベッドには、黒髪を肩のあたりで短く切った小柄な女性がモニカ嬢と同じ姿勢で、体とわずかにずれた状態で眠っていたんだ。
♦︎
僕には霊が見える。
霊の存在は稀で、よほどの心残りや執着で魂がこの世に残ったものだ。僕は良くないものしか見たことがない。
金銭、宝石、色欲、酒、権力。そういったものに心を支配されて、死んだあとも誰かに取り憑いて己の欲を満たそうとしている。それは取り憑かれた者の行いと本人の背後を見ればわかる。
まだ幼い頃は見えるのが普通なんだと思っていたけれど、他の人には霊は見えないのだと母上に教えられた。だから人には知られないようにせよ、と。
母上は賢明にもそのことを僕に隠させるだけでなく、父にも相談して学者に調べさせた。すると五代前の王も見えたらしい。
もちろん正式な文献には残されておらず、側仕えの日記にそれらしきことが記されていて、その日記は王族及び王族に許可された者のみが閲覧できる禁書庫にある。
五代前の王はその力で心悪しき者を遠ざけ、善政を施したそうだ。
「ジルベルト、あなたの見える力は神が授けたもの。ならば王となる上であなたを必ず助けてくれることでしょう。しかし、その力は諸刃の剣です。あなたに背こうとしている者が知れば『君主は気が触れている』と言いふらしかねません。人には知られぬようになさい」
「はい。母上」
「それともう一つ、学者が案じることがありました。人の背後に取り憑いている何者かにもまた、あなたの能力を知られてはならないそうです。あなたが見えると知られれば、あなたに害をなそうとするかもしれない、と」
「わかりました。私の力に気づかれないよう、注意いたします」
それ以来僕はあいつらとは目を合わせない。「見えているのだろう?」と言うように向こうから視線で探られることもたまにあるが、一切気づかないふりだ。
しかしモニカ嬢に取り憑いているあのような霊のあり方は初めて見る。一体あれはどんな霊なのか。どんな人生を送って何を求めてこの世に残っているのか。
僕はモニカ嬢について知りたいことがまだまだある。
読んでくださってありがとうございます。