19 殿下の秘密
「こちらでございます、モニカ様」
通された部屋は明るく広く、素人目にも高級とわかる家具がゆったりと置かれている。着席を促されて座ると、すかさず熱いお茶が出された。アッサムの香りに近い。
王女様を待っていると、すぐに悠然と入って来たのはクラウディア王妃だった。立ち上がりお辞儀をすると同時に威厳のある声が降ってくる。
「久しぶりね、モニカ。元気そうだわ」
「お久しゅうございます。元気に過ごしております」
「コルシーニ領まで旅行に行っていたとか。旅はどうでしたか?」
(旅?そういうことになっているとは聞いてないけど、話を合わせるべきね)
「はい。海の幸がたいそう美味しく、地元の人々とも交流が図れて大変有意義でした」
「それと、クリスティーナが可愛がっているあの人形はあなたが作ったと聞いたけれど」
「はい。子供たちが遊ぶ抱き人形なので、柔らかく安全で可愛らしいものを、と思いまして」
その他にもダフネ夫人が若返ったことや膝痛の改善などとりとめのない話が続く。やがて焼き菓子が数種類運ばれて来て、モニカはそれを少しずつ食べながら考える。
なんとなくだけれど、時間稼ぎをされてる気がする。目的はなんだろう。王子は私が来ることを知っているのだろうか。さっさと王女様と面会をして伯爵の元に帰りたい。
「モニカ嬢はジルベルトのことをどんな人間だと思いますか?」
唐突に斬り込まれた。
「どんな人間、ですか」
「ええ。何を言っても罰したりはしません。正直に思っていることを述べてごらん?」
何を求められているのかわからず、考え込んでいると、王妃が助け舟を出すかのように言葉を続けた。
「正直な感想が聞きたいのです。遠慮せず本音を言ってごらん」
「殿下のお人柄を語れるほどはお話していませんが、真面目で慎重な方のように思います。十七才にしては大人びていて、年齢に見合わない落ち着きを持ってらっしゃいます。さぞや多くの重責を担っていらっしゃるお方なのだと思っています」
「なるほど」
王妃様が手に持っていた優雅な扇を手のひらに打ちつけ始めた。パチン、パチン、パチン。
「たしかにジルベルトは重責を担ってよく務めを果たしています。そうですか。あなたにはそう見えるのですね」
「生意気なことを申しまして……」
その時、部屋の外で走ってくる足音がして勢い良くドアが開けられた。
「モニカが来ていると聞きまし……ああ、来ていたか。モニカ嬢、久しぶりだ」
大股で近寄ってくるジルベルト王子のテンションが高い。対応できず固まってしまう私を見て、王妃が声をかけた。
「ジルベルト、落ち着きなさい」
「あっ。はい。失礼しました」
王子が着席すると王妃は席を立った。
(えっ。二人になるの?)と思っているのを見透かしたように王妃が私に微笑みかけて「私は公務に戻るゆえ、二人でゆっくり話をするが良い」と目だけ笑ってさっさと出て行ってしまった。
さあ。もう何を言われても覚悟を決めなくては。最善を尽くすしかない。
「久しぶりだな。元気にしていたのだろうか」
ジルベルト王子の声が少し硬い。
「はい。海辺は魚介が美味しく、楽しい毎日でした。今回はクリスティーナ王女殿下にお声がけいただきまして、こちらにやって参りました」
「また旅先に戻るのではあるまいな?」
「それは……。二度と殿下のお目に触れないようにと思っておりましたのに、このように王宮に上がることとなって、心苦しく思っております。本当に申し訳ございません」
噛み合わない答えなのは承知の上でそう言えば、ジルベルト殿下の顔に一瞬苛立ちのような物が通り過ぎる。
「モニカ嬢に謝らねばならないことがある。僕はあなたに隠していたことがある」
「はぁ」
なんとも間抜けな返事だと思うが、なぜ王子が自分にそんなことを話すのか。王子の隠し事など、できれば聞きたくない。
「お待ちください殿下。なぜ私にそのようなお話をなさるのでしょうか。一介の男爵の娘の私になぜ」
「それも僕があなたに隠していたことと関係がある。そもそも僕の秘密の力が理由で僕はあなたに近寄ったのだ。不愉快な思いをさせてすまなかったと反省している」
なんだかとてもまずいことになっている気がする。
「そうですか。私がその秘密を聞いても良いものでしたらうかがいます」
「本当にすまない。秘密を聞けば重荷になるのはわかっているのだが。僕には、その、王家の者以外には秘密にしている力があるんだ」
「はい」
「それは、僕には……」
バーン!とドアが開いて、片腕に人形を抱えたクリスティーナ王女と思われる美少女が目をキラキラさせて駆け込んできた。
「あなたがモニカさん?」
そのまま私に突進して来た少女の前にジルベルト王子が立ちはだかる。両腕を広げて妹を抱きとめた。その兄を押しのけ顔を腕の隙間から出して話を始めようとする妹。それを羽交い締めにする兄。微笑ましい。
「お兄様!やめてくださいまし!」
「クリスティーナ。出て行きなさい。大切な話をしているんだ」
「嫌です。お母様がモニカさんにお話があるって仰るから私、順番を譲ってずっと待ってたんですよ!お兄様こそ私の後にしてください!」
「いいから。お前は後にしなさい」
「モニカさん、お人形、気に入っています。あれはどんなふうに……あっ、お兄様、何を!」
ジルベルトが無言でクリスティーナを抱き上げて肩に担ぎ、ジタバタする妹には一切構わずノッシノッシとドアに向かって進み、ドアを開けて妹を外に押し出す。
護衛に「僕が声をかけるまで入れるな」と言うと返事を待たずにドアを閉めた。
ドアの向こうから「お兄様!モニカさんを呼んだのはわたくしですのに!」と言う声が聞こえるが、やがて誰かに連れて行かれたらしく、可愛い苦情の声は次第に小さくなって消えていった。
「失礼した。それで先ほどの続きだが、僕には生まれた時から特別な力がある」
「はい」
「それは、誰かに取り憑いている霊がその人の後ろに見えるんだ」
「……」
何か言わなければと思うのだが、口を開けても声が出ず、ハクハクと口を動かすものの、何を言えばいいのか思いつかない。
「市場でアントニオに話しかけられて伯爵邸まで送られた時のことを覚えてる?」
「はい。覚えております」
「彼は僕の乳兄弟であり護衛だ。そしてアントニオの前に、知らない男性に話しかけられたでしょう?」
「はい。でもなぜそれをご存知なのでしょう」
背筋がゾクゾクしてきた。何かとても怖い話を聞かされる予感がする。
「僕があの男をアントニオに見張らせていた。あの男には悪い霊が取り憑いていたんだ」
「悪い、霊」
「そうだ。悪い霊だ。その霊は若い女性を絞め殺す快楽が忘れられず、死んでもこの世に残って欲望を満たすためにとある貴族の息子に取り憑いていたんだ」
その事件なら聞いたことがあった。
「絞め殺すって、もしや、以前若い女性が六人も殺されて騒ぎになった事件はあの人が?」
「そうだ。あの男が殺していたんだ。僕はそれに途中で気がついて現場で捕まえるためにアントニオを送り込んだ」
私は凶悪な殺人鬼に話しかけられていたのか。いや、それより霊が見えるってことは、やはり私の正体を知っていてこの人は私に近づいているのだ。
緊張のあまり少し吐き気がしてきて、お茶を飲んで落ち着こうとした。
腕を持ち上げてカップを取る、という簡単な動作が難しくて、腕が石でできているかのように重い。(あれ?)と思っているうちに冷や汗と吐き気が酷くなり、貧血を起こしていると気づいた時には目の前がどんどん暗くなってきた。カチャーンと、カップが割れる音が聞こえる。
「モニカ!モニカ!大丈夫か?しっかりしろ!」
声が聞こえるが気持ち悪くて目が開かない。背は抱き抱えられているが下半身が硬く冷たい床に触れているから、どうやら私は貧血で椅子から床に崩れ落ちたらしい。
「だ、大丈夫、です。カップが、割れてしまいました。申し訳……」
「カップなんかどうでもいい。衛兵!医者を呼べ!」
衛兵がなだれ込んできて、そのあとはちょっとした騒ぎになった。