17 王妃様からの呼び出し
「陛下、陛下、あなた!」
「ああ、聞いているとも。なんだい、クラウディア」
昼下がり。窓から入る陽射しの気持ち良さについうとうとしていた国王アウレーリオ三世は慌てて姿勢を正した。
午後の執務が始まるまではゆっくり休みたかったが、妻の機嫌を損ねるのは避けたいと判断した。
「ジルベルトとモニカ嬢のことですよ。なんの進展も無いのです」
「まあ、そのうち良い知らせを持ってくるのではないか?相手は男爵の娘だろう?断るわけがない」
王妃の目が細められる。
「あなた、お忘れなの?ご自分が私に逃げられ続けていた二十年前を」
そう、正確には二十五年前から始まる話である。当時王太子だったアウレーリオ三世は、宰相に勧められるまま顔合わせのお茶会に参加して、クラウディアをとても気に入った。
しかし。クラウディアの実家は豊かな資産を持つ歴史のある侯爵家で、何がなんでも王室と繋がりを、と言うわけではなかった。彼女は「王妃なんて気の休まらない立場は面倒。気を遣わなくて済むうちより少し格下くらいの貴族の家に嫁ぎたい。殿下のお話は断ってよ」と嫌がったのだ。
親は必死に説得したがクラウディアは殿下もそのうち諦めるだろうと五年間も逃げ続けた。アウレーリオ三世は年齢的にもいよいよ婚約者を決めなければならない。これ以上グズグズしていれば勝手に婚約相手を決められそうな雲行きに、ついに強硬手段に出た。
クラウディアの幼なじみや多少なりとも付き合いのある若い男性貴族を片っ端から呼び出してはクラウディアとの付き合いをやめるよう圧をかけた。
そんな話が社交界に広まらないはずがなく、クラウディアは夜会に出たくてもエスコートしてくれる人がいなくなり、ついには一人で参加した夜会でも会話をしようと男性に近づくと素早く逃げられるか二言三言で立ち去られるという情けない目にあった。
理由を調べ、腹を立ててアウレーリオに苦情をぶつけたが「はて。なんのことやら」とかわされるばかり。
「そこまで望まれれば女の誉れですよ」と母親にこんこんと諭された。自分でもこのままでは嫁ぎ遅れとなる、と渋々婚約した経緯がある。
「私のように将来の王妃に興味が無いのかもしれません」
「男爵の娘がかい?ありえないだろう」
「令嬢の全部が全部、王宮でのし上がりたいと思っているわけではないの。ほんとにあなたはいつまで経っても女心がわからないのね」
「……」
国王は婚約の時から基本、彼女には頭が上がらない。
それにしても進展が無さすぎる、とクラウディア王妃はこういう時の人間を呼び出した。王子の護衛である。一番近い場所にいるのはアントニオだが、彼はあまりにジルベルトと親しいので逆に頼りにはならない。
「ジルベルトとモニカ嬢のこと、今どうなっているのか何か知っていますか?」
護衛は困った顔で言葉を選んでいる。
「何かあったの?もしやモニカ嬢に想い人でも?」
「いえ。二ヶ月ほど前の事になりますが、よろしいでしょうか」
「話しなさい」
「ベルトーナ伯爵家の裏庭でモニカ様が何か作業をなさっていたのですが、ジルベルト様がその作業場にお入りになり、少し会話をされた後で、えー、モニカ様が泣いておられました」
「泣いた……」
「はい。その後は夜会で一度ジルベルト様の方から近寄ってお声がけをなさってましたが、それ以降はお二人がお会いになったことは無いはずです」
「そう」
「それと、これは不確かな噂なのですが……」
「許します」
「モニカ様はベルトーナ伯爵家を出て、現在は行方知れずという話を別の者から聞きました」
「行方知れず?ふうん。そう。わかりました。ありがとう。下がりなさい」
一人になった王妃はパチン、パチンと扇を手のひらに打ち付けながら考えを巡らせた。
ジルベルトは見える力のせいで人間不信のところがある。それは仕方ないことと今まで大目に見て来たが、やっと気に入ったらしい令嬢を見つけたと思ったら泣かした挙句に逃げられた?
「何をやってるの」
息子のジルベルトはよく言えば真面目で慎重、悪く言えば優柔不断で人に対して臆病なところがある。
一方のモニカ嬢は年齢に似合わず落ち着いた賢い娘に見えた。
他の令嬢からの揶揄や嘲笑を冷静に上手く受け流し、控え目だった。だが、ただ大人しいというわけでもなかった。何しろ王妃である自分をさりげなく観察していたのだから。
ただの男爵の娘とは思えない。よほどの愚か者かよほど度胸があるのか。王妃の自分に興味深そうに観察の目を向ける娘など、初めてだった。
壁際に立っている侍女に声をかけた。
「明日の午前中、ベルトーナを王宮に呼びなさい」
「かしこまりました」
(何があったのか話を聞いてみよう。あの娘はかなり頭の回転が早いと見たが、加えてあの年齢であのように冷えた目を持つのもなかなか得難い。いずれ王となる息子を支えるのにふさわしいかもしれない。そもそも、頭の悪い者にあのような美味な菓子は作れないであろう)
王妃はモニカを気に入っていた。
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「旦那様!大変でございます!」
「どうした」
いつもは沈着冷静な家令が慌てていた。手には封筒を持って早足で駆けつけたらしく家令としてはあるまじきことに息を切らしている。
「王妃様からのお呼び出しということで、先程使いが参りました」
「なんと」
封を開ければ間違いなく呼び出し状だ。モニカをかばうのももはやここまでか。
「どう取り繕えばいいものか」
ベルトーナ伯爵は妻と家令とに事情を話してこの先のことを話し合った。
翌日、王宮の一室で王妃を待っていると、ゆったりとした衣装に身を包んだ王妃が応接の間に入ってきた。
軽く手を振って一人を残して他の者を部屋から退出させると、早速口火を切った。
「ベルトーナ、モニカはどうしています?」
「はい。しばし留守にしております」
「どこにいるのです?息子が会いたがっているのではないかと、母としては気が揉めるのです」
「それが私にも……」
「ベルトーナ、その手はもう良い。娘はどこに行った?いや、どこにやった?ジルベルトとの間に何かあったのであろう?周りが口を出しすぎれば行き違いも増えようと様子見をしていたが、このままでは時間の無駄。本音を許す。正直に述べよ」
ベルトーナ伯爵が首の周りに滲む汗をハンカチで拭いながら迷っていると、王妃が追い討ちをかけた。
「王子がモニカを泣かせたと聞きました」
「えっ」
「ああ、伯爵は知らなかったか。どうやらモニカを泣かせたらしい。あれは融通が利かぬ性格。さぞや若い娘の心もわからずに堅苦しい面倒なことを言ったのであろう。しかしあれはまだ若い。多少の間違いはある。許してやってはくれないだろうか?」
「はっ」
「ではモニカが戻ったら私に知らせるように。よいな?早い知らせを待っています」
一気に言いたいことだけを言うと王妃はさっさと部屋を出て行った。
「これはまた。きっちり逃げ道を塞がれた」
ベルトーナはこれ以上は逆に事態をこじらせてモニカの立場を悪くすると諦め、モニカに帰宅を促す手紙を出すしかない、と思った。
さらにその日の午後、事情を知らないジルベルトが伯爵家を訪問し「モニカはまだ見つからぬか」と問う。
「今朝ほど王妃様にもお話をいただき、居そうな所へ人をやりますので、じきに見つかるかと存じます」
「母上が話を?そうか。迷惑をかけた。いつまでも私を子供のように案じているのだ。親心と思って許してほしい」
王妃と王子の双方からこう言われてはもう、お手上げである。手紙を出してモニカの帰省を促すしかない。
しかしベルトーナの手紙がコルシーニ領に届いた時には、既にモニカは王都に向けて出発していた。
早馬で届けられたパオロからの手紙をベルトーナ伯爵が読んだのはモニカたち一行が王都に着く三日ほど前だった。