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14 石鹸を作る

 私、モニカはこの世界に来て初めて、いや、花井ゆきだった前世を含めても初めてなくらいの大パニック中。


 昨夜、クララちゃんに丁寧に丁寧に目の細かい櫛で髪をとかされながら「なんでこんなに毎晩櫛を使うの?」と尋ねた。ずっと不思議だったから。


 答えがまさかの「シラミが湧かないように」だった。


 全身に鳥肌が立った。シラミって!それなら頭を洗うよ!なんで洗わないで櫛に走るかな!


「頭を洗ってくる……」

「また髪を洗うのですか?三日前にも洗いましたよ?」

「できることなら毎晩洗いたい……」

「そんな。王様だって毎晩なんて洗いませんよ」


 知ってますよ。

昔のヨーロッパで香水が発達したのは体臭をごまかすためだって。そりゃ臭くもなるって。本当にこの世界の?この時代の?人たちは体を洗わない。まだ身体は拭けばいいよ。頭よ問題は。十日も二十日も頭を洗わないのは私には拷問よ。


 クララちゃんに「洗いすぎると髪が傷みますよ」と言われながら階下の洗い場に行き、有料で薪を買い、洗い場に設置されてるかまどでゲホゲホ煙にむせながらお湯を沸かす。桶にお湯を入れる。井戸水を汲み、それで温度を調節する。モタモタしてるとどんどんお湯が冷める。


 クララちゃんが手伝うと言うけど、上半身裸になるから隣にいられても落ち着かなくて困るから断る。


 桶を二つ用意して片方に頭を突っ込んでガシャガシャ髪を予洗いして、結構な臭いのある獣脂石鹸で地肌をしつこく洗い、それを桶のお湯ですすぎ、もうひとつの桶のお湯で更にすすぐ。


 このお湯の量では全然すすぎ足りない気がするけどシラミが湧くよりマシ。髪の毛ゴワゴワになるけど、頭に虫が住むとか、想像しただけで地獄すぎる。


「モニカ様は洗いすぎるから髪がすっかりごわついてしまって」とクララちゃんは言うけど、違うから。獣脂石鹸のせいだしすすぎ足りないせいだし。ハァハァ。恐怖で呼吸も荒くなるよ。


 あれよね、中世のお姫様を誉める言葉に「絹のような髪」って言葉があるけど、その絹のような髪は臭くないの?と思う。


 これじゃダメ。石鹸を作ろう。シャンプーも洗顔も出来る獣臭くない石鹸を作る。絶対に。


 翌日、調理場の灰を木箱に集めてもらって、燃え残りを取り除き、桶に灰と熱湯を入れて半日沈殿させた。たしかこれが灰汁。王都の市場で石鹸屋のおじちゃんに根掘り葉掘り聞いて覚えておいた知識を実践よ。


 これを捨ててもいいボロ布で濾して灰汁ゲット。


 煙が出ると聞いてたから、空き地に石を組んでかまどを作り、鍋を火にかけて跳ねない程度に温めたオリーブオイルに沸騰させた灰汁を注いでひたすら混ぜたら石鹸が出来る、はずだった。


 なぜか型に入れても固まらない。泥状の柔らかい物ができた。なぜ。オイルと灰汁の比率がわからず、比率を変えて何回も作った。


 待て。フランスで昔から作られているあの石鹸はどうやって固めてた?型に入れてしばらく熟成させるとか?


 確かに時間をおくとある程度硬くなるけど私の知ってる日本の石鹸にはならない。苛性ソーダとやらを使わないから仕方ないのか?化学の知識が有れば、という愚痴は無しよ。


 食用のオリーブオイルをバンバン使うのでクララちゃんは身悶えするほど勿体ないと言うけれど、このために使う私のお金はまだまだある。大丈夫。それに出来損ないでも宿の食器洗いに喜ばれてる。大丈夫。


 ある日、ふと思った。硬くしなくても汚れが落ちればいいのでは?そうだ、そうですよ。


 そこで泥状石鹸で髪を洗ってみた。クララちゃんは「また洗うんですか!」とか言うけど、お湯だけで洗うよりよほど地肌も髪もスッキリした。獣脂石鹸より臭くないしごわつきもマシ。


 石鹸がっていうか灰汁が結構なアルカリ性のはずだから最後に酢をお湯に少し混ぜてすすいで中和してみた。気分だけでも中和、と。


 結果、いい!


 もう、シャンプーしない生活には戻れない。

この苦闘の話を自慢げに油屋のおばあちゃんに話したら干した海藻を燃やした灰を使うか海水を少し入れるといい、と言う。海水?塩が必要なのかしら。それとも海藻や海水中のミネラルとかかしら。


 で、海水を少し入れてみた。前より固まる。型に入れて時間が経つとかなりいい。もう贅沢は言わない。溶けやすくても固まらなくても髪が洗えれば。


 出来損ない石鹸は宿の奥さんが近所の人に配って喜ばれてる。大量にあるから助かる。


 夢中になって石鹸作りをしたけど、目標があり、やるべきことがあるって、体の底からエネルギーが湧いてくる気がした。生きてるって感じ。


 何かを作るって、元気が出る。料理もミサンガも、人形も、化粧水も、石鹸も。ほんとに楽しい。


 夜、今度は柔らかい石鹸で行水をした。身体を自作石鹸で洗い、桶のお湯で流した。十六才のモニカちゃんの身体はすべすべぷりぷりだ。


(モニカちゃん、あなたの身体は大切に使ってるよ。傷をつけないよう、怪我をしないよう、病気にならないよう、気をつけているよ。本当にありがとう)


 目を閉じて、何百回目かの感謝をモニカちゃんに捧げる。冗談じゃなく、日に何度も感謝してる。


 その後、あれほど私を「洗いすぎ」と非難していたクララちゃんは、私の液体(泥状)石鹸を洗髪や洗顔で使うようになった。そのままだとお肌が乾燥するから私の作った化粧水で保湿している。


「モニカ様、石鹸と化粧水を売りましょう」

「クララちゃんは商売が好きなの?」

「お金が好きなんです。嫌いな人なんています?」

「いないかな」

「お金が有ればしなくて済む苦労と手に入る幸せがこの世には星の数ほどあるんですよ、モニカ様」


 名言だわクララちゃん。ほんとに十五才?


 私の同意を得ると、クララちゃんは口コミで商売を始めた。私の作った蒸留酒と柑橘の種と蜂蜜とグリセリンの化粧水と液体(泥状)石鹸を売り始めた。


 買う人いるかね、と思っていたらこれが飛ぶように売れる。慌てて追加を仕込み始めるほどに売れる。


「一度使えばわかります。これはみんなが欲しかったやつですよ」


 あなた、現代日本でテレビショッピングか店頭販売の仕事をやらせたいわ。目が真剣で説得力ありありで、思わず「買います」って言いたくなるオーラがあるわ。


 在庫を売り尽くし、仕込みが出来上がるまでは販売中止になるほど売れた。売れたお金は全部宿代にした。


 パオロさんもクララちゃんも「そこは伯爵様が負担するから気にしなくていい」と言ってくれたけど、私の気が済まない。伯爵様からしたらはした金かもしれないけれど、そこまで甘えてはいけない気がする。


 パオロさんは「差し出された親切には素直に甘えるものですよ」と言うけれど。


 ふと、前世で夫が私を見るたびにイライラしたような目つきをしてたことを思い出す。私のこういうところが気に入らなかったのだろうか。


 心が平和な今ならなんとなくわかる。


 一から百まで夫に責任があったのではなく私にも責任があったのだ。憎みながらも逃げ出さず、別れもせず、一緒に暮らすことを選んでいたのは私だ。ならば夫もまた被害者ではないのか。


(私はこっちで幸せに暮らしてるよ。あなたとは仲良くなれなかったけど、六年間ありがとう。元気でね)


 初めて前世の夫を心穏やかに思うことができた。ドロドロした何かが胸の中からすうっと消えたような感じがした。


 私、この世界に来てよかった。

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