12 柔らかな人形・
海辺の町ではベルトーナ伯爵様のお知り合いの家「波止場亭」でお世話になっている。波止場亭の一階は食堂で二階が宿屋だ。
「伯爵様からのお手紙を拝見しました。何もご心配なさらず、好きなだけご滞在くださいませ。伯爵様は毎年、海の幸を召し上がりにここにいらっしゃるのですよ」
朗らかな宿屋の主人はそう言って、私とクララちゃんを部屋に案内してくれた。
御者を務めてくれたパオロさんの本職は護衛で、手紙をご主人に手渡したあと、ここの仕事を手伝いたいと申し出ている。
「旦那様に当分は帰ってくるなと言われていますから」
そう笑ってるパオロさんは茶髪の四十近い屈強な体つきの人だ。
「じっとしてるのは苦手なんです」
とパオロさんに言われて私も頷く。私もじっとしてるのは苦手です。
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今、私は猛烈に作りたい物がある。柔らかい抱き人形だ。
馬車で移動してる間、私とクララちゃんは同室で寝泊まりしていたのだが、宿泊初日の夜、クララちゃんは部屋を整え、最後に大きなリュックから大切そうに人形を取り出した。
木製のその人形は、長年に渡って撫でられ頬ずりされて飴色だ。そこに何かをリメイクしたらしい服が着せられている。
これが……。
最初にそれを見た時、思わず息を呑むような物だった。なんていうか、怖い。それに、全体のバランスが実際の人間とほぼ同じだから全然可愛くない。髪の毛は本体と一体化して木で刻まれている。
頭は小さい。鼻がくっきり高い。気をつけ、の姿勢で直立しているから腕が無いように見える。顔も(それは笑う子も泣くのでは?)みたいな顔だ。リアルすぎるという感じで。
何度も「それ、夜中に憎い人を思い浮かべながら木に打ちつけたりしないわよね?」と聞きそうになったけど、我慢した。
でも今日、我慢できなくて人形の由来を尋ねたら、本体はお父さんの手作りで服はお母さんの手縫いだそう。ほんとに良かった。失礼なこと言わなくて。
「王都では人形はみんなそういう感じなの?」
「そうですね。貴族様方の人形はもっと高価な材料を使ってると思います。お屋敷にあったのは首から上は焼き物でしたが、だいたいこんな感じだと思います」
一番近いイメージは東南アジアのお土産にある魔除けの木彫り像ではないかしら。
幼子にあれはないのでは。
作りたい。柔らかい人形。毛糸や刺繍糸で髪の毛も作って。顔は日本で人気の鼻が無いタイプの愛らしいやつ。
すぐにクララちゃんと材料を買いに行くことにした。大丈夫と言ったけどパオロさんも一緒だ。
「何かあっては旦那様に私が叱られます」
それは私の「山奥で育ったので」と同じ伝家の宝刀ね。それ以上何も言えなくなるわ。
町の布地と雑貨のお店で、人形に合うような布地をあれこれと、毛糸を数種類、針と縫い糸、刺繍糸、ハサミ、羊毛を、買い込んだ。
「さて、作りますか」
クララちゃんは手持ち無沙汰なようで、近くで立って見ている。
「座っていいから。私はクララちゃんの主じゃないんだから、口調も楽にしてね。気楽にいきましょ」
「はい」
そのやりとりから数十分後。クララちゃんが耐えている。口を出したいのをめっちゃ我慢している。理由は私が縫っている人形の頭が大きいことに違いない。
私はだいたい四頭身の人形を作っている。身長三十センチほどの人形は、頭から足先まで前と後ろの二枚の布で作り、腕だけは別に作って後から縫い付ける予定だ。羊毛を詰める前はクッキーのジンジャーボーイみたいな形。
ついにクララちゃんが我慢できずに質問してきた。
「モニカ様、大変失礼かと存じますが、頭が大きすぎませんか?」
「これでいいの。仕上がりを楽しみにしててね」
本体を縫い上げ、頭から綿を詰める。棒を使ってグイグイ詰める。腕も同じようにして肩に縫い付けた。
さて、次は髪の毛だ。
「良かった、髪の毛が付くんですね」
「付けるわよ。髪の毛は大事だもの」
三十センチほどの間隔を空けてクララちゃんに指を出してもらい、そこに茶色の毛糸をぐるぐると巻きつけて、真ん中をゆるく縛ってから輪を左右でパチンと切って腰まである長い髪の毛の出来上がり。
縛った真ん中をお人形に縫い付けてたら、クララちゃんがうっとりしている。
「髪の毛に見えます!長くてすてきです!」
「そうでしょうとも。長い髪だから編み込んだりリボンで結んだりできるのよ」
十五歳のクララちゃんの顔がもっと幼い女の子の目になってて可愛いったらないわ。ドレスはどの端切れで作るかクララちゃんに選んでもらおうとしたら延々悩んでる。
「他のも作るからとりあえず気に入ったのをひとつ選んでね」
「えっ!お着替えができるのですかっ!」
「うん。靴も作るわよ。髪飾りも作る」
クララちゃんが足をバタバタするのを我慢して身悶えている。
「うわぁ!なんですか、そんな素晴らしいお人形なんて見たことがないです」
「これ、抱き人形だけど着せ替え人形でもあるのよ」
「最高に素晴らしいです!」
クララちゃんがウンウン言いながら選んだのはワインレッドの布だった。白い布で付け襟を作って合わせた。靴はドレスと共布のスリッポン風の靴。
髪は二つに分けてきつく三つ編みして癖をつけてからほどき、ふわふわと遊ばせてリボンも結んだ。
「これは、これは、売れます!」
「え?売るの?クララちゃんが喜ぶと思ったのに」
「私ですか?私が頂いてよろしいのですか?」
「うん。最初からそのつもりで作ったんだもの」
「うわぁ。嬉しいですぅ!」
人形に頬ずりするクララちゃんから人形をそっと取り上げて、しつけ糸で目と口の位置を決める。
「鼻と耳は無いのですか?」
「うん。人間は低い位置に離れた目が付いていると、それだけで『赤ちゃんみたいで愛らしい』と思うらしいの。あ、えっと、それは伯爵様の図書室で読んだの。鼻と耳は必要ないらしいわ」
危うく心理学でなんてことを言いそうになった。用心用心。
「確かに赤ちゃんみたいに愛らしく見えます。不思議ですねぇ」
クララちゃんが隣で出来上がりを待っていて、私は笑いながら目と口を仕上げた。ぱっちりお目々とニッコリお口。目と口が付くと、急に魂が入ったように見える。
お人形を抱きしめて小躍りしてるクララちゃんを笑顔で眺めながら靴も作る。裸の足にギュギュッと靴を履かせてもう一度クララちゃんに渡す。
「モニカ様、私、こんなすてきなお人形初めて見ました」
「クララちゃんに喜んでもらえて嬉しいわ」
「私も嬉しいです」
「良かった。気に入ってくれて」
作るのも楽しかったし、クララちゃんは喜んでくれたしで、満足した私は一階の食堂で二枚貝のオイル焼き、白身魚のスパイシースープ、イワシの香草焼きを食べてウハウハしてた。
やっぱり新鮮な海の幸は美味しいわよねぇ。食べてる時も食べ終わった後も幸せ気分になれるわ。
ここの食堂で働かせてもらえないだろうか、と思う。おそらくここの滞在費用を伯爵様が負担するおつもりなのだろうけれど、さすがにそれは申し訳なさすぎる。
ここで雇って欲しいと言ったら迷惑かなあ。扱いに気を使う使用人なんて迷惑よねぇ。
プライドを持って料理をしているであろうご主人に厨房で料理させてくれだなんてねぇ。
いっそ競合しない場所で働こうかな。でも小さな港町でそんな場所、あるかしら。私ができるのは料理くらい。手芸も好きだけど、生計を立てるとなったら料理かなぁ。
ふうむ。
でもまあ、今の私は自由だから。やりたいことをやれるのだから。なんとかして自立の方法を考えよう。