森の砦 2
月明かりが暗くなった大地を優しく照らすが、森の中ではその光はわずかに届くだけだ。
薄暗く、虫の音一つしない静かな空間が広がっている。それは、ある意味不気味とも言えた。
そんな森の中を、三人の男が縦一列で歩いている。
彼らの持つ松明が力強く燃える。だが、この暗闇では心細い。
しかし、彼らの足取りは軽く、今にも小躍りしてしまいそうだった。
「今日は儲かったな!」
先頭の男が真ん中の男―――アルゼンに語りかける。夜の闇にも負けない程の明るい笑顔だ。
ジャラジャラと硬質の物体が当たる音が、自慢する様に彼の背負っているバッグから聞こえた。
中身は魔獣の素材や魔石であり、換金すればかなりの価値になる。
嬉しいのはわかるが、今日で五回目になる仲間の発言にアルゼンは苦笑いした。
「前を向け。まぁ、今日は運が良かったよな……まさか、恐慌状態の魔獣があんなに居るとは思わなかった」
「確かにな! マジ運が良かったよ」
思い出すのは昼間の出来事だ。
森の中で探索をしていると、魔獣の襲撃があった。
その数は二十以上。地鳴りの様な音を立てながらやって来る魔獣に初めは面食らっていた彼らだが、直ぐに迎撃の体制を取る。逃げても、向こうの方が速いからだ。
しかし、とてもじゃないが三人ではどうこうできる数ではない。物量に飲み込まれてしまうだろう。
アルゼンたちは死を覚悟した。
しかし、獣どもは彼らを見向きもせず、一心不乱に何かから逃げるように通り過ぎていった。
呆気に取られていたアルゼンたちだが、気を取り直して無防備な魔獣を彼らは次々と狩っていった。
そして、今に至る。
「……そのおかげで本来の目的を達成できなかったがな」
最後尾の男が静かに告げる。だが、口調は責めるものではなく呆れた物言いだった。
それはアルゼンも思っていたことだったので、苦笑いする。
「まぁ、いいじゃないか。明日頑張れば良い……幸いにもすぐそこに野営地があるんだからな!」
「何か腑に落ちない言い方だが、そうだな―――」
「静かにっ」
突然、前方を歩いていた男の警戒色を含ませた声が響く。
何事かとアルゼンが目線を向けると、彼は前方を指差していた。
自分で見た方が早いという事らしい。アルゼンは木の陰から覗くように彼の指差した方角―――砦の野営地を見た。
「先客が居るようだな」
野営地として使われている砦の一角から漏れる火の光を見ると、三人は目配せをして持っている松明を消した。
途端に夜の闇が彼らを呑み込む。
暗闇に目が慣れるまでその場で待機していた彼らは、近くの木の根元にバッグを置くと剣を抜いた。
「行くぞ」
アルゼンが二人に合図する。
等間隔で三方向に別れた三人は、月明かりを頼りに進む。
物音を極力立てずにゆっくりと砦との距離を縮めながら、周りに人影がないか確認する。
時より木々の間を風が通り抜け、葉を揺らす。その音に便乗する様に、彼らは亀と同じか少し早い程度の速度で進んだ。
ここまで彼らが慎重なのは、野営地を使っているのが同業者ではない可能性があるからだ。
山賊や野盗、亜人という事もある。そうだった場合、戦闘は避けられない。
だからこそ、彼らは慎重に慎重を重ねる。
幸いにも周辺に見張りはいないようで、残すは野営地の中だけだった。
三人は合流すると、アルゼンが壁に張り付いて石壁の隙間から中を確認する。
人数は一人。焚き火の近くに座っていた。
アルゼンの方からは後ろ姿しか確認できないが、服装や姿からして金髪の女性の様だった。
こちらに気づいた様子はなく、のんびりと焚き火に薪を足していた。
驚異はないと判断した三人は、ホッと一息ついて剣を収める。
警戒して硬くなっていた身体をほぐし、そのまま野営地の入口へと向かった。
「誰ですかっ!」
警戒色を含ませた優しげな女性の声が響く。
流石に音を立てて近づけば気づかれるかと三人は微笑み。一応、警戒してチラリと入口から中を確認する。
野営地にいたのは、やはり女性だった。
ただの女性じゃない。超がつくほどの美人だ。年齢は十代後半から二十代前半で、肩程まで伸びた美しい金髪をエアリーボブにしていた。
服装は平凡な茶色のローブだが、彼女の美貌にかかればそれすらも上質な服に見える。
彼女の澄んだ青紫色の瞳が、アルゼンと交差する。すると、女性は警戒するようにダガーを構えた。
しかし、剣先は震えており、とても戦い慣れている様には見えなかった。
「待ってくれ、俺たちは怪しい者じゃない」
彼女を安心させるように、アルゼンは両手を挙げて姿を現す。
続けて仲間たちが彼と同じように両手を挙げるが、彼女は警戒を緩めることなく一歩下がった。これには流石のアルゼンも苦笑いだ。彼女の行為にではない。自分の発言に対してだ。
彼女から見れば、突然武装した男が三人現れて、自分たちは怪しい者では無いと言って近づいてきたのだ。
アルゼンたちに彼女をどうこうする気は万に一つもありえないが、どう見ても怪しい。
どうしたものかとアルゼンが考えていると、彼女が魔法を発動させた。
「《三連魔法。氷の長槍》」
「「なっ!?」」
女性の周りに魔法陣が浮かび上がると、空気を凍らせながら氷の槍が三つ同時に出現した。
それらは彼女の周りに浮かび、滑らかな刃先がアルゼンたちの心臓に狙いを定めた。
月明かりに照らされた氷の槍が冷徹に輝く。
あとは、彼女の合図で槍は即座に彼等の命を貫くだろう。
アルゼンたちから嫌な汗がじんわりと滲み出る。
両手を挙げている彼等に、槍を防ぐ手段はない。
仮に、万全の状態と装備であったとしても、彼女の魔法を防ぐことは不可能だった。
彼女が発動した魔法は、中級魔法の《氷の長槍》。
そして、上級魔法の《三連魔法》を使って強化されたものだ。
上級魔法を使える者は少ない。それこそ、使える者たちは皆が最高ランクの冒険者たちだ。
つまり目の前の美人は、英雄級の実力を持っていてもおかしくないのだ。
(くそっ! 判断を誤った……一人で居る事を不審に思うべきだったな)
そもそも、こんな森の奥に女性一人で居ること自体不可能だった。
この辺はゴブリンやオークといった亜人種から、山賊や野盗どもが出没する危険地帯で有名だ。
そんな場所に彼女の様な美人が一人でいたら、どうなるかなど火を見るより明らかだった。
しかし、彼女はのんびりと無警戒に野営をしていた。自殺行為もいいとこだ。だが、逆にそれは彼女が亜人種や山賊を驚異と見ていないからだと判断できる。
現に、アルゼンたちの命は彼女の手の中にあった。
「信じてくれっ! 俺たちは冒険者だ!! 山賊じゃないっ!!」
アルゼンは声を荒げる。
冒険者として戦って死ぬのなら仕方がない。自分の実力不足だと割り切れる。
しかし、山賊と間違われて殺されるのは嫌だった。
アルゼンの必死な思いが伝わったのか、彼女は考える素振りを見せた。
「冒険者……証拠はありますか?」
「首にプレートが掛かってる。それを見てくれればわかる」
「わかりました。こちらに投げて下さい。でも、少しでも変な行動をとれば―――殺します」
「わ、わわかった」
アルゼンは慎重に自分の首に掛かっているプレートを外す。
それだけの行為だというのに腕は鉄の様に重く、身体を蝕む悪寒にガチガチと歯を鳴らした。
後ろにいる仲間たちも同じで、鎧が擦れる音が聞こえる。
アルゼンたちは目の前の美女が恐ろしかった。
彼女が殺すと言った瞬間、本当に殺されると感じたのだ。
彼らも冒険者だ。幾度となく死線を乗り越えてきたベテランである。
そんな彼らの本能が、目の前の美女を化物だと警告して今すぐ逃げろと催促する。
しかし、そんな事をすれば確実に殺される未来しかない。だからこそ、今は彼女の警戒を解くしか方法がなかった。
「なっげるぞ!」
アルゼンは恐怖を誤魔化すように大声を上げる。
しかし、裏返った声は情けないほど小さく、震えていた。
美女の目線に合うようにプレートを掲げる。
金属の鎖で繋がれたプレートが、彼の震えに合わせて音を上げる。やけに響く音に、彼女が不快に思い殺されるのではないのかと心配になるが、止めることは出来なかった。
「はい、どうぞ」
アルゼンは美女の言葉に瞬時に反応してプレートを投げる。
投げ捨てるように―――しかし、下から優しく放り出されたそれは、焚き火の光に当てられてキラキラと輝きながら、放物線を描いて彼女の真正面に落下していく。
彼女は両手を使ってプレートを受け止めた。
「確かに、書いてありますね」
女性―――アリシアが、プレートをまじまじと見る。
それは銀で作られたものだった。
バルツェン城塞都市冒険者組合発行という文字と、中央には渡してきた男の名前―――アルゼン・スートンと書かれている。
(なるほどなるほど……免許証とかそういう感じかな)
アリシアはプレートから目を離し、男たちを見る。
プレートを投げてきた男―――アルゼンは、銀の様な輝きを放つ灰色の変わった金属鎧を着ている。後ろにいる男たちはそれぞれ軽装鎧と革鎧を着ていた。身体付きも良く、アリシアの目から見ても鍛えているとわかる程だった。
そんな男たちが、顔面蒼白で異常な程震えて立っている。
女一人に対して怯え過ぎだと逆に警戒したが、彼等の様子を見るに、アンデッドだから怯えている訳では無さそうだった。
その辺も彼らに聞かなければとアリシアは心の中にメモをする。
とりあえずは敵意はないとわかったアリシアは、魔法を解除する。
「良かった……マジで良かった」
助かったとわかったのか、アルゼンたちはその場に倒れる様に座り込む。そして息を大きく吸い込み、空を見上げた。
アリシアは、そんな彼らの様子を静かに見守る。
慈愛に満ちた―――ペットに愛情を向ける飼い主の様な顔だった。
(あぁ……やばいですねぇ)
しかし内面では、とある気持ちを必死に抑え込んでいた。
アリシアの言うことを聞かずに内面で暴れる。中々に諦めが悪く、少しでも気を抜けば出てきてしまいそうだった。
この気持ちを解き放てば至福の時を過ごせる。
今なら極上の餌を目の前にした犬の気持ちがよくわかった。
本能のまま、欲望のまま目の前の餌に食らいつきたい。
しかし、それをしてしまえば貴重な情報源を失う事になる。それは避けたい。
アリシアは駄犬ではない。待ては出来る。今はまだ待つ時だ。
何とか抑え込んだ彼女は、アルゼンたちに近づいていった。