02 請求書
ノックもせずに病室にいきなり入ってきたのは、見覚えの無い高校生くらいの女の子。
彼女は少し白い金髪のショートカットで厳ついピアスを何個も耳に掛けた、つり目の少し性格がキツそうな美少女だった。
僕は彼女の容姿を見た瞬間に知人ではないと確信した。
こんな首が凝りそうなピアスを付けた知り合いは一人も居ない。
そうか、彼女は病室を間違えたんだ。
隣の病室にバンドマンの彼氏でも居るに違いない。
いや……。
でも自分の名前を呼はれた気がする……。
「私が岡田真紘です。どちら様でしょうか?」
僕は身体が動かせないので首だけを起こし、彼女の誤解を確認する為にフルネームで返した。
「ふぅーん。そういうことか……」
彼女は僕を一瞥し、背負っていた黒い革のリュックを床に置いた。
そしてチャックを開けて何かを探し始めた。
「エェッと。あ、これだ」
彼女は封筒から三つ折りにされた紙を取り出し、僕に見えるように顔の近くで紙を広げた。
母とその書類に書かれた文字をマジマジと見つめる。
「損害金お支払いのお願い?」
その下には請求額が二百五十万円が書かれていた。
こんな金額を見たのは、免許とりたての十八歳の時以来。
自分の車が欲しくてネットで調べると、数百万円の車がズラリと並ぶサイトばかり。
自分でバイトで貯めた30万円ではロクな中古車も買えなかった。
そんな僕には、この大き過ぎる金額についての心当たりが全く無かった。
すると母が酷く焦った様子で立ち上がった。
「あ、あの……。その件でしたら、自宅の方に送って頂ければ……。本人も目覚めたばかりですので……」
「アンタでしょ。隣のビルから飛び降りて、私達の大切な家を壊したのは」
彼女は母の言葉を無視して僕の顔にギリギリまで近づき睨みを効かせた。
「自分が貴女の家を?」
「屋根に穴が開いたの」
「僕が壊したんですか?」
「だからそう言っているでしょ」
頭の整理が付かず何度も聞き返した。
それでも返ってくる答えは変わらない。
真紘は何も言えず呆然と彼女の顔を見つめた。
「すみません! 謝罪でしたら後日、お伺いさせて頂きますので、今日の所はこの辺りで……」
「イヤ! 本人に謝らせてよ」
助け舟を出した母の言葉はまたも受け流され、彼女は真っ直ぐに僕へ怒りの感情を向けた。
僕は自分がやった事はただ謝るだけで許されるレベルでは無いのだろうと思った。
彼女の痛々しいほどの怒りが、家を壊されただけでは無い何かをしてしまった事を気づかせた。
それが何かは分からないがとにかく謝らなければ。
動かない体に無理矢理に力を入れた。
少しずつ起き上がり痛みで震える両手で彼女の左手を掴み頭を下げる。
「本当に……すみません」
「…………」
これが僕にできる精一杯の謝罪だった。
普段なら女性の手を触るなど気持ち悪がられるだけだと思う。
それでもこの時はこれが一番の謝罪に思える。
彼女は汗だくで震える僕の手を払う事はしなかった。
ただ、僕を見つめている様でその空虚な視線は、僕でない何かを見ていた。
「ねぇ。なんで飛び降りたの?」
「すみません……」
「謝らなくていいから、理由を教えて」
彼女はいきなりトーンを変え、意外な質問をしてきた。
彼女にとっては加害者である僕の動機など本当にどうでもいい事だ。
純粋な興味か、悪意のある口撃か。
どちらにせよ話さない訳にはいかないだろう。
「えっと、普通のことが出来なくなったんです。人と楽しく話したり、電車に乗ったり、大学に行ったり、玄関を開けたり。いつの日か突然……」
「うん……」
彼女は膝を折り、僕と同じ目線で真剣に話を聞く。
そのおかげか言葉がスラスラと出で来る。
「そのうち何もかもが出来なくなって。生きる意味も無くなった……。それで家を飛び出したら、いつの間にかビルに忍び込んでいて……」
「飛び降りたんだ」
「はい……すみません」
一緒に聞いている母の顔を見ないように下を向いて、吐き出しそうになりながら少しずつ言葉を捻り出した。
思えば他人に本音を話したのは何年振りだろう。
最近は発する言葉全てが本音じゃなかった気がする。
「それで、飛び降りてどうだった?」
「えっと、あの。変だと思うんですけど……。綺麗だったんです」
「えっ、どういうこと?」
彼女は僕の答えが意外だった様で、不思議だという顔をした。
そもそも飛び降りた感想が綺麗だったなんて、頭がおかしいとしか思えない。
それでも僕は話を続けた。
「空中で目を開けたら、そこは昼間の公園? みたいな所で。青空が見た事ないぐらい広いんです。木々が揺れる音も心地よくて、大きな鳥が風を切って飛ぶのが綺麗で。まるで天国にいるような気分でした……」
「へぇーー‼︎ そんなに綺麗なんだ」
「本当に凄いんですよ‼︎ 180度全ての景色が見た事がないぐらいに美しくて! 何も嫌なモノが無いんです‼︎」
僕はあの景色の感動を彼女にどうにか伝えようと言葉を尽くした。
それを彼女は楽しそうに聴いてくれる。
それが無性に嬉しくて、いつの間にか僕まで笑顔になっていた。
「ねぇ。今度私たちの家に来てみない?」
「えっ⁉︎ でも……」
「いいモノを見せてあげるから。ねっ!」
「じゃあ、いつか」
「約束だよ! 怪我が治ったらすぐに来てね」
「え……。あ、わかりました」
なんだろう?
家族にも謝れという事だろうか。
自分が飛び降りたところに行くのは少し怖いな。
「それじゃあ帰るね。もう怒る気も無くなっちゃった。それに収穫もあったし……」
「そうですか……お気をつけて」
そう言って彼女はリュックを背負い病室から出ていった。
彼女が居なくなり我に帰ると、母の存在を忘れていた事に気がついた。
本当に申し訳無くて母の顔を見ることが出来ない。
最終的に修理代を払うのは両親だ。
なのに飛び降りた事を、さも楽しかったことの様に話してしまった。
———ガラガラガラ‼︎
突然勢いよく開いた扉から彼女はひょこっと顔をだした。
「お支払いは、よろしく~~‼︎」
満面の笑みで彼女は病室を後にした。
残された僕と母は顔を見合わせ笑い合った。
「ふーーぅ……。母さん、ごめんなさい」
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