7話 キイラン村
バックに必要なものを詰め、背負う。
扉の閂を抜く。さきほど上の部屋から近くに延死者がいないことは確認していた。
とはいえ、村に存在する全ての延死者が教会に集まっているとは限らない。何事も慎重に限る。
「行ってくる」
ゆっくりと扉を押す。
乾いた冷たい風と眩い日差しが顔に当たる。
外に出て、できる限り音を殺して扉を閉める。
少し遠い場所で彼らの声が聞こえる。陽の位置的には東側に教会が位置している。オーサネアは西にあるため、教会前を通らなくてもいいのは幸いだ。
時計塔があることからなんとなく気づいてはいたが、この村はそこそこに大きな村だ。とはいえ街というほど店の種類はなく、民家や畑が多い印象だ。
表路地だと逃げづらく、また目立つため、裏路地に入って西を目指す。
今回の目的は食料を含む物資の回収と瓶に水を入れること、そして村からの脱出ルートの模索だ。
スマートフォンのイラスト製作用のアプリケーションを呼び出し、ざっくりとした地図を書き込む。場合によっては写真を撮りながらマッピングしていく。
昨日は夜で見えなかった分、様々な情報がアップデートされていく。
例えば家を一つとってみる。大半の建物は木造でできているが一部の建物、時計塔などのとりわけ特別な役割を持った構造物はレンガやコンクリートでできていた。目印としてはわかりやすく、耐火性もいいのだろう。
地面は表通りのみが舗装され、他の路地は堅い土や砂利だった。時計塔や教会から離れれば離れるほど、畑の割合が増えていく。
警戒と観察をしながら歩くこと数分、井戸を見つけた。俺は数センチの石を拾い上げ、井戸の近くに投げつける。カツーンと軽い音が鳴るが、特に延死者が出てくる様子はない。
俺は井戸に近づきゆっくりと覗き込む。井戸の水は透き通っていて特に死体が浮いている様子もない。深さも十分ある。
俺は取り付けられていた桶の中にバックから取り出した瓶を入れた。瓶とロープで固定し、井戸の中へと降ろしていく。
やがて桶の底と水面が当たる音が響いた。そしてブクブクと瓶の中の空気が抜ける音がする。
延死者が来るのではと内心冷や冷やしていたのだが、結局その心配は杞憂に終わった。
俺は桶が倒れないようにロープを引き上げる。桶から引き抜き、冷たく透き通った水入りの瓶の口にコルクを詰める。
また次の瓶を取り出しまた井戸へと降ろす。これを二回ほど繰り替えす。
――そういえばあの時の必ず戻ってくるって言葉、今考えたら死亡フラグか?
すごくどうでもいいことが引っかかっていた。
中身を補充した瓶をバックに詰めなおす。
全ての瓶を詰めなおしたために水分の重量が増え、肩に圧がかかる。
これは水の補給を帰りにするべきだったと、その重さに嫌になりながらも脱出のための調査を再開した。
しばらく歩くと、コンクリートでできている大きな館が目に入る。材質から何かの施設なのだろうが、その扉は大きく開け放たれていた。
それ故に罠かと考えたが彼らにそれほどの頭はない。注意を払いながら中を確認する。
どうやら警察署というか憲兵の詰所といったところだろうか。
じっくりと眺めていると目を引くものを見つける。受付の奥に銃と剣が掲げられていた。銃に関しては専門外だが、あの長細い形には見覚えがある。スナイパーライフル……ではなく、たしかマスケット銃とかいうものだ。よくわからないがたしかこのような形だった気がする。
剣に関しては単純なロングソードのようだ。鞘の装飾はかなりシンプルで一般兵が使うようなものに見える。
俺は武器に惹かれて、何の気なしに詰所に足を踏み入れた。
入った瞬間鼻につく異臭。孵卵臭とも錆の臭いとも言えないこの臭いは—―。
その瞬間、俺はいきなり横から壁に押し飛ばされる。必死に襲撃者を視界に収めた。
そこに移っていたのはカーキ色の制服を着た延死者だった。服装の装飾からかなり位の高い軍位だとわかる。
肺から吐き出た分の空気を必死に吸おうとするが臭いの嫌悪感からまともに吸うことができない。
俺は、あんぐりと口を開け噛みつこうとしてくる延死者の首を手を伸ばし抑える。
――力強!?
想像以上の腕力と酸欠に動けなくなる。左手だけでは抑えきれず、手が滑る。醜悪な顔が勢いよく近づいてくる。
咄嗟に右手の前腕を相手の顎の下にスライドさせる。延死者の方は食べるつもり満々だったようで、俺の顔の前でカチカチと歯を鳴らしていた。
このままでは本当にまずい。視線を動かすと近くの机の上にむき出しの剣が転がっていた。
必死に手を伸ばすが、手が届かない。
「アァアアァァア!」
臭いが、姿が、声が、死を具現化したかのように近づいてくる。右手に必死に力を加えながら、左手で机の上を探す。
――届かない!!
俺は軍刀諦め、伸ばした左手をバックに滑り込ませる。そのまま取り出した瓶で相手の頭を振り抜いた。
水と血とガラスが飛び散る。振り抜いた体の動きを止めることなく、ふらついた延死者の右の懐に滑り込む。
相手の腰に刺さっていた短刀を引き抜き、喉元に突き立てた。先ほどまで俺がいた壁際へ追いやり、暴れる延死者を、体で押し込み抑える。相手の口にだけは気を付けながら、無理やり刺さっていた短刀を横に薙いだ。
「――ァァァァ」
空気が抜けるような声とともに延死者は息絶えた。
切れ切れになった息をゆっくりと戻す。体は無事だ。無傷とは言えないが掠り傷程度で噛み傷も引っ掻き傷もない。
できる限り臭いを意識せず息を整える。
勝利の喜びよりも生き残れたという安堵の方が大きかった。ふと下を見ると、散らばったガラスには返り血で染まった自身が写っている。
俺はなんだか責められている気がして破片を踏んで粉々にした。
――正当防衛だ。
誰に対してでもない言い訳を心の中で呟く。
俺は気分を無理やり切り替えて探索を再開しようとするが、どうにもやる気になれない。
「クソッ」
俺は外に出て周囲を見渡す。畑に刺さっていたスコップを引き抜き、近くの空き地に穴を掘る。
自己満足なんて自分が一番わかっている。延死者を一人殺めたがこれから先、毎回こうなっていたら体も精神も持たない。
こんな世界に落ちて、わけのわからないまま襲われて、流されるままに人を殺した。この行動が正しいか正しくないかなんて今はわからない。正しかったと思いたい。
でも、今、この思いは、この罪悪感は軽く見ちゃいけないと思った。本当に延死者を殺すことが正しくて、この先慣れていくのだとしても。