3話 襲撃
「――!?」
俺は反射的に立ち上がっていた。
音の発生源である後方の窓を見やると人影がなだれ込んできている。
その数は三つ。少なくとも教会の窓ガラスを割って入ってくるような奴はろくなもんじゃないだろう。
半歩前に足を踏み出し、エイハの前に出る。
「一応聞くけど、知り合いじゃないよな?」
聞くが彼女は青い顔をして動かない。そしてその震えた唇で彼らの名を口にした。
「エンシシャ――」
人影が月明かりに当たり、そのシルエットの正体を解き明かす。
土色の顔。剥がれ落ちた皮膚。むき出しの骨。飽きっぱなしの口に焦点のあっていない眼。
あーあーとうめきながら徘徊するようにのそのそとと歩く。
その微小な動きのむき出しの筋肉がどうやって人体というものが動いているか教えてくれた。
その姿は先ほどの映画で見たゾンビそのものだ。
心臓がどくんと跳ねる。汗がとめどなく出る。これは現実なのか――いや今はそんな些細なことは置いておけ。現実だろうが夢だろうが幻覚だろうが今は考えるな。
彼らを観察する。
――延死者。
死を先延ばしにする者とはよく言ったものだ。
だが感心してばかりもいられない。
「エイハ」
彼女の肩の軽くたたく。
「――!」
彼女は目を丸くしてこちらを見つめた。
彼らの情報は彼女の方が圧倒的に多い。だがダラダラと特徴やらなんやらを聞いている暇はない。必要な情報だけを声をできる限り抑えて、囁くように訊いた。
「彼らは目は利くのか?」
エイハはほんの一瞬だけきょとんとして、そして冷静に答える。
「……一般論ではありますが、彼らの目はそれほど良くないといわれています。とはいえ全く見えていないわけではありません。それと、目がよくない代わりに彼らは耳と鼻が利くと聞いております」
この暗さだ。目が悪いならば、向こうはほとんど俺たちのことは見えていまい。おそらく彼らは俺たちの会話が聞こえて入ってきたのだろう。
そう考えると彼女が一人だったならばこんなことにはならなかっただろうと思う。
罪悪感が沸き上がる――がそれを考えている余裕はない。
俺たちは音もたてず、大きな動きもしていないが、彼らはゆっくりと、しかし確実にこちらに向かってきている。恐らく匂いが少なからず出ているのだろう。
取りあえずこの場から離脱しなければならない。だが扉は後方の、彼らが入ってきた方角にある。それに閂で閉められているため、それを外すのに手間取ればアウトだ。いや、手間取らなくともあれは時間がかかりすぎる。
周りを具に観察する。そして壁に梯子がかかっているのを認めた。
梯子の先は屋上に繋がっており、その蓋には特に鍵などは掛かっていないように見える。
天井までの高さはおおよそ八メートルないくらいだ。
上着のポケットを探ると、先ほどコンビニに寄ったときのお釣りの硬貨が指先にあたった。お釣りを財布に入れるのをめんどくさがったために残された硬貨。
俺はそれらを取り出し、後方の扉に向けて放り投げる。それは直線に近い放物線を描き、扉にあたった。
硬貨特有の響く金属音が鳴り響く。
延死者達の足が止まる。
金属の音に釣られ、彼らは音の方角に向かった。皮肉めいていうならば、川を渡るための六銭が足りないのだろう。だから死に切れずにこんなところを彷徨っているのだ。
まあ純粋に音のする方へ向かっただけだろうが。
エイハに適当なハンドジェスチャーで梯子を上ることを伝える。
エイハは頷き、静かに梯子に近づいていく。俺も彼らを視界に捉えながら彼女の後を追う。
大丈夫だ。彼らはこちらに気付いていない。
延死者を気に掛けた結果、俺は足元を見ていなかった。
「――!」
転がった木箱に右足を躓く。
「っ!」
右足を急いで振り上げ、爪先を伸ばす。
両手を伸ばし地面に伝わる衝撃をできる限りやわらげる。
ぐぐぐっと足の裏に負担がかかるがなんとか耐えきった。
――死ぬかと思った。
汗が噴き出る。
大丈夫だ。まだ彼らは気付いてない。すでにエイハは梯子を上り始めている。
静かに息をする。自分を冷静だと思っていたが深層ではかなり焦っていたらしい。
梯子の下にたどり着く。
そして俺が登ろうと梯子に手をかけた時だった。
――パーン!と音を立て、彼女が持っていた聖本が落ちてきた。
一瞬の静寂。そしてすぐに空気が震える。
本を拾い上げてコンビニ袋に突っ込み、急いで梯子を登り始める。
「「「ウ゛オ゛オ゛オ゛ォォォ!!」」」
彼らは音の方角に走り出した。
たった三人の足音のはずなのに大群が押し寄せるような圧迫感。
――クソッ!
心の中で悪態をつく。
彼女にではない。浅慮な自身に対してだ。彼女に梯子に上れと指示したのは俺だ。第一彼女自身、三日も飲まず食わずで深い隈になるほどの寝不足なのだ。体力的に疲弊した状態のはず。恐らく今彼女は掴まっているのがやっとだ。
それにこの梯子だって踏ざん同士が通常の物より間隔が広く、子供が登る設計にはなっていない。
そんなことは考えればわかるはず。わかる、はずなのだ。
エイハのすぐ下まで駆け上る。
「大丈夫か」
彼女は浅く呼吸をしながら答えた。
「すみません。もう体に力が入らなくて」
顔色もあまりよくない。それに体が震えている。恐怖か、体力の限界か、その両方か。
「オ゛アァァ」
延死者はすでに梯子の真下まで来ていた。
どうやら彼らは梯子は登れないようで、踏ざんをバンバンと叩くのみだ。だがバカみたいな振動が伝わってくる。下手にこの場所に留まっても壊されかねない。
「私のことは置いていって下さい。私、死ぬ前にあなたに会えただけで幸せですから」
はいわかりました、といえるわけがない。
考える。
天井まであと四メートル。
この状態では彼女をおぶりなおすこともできない。俺がわきに抱えても片手では梯子は登れない。ロープさえあれば彼女と俺の体をつなぐなり、俺が先に行って彼女を吊り上げるなりすることもできたのだが、ないものをねだっても仕方がない。
屋上へと続く蓋を見る。あとたったの数メートルが。遠く感じる。
ふと天井から目線が下りる。下りるというか手前に移る。
修道服のスカートの裾から、エイハのすらりと伸びた肢体が覗く。
そこでふとアイデアが浮かんだ。
「足開いてくれ」
「え?」
エイハはきょとんとした顔をする。
「今……なんていいました?」
「はやく」
「えぇぇ?」
目をグルグルさせながらもエイハは従ってくれた。
ここは腹を括るしかない。あとで罵られようが失望されようが構わない。
そのままエイハが大勢を崩さないように太腿の間に頭を入れ、そのまま太腿を肩に乗せる。
肩車。これならばエイハの負担を軽減でき、尚且つ最小限の体制の変化で移動できる。
とはいえ俺も両腕を使わねば梯子を上ることはできない。
「足でしっかりホールドして」
「は、あぃ」
エイハは混乱しながらも足先を俺の背中に回した。
ゆっくりと足と手を動かす。彼女の体重は人としては軽い方ではあるが、それでも三十キロはあるだろう。桜を乗せて筋トレしていてよかった(彼女には不評だったが)。
細心の注意を払いながら登る。急いで彼女が落ちたら元も子もないし、そうでなくとも彼女に負担がかかる。
振動する鉄製の梯子は感覚的に残り二メートルぐらいだろうか。足でしっかりと踏み込み、手で掴むことだけに集中する。不幸中の幸いか、彼女の太腿が耳をふさいでいるため、彼らの不快な声は遠い。
「あとどれくらいだ?」
「……あと六段くらいです!」
「了解だ」
自分で確認できないことがむず痒いがエイハの言葉を頼りに登る。
「手は届くかエイハ」
「……はい。いま――ひらき――ます!」
頭上で、軽い物がはねた音がした。移動を再開する。
するとすぐに肩への圧力が軽くなり、肌寒い風が首をなでた。
外だ。肺に冷たい空気がしみこむ。
彼らが侵入してきて十分もしてないだろうが、その三倍は長く感じた。